天国か地獄


 06

 賑わう廊下を歩き、ショッピングモールの前を阿佐美と並んで歩く。人通りは相変わらずだ。人にぶつからないよう気をつけながらあるいていると、突き当たりの廊下から見覚えのある二人の生徒がやってくる。
 芳川会長と、栫井だ。

「……」

 どうやら二人は俺たちに気が付いていないようだ。
 まるでなにかに追われているように周りを気にする会長に、俺は声をかけようとして躊躇する。

「どうしたの?佑樹君」

 不意に足を止める俺に、阿佐美は不思議そうな顔をして声をかけてくる。
「いや、なんでもない……」そう言って俺は再び歩きだそうとして、芳川会長と目があった。

「齋籐君」
「こ……こんちには」

 俺に気が付いた芳川会長は、少し驚いたような顔をすると笑いながらこちらに歩み寄ってくる。
 周りを警戒していた割に、普通に話しかけてくる芳川会長に戸惑いながら俺は芳川会長の斜め後ろに立つ栫井に目を向けた。不意に目が合い、俺は咄嗟に視線を離す。

「昨日は付き合ってもらってありがとう。短い間だったが、楽しかったよ」
「あ、あの、俺も楽しかったです……ごちそうさまでした」

 微笑む芳川会長に、俺はしどろもどろと言葉を続ける。
 嫌なタイミングで阿賀松たちの言葉を想いだし、俺は芳川会長から視線を逸らした。

「会長、こんなところで油売っている暇はないですよ」

 いいながら、栫井は芳川会長に促すような視線を向ける。
「……わかっている」会話の途中に割り込まれたのが気に入らなかったのか、芳川会長は不満そうな顔をして肩を竦めた。
 俺は、相変わらず眠たそうに目を細める栫井に目を向ける。
 栫井には、昨日のことでいろいろ聞きたいことがあった。あるけれど、芳川会長の前でこんな話できるわけがない。

「悪いな。また、今度ゆっくり話そう」
「……はい」

 苦笑を浮かべる芳川会長に、俺は浮かない声でそう返す。二人とも、先を急いでいるようだ。
 栫井は俺の方をちらりと一瞥すると、「行きますよ」と会長に声をかけると歩き出す。
 どこか名残惜しそうな顔をする芳川会長は、俺に背中を向け栫井を追い掛けるように歩き出した。
 会長たちの影が生徒たちに紛れるのを確かめ、俺は小さく息を吐く。
 数分も経たないような短いやりとりだったはずなのに、酷く疲労感を感じた。
 仲良くすればするほど芳川会長を裏切っているような感覚に陥ってしまう。阿賀松からのプレッシャーは、想像よりも遥かにキツい。

「会長、忙しそうだね」

 阿佐美はそう俺に笑いかけてくる。
「そうだな」俺は軽く相槌を打つと、止めていた足を再び進ませた。
 時期が時期なだけに、生徒会の方も色々あるのだろう。
 ただでさえ少ない自由時間を割いてまで芳川会長が俺を気遣ってケーキバイキングに誘ってくれたと思うと、頭が上がらない。

「そっかー、もうすぐ文化祭だもんねー」

 阿佐美は並ぶ店舗を興味深そうに見渡しながら、そんなことを言い出す。
 それは少し気が早すぎるんじゃないのか。一、二ヶ月も先のことを口にする阿佐美に俺は考え込む。いや、そろそろ準備が始まっても悪くない頃か。

「楽しみだねー文化祭」
「まだ準備すら始まってないだろ」

 気が早い阿佐美に、思わず俺は苦笑を漏らす。
 そんな他愛ない会話を交わしていると、あっという間に目的地であるエレベーター前につくことができた。
 丁度満員になったエレベーターを見送り、俺と阿佐美は近くのベンチに腰を下ろし次のエレベーターがやってくるのを待つことにする。
 文化祭か。この学校にやってきたばかりの頃は、楽しみで仕方なかった学校行事の一つだった。でも今は、なんでだろう。あまり気が乗らない。そんなことを考えてしまう自分の気の早さに、俺は自嘲気味に苦笑を浮かべた。

 暫くもしないうちに、次のエレベーターはやってくる。エレベーター機内に乗り込み、そのまま三階へと向かう。機内には自分たちの他に数人の生徒がいて、周りに気遣ってか俺と阿佐美の間に会話はなかった。他の生徒たちもまた然り。
 妙な沈黙のせいか、三階につくまでの時間がやけに遅く感じた。二階で数人の生徒を下ろしたエレベーターは、俺たちを乗せて上の階へと向かう。数分もしないうちに機内全体が小さく揺れ、三階へついた。
 静かに開く扉から、俺と阿佐美は三階エレベーター前の廊下へ出る。

「なんか眠い……」

 阿佐美は、大きな欠伸を噛み締めると目元を擦りながらそうむにゃむにゃと呟いた。
 元々夜行性の阿佐美からして、ここ最近の生活はハードだったのだろう。

「じゃあ早く部屋に戻ろうか」

 無理もない。俺は阿佐美に笑いかけながら、部屋に向かって歩き出す。
「うん……」阿佐美はこくりと頷くと、俺の後ろをついてきた。
 俺は、眠たそうな阿佐美を気遣って最短距離の廊下を通って部屋まで戻ることにする。

