01
芳川会長と付き合うことになってから暫く経つ。六月上旬、校内全体が文化祭モードに包まれていた。
無理もない。文化祭当日までもう一週間を切っている。
せっせと文化祭の準備に取りかかるクラスメートたちを眺めながら、ぼんやりと俺はそんなことを考えていた。
うちのクラス出し物は喫茶店だ。料理が得意なクラスメートたちが作る軽食とそこら辺で買ってきた飲み物を適当な値段で客に提供するというなんともベタなものだが、準備をしているクラスメートたちの顔を見る限り楽しそうに見える。
「暇そうだね」
自分の席に座って文化祭の準備の様子を傍観していると、不意に隣の席に一人の生徒が腰を下ろした。志摩だ。
先ほどまで買い出しに走り出されていたらしい志摩は、ビニール袋を側にいた生徒に預けながら俺に話しかけてくる。
「……志摩」
相変わらずの笑みを浮かべる志摩に、俺はなんて答えればいいのか迷った。
「そんなになにかやりたいんだったら、俺がなにか仕事探してきてこようか?」
口元に笑みを浮かべながら問い掛けてくる志摩に、俺は首を横に振った。
「気持ちだけで充分だから」俺はそう答えながら、そのまま席を立つ。
仕事なら、自分でも探した。
まともに話したこともないクラスメートにも話しかけて、「なにかやることはないのだろうか」と声をかけた。返ってきた返事はどれも同じだ。
『齋籐君はなにもしなくていいから』
クラスメートたちの反応も気にせずに積極的に準備に取り掛かることができればいいのだろうが、なんだか自分がその場にいるだけで全体の空気を悪くしているみたいに思えてきて、結局俺は教室の片隅で様子を眺めるというなんともいえない形で収まることになった。ぶっちゃけた話、俺はハブられているわけだ。
俺がハブられた理由は、確信はなかったが芳川会長とのことが原因だろう。それと、いつの日にか栫井が言っていた背後の阿賀松の存在だ。完全に無視されているわけではないのだが、逆に気を使ってくるクラスメートの優しさがなんとなく息苦しい。
芳川会長と付き合っていると公言するからにはなにか起きるかもしれないと構えていただけに、俺にとって気を使った周りの反応は拍子抜けだったと同時に、なんとなく寂しかった。
「どこか行くの?」
志摩が立ち上がる俺を目で追う。
そういえば、志摩も会長と俺の噂のことを聞いているのだろうか。
今までと変わらない志摩の態度に、ふと俺はそんな疑問を覚える。
耳に入ったら速攻真偽を確かめようとする志摩を知っているからだろうか、俺にはいまいち志摩が理解できなかった。
どちらにせよ、暴言を吐かれるよりかはよっぽど話しやすいが、だからといってまだ志摩に慣れたわけではない。
「寮に戻る」
そう短く答える俺に、志摩は椅子を引き腰を持ち上げる。
「なら、買い出し付き合ってよ。どうせ暇なんでしょ?」そういいながら、志摩は俺の腕を掴み無理矢理歩くのを止めた。
「実行委員のやつらにパシられちゃってさ」
そう言いながら、志摩は制服のポケットから紙切れを取り出す。
紙切れは買い物リストのようだ。
教室の飾り付けに使うであろう商品名が長々と書き綴られている。
強引な志摩の誘いに戸惑ったが、少しでも文化祭に関われるなら構わない。そう思った。
志摩と二人きりになるのには抵抗があったが、今なら文化祭の準備に取り掛かる他の生徒がわんさかといるはずだ。
たかが買い出しだ。断る理由はいくらでもあったが、なんとなく俺は志摩の誘いに乗ることにする。
学生寮、一階。
志摩とともにショッピングモール前までやってきた俺は、生徒で盛り上がっているそこに少し怖じ気付く。
ここ数日間、文化祭本番まで時間がないからだろうか。寮の一階は常に人がいた。
楽しそうに笑い声をあげながら通り過ぎていく生徒たちをつい横目で追ってしまう。
楽しそうだなあ、皆。周りのことが眼中になくなるくらい、夢中になって友達と騒ぐのってどんだけ気持ちがいいのだろうか。
自分が嫉妬していることに気付いた俺は、慌てて視線を逸らす。
「どうしたの?ほら、行くよ」
立ち止まる俺の背中を軽く叩けば、志摩はそのまま文具店の中に入っていった。
然り気無いボディータッチにまで過剰反応してしまう自分が情けなくなって、俺は気を取り直して志摩の後を追いかける。
文具店店内は、比較的に空いていた。買い物リストを取り出した志摩は、それを片手に近くの棚を物色している。
「齋籐は画用紙探してきて。いろんな色が入ってるやつ」
アバウトな志摩の説明で概ね察しがついた俺は、「わかった」と小さく頷いた。
