04
教室に向かう途中、廊下を歩いていると背後から足音が近付いてくるのに気が付く。
チャイムはなっていない。まだ授業中なはずだ。次の授業の準備をしている教師か、それとも俺と同じようなやつか。どちらにせよ、良い状況じゃない。
嫌な予感がして、俺は振り向かずにそのまま足早に教室に向かおうとする。
「齋籐」
背後から聞き慣れた声がした。どうやら、俺の嫌な予感が的中したらしい。
あまりにもいつも通りの志摩につられて、咄嗟に俺は声がする方に振り向く。案の定、そこには志摩がいた。
「……」
目が合って、志摩は「奇遇だね」と笑う。まるで何事もなかったかのような白々しい志摩。
どんな反応をすればいいのかわからず、迷った挙げ句、俺は踵を返して再び廊下を歩き出した。
「あれ?無視?結構傷付くんだけどなあ」
おどけた仕草でそう笑う志摩は、歩く俺の隣に並ぶ。
ついてこられるのが嫌で、歩く速度を遅くしてみるが志摩はピタリと俺の隣に並んだ。
志摩を離そうとするせいか、自然と足が加速し早歩きになる。
「……っ」
それでも志摩は離れなかった。
息が上がり無駄に体力を消耗した俺は、志摩を離すことを諦める。
「そんなに急いでどうしたの?なんか用でもあるの?」
俺の横顔を眺めながら、そう笑う志摩。まるで人の反応を楽しむような志摩の反応に、俺は眉を潜める。
普段と変わらない志摩の軽口なのに、不快感を覚えるのはさっきのことがあるからかもしれない。
顔を見られるのが嫌で、俺は志摩から顔を逸らし志摩と距離を置く。
「さいとー、さいとーくーん」
よっぽど構って欲しいのか、志摩は俺の名前を何度も口にした。
人がいないと言えど、ここは学校の廊下だ。正直静かにしてほしかった。
「齋籐ってば」込み上げてくる様々な感情を堪え必死に平然を装っていると、不意に志摩の手が伸びてくる。ビクリと立ち止まり、俺は慌てて志摩の手を振り払った。
「な……なに……」
いきなりの志摩の行動にビックリする俺に、同じくビックリしたような顔をする志摩。
もろ顔を合わせてしまい、気まずくなった俺は慌てて顔を逸らした。声が上擦って、少し恥ずかしい。
「俺のこと、意識してくれてるんだ」
そう笑いながら、志摩は俺から手を退けた。志摩の言葉の意味がわからなくて、俺は何も答えずに再び足を進める。
意識するもなにも、俺は志摩を意識しなかったことは一度もない。転校して初めて話し掛けてくれたクラスメートだ。
たぶん俺が思っている意識と、志摩の言う意識は違うのだろうけれど。
「でも、相手にしてくれないと俺挫けちゃいそう」
志摩は目を細め、口の両端を持ち上げて笑う。
どの口がものをいっているんだ。まるで、本当になにもなかったような志摩の態度に俺は怒りすら覚える。
相手にするのも馬鹿馬鹿しくなって、俺は志摩から顔を逸らしながら早足で歩いた。
ふと、天井に取り付けられたスピーカーからチャイムの音が鳴り響く。いままで静かだったせいか、かなり驚いた。
「どうやら、授業が終わったみたいだね」
いつの間にかに隣に立っていた志摩は、言いながら俺に目を向ける。目的通り時間を潰せたのはよかったが、志摩と遭遇したのは予想外だった。俺は志摩から目を逸らし、視界の隅に入る教室の扉に向かって足を進ませる。
教室の扉が開き、数人の生徒が談笑しながら出てきた。遅れて、見覚えのある担当の教師が教室から出てくる。
休み時間になった廊下は、さっきまでとは見違うぐらい賑わい始めた。
「授業に遅れた二人が一緒に帰ってくるってなんか怪しくない?」
「……」
教室の扉の前に立ち、扉に手をかけたと同時に志摩がそんなことを言い出した。
