天国か地獄


 06

 栫井に連れられ生徒会室を後にした俺は、ちらちらと生徒会室の扉を何度も振り返る。
 せっかく注文してもらった料理、ろくに手をつけることもできなかった。
 なんだか勿体ないことをしたような気分になったが、今さら戻って食べようと思う気もない。
 妙な罪悪感に捕らわれつつ、俺はエレベーターの前でいきなり足を止める栫井にぶつかる。

「……前見ろよ」
「ご、ごめん……」

 栫井に睨まれて、縮み込む俺。
 いまのは不本意だった。
 俺は肩からずれる鞄をかけ直しながら、小さく俯く。
 俺の方を一瞥する栫井は、制服のポケットから見覚えのあるカードキーを取り出せば、エレベーターの扉の横に取り付けられたボタンの側に空いた差し込み口にそれを入れる。
 固まっていたエレベーターが動き出し、扉越しにモーター音が聞こえた。
 栫井は適当にボタンを押せば、エレベーターがやってくるのを待つ。
 まさかまた、この生徒会用エレベーターに乗る日が来るとは思わなかった。おまけに、今度の相手は栫井だ。考えているうちに、小さな音を立てエレベーターのドアが開く。

「……」

 何も言わずにそれに乗り込む栫井に引っ張られ、俺はエレベーター機内に足を踏み入れた。
 エレベーター機内、栫井と二人きりになった俺は必死に自分の立たされた状況を理解しようとしていた。
 考えれば考えるほど頭が痛くなってくる。
 栫井が阿賀松の味方なのか芳川会長の味方なのか、それともただ単に俺が気にくわないだけなのかそれすらも分からないこの状況下で下手に動きたくない。
 先ほどよりもいくらか冷静になった俺が出した考えはそれだった。

「……………」
「……………」

 エレベーター内に会話はない。
 栫井相手にフレンドリーかつ楽しい会話を求める気はないのだが、それでもやっばり空気が悪いのはあまりいいとはいえない。
 暫く続いた沈黙の中、機内全体が小さく揺れエレベーターが止まった。
 どうやら栫井の設定した目的地についたのだろう。

「降りるぞ」

 そう俺に促すような視線を向ける栫井は、いいながら開いたエレベーターから外へ出た。
 俺はつられるように頷けば、栫井に引きずられないよう早歩きで栫井を追いかける。
 エレベーターを降りた俺は、なんとなく辺りを見渡した。
 扉という扉がエレベーターの扉しか見当たらないその廊下には、寮へと続く渡り廊下が取り付けられている。もちろんそこに人影はなく、迷うことなく栫井は渡り廊下へ向かって足を進ませた。
 寮と校舎を結ぶ生徒会専用の渡り廊下を歩く俺たち。
 相変わらず外から廊下内が伺えないようにカーテンで閉め切ったそこはあまりにも薄暗く、目に優しくない。
 俺はキョロキョロと辺りを見渡しながら、栫井の後をついていく。
 栫井はというと俺に気遣うわけもなく、足早にそこを渡った。
 いつの日か十勝とやってきたときはそんなに気にならなかったが、閉め切った廊下というのはあまり気味がいいものではない。
 防音の効いた廊下に二人分の足音だけが響いた。
 お互い無言なだけにその足音が大きく聞こえて、なんとなく不気味に思える。
 なにか栫井に話し掛けてみようかと考えてはみるが、それよりも先にこの長い渡り廊下の終わりが見えてきた。

「……顔、上げんなよ」

 俺に背中を向けたままそう呟く栫井に、俺は小さく頷く。
 なんで顔をあげたらいけないかわからなかったが、ここは素直に従った方がいいと悟った俺は視線を爪先に向けた。
 渡り廊下の行き止まりには扉が取り付けられていて、栫井は再びカードキーを取り出せばそれを使って扉を開く。
 そこには薄暗い部屋が広がっていた。
 物置だろうか。使われていない机や棚が置かれたその部屋の真ん中を横切る栫井は、部屋の奥にある扉のドアノブを掴む。
 どうやら、目的はこの部屋ではなくこの部屋の奥にある扉のようだ。
 物置部屋の扉を開いた向こう側には、見慣れた光景が広がっていた。
 一瞬、寮三階にある二年部屋の前かと思ったが、俺はここが四階の三年部屋前廊下だということに気付く。
 どの階も造りは似ているだけに内装だけでどこかと判断するのは難しいが、俺達の目的地からしてここは四階に間違えないだろう。
 四階にいい思い出という思い出がない俺は、若干挙動不審になりつつ周りを見渡した。
 たまたま廊下を歩いていた三年の背中が目に入る。

