天国か地獄


 07

 芳川会長が買い出しと言って部屋を後にして暫く経った時、部屋中に無機質な音が鳴り響く。
 あまりにもそれは突然で、大人しく芳川会長の帰りを待っていた俺は驚きのあまりに体を小さく跳ね上がらせた。
 ……なんだ、電話か。
 恐らくこの場合電話以外の何物でもないのだろうけれど、その機械音の正体に気が付いた俺はほっと胸を撫で下ろす。
 ソファーの上から室内を見渡し、音の発信源を探した。意外と早くそれは見つかる。

「……」

 壁際に並べられた棚のその上に、白い電話機が置かれていた。
 ソファーから降りた俺は、恐る恐るその棚に近付く。足を進めるたびに鼓膜を揺らす音は大きくなった。
 間違いない。この電話機に電話がかかってきているんだ。
 棚の前に立ち、電話機を覗き込む。電話機についたディスプレイに電話番号は表示されていない。
 ……これは、出た方がいいのだろうか。俺は受話器に手を伸ばしかけ、その手を止めた。恐らく、これは生徒会室にあったインターホンと同じものだろう。だとすれば、いまこの電話機にかかってきているものもこの校内のどこかからかかってきている内線のはずだ。
 確信できるほどの根拠はなかったが、この電話が内線だった場合を考えると無視することができなかった。
 本来なら芳川会長本人がこの電話に出た方がいいのだろうけど、生憎いまは外出中だ。
 まず、今このタイミングで部屋に戻ってくる可能性は低いだろう。
 それに、大切な連絡だったりしたら誰かが聞いて芳川会長に伝えた方がいい。でも、だからといって俺が出てもいいのだろうか。妙なジレンマに陥り、俺は鳴り止まない電話機を眺める。
 もうこうなったらさっさと電話切れてくれないかななんてヤケクソになりながら、俺は「ええい」と受話器を手に取った。

「……」

 やっちゃった。本当にとっちゃった。
 手の中でぎゅっと握り締める受話器を眺める。
 俺の緊張がピークに達し、ここが比較的室温の低い部屋だというのにも関わらず全身に変な汗が滲んだ。

『…あー、もしもし』

 受話器から、高揚のない低い声が聞こえる。
 先程から沈黙するこちらを伺っているのだろう、訝しげな声だった。
 この声には、聞き覚えがある。確か、生徒会副会長の五味だ。

「……もっ、もしもし」

 声をかけられても無言を続けるのはさすがに不審だと思った俺は、そう受話器に向かって答える。
 受話器を取ったのはいいがどう返事をすればいいのかわからず、その声はひどくどもった。

『……お前、齋籐か?』

 しかし、それでもその一言は電話に出た相手を俺だと確信させるには充分なものだったらしく、受話器からはやっぱり訝しげな五味の声が返ってくる。

「あ、はい。さ、齋籐です」

 わざわざ知人相手に自分の正体を隠す必要がないと悟った俺は、そう小さく頷きながら答える。
 電話越しの相手に頷いても仕方ないのに、やっぱり変に畏まってしまうのは性分だから仕方ない。

『会長はどうした』
「えっと、あの、さっき……買い出しに出るって……」

 強い口調で問い質され、俺はしどろもどろと先ほどの芳川会長とのやり取りを説明する。
『なんだ、お前一人か』一通り俺の言葉を聞いた五味は、少し驚いたような声で聞いてきた。
「ええ、はい」俺がそう短く返すと、五味は『ふうん』と意外そうに呟く。
 どこか腑に落ちないといったような五味の反応に、俺はどう答えればいいのかわからずそのまま黙った。

『齋籐、お前会長と仲良かったんだな』

「そんなことないです」五味の言葉に変に恐縮してしまう俺。
 仲が良いもなにも、俺は芳川会長と交遊するためにこの部屋に来たわけではない。だからだろうか。なんとなく五味の言葉がひっかかった。