志摩の余計な一言に思わず俺は躊躇してしまうが、よく考えればそれは異性間の話だ。俺は渋い顔をしながら、扉を開き教室に入る。
教室に入った俺は、まず教室内を見渡し阿佐美の姿を探した。
阿佐美は目立つからすぐ見付かるはずなのに、教室内にそれらしき人物はいない。謝ろうと思ったのだが、阿佐美がいないならそれは無理な話だ。
俺は空いた阿佐美の席に近付く。
「あ、あの、阿佐美ってどこに行ったの?」
俺は、阿佐美の後ろの席にいたクラスメートに話しかけた。
普段自分から話しかける機会がないせいかかなり緊張する。
「俺?」いきなり話しかけられ驚くクラスメート。
「さっき、気分悪いって言って保健室に行ったみたいだけど……」
どうやら、すれ違ったようだ。俺が保健室に居たときに阿佐美は来なかったから、もしかすると俺が出ていったあとに阿佐美が保健室に入ったのかもしれない。
クラスメートに、俺は「ありがとう」と言いながら教室の壁に掛けてある時計に目を向けた。
次の授業が始まるまでまだ時間はあるが、追い出されたばかりの保健室に再び顔を出すのは気まずい。
阿佐美が保健室から戻ってくるのを待とう。考えた結果、俺はそう結論を出した。
「阿佐美が気になるの?」
俺の後ろについてくる志摩は、不機嫌そうな顔をして呟く。
「……関係ないだろ」うんざりしたように答えると、俺は自分の席に向かって歩き出した。
あまりにも露骨な態度は感じが悪いとわかっているが、志摩に曖昧な態度を取っていると流されてしまいそうで怖い。
「関係ないことはないでしょ。俺たち、友達なんだから」
笑いながら、志摩は俺の後をついてくる。言い返す気にもならなかった。
いつもの俺なら、志摩の言葉を素直に受け取って喜んでいるのだろうけれど、タイミングが最悪だ。
友達って、なんだよ。不思議とからかっているようにしか聞こえなかった。顔を強張らせ、俺は自分の椅子に腰を下ろす。
「もしかして、怒ってるの?」
むっつりとしている俺が気になったのか、隣の席に腰を下ろす志摩は言いながら俺に話しかけてきた。
怒ってるというより、呆れている。そんなこと口に出せるわけもなく俺は志摩を一瞥すれば、気を紛らすように次の授業の準備を始めた。
全く相手にしようとしない俺に、志摩は諦めたように溜め息をつく。それ以上志摩はなにも言ってこない。寧ろ、今まで普通に話しかけてくる志摩が不思議で堪らなかった。俺が志摩の立場なら、気まずすぎて最悪登校拒否になるかもしれない。いや、それ以前にあんなことにならないだろう。
考えれば考えるほど頭の中がぐちゃぐちゃになってきて、俺は暇を潰すために机の中の整理整頓を始めた。
暫くすると、次の授業の担当の教師がやってくる。
予鈴が鳴っても、阿佐美は教室に戻ってこなかった。
◆ ◆ ◆
授業終了のチャイムが鳴り、その日の全ての授業が終わる。
長いようで短いような、妙な一日だった。いい日ではないのは、間違いないのだろうけれど。帰りのHRが始まるにはまだ時間はあった。教材を机の中に片付けた俺は、席を立ちそのまま教室を出ていこうとする。
「俺も行こうか?」
背後から声をかけられ、俺はギョッとして振り返った。ニコニコと笑う志摩が俺の背後にいた。
「……一人で大丈夫だから」無視すると本当について来そうだったから、俺はそう呟く。
「あの、志摩君」ちょうどそのとき、志摩のそばにやってきたクラスメートがバツの悪そうな顔をして志摩に声をかける。
「三年生が志摩君のこと呼んでるよ」
言いにくそうな顔をするクラスメートは、そう言って廊下に目を向けた。つられて廊下に目を向けると、そこには縁が立っている。
縁の姿を見つけた志摩は、舌打ちをするとそのまま俺から離れた。
「……」
