03
生徒会室前。
いまはもう見慣れた扉に、十勝はそのまま歩み寄る。
「おっじゃましまーす」
ノックもなしに扉を開ける十勝は、そのまま生徒会室に足を踏み入れた。
続いて生徒会室に入ろうとして、ふと、理事長室の方から物音が聞こえてくる。
ガタガタと廊下まで響く煩い物音に、俺は少しビックリしたが、わざわざ覗きに行く気にはならなかった。
あそこを私物化している生徒を知っているからかもしれない。
「佑樹、なにやってんの?」
廊下の奥を眺めていた俺に、十勝は不思議そうな顔をする。
「ごめん、なんでもない」俺は意識を理事長室から逸らし、慌てて生徒会室に入り扉を閉めた。
生徒会室では、見慣れた生徒が数人まったりと寛いでいた。
ソファーに横になって居眠りをしていた五味に、その向かい側のソファーにいた栫井はテーブルの上に広げた数枚のプリントになにやら書き込んでいる。
どうやら、栫井は授業で出された課題をしているようだ。
「あれ、五味さん寝てる」
「……最近よく寝れなかったとか言ってた」
ソファーに近付き、顔にタオルを乗せて眠る五味を覗き込む十勝。
栫井はプリントをやりながら、十勝にそう答える。
「ああ」十勝はなにか思い出したような声を上げた。
「あー五味さんのクラス、出し物の決定渋ったから準備が遅れてたもんねえ」
「間に合ったらしいけどな」
そんなやり取りを交わしながら、十勝は栫井の隣に腰を下ろす。
「佑樹もこっちこいよ」笑う十勝は、そう俺に手招きをした。
プリントを見ていた栫井の視線がこちらに向き、全身が強張る。
「……うん」栫井の視線から逃げるように、俺は十勝に言われたままソファーに近付いた。
三人用のソファーに栫井、十勝、そして俺が腰を下ろす。
そこまで窮屈ではなかったが、ひどく居心地が悪い。やはり、栫井という不安定要素があるからだろう。
芳川会長と付き合っていると公言して、前のように露骨な嫌味は言ってこなくなったが、逆にそれが不気味で堪らなかった。
「五味さんも大変だよなあ、あの阿賀松と同じクラスだなんて。今回もあいつがごねたんだろ?」
「らしいな」
二人の会話の中に阿賀松の名前が出てきて、俺は少しだけ反応してしまう。
二人に悟られないよう気を付けながら、俺は十勝が注いでくれた緑茶の入ったティーカップを手に取った。
「クラス出し物AV観賞会で提出してきたときはやばかったよな、芳川会長がさ。結局なにに収まったんだっけ」
「女装喫茶」
素っ気なく答える栫井に十勝は笑い声を漏らす。
十勝の声に反応したのか、向かい側のソファーで眠る五味が寝返りを打った。
女装喫茶って……。
よく会長が許したな、と呆れたが十勝の言っていたAV観賞会よりは格段ましだろう。会長の苦渋の判断が窺えた。
「やっべー、絶対浮くだろ!」
「わざとだろ、どうせ」
「あーなるほどな。そういや栫井のクラスなにやんの?」
コロコロと話題を変える十勝に、栫井は相変わらずの無表情で「お化け屋敷」と答える。
「あれ?まじフツーじゃん。俺、ひやかしに行くね」
「金払えよ」
二人のやり取りを聞いていると、なんか自分のクラスの出し物が異様に地味に思えてきた。
俺は手に持ったカップをテーブルの上に置く。
「佑樹んところは?やっぱり喫茶店とか?」
こちらに顔を向けた十勝は、そう俺に話題を吹っ掛けてくる。
いきなり話しかけられ、俺は少し緊張しながらも十勝の言葉に頷いた。
「やっぱり佑樹んところもコスプレとかすんの?」
「や、別にしないけど……」
食い付いてくる十勝に、俺は戸惑いながら答える。
なんだ、この学校は喫茶店といえばコスプレをする決まりでもあるのか。
ショッピングモールで会った縁との会話を思い出しながら、俺はそんな思考を働かせる。
「だろうと思った」
ならなんで聞いた。
「一年はさあ、飾り付けだけで店やんねーからつまんねーんだよなあ」
「ダブるからだろ」
退屈そうな声で愚痴を漏らす十勝に、栫井は課題を進めながらそう呟く。
栫井の遠慮ない言葉にむっとする十勝は、唇を尖らせた。
「栫井お前相変わらず可愛くねーな、佑樹見習えよ佑樹を」
「お前は齋籐が可愛くみえるのか?目腐ってんじゃねーの」