「あの、それで、用は……」

 他愛ない会話を強引に終わらせ本題に入ろうとすると、五味は『あー』と思い出したように抜けた声を上げる。

『やっぱ、またあとでかけ直すわ。じゃあな』

 俺が口を挟む暇もなく、五味の手によって強引に通話を終了された。
 口を半開きにしたまま、『プーップーッ』と虚しい音を発する受話器を耳に当て俺はその場に立ち尽くす。
 かけ直す。その手があったか。暫く受話器と見つめあっていた俺は、なんとも微妙な気分のまま受話器を元あった場所へ戻す。
 やっぱり、でしゃばらず大人しくしとけばよかったかな。いまさらになってどっとやってくる後悔の念に押し潰されそうになる。なんだか芳川会長に申し訳なくなって、小さく息を吐きながら俺はトボトボとソファーへと歩いていった。
 でも、電話の相手が五味でよかった。もし今の電話が教師からの大事な用だったとしたら、俺はさっきよりもひどい醜態を晒してしまいそうだ。
 電話に出る前と言うことがまるで違う自分に内心苦笑しながら、俺はソファーに腰を下ろす。
 ソファーは芳川会長がいたときよりも当たり前のように広々としていて、なんとなく緊張が緩んだ。
 背凭れに背中を預け、天井を眺めそのまま視線を室内に巡らせる。
 そういえば、芳川会長この部屋で生活してるんだよな……。そう考えれば、なんだか今自分の置かれた状況がとんでもないものに思えてくる。もしかして俺、部屋を出た瞬間会長の親衛隊に殴り殺されたりしないだろうな。
 不吉な予感と共に脳裏に知り合いである狂暴な親衛隊隊員の顔が浮かぶ。
 背筋が凍り、俺は思わずぶるりと体を震わせた。
 これ以上、考えるのはやめよう。青ざめる俺は、ぶんぶんと首を横に振り思考を振り払った。
 五味からの電話がかかってきていくらか時間が経つ。
 芳川会長、遅いなあ……。
 静かな部屋に時計の音だけが響く。
 ここが他人の部屋だということだけで一人のんびりとリラックスすることもできない。
 そわそわと膝の上に手を置いて芳川会長の帰りを待つ俺。
 気を紛らすためにテレビをつけようかとも考えたのだが、やはり芳川会長に無断でものを使うのは気が引ける。
『この部屋は自分の部屋だと思っていいんだからな』。
 芳川会長の言葉が頭の中に蘇る。会長はああいっていたけど、普通に無理だ。俺がそんなことできる勇気があるなら、とっくにこの部屋を出て自室に戻っているだろう。
 口から自然と溜め息が漏れた。
 なんとなく、気分が塞がってしまうのはこうして一人の時間が出来てしまったからかもしれない。
 早く帰ってこないかな。思いながら、俺はちらりと玄関の扉に目を向ける。
 自分がこんなに一人が嫌な人間だったとは思わなかった。前までは一人の時間はそんなに辛くなかった。むしろ、いつも一人になりたかった。
 でも今は、誰か側にいてほしい。そう思ってしまう。
 誰かといて気を紛らしたいのか、それともただ純粋に人肌恋しいのか。恐らく、俺の場合は前者だろう。そんな下らない自問自答をしていると、不意にドアノブがガチャリと音を立てた。
 どうやら、芳川会長が戻ってきたようだ。
 ガチャリと鍵が開かれ、部屋の扉が開かれる。予想通り、そこには紙袋を抱えた芳川会長が立っていた。

「あ、お……おかえりなさい」

 俺はソファーから軽く腰を持ち上げながら、芳川会長の方に目を向けた。
 どうやら本当に買い出しに行っていたらしい。
「……ああ、ただいま」少し迷ったような顔をした芳川会長は小さく笑いながら部屋に上がり、扉を閉めた。
 家族と以外こういうやり取りをする機会があまりないせいか、なんだかむず痒い。

「テレビくらいつければよかったのに」

 出ていく前と変わらない静かな部屋を見渡しながら、芳川会長は俺にそう言った。
 やっぱりここは素直に甘えとくべきだったのだろうか。
 驚いたような顔をする芳川会長に、俺は少しだけ反省する。