「あまりキョロキョロするなっていってるだろ」

「ご、ごめん」栫井に後頭部を軽く押さえられ、慌てて俺は項垂れる。
 栫井は俺の腕を取ると、そのまま廊下を歩き始めた。
 顔をあげるなと言われればあげたくなってしまう。
 それが人間の性なのだから仕方ない。
 ちらりと視線をあげると、ふとこちらを振り向いた栫井ともろ目が合ってしまう。

「日本語ぐらい理解しろ」

 呆れたように顔をしかめる栫井に叱られ、俺は大人しく自分の爪先を見詰めることにした。
 暫く足元を睨みながら歩いていると、前を歩く栫井が足を止める。
 栫井の足の動きを見て、ぶつからないように歩くのをやめた俺は慌てて栫井の方に目を向けた。
 丁度そこには一枚の扉があり、栫井はその前に向き直る。
 どうやら、ここが栫井のいっていた芳川会長のいる部屋なのだろう。

「……会長、俺です」

 言いながら、栫井は扉を数回ノックする。静かな廊下に扉を叩く音が木霊した。
 暫くもしないうちに、部屋の扉が開く。

「……」

 扉から顔を出す芳川会長は、扉の前に立つ俺達を一瞥すれば「中に入れ」と短く促してきた。
 会長とは昼間会ったばかりなのに、なんか久しぶりに会ったような感覚になる。
 今さら緊張してその場に立ち竦む俺の肩を軽く押すように、栫井は俺を扉の部屋へと入らせようとした。
 思わずバランスを崩しそうになって、慌てて体勢を立て直し俺は部屋の中へ入る。飾り気のない、会長らしい部屋だと思った。

「わざわざ悪いな。戻っていいぞ」

 俺が部屋に入ったのを確認した芳川会長は、言いながら栫井に目を向ける。
「……わかりました」相変わらず表情乏しい栫井は、そう静かに呟けばそのまま部屋の扉を閉じた。
 扉が閉まり、芳川会長の部屋に残された俺はどうすればいいのかわからず芳川会長に目を向ける。
 栫井がいなくなって嬉しいはずなのに、芳川会長と二人きりになるのはなんとなく気まずく感じた。

「適当に腰を下ろしてくれ」

 言いながら、芳川会長は部屋に置いてあるL字型ソファーに目を向ける。
「は、はい」頷く俺は、会長に言われるがままソファーの隅に座った。
 俺と軽く向き合うような形で、芳川会長もソファーに腰を下ろしてくる。

「その……悪かったな、色々連れ回したりして」

 そう口を開く芳川会長に、俺はどういう反応をすればいいのかわからず芳川会長の方に目を向けた。
 気まずそうな芳川会長の表情からして、少なからず俺に対して申し訳なさを感じているように感じる。
 だからだろうか。
 なにも考えずに俺は「気にしないでください」なんて言葉を口にしてしまう。
 その言葉に、芳川会長は俺に目を向けた。
「そういうわけにはいかない」そう苦笑を漏らしながら肩を竦める芳川会長はいつも通りで、俺はなんとなく安心する。

「自分勝手だと思うが、君が心配だったんだ」

 芳川会長は言いながら、俺から視線を外した。
 なんとなく会長は過保護な性格をしている人だとは思っていたが、確かに、今回はさすがの俺も焦る。
「……」心配していると言われ、俺は黙り込んだ。
 どういう反応をすればいいのかわからなかった。

「最初は、薬なんて盛るつもりなかったんだけどな」

 そう小さく笑う芳川会長の言葉の意味がよくわからなくて、俺は眉を潜める。
「……薬?」なんでここで薬の話題が出てくるのかわからなかった。だがあまりいい予感はしない。

「……栫井に聞いていないのか?」

 頭上にクエスチョンマークを浮かべる俺に、芳川会長は訝しげに顔をしかめる。
 聞いていないどころか、まともに会話した覚えすらない。
 芳川会長の言葉に戸惑いながらも頷く俺。芳川会長は「そうか」とバツが悪そうに呟けば、俺に目を向ける。

「昼間、齋籐君の飲み物に睡眠薬を入れさせてもらったんだよ」

 さらりととんでもないことを口走る芳川会長に、俺は「え?」と目を見張った。
 そういえばと、昼食を済ませた後にひどい睡魔に襲われたのを思い出す俺。
 結局あのまま俺は生徒会室で爆睡して現在に至るわけだが、なるほど。なんで自分がこんなに眠っているのかが不思議で仕方なかったが、いまの芳川会長の言葉に納得した。