助かったのだろうか。廊下で二年生を口説いている縁の元へ向かう志摩の背中を眺めながら、俺はほっと胸を撫で下ろす。
いや、こんなところでぐだぐだと時間を食っている暇はない。
俺は志摩たちがいる廊下から離れた扉からコッソリ教室を飛び出すと、行き交う生徒に紛れて保健室へと向かった。
◆ ◆ ◆
「あら、詩織君ならさっき出ていったわよ」
校医はそう困ったように笑いながら、俺の問い掛けに答える。
場所は保健室。
阿佐美を迎えに保健室にまでやってきたのだが、またしてもすれ違ってしまったようだ。ここまでタイミングが合わないと、いっそ清々しい。
走って保健室にやってきた俺は、肩で息をしながら酷い脱力感に襲われた。
「あなた、詩織君の友達?」
「え?」
「なんだか元気なかったから、詩織君。話でも聞いてあげてね」
「あら、余計なお世話だったかしら」困ったような俺に、校医は口許を隠し申し訳なさそうな顔をする。
「い、いや、大丈夫です」慌てて俺は首を横に振り、口ごもった。
阿佐美がいないことを確かめた俺は、校医に頭を下げるとそのまま保健室を後にする。
友達と言うには妙な関係だよな。廊下に出た俺は、校医の言葉を思い出しモヤモヤと考える。
俺が思う友達の定義すらあやふやになってしまった今、阿佐美を友達と判断するのが難しくなった。
でも、阿佐美が元気ないって、やっぱり俺のせいなのだろうか。
一人悶々と考え込みながら、俺は教室に向かって歩き出す。だとしたら、早く謝らないと。そう考えると、自然と足が早まる。
教室に戻ると、すでに大体の生徒が席についていた。壁の掛け時計に目を向けると同時に、担任が教室に入ってくる。俺を含む席を立っていた生徒は、慌てて自分の席に座った。
阿佐美の席だけが空いている。見慣れた光景だというのに、なんだか気まずかった。
「阿佐美、いなかったの?」
隣の席の志摩は、やけに嬉しそうな顔で聞いてくる。
無視するほどのことでもなかったので、俺は答えるように小さく頷いた。
先ほど縁に呼び出されていたので、もしかしてHRに出ないのだろうかと思っていたのだがどうやら普通に帰されたようだ。
どんな用で呼び出されたのか多少気になったが、生憎俺にはそんな野暮じゃない。きっと大したことじゃないのだろうと自己完結させる。
「へえ、そりゃ嬉しいなあ」
笑いながらいう志摩に、俺は眉を潜める。表情で大体分かっていたが、口に出されるとなんとなく不快だった。
「……先生の話聞けよ」俺は志摩を横目に、そう呟く。
志摩は、教壇に立つ担任を一瞥すれば「聞いてるよ」と笑った。
なんだか、どこまでが本気でどこまでが冗談かわからない志摩の言葉に泳がされているようで面白くない。
俺は口を一の字に結べば、教壇の担任に目を向けた。
日直が号令をかけ、HRは終了する。各々帰宅の準備を始めるクラスメートを横目に、俺もまた荷物を纏め出した。
結局、阿佐美は最後まで戻ってこなかった。となれば、きっと既に寮に戻っているのだろう。
時間が開けば開くほど謝りにくくなってしまう。俺はずっしりとしたカバンを肩にかけると、そそくさと教室を後にした。
まだ皆準備をしているのだろう。放課後だというのに人通りの少ない廊下を歩きながら、俺は寮へ向かった。
場所は変わって学生寮。
一階のショッピングモールは相変わらず賑わっている。
時間が時間なだけ、これから夕食を取る生徒で賑わってくるはずだ。
そんなことを考えながら、俺は閉まりかけるエレベーターに慌てて乗り込む。
エレベーター機内には、一人の見知らぬ生徒(恐らく一年生)がいるだけで、俺は三階のボタンを押すとそのまま壁にもたれ掛かった。
校内を歩き回ったせいか、全身の疲労感がハンパない。
