07※
制服を着直した俺は、もうなんだか落ち着かずその場をうろつく。
なんでこういうときに限って阿賀松がいなくなるんだ。
嫌でも阿賀松と並んで「切れ痔です」と言うのもなんだかこう生々しいというか普通に恥ずかしすぎてちょっと泣いてしまう。
そう考えれば寧ろこのタイミングで席を空けた阿賀松に感謝するべきなのだろうが、正直仁科と二人きりはかなり気まずい。
そんなこんなで一人ジレンマに苦しんでいると、乱暴に扉が叩かれる。
恐らく仁科だろう。
少し早すぎるような気もしたが、俺は「はい」と言いながら扉に近付こうとして首元のキスマークの存在を思い出した。いや、流石に切れ痔とキスマークのコンボは駄目だろう。
なにか首周りを隠せるものがないだろうか。扉が叩かれる中、俺はあわあわと周りを見渡した。
「ああもう、うるせえな!」
苛ついたような怒鳴り声とともに、奥の扉から阿賀松が出てきた。
その声に驚いた俺は慌てて動きを止める。
「なにやってんだよお前。さっさと出てやれ」
言いながら俺の横を通りすぎる阿賀松は、そのまま扉に歩み寄った。
「あの、なにか、首隠せるのないんですか」俺は自分の首を手のひらで覆い隠しながら、恐る恐る阿賀松に問い掛ける。
「は?なんで?いらねーだろ、別に」
阿賀松に聞いた俺が馬鹿だったのかもしれない。
理事長室に掛かった鍵を外しながら、阿賀松は扉を開いた。
そこには全身に汗だくになった仁科が今にも死にそうな顔をして立っている。
もしかしたらここまで全力疾走でやってきたのかもしれない。
「あの……これ、言われたの……買ってきました……」
ゼエゼエと息切れ切れに話す仁科に、阿賀松は「ごくろーさん」となんとも感謝のこもっていないお礼を口にする。
憐れむような俺の視線に気が付いたのか、一瞬仁科と目が合った。
なんでお前がここにいるんだと驚いたような顔をする仁科だったが、敢えてなにも言わずに目を逸らす。
「あの、じゃあ、俺戻るんで」
かなり気まずそうな顔をする仁科は阿賀松から視線を逸らしたままそう言えば、そのまま俺たちに背中を向けた。
「まあまあまあまあ、待てって。ゆっくりして行こうぜ」逃げ出す仁科の肩を強く掴み、言いながら阿賀松は強引に理事長室に引き摺り込む。
「薬買ってきたんだろ?コイツに塗ってやってくれよ」
「お前そういうの得意だったよな」足で扉を閉める阿賀松は、言いながら仁科の背中を軽く叩いた。
阿賀松の言葉に驚いたような顔をする仁科に、目を見開き絶句する俺。
あれ、本気だったのか。てっきり阿賀松お得意の笑えない冗談だと思っていた俺の顔からはみるみるうちに生気がなくなっていく。
「な、なに言って……」
口をパクパクと開閉させる俺は、信じられないものを見るような目で阿賀松を見た。
「なんだよ、仁科の指は嫌いか?」にやにやと笑いながらそんなことを言ってくる阿賀松に、俺は呆れ果て言い返す言葉も見つからない。
なんでそういう下品なことを本人の前で言ってくるんだ。というか俺に聞かないでくれ。
「で、でっでも……」
あまり仲良くもない先輩に指つっ込まれるというのは寧ろ俺にとって拷問に近い。
恐らく、それは仁科にとっても同じなのだろう。
ぐずぐずと渋る俺に、阿賀松は苛ついたように舌打ちをした。
「今更照れんなよ。別に初めて同士じゃないんだからさあ」
サラリとそんなことを呟く阿賀松に、思わず俺は思考を停止させる。
初めて同士じゃない?それはどういう意味だ。
一瞬とんでもないことを言ったような阿賀松に、仁科は「阿賀松さん」と慌てて声をかける。
しかし阿賀松は仁科の制止を聞かずに言葉を続けた。
「前にもお前仁科に指突っ込まれてんだよ。ああ、あの時ユウキ君寝てたから気付いてなかったのかなぁ」
阿賀松の口から聞かされる事実に、俺は凍ったように硬直した。
一瞬、阿賀松がなにを言っているかがわからなかった。というか、わかりたくなかった。