「あ、そういえばさっき五味先輩から電話がかかってきてました」

 咄嗟に俺は話題を変えようと、芳川会長に先ほど五味と話したことを簡単に告げた。
「そうか。教えてくれてありがとうな」俺からの報告を静かに聞いていた芳川会長は、そう俺に笑いかける。
 もしかして鬱陶しがられるかもしれないと内心不安だった俺は、その一言を聞いて安心した。
 それと同時に、つられて頬まで緩んでしまう。

「そのこと以外、なにか言ってなかったか?」

 芳川会長はソファーに腰を下ろしながら、そう俺に問い掛けた。
 話の流れからして恐らく五味が電話で話していたことについて聞いているのだろう。
 後から掛け直すと言った以外とくに芳川会長に報告するようなことを言われた気はしない。
「……言ってないと思います」少し考え込んだ末、俺は芳川会長にそう答えた。
「ならいいんだ」俺の答えに、芳川会長は軽く目を伏せながらそう返してくる。
 なんとなく、芳川会長の鈍い反応が気になったがこれ以上突っ掛かる必要もないだろうと感じた俺は次の話題を探すことにした。
 お喋りな性格ではないのだが、芳川会長の前だからだろうか。芳川会長と二人きりなだけに相手を退屈させるようなことはしたくなかった。
「あ、そういえば」俺は、芳川会長の手にある紙袋に目を向ける。

「なに買ってきたんですか?」
「ん?……ああ、これか」

 買い出しの内容を聞かずじまいだった俺は、このタイミングでそれを聞き出すことにする。
 芳川会長は、俺の言葉にガサガサと紙袋の口を開き中からなにかを取り出した。

「あった方がいいと思ってな、一階で揃えてきたんだ」

 そう言う芳川会長は、ソファー側のテーブルの上に紙袋の中身を広げながらそう言う。
 ジャージ一式に下着にバスタオルから始まる入浴セット。
 まるでこれから修学旅行にでも行くような品揃えに、思わず俺は反応に困ってしまう。

「あ、あの、芳川会長……どこか行くんですか?」

 テーブルの上と芳川会長を交互に目をやりながら、俺は困惑しながら重い口を開く。
 だとしたら、困る。というか、芳川会長がなにを考えているのか理解できなくて少し戸惑った。
 芳川会長はというと、俺の反応に「なに言ってるんだ」と笑いながら首を小さく横に振る。
 それが否定する動作というのに気が付くのにそれほど時間がかからなかった。

「これは全て齋籐君のだよ」

 笑みを浮かべたまま、芳川会長はなんとも素っ頓狂なことを口走る。
「……え?」芳川会長の言葉の意味がわからなくて、俺は自分の耳を疑った。
 これが俺の?どうして?俺はどこか旅行にでもいくというのか。
 考えれば考えるほどわけがわからなくて、俺は理解できないというように目を丸くする。

「ほら、風呂に入ったら着替えが必要だろ?それに、タオルもあった方がいいと思ってな」

 そう当たり前のように続ける芳川会長に、俺は言葉に詰まった。
 確かに、それはそうかも知れないが、わざわざ部屋に取りに行けば済む話じゃないのか。
 そこまで考えて、この部屋に来る前栫井と交わした会話を思い出す。
 ああ、確か、部屋には阿賀松たちがいるとか言ってたな。だとしても、さすがにこれはやり過ぎじゃないのか。

「どうした?色が気に入らなかったのか?」

 いまいち反応が悪い俺に、芳川会長は心配そうな顔をして俺の顔を見る。
「え、いや、あの……」そんな問題じゃない。
 芳川会長の好意は有り難かったが、なんとなく、嫌だった。
 色が気に入らないとかそういう事ではなく、なんで自分なんかをここまで面倒見てくれるのかが理解できない分芳川会長の考えていることがわからなくて、なんとなく怖い。
 わざわざなにからなにまで揃えてくれた相手に怖いとか不満を抱くのは可笑しな話だったが、いまの自分の状況が俺自身理解できてないだけに不安は大きくなるだけだった。