突っかかる十勝に、栫井は淡々と続ける。
いや確かに自分が可愛いと思ってはいないが、なんで関係のない俺がそんなことを言われなきゃいけないんだ。
あまりにも理不尽な栫井の言葉に、俺は黙って堪える。
久し振りの栫井の嫌味に、だいぶ日和っていた俺の心は傷つけられた。
「お前なあ、そーゆーところが可愛くないっつってんの。他にも言い方があるだろ」
怒鳴る十勝に、栫井は面倒臭そうに溜め息をついた。
十勝の声が生徒会室に響き、ソファーの上で眠っていた五味が驚いたような顔をして上半身を起こす。
「どうした、大きな声だして。またなんかあったのか」
また、というのは恐らくさっき十勝たちが言っていた阿賀松のことを指しているのだろうか。
寝起きで状況が飲み込めていない五味は、ソファーに座る俺を見つけまた驚いたような顔をする。
「十勝がさっきから絡んできてうざいんですけど」
拗ねたように押し黙る十勝の代わりに、栫井はそう言いながらテーブルの上のプリントをまとめ始めた。
どうやらもう課題が済んだようだ。
「はあ?なんだよそれ」イラついたように十勝が栫井を睨む。
「おいやめろって。なにカリカリしてんだよ、お前は」
顔にかかったタオルを手に取りながら、慌てて五味は二人の仲裁に入った。
宥めるように十勝に目をやる五味は、呆れたように溜め息をつく。
カリカリしている。確かに、そうかもしれない。いつもなら笑って流す十勝がこういう風に突っかかるのは珍しく感じた。
恐らく、先ほどの志摩とのやり取りのときの怒りが未だに残っているのだろう。
「なに言ってんすか五味さん、別に俺カリカリなんてしてないっすよー」
五味に指摘された十勝は、そう言いながらソファーから腰を持ち上げた。浮かべた笑みは見事に引きつっている。
「あ、じゃあ俺アミちゃんとデートしてくるんで先に帰らせてもらいますね」
それだけを言い残し、十勝はそのまま生徒会室を出ていった。
いや、さっきはそんなこと言ってなかったじゃないか。というか前の彼女はどうしたんだ。
色々言いたいことはあったが、俺がそれを口に出すより早く、生徒会室の扉が閉まる。
「……なんなんだ、あいつは」
バタンと音を立て閉まる扉を眺めながら、五味は呆れたような顔をする。
「さあ」プリントを束ねる栫井は、五味にそう答えた。
「お前も十勝にちょっかいかけんなよ。せめて俺がいないときやってくれ」
大きなアクビを噛み締めながら、五味は向かい側の栫井に目を向ける。
「……俺は普通に話してただけなんですけど」相変わらずぼんやりとした顔の栫井はあっけらかんとした調子で答えた。
冗談とも本気とも取れない栫井の言葉に、五味は諦めたように溜め息をつく。なんとなく俺は五味に同情した。
「……悪いな、せっかく来てくれたのに」
栫井になに言ってもしょうがないと思ったのだろう。
申し訳なさそうな顔をした五味は、そう俺に声をかけた。
「いや、俺の方こそ……忙しいときに遊びに来ちゃってすみません」
慌てて首を横に振り、俺はそう五味に頭を下げる。
「なら来なければいいだろ」と栫井に言われなにも言えなくなった。
これが普通だと言う栫井の言うことを、いちいち真に受けたら精神がおかしくなってしまう。俺は敢えて聞こえなかったフリをした。
「気にすんなよ。お前は会長のお客様なんだから」
「それに、こっちもやることなくて暇してたんだ」そうぶっきらぼうに続ける五味は、俺に気を使ってくれているらしい。
ここ最近特に五味のクラスは忙しかったと十勝たちが言っていた。
そのことを知っている俺は、五味の気遣いになんだかいたたまれなくなる。
「あ……ありがとうございます」
自然と顔が俯いてしまう。五味の顔が怖いのでこれは仕方ない。
お礼を言う俺に、五味は「なんで礼言うんだよ」と意外そうな顔をした。
確かに、ここで感謝の言葉を口にするのは少しおかしく感じたが、そう思ったのも事実なのだからしょうがない。
「まあ、ゆっくりしてけよ。なんもないけどな」
五味は言いながらソファーから立ち上がる。
「どこか行くんですか?」席を立つ五味に、つい俺は反射でそう訪ねた。