「あ、阿賀松さんっ」
「んだよ。いいだろどうせ指ぐらい。ギャーギャー言うなよ」
顔を青くする仁科に、阿賀松はそう面倒臭そうに吐き捨てる。
指?いつ?寝ているとき?わけがわからない。そう言ってやりたかったが、ぶっちゃけ心当たりがあった。
いつの日か、安久に殴り殺されそうになったとき、俺はいくらか気を失っていた。まさか、あのときじゃないだろうか。
考えれば考えるほど現実味を帯びていく阿賀松の言葉に、俺は穴があったら入りたくなる。
なんで仁科は言ってくれなかったのだろうか。いや、やっぱり言わなくていい。
どうせならずっと知らないままの方がよかったのかもしれない。
じわじわと顔に熱が集まっていき、俺はもう目の前の二人が直視できなくなる。
「ほら、早く尻出せよ」
言いながら俺の首根っこを掴んだ阿賀松はそのままずるずると引き摺るようにしてソファーの上に放った。
仰向けになってソファーの上に倒れた俺は、慌てて上半身を起こす。
事実が二回目にしろ俺にとっては『二回目なら別にいいや』と気軽に股開ける問題ではない。
ソファーの背凭れの後ろに立った阿賀松は、そのまま逃げ出そうとする俺を羽交い締めにする。
「お前のためって言うのがわかんねえのかなあ」
目を動かせばすぐ側に阿賀松の顔があってギョッとする俺。
宥めるような口調で諭す阿賀松に、思わず俺はぐっと黙った。
「それなら、別に、自分で……」
「んなの面白くねーだろうが!馬鹿かお前!」
口ごもる俺に、阿賀松はそう声を荒げる。
……どうせそんなことだろうと思っていたけれど。
悪い意味で正直者な阿賀松に、俺はうんざりしたように顔をしかめた。
「おい、仁科。さっさとしろ」
有無を言わせない阿賀松の言葉に、仁科は困惑したように顔を逸らす。
「……いや、でも嫌がってるじゃないっすか」本人としても相当迷っているようだ。
そんなことを言い出す仁科が、俺の中で輝いて見えた。
そうだそうだと心の中で阿賀松に悪態を吐いていると、阿賀松に睨まれ慌てて俺は顔を逸らす。
「んなこと知るかよ。さっさとしろ!」
渋る仁科に苛ついたのか、語気を荒くする阿賀松の指に力がこもり、思わず俺は顔を強張らせた。
阿賀松に怒鳴られ、ビクリと体を跳ねさせた仁科はおずおずとソファーにいる俺の前に膝立ちになる。
「仁科先輩……っ」
喉から絞り出したような声で仁科を呼ぶ俺に、仁科は申し訳なさそうな顔をして「ごめん」と呟いた。
ガチャガチャと目の前でベルトを外される。
相手が仁科ではなければ顔面を蹴り上げるところだったが、相手も相手で俺と似たような心境だとわかっているだけに手出し出来なかった。
薬を塗られるだけだ。そうだ、俺のためにわざわざしてくれてるんだ。
自分自身にそう何度も言い聞かせてはみるものの、妙に落ち着かず俺は視線を動かす。
「へえ、仁科には優しいのな」
背後の阿賀松は、俺の耳元でそんなことを言い出した。
「そういうわけじゃ……っ」阿賀松が言うと何もかもが変な意味に聞こえてしまい、つい俺は声を上げてしまう。
「えー、あー……じゃあ、ちょっと失礼します」
仁科はそう言うと俺のズボンのファスナーを下ろし、両手で俺のズボンを膝上まで下ろした。
黙って脱がせてくれりゃあいいものを、余計なことをいう仁科に俺は羞恥で死にそうになる。
もしかしたら、ズボンを全て脱がさないのは仁科の良心なのかもしれない。
二本の足を片手で束ねた仁科は、腰を浮かせるくらいそれを俺の上半身にくっつける。かなり痛い。
大して体の柔らかくない俺は、あまりにも無理な体勢に若干泣きそうになる。
「そんなに痛いなら四つん這いでもいいけど……」
心配そうな顔をしてとんでもない提案を持ち掛けてくる仁科に、俺は何度も「大丈夫です」と首を横に振った。
必要程度に俺の下着をずらした仁科は、側に置いていた買い物袋から市販の軟膏を手に取る。