「どうした?」

 不自然に口ごもる俺に、芳川会長の表情が僅かに曇るのがわかる。
 ちゃんと断ろう。そう思ったが、いざ芳川会長を前にしてしまうと上手く口が動かない。
「あの……俺、お金払います」ようやく唇が開き、俺の口から出たのはその言葉だった。
 さすがに、こればかりは安い買い物じゃないだろう。
 芳川会長にとってどうなのかはわからないが、少なくとも俺には小銭で済ませれるようなものに見えなかった。
 相手に頼りっぱなしというのも結構居心地が悪く、俺は「いくらでした?」と芳川会長に伺う。
 金に細かい男と思われても仕方がないが、やはり相手が芳川会長なだけにそういうものはキッチリしておきたかった。しかし、芳川会長は俺の言葉に動じてはくれなかった。

「別に、いい」

 そうキッパリと俺を切り捨てる芳川会長に、俺は戸惑った。
「だから、俺が勝手にしたといっているだろう」芳川会長は呆れたようにそう続ける。
 確かにそうだけど、と俺は言葉に詰まった。
 これじゃ、なんだか、嫌だ。それがどんなに不本意な形であったとしても、芳川会長に借りを作りっぱなしなのはなんとなく肩身が狭くて、俺は眉を八の字に寄せる。

「君がいちいち気にするようなことじゃない」
「……でも、それじゃ申し訳ないですし……」

 粘る俺に、芳川会長は苦笑を漏らした。
「君は意外と几帳面なんだな」そういう芳川会長はどこか困っているような顔をしていて、なんだか俺まで困ってしまう。

「なら、こうしよう」

 なにか思い付いたのだろうか。
 芳川会長はぱっと顔をあげながら、俺に視線を向ける。

「そんなに礼がしたいのなら、君の体で頼むよ」

 涼しい顔をしてサラリととんでもないことを口走る芳川会長に、俺の思考はどこかへ吹き飛んだ。
 目を見開き硬直する俺。
 芳川会長は、黙り込む俺に咳払いをしながら「冗談だ」と語気を強くする。
 自分で言っておきながら顔を赤くする芳川会長は、どうやらその場を和ませようとしてああとんでもなことを言ったらしい。とにかく、芳川会長にジョークのセンスというものがないのだけはよくわかった。

「もう済んだことをいつまでも話してても仕方ない。気分転換にシャワーでも浴びてきたらどうだ」と言う芳川会長に促され、やってきたのは部屋のシャワールーム。
 なんだか上手く逃げられたようで腑に落ちなかったが、正直今すぐにでも風呂に入りたい気分だったので有り難く俺は風呂に入らせてもらうことにする。
 他人の部屋で風呂を入るのは今回で二回目だ。
 やはり気恥ずかしい。たぶん俺がこの感覚に慣れるときは一生やってこないだろう。
 湯槽に全身浸かりながら、俺は深く息を吐いた。体の芯が暖かくなり、随分と緊張が解れたような気がする。しかし、この風呂場が普段芳川会長が使っているものだということを思い出すと、緊張を通り越して恐縮した。他意はないが、なんで自分が芳川会長の風呂に入ってるんだと突っ込みたくなってしまう。
 本当、なんで俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ。ちゃんと誘われて部屋に招き入れられた方が素直に喜べるのに、訳もわからないままこの部屋に連れてきてこられた今この状況は微妙なものだった。鼻を湯槽につけ、俺はブクブクと息を吐き出す。
 全身の汗を洗い流し終え、さっぱりした俺は風呂を上がり洗面室の一部である脱衣所で芳川会長に貰った下着と睨み合う。芳川会長のセンスが悪いとかそういうわけではないが、やはり他人が選んだ下着を履くというのは結構緊張した。今回はまだ未使用なだけまだいくらかましなのだろうけれど、だからと言って素面のまま履くまで至らない。考えすぎなのだろうか。
 ピラリと目の前に下着を広げ、俺は唸るように考え込む。それもものの数秒。覚悟を決めた俺は、目をギュッと瞑り下着を履いた。
 履いてから、誰が決めたとかあんまり関係ないことに気付く。というか、ビックリするくらい履き心地がいい。きっとサイズが丁度いいのだろう。
 自分が選んだものより他人が選んだものの方がいいというのは結構複雑だった。俺はTシャツを着てその上から芳川会長にもらったジャージに腕を通した。ジャージの上は体よりも若干大きめでゆとりがあり、なんというか丁度いい。
 芳川会長って俺の服のサイズとか知っているのだろうか。
 教えた覚えはないのだが、芳川会長のことだ。俺が寝ている間にでもサイズを調べられたのだろう。
 思い付きでそんなことを考えてしまったが、本当にありそうだから怖い。
 ジャージの下にも足を通す。少し長かったが、それでもやっぱり俺の体にあっていた。
 ジャージに着替えた俺は、意味もなくこのまま部屋に戻るか迷った末芳川会長の待つ部屋へ戻ることにする。
 扉を開き顔を出すと、芳川会長の話し声が聞こえてきた。
 どうやら、誰かと電話しているようだ。
 受話器に向かってなにか話していた芳川会長は、扉の開く音に反応してこちらを振り向く。