五味がいなくなったりでもすれば必然的に栫井と二人きりになる。それだけはなんとしても避けたい。
「ああ、ちょっとな」
段々不安になってくる俺に、五味はそうはぐらかすような返事をした。
もしかしたらただの便所かもしれない。
そう思ったが、五味の口振りからして行き先が便所とは思えなかった。
「……あの、俺も部屋に戻ります」
五味がいなくなるのなら、俺も。
どうしても前のことを思い出してしまい、密室に栫井と二人きりになることを恐れた俺はそう口に出した。
つられるようにソファーから立ち上がる俺に、五味は驚いたような顔をする。
「なんだ、もう帰るのか。遠慮しなくていいんだぞ」
五味は自分のせいで俺が帰ると思っているらしい。
むしろ、遠慮しているのは五味の方じゃないのだろうか。
「いや、その……いつまでもお邪魔するわけにはいきませんから」
しどろもどろと続ける俺に、五味は「そうか」と短く答えた。
嘘ではない。どちらにせよ、誘ってくれた十勝がいないのに一人だけだらだらと生徒会室でくつろげるほど俺の神経は図太くなかった。
「なら栫井、お前齋籐を部屋まで送ってやれよ。どうせ栫井も帰るんだろ?」
思い付いたように五味はそう栫井に声をかける。
五味の提案に、俺は顔を青くさせた。恐らく、五味なりに俺の身を案じての提案なのだろうが、俺にとってそれはただの苦行でしかない。
「いや、俺、一人で大丈夫ですから……っ」
慌てて俺は五味に前言撤回させようとする。
正直、ありがた迷惑というか余計なお世話というか、五味には本当申し訳ないがそれだけは勘弁してほしい。
「そういうなよ。会長にお前を一人にさせるなって言われてんだからさ。栫井、いいか?」
初めて聞く話に、俺は益々焦ってしまう。
終始黙っていた栫井は、五味に眠たそうな目を向けた。
栫井のことだ、『面倒臭い』と一蹴してくれるだろう。そのはずだ、だって栫井はそんなやつだ。そう決めつける俺は、断れ断れと栫井に邪念を送る。
「部屋まででいいんすよね」
栫井はそう言いながら、手に持ったプリントを鞄から取り出したファイルに閉じた。
「俺でいいなら送りますよ」
どうしてこいつはこういうときに限って無駄に気が利くんだ。
あっさりと五味の頼みを受ける栫井に、俺は絶句した。
「そうか、よかった。齋籐のこと、頼んどくからな」
「りょーかい」
五味は栫井が頷くのを見て、安心したように胸を撫で下ろす。
「んなら、じゃーな」五味はそう言えば、そのまま生徒会室を後にした。それを見送る栫井。
バタンと扉が閉まり、とうとう俺は前言撤回させることに間に合わなかった。
というか、なんでこういうときばかり物事が円滑に進むのだろう。新手のいやがらせか。
呆然と五味の去った後を眺める俺をよそに、栫井は大きなアクビをしながら鞄の中にファイルを戻す。
「……俺は一人で大丈夫だから」
荷物をまとめ、ソファーから腰を浮かす栫井に俺はそう言った。
よりによって例のごとくこの生徒会室で栫井と二人きりになったせいだろうか。
緊張と動揺で自然と語尾が弱くなってしまう。
栫井と目が合わないよう視線を泳がせる俺に、栫井は横目を向けた。
「俺が会長の命令よりお前の頼みを聞くと思うわけ?」
睨むように見据えられ、俺はなにも言えなくなる。
全然思いません。天地がひっくり返っても思いません。
どうやら栫井は俺のためにではなくあくまでも芳川会長の言葉を優先させたようだ。
最初から栫井に優しさや思いやり諸々を期待してはいなかった俺だが、やはり本人の口から聞かされるとダメージを受ける。
「早く出ろよ、閉めるから」
ソファーの近くで突っ立っていた俺に、栫井はそう面倒臭そうに言った。
確かに五味のように変に気を遣われるのも戸惑ってしまうが、ここまで露骨に嫌そうな顔をされるのはあまり気分がいいものではない。
だからといって、栫井に対抗するように生徒会室に居座る気にもなれない。
栫井の態度に内心ムッとしながらも、俺は大人しく生徒会室の扉から廊下へ出ることにした。
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