器用に片手でパッケージを開き、中に入っていたチューブを取り出した。
ただの薬だとわかっていても変に意識してしまい、酷い自己嫌悪に陥る俺。
キャップを外し、自分の指に軟膏を絡ませる仁科は「すぐ終わるから」と俺に言う。
間もなく、露出したそこにひやりとした感触が触れた。全身がピクリと反応し、おもむろに俺は顔を逸らす。
「んん……っ」
痛みで体が強張り、俺は歯を食い縛り必死に堪えた。
「変な声出すなよ」可笑しそうに笑いながら茶化してくる阿賀松に、俺は思わず言い返しそうになって舌を噛む。
目の前の仁科の顔がじわじわと赤くなっていって、なんだか俺はいたたまれなくなった。
中の入り口に軟膏が丹念に塗り込まれる。
ぬるりとした感触が気持ち悪くて、目を細める俺。
指が引き抜かれたと思えば、またすぐに中に入ってくる異物に俺は声を圧し殺した。
ぬるりとした仁科の指が嫌に気持ちよく、自然と全身が熱くなる。
さっさと終われ。
少しでも気を許してしまえば勃起してしまいそうで、さすがにそれは不味いと感じた俺はただひたすらこの行為が終わるのを待った。
その動作が暫く繰り返されたあと、ようやく仁科は俺の下着を上げさせた。
「一応、終わりました」
恐らくというより確実にその言葉は俺にではなく後ろの阿賀松に向けているのだろう。
「あーそう」阿賀松はなんとも気の抜けたような声でそう返せば、俺の腕から手を離した。
ずっと変な体勢だったせいか身体中と心が痛い。
「あれ?お前勃起してね?」
不意に、背後の阿賀松がそんなことを口走る。
目を見開き焦ったような顔をする俺と仁科は、ほぼ同時に自分の下半身に目を向けた。
もちろん勃ってない。どうやら阿賀松にからかわれたようだ。というかなんで仁科まで反応しているんだ。
「冗談に決まってんだろーが」
阿賀松はゲラゲラと可笑しそうに笑いながらそのまま理事長室に向かって歩き出す。悪質すぎる。
なんだか酷く男心が傷つけられた俺は、気まずくなって仁科から視線を逸らした。
「あ、あの……ありがとうございました……」
自分のケツ穴弄られてなにがありがとうだと思いながらも、仁科にはお礼を言わずにはいられなくて。
どちらにせよ阿賀松のいう通り自分のためだと思えばなんとなく無視することができなかった。
「……」驚いたような、呆れたような顔をする仁科は気まずそうに顔を逸らし立ち上がる。
「……これ、渡しておくから」
チューブをビニール袋の中に入れた仁科は、そういって俺にそれを渡した。
気まずいと思っているのは仁科も同じらしく、それだけを言えばそのまま理事長室を後にする。
阿賀松たちが理事長室を出ていった後、ソファーに一人残された俺は小さく息を吐いた。
結構寿命が縮んだような気がする。
ソファーから立ち上がった俺は、着崩れした制服を整えた。
せっかく芳川会長に貼ってもらった絆創膏も剥がされるわ、なんなんだ。今日はあれか、厄日かなにかか。
自分の不運さが恨めしく、俺はなんとも言えない気分になる。
このまま教室に戻るにしろ、この首の痕をどうにかしなきゃいけない。
そういえば、芳川会長に絆創膏貰ったような……。
今朝のことを思い出しながら、俺は制服のポケットに触れる。
なにか硬い感触が手にあたり、俺はそれを取り出した。
あった。
芳川会長から貰った絆創膏が入った箱を手にした俺は、ほっと安心したように息をつく。
不幸中の幸いというやつだろうか。
本当なら今すぐ絆創膏を貼り直したかったが、ここは理事長室だ。
他の誰かに俺がここにいるのを見られたら、とうとうどう言い訳すればいいのかわからなくなる。
俺は箱を制服に戻しながら、取り敢えずここから移動することにした。
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