天国か地獄


 08

 なんだか、さっきから俺かっこ悪いな。今に始まったことではないが、やっぱり芳川会長の前だからだろうか。あまり醜態は晒したくない。ほんと、今さらなのだけれど。
 暫くして遠くで扉が開く音が聞こえた。たぶん、芳川会長が浴室に入ったのだろう。
 なんか耳を立てて芳川会長の様子を探っているみたいで嫌だったので、俺は先ほどの芳川会長の言葉に甘えて部屋にあるテレビの電源を入れた。それと同時に、大きな音とともに大きな画面にいっぱいの砂嵐が現れる。思わず俺は目を細め、スピーカー部分から離れた。
 慌ててテレビのチャンネルを回し、音量をいくらか下げる。
 そこまで大きな音量ではなかったが部屋が静かな分余計に煩く聞こえた。画面にバラエティ番組が映る。なんとなく面白そうだったので、そこで俺はチャンネルを回す手を止めた。
 静かな部屋にテレビの笑い声が広がる。俺はソファーに腰をかけ、テレビを眺めていた。
 他人の部屋で見るテレビというのもまたなかなか新鮮だった。面白いくらい内容が頭に入ってこないのだ。
 テレビの画面と洗面所の扉を交互に目配せしながら俺はスピーカーから流れる声を聞き流す。扉から僅かにシャワーの音が聞こえた。
 これって、なんかあれじゃないか。なんというか、よくドラマとかであるホテルのワンシーンでありそうな……。そこまで考えて、あまりにも不純な自分の思考回路を慌てて遮断する。いや、それは男女の場合だろう。おかしいだろ、なんか色々。
 無意識だろうが少しでも芳川会長をそういう目で見てしまった自分に激しい嫌悪感を覚えた。手に変な汗が滲んできて、俺はズボンでそれを拭う。自然と口から深い溜め息が零れ、俺はなんだかいたたまれなくなった。
 こんなんじゃ、芳川会長に合わせる顔がない。とはいっても嫌でも顔を合わせることになるのは間違いないのだが、それでもやっぱり自分自身が恥ずかしくてたまらなかった。
 このまま部屋から飛び出したかったが生憎そんなことできる根性はなく、俺は背凭れに寄りかかれば広い天井に目を向ける。
 気が付くとバラエティ番組は終わっていて、画面はニュース番組に切り替わっていた。
 淡々と記事を読み上げるニュースキャスターの声が響く室内に、ガチャリと無機質な音が響いた。
 相変わらず天井を眺めていた俺はその物音に反応してビクリと跳ねる。

「……寛いでるところ、邪魔して悪かったな」

 扉から出てきた芳川会長は、だらしなくソファーに寄り掛かっていた俺を見て小さく笑う。
「か、会長……」いつかは戻ってくるとはわかってたはずなのにすっかり気を抜いていた俺は、芳川会長の登場にビックリして慌てて上半身を起こした。
 首にタオルをかけた芳川会長は洗面所の扉を閉めれば、そのまま部屋にある冷蔵庫へと近寄る。
「齋籐君もなんか飲むか?」冷蔵庫の前で足を止めた芳川会長は、ドアを開きながらそうソファーの俺へに問い掛けてきた。

「あ、いや、あの、だっ大丈夫です……」

 さっきまで考えていたことがふと脳裏に蘇り、俺は声を上擦らせながらそう芳川会長に答える。
 急に恥ずかしくなってきて、語尾が消えそうになった。

「欲しいときはいつでも言ってくれて構わないからな」

 芳川会長は俺が遠慮しているものと思っているのだろう。
 傍に置いてある空のグラスに麦茶を注ぎながら、芳川会長はそう念を押すように俺に言った。
 芳川会長の気遣いは素直に嬉しかったので、俺はその言葉に「はい」と頷き答える。
 グラスに注いだ麦茶をその場で飲み干した芳川会長は、空になったグラスをテーブルの上に置き最初と同じようにソファーに腰を下ろした。さっきのこともあってか、異様な後ろめたさを感じた俺はもそもそと芳川会長との間に距離を置く。

「……どうした?」

 あからさまに避けられていることに気づいた芳川会長は、どこか不安そうな顔をして聞いてきた。
「な、なんでもないです」まさか変なことを考えてしまったので気まずくて会長の顔を見たくありませんと言えるはずもなく、俺はそう目を泳がしながらしどろもどろと答える。
 さすがにちょっと露骨すぎたかもしれない。俺は反省しつつ、ちらりと芳川会長の方に目を向けた。

「そうか」

 芳川会長は首にかけたタオルを外しながら、背凭れに深々と体を倒す。
 気にしていないようには見えなかったが、芳川会長もそれ以上言ってこなかったので俺は口を紡いだ。
 高揚のない淡々とした声がテレビから流れる。
 静かにテレビを見始める芳川会長。俺はどうすることもできずに、芳川会長とテレビを間隔をあけて交互に目を向ける。
 なんか、話さなきゃ。そうは思うが、話題がない。
 芳川会長の趣味を知らなければ好きなものすら知らない俺は、年上相手にどんな会話を持ちかければいいのかわからず、結局黙り込んでしまう。
 静かな部屋の中、先にこの沈黙に痺れを切らしたのは芳川会長の方だった。

「……君は、いつも何時くらいに寝てるんだ?」

 芳川会長はテレビの画面に向けていた視線をこちらに向けながら、そんなことを聞いてくる。
 いきなり話しかけられ戸惑いながらも、俺は少しだけ考え込んだ。
「バラバラですけど、大体12時くらいには布団に入ります」俺はそう芳川会長に答える。
 嘘はついていない。いつも授業中眠くならないくらいは睡眠を取っているが、それはなにもない時だ。