命令されるのが好きというそんな特殊な性癖をしているわけではなかったが、頼られるのは悪い気がしない。
志摩の元を離れた俺は、取り敢えず画用紙が置いてありそうなところを当たることにした。
志摩の言っていた画用紙は、思ったよりも簡単に見つけることができた。
様々な色の画用紙が束になったそれを手に取った俺は、すぐに先ほどまで志摩がいた場所へ向かう。
「し……」
志摩の名前を呼ぼうとして、思わず俺は足を止めた。
商品棚と商品棚の間に出来た通路の間に立っている志摩が俺に背中を向けて立っている。
志摩の奥には誰か立っていて、なにか話しているように見えた。
邪魔、しない方がいいかもしれない。
俺は手にもった画用紙に目を向け、そのまま踵を返しそこから離れようとしたときだった。
「あっれー、さいとー君じゃん!」
ふと、後方から明るい声がかけられる。聞き覚えのある声に、思わず俺は体を強張らせた。
振り向いたその先には、縁方人がいた。
「久しぶりー、元気だった?」
そう愛想のいい笑みを浮かべながら近付いてくる縁に、志摩は腕を引っ張り無理矢理足を止めさせる。
「……どうも」予期もしなかった縁との遭遇に、俺の心臓は妙に早くなった。
縁がここにいるということは、阿賀松もいるのだろうか。
気になって周りに目を向けてみるが、文具店は相変わらず静かだ。
どうやら縁一人らしい。
内心ほっと胸を撫で下ろすが、やはりこのタイミングでの縁との遭遇は素直に喜べなかった。
「へー、齋籐君も文化祭の買い出し?てか齋籐君のところなにやんの?」
志摩の制止も構わず、俺に声をかけてくる縁に思わず苦笑いを浮かべる俺。
「……喫茶店です」答えるくらいなら構わないだろうと思った俺は、そう縁に答えた。
縁を俺に近付かないように腕を引っ張っていた志摩は、険しい顔をして俺を睨む。
どうやら、相手をせずにさっさと向こうに行け、と言いたいようだ。
流石にそれは縁に悪いんじゃないのかと思ったが、せっかく波風立てぬよう志摩と接してきたのにここで怒らせていつの日かの二の舞にはなりたくない。
「喫茶店?へえ、どんな格好するの?やっぱりメイドとか?いやー楽しみだなー、俺絶体齋籐君のクラス行くよ。そのときは是非ご奉仕し……」
縁が言い終わる前に、堪えきれなくなったのか志摩の手のひらが縁の後頭部を叩いた。
前のめりになる縁に構わず、俺に目を向けた志摩は顎で出口の方を指す。
暴挙に出る志摩に内心肝を冷やしながら、俺は慌てて頷き、志摩に画用紙を渡した。
「いってえなあ、亮太てめえ」
低く唸りながら頭を上げる縁は、背後に立つ志摩を睨み付ける。
これは、いいのか放っておいても。
慌てて文具店の店員が止めに入っているのを横目に、そのまま俺は文具店を後にした。
先月のあの人良さそうな縁と志摩が殴り合いの喧嘩をしたというのを聞いたときはにわか信じられなかったが、なるほど。ああなったのか。
志摩がやり過ぎたような気がしたが、俺を縁から離すためだと思えば一概に咎めることはできない。
ショッピングモールの通りに出た俺は、文具店の方に目を向ける。
幸い、商品棚が崩れるような音も怒声も聞こえてこない。安心した俺は、文具店の前で志摩が出てくるのを待つことにした。
暫くして、涼しい顔をした志摩が文具店から出てきた。その手には俺が取ってきた画用紙など、買い物リストに書かれていた商品が入った大きなビニール袋が持たされている。
「お……おかえり」
なんとなく、どう声をかければいいのかわからなくて、俺はそんなことを口にしてしまった。
出入り口前で待っていた俺に志摩は少し驚いたような顔をして、「ただいま」と少し微笑む。
「縁、先輩は?」
「齋籐が心配するようなことはないよ」
なんとなく気になって声をかける俺に、志摩はそう答えになっていない返事をしてきた。
志摩にはぐらかされてちょっとムッとなりながら俺が文具店の出入り口に目を向ければ、縁はなにやら店内を物色しているようだった。
よく分からないな、この二人。さっきまで怒っていたと思えば、今度は無関心。
無理にほじくり返す必要もないだろうと俺は文具店から視線を外す。
「仲いいの?」
文具店から離れ、次の店へ向かう俺は、隣にいた志摩に問い掛けた。
縁と志摩という組み合わせにいまいちピンとこない俺は、話題の代わりに質問を投げ掛ける。
「誰が?」志摩は歩きながら、俺の方を横目で見た。
「いや、その……志摩と縁先輩」