エレベーターは小さく揺れ、扉が開く。見知らぬ一年生は、開いた扉を潜り二階廊下へ出た。俺は一年生がエレベーターを降りたのを確かめれば、エレベーターの扉を閉める。再び、エレベーターは三階に向かって動き出した。
機内が小さく揺れ、エレベーターが止まる。どうやら目的地である三階についたようだ。
俺は開く扉から廊下に出る。数人の生徒が、エレベーターの側で楽しそうに話しているのを横目に、俺は自室に向かって歩き出した。
歩きながらなんて謝ろうとか、脳内で何度もシミュレーションしてみる。
どうせ本人を前にしたらなんの役にも立たないとわかっているが、それでも考えてしまうのが俺の性格だから仕方ない。
333号室の扉が視界に入り、自然と緊張してくる。肩から下がる鞄がやけに重たく、俺はずり落ちそうになるのを戻しながら扉の前で立ち止まった。
「……」
ドアノブを掴もうとして、俺は躊躇う。ドアノブから手を引いた俺は、そのまま扉を数回ノックした。
自室の扉をノックするなんておかしな話だが、無言で入るのはなんとなく気が引ける。
扉の向こう側から返事は返ってこなかったが、バタバタという騒がしい足音が聞こえてきた。
やはり、阿佐美は部屋に戻ってきているようだ。
俺はゴクリと固唾を飲み、ドアノブを掴む。ゆっくりとドアノブを捻ると、扉は簡単に開いた。鍵は開けっぱなしらしい。
「……ただいまー」
俺は小声で言いながら、開いた扉から部屋に入る。
そこに阿佐美の姿はなかった。
「……」
玄関で靴を脱いだ俺は、扉を閉めると部屋に上がる。
いや、いないはずがない。もしかしてまた布団に隠れているのだろうか。鞄を下ろしながら、俺は自分のベッドの布団を捲った。いない。阿佐美のベッドの方に近づき、同様に捲るがこちらも阿佐美の姿はなかった。
どこに隠れているんだ。顔を合わせづらいのは俺も同じだが、ここまで露骨に避けられると精神的にくるものがある。
「詩織ー」
阿佐美の名前を呼びながら、俺は部屋中を歩き回った。
いない。
もしかして、と思い俺は部屋に取り付けられた便所の扉を開いた。
僅かに開いた扉は、内側から物凄い力で引っ張られバタンと音を立てて閉まる。
間違えない。阿佐美が便所に引きこもってる。鍵を閉め忘れてたのだろう。内側からガチャガチャと音を立て、とうとう扉が開かなくなった。
「詩織、詩織、便所?」
言いながら、俺は扉を叩く。扉の向こうから返事はない。
これで本当に便所が目的で入ったのなら申し訳ないが、無視をされるということは確実に俺を避けている。
自分の思い過ごしならいいのだろうけれど……。
「詩織ー……」
いいながら、俺は再び扉を叩いた。阿佐美がここにいるのはわかっているのだが、やはり返事がない。
これ以上、阿佐美を追い詰めるような真似をしても無意味だと悟った俺は、大人しく扉の前から退いた。
自分と話したくないという相手と無理に話そうとしても、まともな結果にならない。
自分はそれを嫌なほどそれを理解しているつもりだった。
「……」
便所から離れた俺は、自分のベッドに近付けばそのまま寝転がる。
ふて寝というわけではないのだが、なんだか今は動く気にならなかった。
こんなに近くにいるのに話せないというのは結構辛い。
制服に皺が付いてしまうとかそんなことを考える反面、どうでもいいと投げやりになってしまう。
カチャ、と小さな音がして便所の扉が僅かに開いた。
「……ゆ、佑樹君」
開いた扉から、阿佐美が顔を出す。
俺は視線を扉に向ければ、そのまま起き上がった。
「詩織……」阿佐美は制服のままだった。
恐らく、まだ部屋に戻ってきてそんなに経っていなかったのだろう。どこか恐縮する阿佐美に、俺は気まずくなって視線を逸らした。
「……あの、その」