「そうか。じゃあ、今もう眠たいのか?」

 芳川会長は少し意外そうにして、そう問い掛けてくる。
 言ってから、なにかに気が付いたようだ。
「いや、眠くないよな」バツが悪そうにそう続ける芳川会長に、俺はどう言い返せばいいのか解らず思わず苦笑を漏らす。もちろん、さきほどまで眠らされていた俺は睡魔なんてもの欠片も感じなかった。

「もう一回飲むか」

 申し訳なさそうにそんな提案を持ち掛けてくる芳川会長に、勘弁してくれと俺は顔を強張らせる。冗談じゃない。
「い、いや、いいです……」いいながら小さく首を横に振った。

「そういえば、会長は眠くないんですか?」

 話を終わらせないため、俺は芳川会長に他愛ない話題を投げ掛けた。
「ん?俺か?」芳川会長は少し目を丸くしながら、俺の方に目を向ける。
 目があった。俺はすぐに目を逸らさず、「はい」と頷く。

「あまり眠くないな」

 芳川会長は少し考えて、そう答えた。
 まあ、確かに今の時間寝るのにはまだ少し早いだろう。そう思いながらも俺は、もしかして会長は不眠症なのだろうかなんてくだらない思考を浮かべた。あくまで想像なので、本人に確かめる気はない。

「そうなんですか?」
「ああ。だから一晩中君の相手もできるよ」

 芳川会長はそう言うと、少し笑ってみせた。嬉しいような、自分でもよくわからない気持ちになる。
「ありがとうございます」俺はそう恐縮しながら、芳川会長から視線を逸らした。ううん、微妙だ。
 本来ならば喜ぶところなのだろうが、この元凶が目の前の微笑む会長だと知ったからだろうか。俺はなんともいえない気持ちになる。

「眠くなったらいつでも言ってくれ」

 芳川会長はそう言うと、テーブルの上にあるテレビのリモコンを手に取った。
 それから、芳川会長と色々な話をした。とはいっても、干渉するような入り込んだ内容ではなくテレビだったり時事だったりといった他愛ないものだ。
 大して盛り上がるわけでもなく、淡々と続ける会話はなんとなく心地がいい。
 というか、どれも自分に関係のない話題ばかりだろうか。なんとなく、話しやすかった。
 それとも相手が芳川会長だからだろうか。気が付いたら肩の力も抜けていた。
 更に時間が経てば、話すこともなくなってきてお互い口数も減ってくる。
 深夜2時を過ぎた頃だった。

「……ふぁ」

 ソファーにもたれていた芳川会長は大きなアクビを噛み締める。
 そこでようやく、芳川会長に限界が近付いていることに気がつく俺。
 俺は芳川会長に目を向けながら、もしかして自分に合わせて無理させてるんじゃなかろうかと顔を青くした。

「あの、そろそろ……」

 寝ませんか。そういいかけて、芳川会長がこちらに顔を向ける。
「ああ、俺なら大丈夫だ」自分を気遣ってくれていると感じたのだろう、芳川会長は慌ててそう首を横に振った。
 昼間、夕方まで寝ていた俺とは違って芳川会長はいつも通り朝起きのはずだ。

「……もしかして、君、眠たいのか?」

 芳川会長は少しだけ目を丸くして、そう俺に問い掛けてくる。
 正直なところ俺は眠気すら感じなかったが、ここで否定してしまうと芳川会長が無理してしまいそうで、俺は返事に躊躇ってしまった。
 口ごもる俺に、不思議そうな顔をする芳川会長は少しだけ考えて「そうだな」と言い足す。

「そろそろ寝るか?」

 芳川会長はそう言って、俺の方をみた。
 問い掛けられ、俺は同意するように数回頷いてみせる。俺の反応を見て、芳川会長はソファーから立ち上がった。

「じゃあ、どうしようか」

 そう言いながら、芳川会長は少し困ったような顔をして部屋を見渡す。
 なにも言わなかったが、なんとなく芳川会長が言いたいことがわかった。恐らく、俺の寝床についてだろう。

「あの、俺なら、床で大丈夫ですから……」

 考え込む芳川会長に、俺はそう声をかけた。
 遠慮とかそういうのではなく、俺は思ったことをそのまま芳川会長に伝える。芳川会長に変に気を遣わせたくなかった。芳川会長は、俺の言葉に呆れたような顔を浮かべる。

「それなら、せめてソファーで寝てくれ」

 諦めたのだろうか。苦笑を浮かべた芳川会長は、そう言った。
「なにもないと寒いだろう」と言う芳川会長にかけ布団を借りた俺は、消灯した部屋のなかそれを膝にかけてソファーの背凭れに凭れていた。
 すぐ傍からは整った寝息が聞こえる。
 言わずもがな、芳川会長のものだ。
 俺がソファーで眠る中自分だけベッドで眠るのが我慢ならなかったようで、この部屋の住人である芳川会長までソファーで眠ると言い出したのだった。
 俺としてはどちらでも構わなかったのでなにも言わなかったが、いざこの状況になってみると緊張してしまう。恐らく、芳川会長はすでに夢の中のはずだ。変に目が冴えてくる俺は、思いながら小さく息をつく。
 目を閉じてみた。芳川会長の寝息を聞いているともしかして眠くなるかもしれないと思ったが、ただ視界が更に暗くなるだけで全くそのような気配は感じない。
 寝れない。本気で寝れるとは思っていなかったのでそのことは範囲内だったのだが、やっぱり、朝まで起きなくちゃならないとなると一人は退屈だった。だからと言ってテレビを着けたりして芳川会長の睡眠を妨害することもできない。
 授業中、寝らなければいいのだけれど。
 暗がりの中、俺は瞼を持ち上げそこにあるはずの天井を見つめた。

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