「……なんで、薬なんか」
「齋籐君が阿賀松のところへ行くと聞いて、心配だったんだ」

 いまだ驚きが隠せず、俺は芳川会長の言葉にどういう反応をすればいいのかわからなかった。
 やけに正直に俺の質問に答えてくれる芳川会長に、俺はつい口ごもる。
 芳川会長の気遣いは嬉しかったが、阿賀松とのことがあるだけに素直に喜べない。

「……」

 なんとなく、芳川会長と顔を合わせるのが辛くて、俺は押し黙ったまま自分の爪先に視線を向けた。
 芳川会長が俺のことを庇ってくれているのはわかったが、なんでそこまでしてくれるのかが理解できない。
 そこまでするか普通、というのが俺の本音だったりする。

「今日は、ゆっくり休んでくれ。この部屋は自分の部屋だと思ってくれていいからな」

 いいながら、芳川会長はソファーから立ち上がった。
 その口振りからして、どうやら俺は会長の部屋で一夜過ごさないといけないらしい。
 てっきり芳川会長と話をするつもりで来ていた俺はこのまま自分が部屋へ帰るつもりだったので、結構戸惑った。

「え、あの、かいちょ……」

 俺がいいかけて、芳川会長は思い出したように俺の方を向く。

「そうだ。齋籐君、喉が渇いてないか?麦茶ならあるが、注ごうか」

 なんて調子外れなことを小さく笑いながらいう芳川会長に、ますます俺は『部屋へ帰らせてください』と切り出しにくくなった。
「いや、大丈夫です」わざわざもてなしてくれる芳川会長。俺は困惑しつつも、それを遠慮することにした。
 また薬でも入れられたらとんでもない。
 芳川会長に限ってそんなことないとは思うが、今回の一件でそう言い切ることができなくなる。

「そうか?遠慮しなくてもいいんだからな」

 もてなしを断る俺に、芳川会長は少しだけ残念そうな顔をした。
 素直に信じれない自分に複雑な気分になりながら、「そんなことまで迷惑かけられません」とそのまま芳川会長に伝える。

「迷惑なんかじゃない、俺が勝手にしたいだけだ」

 そうキッパリと言い切る芳川会長に、俺は泳がせていた視線を芳川会長に向けた。
「齋籐君がそんなこと気にしなくていいんだからな」目が合ってそう笑う芳川会長に、少しでも芳川会長を疑ってしまった自分が恥ずかしくなってきた俺は慌てて俯く。

「少し、待っててくれ」

 そういうと、芳川会長は部屋の奥にある冷蔵庫の元へ歩いていった。
 最初から俺に飲み物を出すつもりだったらしい。
 芳川会長を待つ時間がひどくもどかしく、俺はソワソワしながら部屋を見渡す。
 なんとなく、芳川会長の部屋には本が沢山あるんだろうなとかもっとインテリな感じの部屋を想像をしていた俺にとって実際の部屋は意外だった。

「どうした?」

 グラスを二つ手にしてソファーの元へ戻ってきた芳川会長は、部屋を見渡す俺に不思議そうな顔をする。
「なんか変なのでも見つけたか?」そんなことを言い出す芳川会長に、俺は慌てて首を横に振った。
 というか、変なのがあるのか。この部屋。

「な、なんでもないです」

 そう恐縮する俺に、芳川会長は「そうか」と小さく笑いながら手にしていたグラスの片方を俺に差し出す。
「ありがとうございます」いいながら、俺はそれを素直に受けとることにした。
 わざわざ淹れさせてそれを受け取らないなんてそんな大それた真似、俺には出来ない。
 ひんやりとしたグラスの表面が冷たくて、俺は何度か持ち直しながらそれに口をつけた。うん、普通の麦茶だ。

「……美味しいです」
「そうか、ならよかったよ」

 麦茶を半分ほど喉に通した俺は、一旦グラスから口を離しながらそう呟いた。
 そんな俺の様子を見てほっとしたような安堵の笑みを浮かべる芳川会長は、ソファーに腰を下ろす。
 なんとなく、変な感じだ。こうして普通に芳川会長の部屋で芳川会長と話しているのがなんとなくとんでもないことじゃないかと思えてくる。
 丁度その時、俺は数日前の阿賀松の言葉を思い出した。
『お前、会長と付き合えよ』脳内にその時の鮮明な記憶が蘇り、思わず俺は固まった。
 持ち上げて、叩き落とす。そう阿賀松は言っていた。ならこの状況って、どうなんだ。