「……ああ。悪い、続きは明日話すからそれでいいか?じゃあな」

 俺の方を横目に、受話器越しの相手にそう告げれば芳川会長は一方的に電話を切った。
 恐らく、電話の相手は先ほど掛け直すと言っていた五味だろう。
 確証はなかったが、なんとなくそんな気がした。
「上がったのか」受話器を元あった場所に起きながら、芳川会長は俺に聞いてくる。
「はい」俺は芳川会長の言葉に頷いた。

「お……お風呂、貸してくれてありがとうございます。すっきりしました」

 俺は若干口ごもりながら、芳川会長にそう伝える。
 面と面向かって相手にお礼を言うのは少し気恥ずかしいものがあったが、言わずにはいられなかった。
「どういたしまして」芳川会長は少し笑いながら、目を細める。なんとなくよそよそしい空気に、やがて俺たちは互いに黙り込んだ。
 気まずい。なんでだ。ソファーに座りたかったが、芳川会長がなにも言ってこないし座るにも座れない。
 そうジレンマに焦がれていると、すっと芳川会長の手が胸元に伸びてくる。ビックリして思わず俺は体を強張らせた。
「え、あの」タイミングがタイミングなだけに俺はどういう反応をすればいいのかわからず口ごもる。
 いいかけて、芳川会長はジャージのファスナーの金具を摘まめばそれを一番上まで上げた。ちょっと苦しい。

「……会長?」

 開き過ぎない程度にジャージの前を開けていた俺は、目を丸くして芳川会長の顔を見た。
「……いや、ほら、寒いだろ。ちゃんと閉めときなさい」そんなことを言い出す芳川会長は、俺から視線を離しながらそう頷く。
 あまりにも不自然な芳川会長の態度に、俺は首元のキスマークの存在を思い出した。なるほど、だから首が隠れるジャージを選んだのか。そこまで芳川会長に気を遣わせているとは思ってなくて、俺は「すみません」と慌てて顔を逸らす。今さら恥ずかしくなってきて、俺はそのまま黙り込んだ。芳川会長はなにか言おうとしたが結局なにも言ってこなかった。
 部屋の中に妙な沈黙が走る。かなり、息苦しい。

「風呂、入ってくる」

 暫くの沈黙の末、芳川会長はそう呟くと、俺の横を通り扉まで歩いていく。
「あ……はい」俺は歩いていく芳川会長を目で追いながら、小さく頷いた。
 洗面所の扉を開き芳川会長は中へ入ると、静かに扉を閉める。
 相変わらず静かな室内に一人残った俺は、ジャージの襟を軽く指で摘まみながら小さくため息をついた。

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