言いながら、もしかして聞かなかった方が良いのだろうかと後悔の念が押し寄せてくる。
志摩が縁のことをよく思っているかもわからない今、このタイミングで縁の名前はまずかったか。
段々弱気になってくる俺に対し、志摩は口許に笑みを浮かべる。
「へえ、齋籐って俺のことが気になるんだ。嬉しいなあ」
目を細めて笑う志摩の言葉に、俺は普通に戸惑った。
確かに気にならないといえば嘘になるが、なんか、ニュアンスがおかしい。
志摩が不機嫌になるよりかはましだが、なんとなく気恥ずかしいというかいたたまれないというか。
返事をすると志摩に揚げ足を取られてしまいそうで、俺は敢えて聞き流すことにする。
「別に、そこまで仲良くないよ。ただ同じだっただけで、それでよく一緒にいただけ」
「……同じ?」
淡々とした調子で答える志摩の言葉に、俺は違和感を覚える。
同じって、趣味とかがだろうか。妙に濁す志摩に、特に俺はなにも考えずに聞き返す。
「生徒会が嫌いだってこと」
相変わらずの笑みを浮かべながら続ける志摩は、とある店の前で足を止めた。
百円ショップだ。
一瞬志摩がなにを言っているのかわからなかったが、その意味を頭で理解したとき息が詰まりそうになる。
志摩が、生徒会アンチ。
その事実を聞かされたせいだろうか、なんだか急に志摩が阿賀松と被って見えた。
「冗談だよ」
青い顔をして立ち止まる俺に、志摩は百円ショップの扉を開きながらそう笑う。
「ほら、早く行くよ」棒立ちになる俺の腕を掴んだ志摩は、そう言いながら店内に入るよう促した。
違う。今のは、嘘じゃない。志摩が生徒会嫌いというのは、恐らく本当なのだろう。
俺の腕を引く志摩の横顔に目を向けながら、俺はなんだか居心地が悪くなってきた。
俺は然り気無く腕を掴む志摩の手を離す。
「でも、今は阿賀松たちの方が嫌い。これは本当だよ」
顔を逸らし距離を置く俺に、志摩はそう目を細めて笑った。
生徒会もアンチも嫌いだと、志摩は言った。
双方と関わりがある俺からしてみれば肩身が非常に狭い。
それ以上に、なにを思って志摩がそのことを俺に言ったのかがわからなかった。
俺が縁と志摩の関係を聞いたからだろうか。いや、志摩のことだ。言葉に深い意味なんてないのだろう。
「ほら、先に行って」
一人調子を悪くする俺に、志摩はそう言いながら俺を急かした。
俺は自分が突っ立っているというのが出入り口前だということに気付き、志摩に言われるまま広い場所まで歩く。
「ここでは、リボンかな。ピンク色だって。できるだけ長いのって書いてある」
「注文多すぎじゃない、これ」買い物リストを片手に、志摩は呆れたような顔をする。
リボンなんてどこに使うんだと思ったが、まあいい。
俺は「じゃあ探してくるよ」とだけ志摩に伝え、その場を離れようとした。
「あ、待って齋籐」
不意に、志摩に呼び止められる。
なに事かと志摩のいる方に振り向けば、志摩は近くの商品棚に手を伸ばした。
「もう見つけちゃった」毒のようなピンク色のリボン(というより布切れ)が何重に巻かれたそれを手にとった志摩は、嬉しそうに笑う。
ピンク色と言えばもうすこし薄く淡いものかと思っていた俺は、志摩の選んだ派手なピンク色になんとなくえげつなさを感じた。
「……いいんじゃないかな」
レジの前にそのリボンを持っていこうとする志摩に、俺はなんとも言えない気分になった。
志摩は、結構趣味が悪い。
というより、ただ単純に俺と志摩の趣味が食い違っているだけかもしれない。
その色は飲食店に向いてないんじゃないのかと思ったが、もちろんそんなことを口にできるような立場ではない俺は大人しく会計を済ませる志摩を待つことにした。
「よし、次行こう。次」
買い物袋を腕に下げた志摩は、そう言いながら俺の元にやってくる。頷く俺。
志摩はそのまま入ってきたばかりの百円ショップを後にする。
「次は、職員室だね」
志摩の後を追いかける俺に、志摩は買い物リストを手にそう言った。
「職員室?」てっきり今度もまたショッピングモールで済ませると思ってた俺は、驚いたような顔をする。
「まあ、今度は買い出しというよりお使いみたいなもんだけどね」
志摩はそんな俺の方を振り返り、笑いながら寮の出入り口の方に足を進めた。
お使いということは、職員室になにかを取りに行くのだろうか。……まあ、行けばわかることだろうけれど。
俺はなにも言わずに、志摩の後ろについて歩いた。
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