天国か地獄


 03

 あれから、俺たちは教室へと入った。
 お陰様でHRに遅れることにはならなかったが、今朝の気まずい空気はずっと変わらない。
 志摩に関しては、席が隣同士なので嫌でも顔を合わせるはめになる。
 ……早く席替えしないかな。思いながら、俺は午前中の授業をじっと聞いていた。
 昨日から一日経った今、授業内容が頭に入らないといったことはないがやはり気が散る。なんとなく、志摩の方へ目を向ける度に志摩がこちらを見ているのだ。視線が気になって、あるのかないのかわからない程度の俺の集中力は切れ切れになる。

「……」

 ずっと黒板の方を見ていても志摩の視線を感じた。
 言いたいことがあるなら、ハッキリ言えばいいのに。そこまで考えて、それが自分にも言えることに気付く。もし志摩もそう思っているとしたら、なんと滑稽だろうか。小さく息をつく。そう考えたらなんだか急に馬鹿馬鹿しくなって、俺はすっと肩の力を抜いた。
 完全に脱力することは出来ないが、息抜きすることで少しだけ塞いだ気分が晴れたような気がする。
 たぶん気のせいだ。そんなくだらない自問自答を繰返し時間を潰していると、教室のスピーカーからチャイムが響く。確か次は、昼休みだ。
 号令がかかり、授業が終了する。
 授業中の静けさが嘘みたいなくらいざわめき始める教室内、俺はこれからどうしようか考えた。前方の阿佐美の席に目を向ける。本来ならば阿佐美が座っているはずのその席は空っぽだった。
 さっきまでいたはずだったのに。思いながら賑わう廊下に目を向けると、何処かへ向かう阿佐美の後ろ姿を見つける。便所にでも行っているのだろうか。
 昼食に誘おうかと思ったが、後をつけてまで誘うのもあれだ。俺は大人しく阿佐美が教室へやってくるのを待つことにする。

「齋籐」

 隣の席から声をかけられた。志摩だ。見なくても、わかってしまった自分が少し嫌だったり。
「なに?」俺はいいながら志摩の方に視線を向けた。

「一緒に食堂いかない?」

 その言葉を理解するよりも先に、全身が反応する。
 今朝のあの味のしない食事を思い出し、俺は返事に躊躇った。
 自分の答えは決まっているのに、相手の機嫌を伺うばかりにそれを口に出せないのはなんとも情けない。
「悪いけど……」そう志摩の誘いを断ろうと決断したとき、ふと背後から声をかけられる。

「齋籐君、呼んでるよ」

 そう俺に話しかけてきたクラスメートは、いいながら廊下に目を向けた。
 なんていいタイミングだ。眉を潜める志摩とは対照的に、俺の表情は自然と明るくなる。が、廊下にいた顔見知った人物を見て、俺は思わず顔を強張らせた。

「おーい、佑樹ー」
「……」

 十勝と栫井が、扉の前に立っていた。

「えっと、あの……なんか用?」

 廊下に出た俺は、二人を交互に見ながらそう話を切り出す。
 正直、何事かと思った。志摩から離れられたのは嬉しかったが、今度は栫井だ。まさか文句でも言われるんじゃなかろうかと余計なことを考えてしまう俺に、十勝は「佑樹を迎えに来たんだよ」と笑う。

「……迎え?」
「会長が、お前をつれてこいだとよ」

 十勝の言葉の意味がわからなくて首を傾げる俺に、栫井はそう答えた。
 芳川会長が?なんで?更に意味がわからなくなって、俺は頭上にいくつものクエスチョンマークを浮かべる。
「とにかくっ」十勝は言いながら俺の腕を掴んだ。

「案ずるより産むが易しっていうだろ?行こうぜ栫井」
「先輩って呼べ」

 そう栫井に笑いかける十勝。栫井は不満そうに顔をしかめながら、空いた方の俺の腕を掴む。
「え?」全くもって話しについていけない俺は、いきなりの二人の行動に間抜けな声を上げた。 周りの生徒の視線が痛い。