「しっかり歩かないと転ぶって」

 危なっかしい足取りでフラフラと歩く阿佐美に、俺は声をかける。廊下がいい感じに暖かいせいか、阿佐美は睡魔に襲われているようだ。
 前髪で隠れた目は、きっと半目になっているのだろう。その気持ちはわからなくもない。でも、だからといってこんなところで眠られるのは困る。

「詩織、部屋までもうすぐだから」

「我慢して」言いながら俺は、阿佐美の腕を掴み軽く引っ張るようにして歩く。
「んー」返ってくる阿佐美の声は、起きているのか眠っているのか判断がつかないようなものだった。
 重い足取りの阿佐美。俺は阿佐美の体を揺すりながら、部屋まで歩いた。

「詩織、ほら、ついたから。起きろって」

 半ば阿佐美を引きずるような形で333号室の扉の前までやってきた俺は、阿佐美の肩を掴み強く揺する。
 返事をするのすらめんどくさくなったのだろう。半口開いたまま黙り込む阿佐美を支えるように掴んだまま、俺はポケットから部屋の鍵を取り出した。
 阿佐美が倒れないよう気をつけながら、俺は器用に鍵を鍵穴へ挿し込む。
 ガチャリと鍵が外れる音がして、俺は部屋の扉を開いた。

「詩織、ついたよ。ベッドまで自分で行けるだろ」

 俺は阿佐美の服を引っ張るようにして部屋まで引きずり込めば、両肩を掴んで強く揺する。
「たぶん……」聞いているのか聞いていないのかよくわからないような寝惚けた声で阿佐美はそう呟いた。
 俺の腕から離れフラフラと覚束ない足取りでベッドに向かう阿佐美を見守りながら、俺はそこでようやく一息つく。
 そこまでの距離なら、一人でも大丈夫だろう。そう安心した瞬間、阿佐美は床の上に倒れ込んだ。どうやら、間に合わなかったらしい。

「……おい、大丈夫か?」

 そう呆れる俺は、床の上で丸くなる阿佐美に近付く。
 すーすーと寝息を立てる阿佐美に、俺は小さくため息をついた。
 寝るんだったらベッドでって言ったのに。俺は阿佐美の近くでしゃがみこみ、ベッドまで運んでやろうかと阿佐美の腕を掴む。……重い。動かなくなった人の体はなんでこんなに重たく感じるのだろう。

「こんなところで寝たら風邪ひくぞ」

 言いながら、俺は阿佐美の服を掴み上半身を無理矢理起こした。
「んん……佑樹君抱っこー……」むにゃむにゃと口を動かす阿佐美は、いいながら抱き締めようとしてくる。
 いや、無理だろ。いろいろ。俺は寝惚ける阿佐美に冷や汗を滲ませる。

「……俺、お前のお母さんじゃないんだけど……っ」

 うつらうつらとしている阿佐美の背後に回り込めば、俺は阿佐美の脇の下に腕を入れそのまま立ち上がった。
 勢い余って、少しよろめく。
 普段からあまり重いものを持たないせいか、腕が死にそうだ。歯をくいしばり、俺は阿佐美を抱えたままずるずるとベッドまで運ぶ。身長差があるだけに、阿佐美の全身持ち上がらず引き摺ってしまうが仕方ない。
 寝苦しそうに唸る阿佐美をベッドの近くまで持ってきた俺は、そのままベッドの上に上がり阿佐美の体を引っ張る。

「……痛たたたっ」
「あ、ご、ごめん」

 強引に引き摺り上げたせいか、背中を痛めたらしい阿佐美は声を漏らした。
 咄嗟に俺は阿佐美から手を離す。中途半端なところで解放された阿佐美は、そのまま自力でもそもそとベッドの上まであがってきた。
「佑樹君ありがとー」言いながら、阿佐美は布団にくるまる。
「どういたしまして」俺は阿佐美の邪魔にならないようにベッドを降りた。

「……ふぅ」

 再び寝息を立て始める阿佐美を横目に、俺は一仕事終えたかのように息をつく。
 少し手間がかかったものの、不思議と悪い気はしなかった。
 俺は阿佐美から視線を逸らせば、ソファに腰を下ろす。
 阿佐美は寝てしまったし、なにもやることがない。テレビのリモコンを手に取れば、テレビの電源をつける。阿佐美を起こさないように、慌てて音を小さくした。適当にチャンネルを回し、俺は目についたクイズ番組を眺める。風呂に入ろうかと思ったけど、昼間にもうシャワー浴びてるし。思いながら、俺はボーッとテレビ画面を眺める。
 退屈に殺される。俺はそんな言葉を思い出しながら、ただテレビを眺めていた。
 ベッドの方から聞こえる阿佐美のイビキが煩くて、肝心の内容は頭に入ってこない。
 結構経ったんじゃないかと思い、何回か間隔をあけて携帯のディスプレイから時間を確かめてみるがほんの数分しか経っていないという事実。
 暇なときに遊んだりできる友達がいれば、また違うんだろうな。脳裏に志摩の顔が浮かび、さらに気分が沈んでくる。
 一階に降りて、適当に時間を潰そうか。そう考えたが、できるだけ一階に降りたくなかった。
 理由は簡単だ。阿賀松たちに会いたくないから。
 なにかしたいのにそれをするための勇気・元気・根気を持ち合わせていない俺は、ただテレビ画面を眺める作業に専念することにする。
 結局その日、俺は睡魔がやってくるまでテレビを観てだらだらと自由時間を過ごすことになった。

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