「……齋籐君?」

 挙動が怪しくなる俺に、芳川会長は心配そうな顔をした。
「え?」芳川会長に呼ばれ、上の空だった俺は慌てて現実に引き戻される。
 確実にこの状況は俺にも芳川会長にもよくない。考えて、それだけはわかった。

「すみません。なんでもないです」

 気を取り直した俺はそのままグラスに口をつけ、中の麦茶を飲み干した。
 なんでもないわけがないだろう。自分自身に突っ込みながら、俺は液体を喉に流し込んだ。
 一層、阿賀松たちとのことを全て芳川会長に話してしまおうか。
 あまりにも無謀な考えが脳裏を過り、俺は思わず麦茶を変なところで詰まらせ噎せ返る。

「どうした。大丈夫か?」

「そんなに慌てて飲まなくても、おかわりはいくらでもあるからな」と可笑しそうに笑う芳川会長は、ゲホゲホと噎せる俺の背中を軽く叩いた。そんな芳川会長の優しさに、俺は全て暴露してしまおうかと迷ってしまう。
 一人で悩むのは苦しい。芳川会長に隠し事をするのも嫌だ。でも、言ってしまったところで芳川会長には嫌がられるだろう。
 阿賀松たちからはどんなことを言われるか、考えるだけで死にたくなった。
 そうなるのが嫌で今まで自分が黙っていたというのに、細やかな芳川会長の気遣いでその決意が揺らいでしまうなんてなんだか自分がひどく情けないやつに思えて仕方ない。

「……会長」
「ん?」

 空になったグラスを持ち直し、俺は芳川会長に目を向けた。
 愛想のいい笑みを浮かべる芳川会長に、俺は思わず黙り込む。
 ……言えるわけないじゃないか。
 芳川会長を前にして、俺はあらためて自分の腑甲斐なさを思い知らされる。

「……なんでもないです」

 俺は、芳川会長から目を逸らしながらそう言った。
 さっきから自分は『なんでもないです』しか言っていない気がする。
 内心、なんでもないと言いながらもその自分の心境に気付いて欲しかった。
 口で言わなきゃ分かるわけないとよく理解しているが、芳川会長に対しそんな淡い期待を抱いてしまう自分がいる。

「なんだよ、変なやつだな」

 歯切れの悪い俺に、芳川会長はそう笑った。
 その言葉に嫌味っぽさはなく、俺はそれをそのまま受け流すことにする。
 一頻り笑った芳川会長は、表面に無数の水滴を滲ませたグラスを口につけた。

「……」

 その様子を意味もなく眺める俺。ゴクゴクと喉を鳴らす芳川会長は視線に気がついたのだろう、目だけを俺の方に向けた。視線がぶつかる。その視線を先に逸らしたのは芳川会長の方だった。
 一気に麦茶を飲み干した芳川会長は、「ぷはっ」と声を漏らしながらグラスを外す。

「……」

 芳川会長は側にあったテーブルに手を伸ばし、空になったグラスをその上に置いた。
 ついでに置いてもらおうか迷ったが、なんとなく気を遣ってしまい俺はそのグラスを何度も持ち直す。

「……一つだけ聞きたいことがあるんだが、いいか?」

 グラスをテーブルの上に置いた芳川会長は、言いながら俺から視線を外す。
「え?あ、はい」言いにくそうにする芳川会長に、俺までなんとなく恐縮してしまった。
 なんとなくその先を聞くのが怖くて、俺はグラスをぎゅっと握る。
 グラスにまとわりついた滴で、グラスを持つ手が湿った。
 すると、すっと芳川会長の手が伸びてきて、俺の後ろ髪を撫であげるように首筋に触れる。

「これは、キスマークか?」

 全身の血の気が引いていくのがリアルにわかった。
 栫井につけられた痕をすっかり忘れていた俺は、目を見開き硬直する。芳川会長に指摘され、心拍数が跳ね上がった。

「えっあっその、これは、ちが」
「栫井につけられたのか」

 図星を突かれ口ごもる俺の言葉を塞ぐように、芳川会長はそう続ける。
 なんでそんなことまでわかるんだ。純粋に驚き、焦った。もしかして引かれてるんじゃないかと青ざめる俺。
 だが、芳川会長の態度はいつもとなんら変わりないものだった。絶句する俺に目を向け、芳川会長はそのまま俺から手を離す。

「……まさか、本当に?」

 あまりにも隠しきれていない俺の反応からなにか感じたのか、芳川会長は訝しげに眉を潜めた。
 険しい顔をする芳川会長に、焦ったあまりに俺は否定も肯定も出来なくなってしまう。