「いや、まじで、意味がわからないんだけど」
「いいからいいから」

 困惑する俺に、十勝は構わず俺の腕をぐいぐい引っ張る。
 なに一つよくない。
「さっさと歩けよ」渋る俺の背中を押す栫井はどこまでも不機嫌面で、逃げ道をなくした俺は素直に二人についていくことにした。
 十勝と栫井に引っ張られるように連れて来られた先には、見覚えのある扉があった。
 扉の側に掲げられているプレートには生徒会室と彫られている。
 最後にここへ来たのはそんなに遠くない。
 いまだになんで自分がここに来ているか理解出来ない俺は、扉の前に棒立ちになる。

「かいちょー、しっつれいしまーす」

 言いながら、十勝は生徒会室の扉を開いた。
 開いた扉の奥からは、香ばしいなんとも食欲をそそられるいい香りが溢れてくる。

「ああ、ありがとう。栫井、十勝」

 生徒会室内。
 まず、俺の視界に入ったのは部屋の中央に並べられたテーブルだった。
 いくつもの料理が並べられたテーブルを見て、思わず俺は唾を飲む。
 テーブル脇のソファに腰をかけていた、芳川会長と五味、灘は扉の前に立つ俺たちに目を向けた。扉の側に置いてあるワゴンを横目に、俺は栫井たちに引っ張られるがままテーブルへと近寄る。

「あ、あの……」

 一体なんなんだ。
「急に呼び出して悪かった」いまいち状況が飲み込めず戸惑う俺に、芳川会長は申し訳なさそうな顔をする。

「誰かが頼みすぎたせいで、たくさん料理が運ばれてきてな。返品するのもあれだし、せっかくだから齋籐君も一緒にと思ったんだが……」

 言いながら、芳川会長はテーブルの上に目を向ける。
 隣の十勝がわざとらしく鼻歌を歌い出し、俺はああなるほどと納得した。

「もしかして、誰かと食べる予定でもあったのか?」

 あまりにも反応の悪い俺に、芳川会長は心配そうに聞いてくる。
「いや、全然大丈夫です」慌てて首を横に振る俺。
 嘘はついていないはずだ。否定する俺に、「ならよかった」と芳川会長は安堵の息を漏らす。

「……でも、俺、いいんですか?」

 どうしてこんな状況になったかは大まかに理解できたが、何故そこで自分が呼ばれたかはわからない。
 なんだか肩身が狭くて、俺は芳川会長に小声で問いかけた。

「……駄目なら、最初から呼ばない」

 少しだけ返答に戸惑った芳川会長は、言いながら俺から目を逸らす。
 自分で言って気恥ずかしかったのだろうか。微かに赤くなる耳を、俺は見逃さなかった。
「あ、ありがとうございます」俺まで戸惑ってしまい、声が上擦る。
 なにがありがとうなのか自分でもよくわからなかったが、この状況は俺にとっていいものだ。

「そんな畏まんなって!ほら、座ろうぜ」

 背後からいきなり十勝に肩を掴まれ、若干心臓が止まりそうになる。
 俺は十勝に引っ張られるようにして歩けば、空いているソファに座らされた。続いて右に十勝、左に栫井が腰を下ろす。
 俺からしてみればある意味心臓に悪いポジションだ。

「佑樹、これ食えよ。まじうめーって!」
「齋籐、こっちの方がうまいぞ。食うか?」

 隣から妙な料理を勧めてくる十勝に、向かい側から十勝に対抗するようにまともな料理を勧めてくる五味。
「え、いや、結構です……」既に何枚か皿を空にした俺は、ぐったりしながら断る。
 さすがに食べ過ぎた。というより本当に俺、注文しすぎた料理を空にするために連れてこられたのか。
 本音、『齋籐といると楽しいから』とかそういう理由で誘われたのかと勝手に思って喜んでいた俺は自分がただの後始末の要員だと知って一人ショックを受ける。

「もう腹いっぱいなのか?まだまだあるぞ」

 そう驚いたような顔をする芳川会長は、笑いながら生徒会室の扉に目を向けた。
 そこに置かれた食堂にあるものと同じタイプのワゴンには、会長のいう通りたくさんの料理が積まれている。気が遠くなりそうだ。
 俺はコップに注がれた水を飲みながら、顔を青くする。

「齋籐、手が止まってる」

 言いながら、栫井は空になった俺の皿にどんどん肉料理を置いていく。
 こいつ……。然り気無く嫌がらせじみた気遣いをしてくる栫井に、俺はちょっと泣きそうになる。

  ◆ ◆ ◆

「よっしゃー、完食!」

 まず最初にそう声をあげたのは十勝だった。
 俺は死にそうな顔をして空になった皿を積んだワゴンを見た。
 我ながら、よく頑張ったと思う。テーブルの上の皿を眺めながら、俺は口許を押さえた。
 死屍累々。いまの生徒会室を言い表すならその言葉がよく当てはまるだろう。
 十勝を除く生徒会役員は、最早喋る元気すら残っていないのか全員ぐったりとソファに凭れ各々死にそうな顔をしていた。無理もない。軽く十人分以上はある料理を短時間で食べきったのだから。
 無理して食べなくてもいいんじゃないかと提案もしたが、作った人に申し訳ないという芳川会長の言葉を聞いてしまえば料理を完食させざるを得えなくなる。それで、この結果だ。

「……いや、本当に助かったよ齋籐君」

 無事持ち直した芳川会長は、言いながら俺にお礼を言ってくる。
「どういたしまして……」口を動かすだけで色々出そうな気がして、俺は青い顔のまま呟くように答えた。

「……あー、じゃあ、俺ら先に教室に戻らせてもらいますわ」

 言いながら、五味はソファから腰を浮かせる。それにつられるように、灘も立ち上がった。
「ああ」二人を横目に、芳川会長はそう短く答える。

「じゃあ、俺もこれで……」

 生徒会役員でもない俺が、いつまでもここに長居するわけにもいかない。
 立ち上がり、そのまま扉へ向かう五味たちにつられるようにして俺は言いながら立ち上がった。

「……いや、齋籐君はまだ残っててくれ」

 快く俺を見送ってくれると思っていた芳川会長は、言いながらソファから腰をあげる。
「え?」まさか引き留められるなんて思ってもいなくて、思わず俺は芳川会長の方に目を向けた。
 なにか俺に用でもあるというのか。俺は生徒会室の壁にかかった時計に目を向け、まだ次の授業が始まるまで余裕があるのを確かめれば持ち上げた腰を再び下ろす。

「んじゃ、そろそろ俺もお邪魔しますわ!」

 言いながら、隣に座っていた十勝はソファから立ち上がった。
「佑樹はゆっくりしていっていいからな」十勝はそう笑いながら俺の肩を叩けば、扉へ向かう。
 次々と生徒会室からいなくなる役員たちに、俺は戸惑った。
 なんで自分が呼び止められたかがわからないだけに、不安は一層膨れ上がる。
 栫井は戻らないのだろうか。なんとなく気になって、ちらりと栫井を横目に見る。

「……なに」

 目があった。じとりと睨み返され、俺は慌てて首を横に振る。

「なんか飲むか?」

 言いながら、芳川会長はソファから腰をあげる。どうやら俺と栫井に聞いているらしい。
「……俺はいいです」俺から視線を逸らした栫井は、そう芳川会長に答えた。

「あ、俺も、大丈夫です」

 手元に置いてあるグラスにはまだたっぷりと水が注いである。
 それに、あまり喉が渇いていないしなにより異常なほどの満腹感でこれ以上なにかを口に入れてしまえば大変なことになりそうだ。
「そうか」芳川会長は再びソファに腰を下ろす。ギッとスプリングが軋んだ。

「……っ」

 眠たい。急に静かになった生徒会室の中、ソファに凭れた俺は大きなアクビを噛み締めた。
 昨日は早めに寝たし今朝もしゃっきり目が覚めたはずだ。なのに、眠たい。

「どうした?眠たいのか?」

 苦しいくらいの満腹感が心地よく、うつらうつらしていると芳川会長の声が聞こえた。
「……あ、す、すみません……」人と話しているときにアクビをするのは流石に失礼だ。俺は慌てて芳川会長に謝る。

「いや、気にしないでいい。眠たいなら無理しなくてもいいんだぞ」

 鈍る思考回路に、芳川会長の声が響いた。
 眠たくないはずなのに。なんでこんな急に眠くなるんだ。その芳川会長の一言が効いたのか、段々自分が起きているのか眠っているのかわからなくなる。
 酷いくらいの睡魔に、俺は芳川会長に返事することすら儘ならくて気が付くと俺は眠っていた。

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