「…………」

 黙り込む俺に、芳川会長まで黙り込んでしまう。
 気まずい。というか、今すぐこの部屋から飛び出したい。
 沈黙の中流れる時間が苦痛でしかなくて、俺は「誤解です」と重い口を開いた。

「……別に、俺は責めているわけじゃない」

 今さらすぎる俺の言葉に、芳川会長はバツが悪そうな顔をしてそう答える。
 どうやら俺の言葉が、責任逃れかなにかに聞こえたらしい。
 少しだけ機嫌が悪くなった芳川会長に、俺はそれ以上なにもいうことができなくて視線を泳がせる。
「栫井の手癖が悪いのは前から知っていたんだがな」力なく呟く芳川会長は、小さなため息をついた。

「本当に申し訳ない」

 気まずそうな顔をする芳川会長は、俺に向き直り謝ってくる。
 全くとは言い切れないが、間接的にしか関係ない芳川会長が謝るのはおかしい。
「本当、なにもないんで謝らないでください」言いながら、あまりにも信憑性の薄い自分の言葉に悲しくなってくる。

「あいつに、他にはなにもされてないのか?」

 真顔でそんなことを聞いてくる芳川会長に、不謹慎ながら思わず俺は赤面した。
「あのっ、ほんと、冗談でつけられただけなんで」俺は視線を泳がせながら、そう言い返す。
 なんで自分が栫井を庇わなきゃいけないのかまるでわからなかったが、先ほどまでのことを素直に話して芳川会長に土下座させる気にもならなかった。つまり、俺は小心者だということだ。

「だったら、いいんだけど」

 そう少し安心したように強張った頬を綻ばせる芳川会長は、思い出したように「いや全然よくないな」と言い足した。
 いま、芳川会長に口を挟めない方がいいかもしれない。
 あまり思い出して楽しい記憶ではないし、なにより芳川会長とこの手の話はしたくなかった。

「あ、そういえば、芳川会長って一人部屋なんですか?」

 強引に話題を変えようと、俺は部屋を見渡しながらそう芳川会長に話し掛ける。
 見る限りベッドは一つしかないし、同室者らしき人影も見当たらない。
「ん?ああ」芳川会長は考え込むように眉を寄せれば、思い出したように声をあげた。

「まあ、今は一人だな」

 今は。ということは、前は二人部屋だったのだろうか。
 やはり生徒会長となると他の生徒よりも優遇されているようだ。妬みとまではいかないが、結構羨ましかったり。
 そういえばもう一人、一人部屋の生徒がいたような気がするがいまそれは関係がないことだ。
「そうなんですか」もしかしてとは思っていたのであまり驚きはしなかった。

「なんだ?俺と二人きりは嫌か?」

 味気ない反応をする俺に、芳川会長は小さく笑いながらそんなことを言ってくる。
「え、いや、あの」芳川会長の言葉に思わず口ごもった。
 その場を和ませるための軽いジョークとはわかっていたが、数十分前あんなことがあっただけに『二人きり』という単語に過敏に反応してしまう。

「あ……悪い」

 歯切れの悪い俺からなにかを感じたのか、芳川会長は自分の失言に気付き表情を固くする。
 自分の曖昧な態度が芳川会長を困らせたようだ。
「その、あの、違います」そんなつもりは毛頭ない俺は慌ててそう否定を入れる。
 相変わらず主語のない俺の言葉だったが、芳川会長はその意味を理解したようだ。

「いや、気にしなくていい。俺が勝手に連れてきたんだからな、君が俺に気を遣う必要はない」

 言いながら芳川会長はソファーから立ち上がった。
 気を遣うなと言われても、状況うんぬん以前に相手が芳川会長だというだけでそれは無理な話だ。
 芳川会長の言葉に困惑する俺は、会長を視線で追う。

「……あの、どこに」

 通路へと繋がる扉の方へと向かう芳川会長は、不思議そうな顔をする俺の言葉にピタリと足を止めた。
「買い出し」そう答える芳川会長。買い出しって、なんだ。言葉そのものの意味は理解できるが、なぜこのタイミングで買い出しに行こうとしたのかが理解できなかった俺は「買い出し?」と芳川会長に問いかける。

「ああ。すぐ戻ってくるから、心配しなくていい」

 芳川会長は俺の方に目を向けながらそういった。
 買い出しの内容がなんなのか芳川会長は言わないまま、そのまま扉を開き部屋を出る。上手くかわされた。
 扉の外からガチャリと鍵をかける音が聞こえる。
 わけのわからぬまま一人部屋に取り残された俺は、肩の力を抜きソファーの背もたれに寄りかかった。

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