謝ろう。そう思うのに、それ以上言葉が出なかった。
顔は出したものの、便所から出てこようとしない阿佐美を一瞥し、重い口を開く。
「……出ないの?」俺は便所の扉に目を向けながら、恐る恐る阿佐美に問い掛けた。
「で、出る……」
そう頷く阿佐美は、言った通りに便所から出る。
「……そう」どう返せばいいのか迷った末、俺の口から出たのは素っ気ないものだった。
俺の反応に戸惑った阿佐美は、その場を右往左往する。
「そこら辺、座ればいいだろ」あまりにもぎこちない阿佐美に、俺はベッドの側にあったソファに視線を向けた。
「……いいの?」
俺の言葉を聞いた阿佐美は、急にそんなことを聞いてくる。
いいって、なにが。阿佐美の言葉の意味がわからなくて、俺は阿佐美に目を向けた。
どうやら阿佐美は自分がソファに座ってもいいかどうかを俺に聞いているらしい。
「ダメなわけないだろ」その質問の意味をイマイチ理解できなかった俺は、困ったような顔をして答えた。
元々、ソファも阿佐美のものだ。それを使用するのに俺の許可を貰おうとする阿佐美の心情がよくわからない。
「……佑樹君、もう怒ってないの?」
阿佐美は、相変わらずどこを見ているかわからない様子でそう問い掛けてくる。
もしかして、俺が怒っていると思っているのだろうか。そこでようやく、阿佐美が妙に謙遜してくるわけがわかった。
恐らく、休み時間時の俺の阿佐美への態度がそう思わせてしまったのだろう。
「別に、怒ってないよ」
それが申し訳なく感じて、俺はなるべく優しくそう答えた。
阿佐美は顔を少し上げると、そのまま俺の隣に腰を下ろす。ギッと、ベッドのスプリングが軋んだ。
まさか隣に座ってくると思わなかった俺は、慌てて阿佐美から少し離れる。
「ソファじゃなかったのか」
「……だめ?」
思ったことを声に出してみると、阿佐美は慌てて腰を浮かす。
「……いや、いいよ」元々阿佐美を退けるために言ったわけじゃないし、お互い顔を見なくても済むこの体勢はある意味好都合だった。少し、近いのがあれだけど。
「あー、えっと、その……」
これほどいいタイミングはないだろう。俺は頬を指で掻きながら、次の言葉を探した。
「?」阿佐美はなにか言い出そうとする俺を不思議そうに横目に見る。
「さっきは、ごめん」
謝りたいことがたくさんありすぎて、結局俺は『さっき』という言葉で纏めた。
「え?え?」阿佐美は、いきなり謝り出した俺に戸惑う。
「なんで、佑樹君が謝るの……?」
呆れたように口を開ける阿佐美に、俺まで困惑した。
まさかそんなことを聞かれるなんて思ってもいなくて、言葉に纏めるのが得意じゃない俺は、阿佐美の問いに思わず口ごもる。
「なんでって……さっき、カッとなって、それでその、さすがに、悪かったかなって思ったから……だけど」
口に出すのが少し気恥ずかしくて、俺は阿佐美から顔を反らし小さく俯く。
しどろもどろと言葉を紡ぐ俺。阿佐美は俯く俺をまじまじと眺めてくる。
「……なんだよ」阿佐美の視線に堪えられなくなった俺は、気まずそうに阿佐美に目を向けた。
「お、俺のこと……嫌いじゃない?」
「……えっ」
ずいっと迫ってくる阿佐美に、俺は困惑する。前にも一度、こんなことがあったような覚えがあった。
俺はベッドに手をつき、ずりずりと阿佐美から離れる。
「……嫌いなわけないだろ」
志摩の二の舞にならないように、俺は慎重に言葉を選んで阿佐美に答えた。
顔面に熱が集まり、阿佐美と顔を合わせるのが辛くなり俺は阿佐美から顔を逸らす。
自分の気持ちを言葉にするのが苦手な俺は、この一言を口にするだけで緊張した。
穴があったらいますぐ飛び込みたい。まさに、そんな気分だった。
「……」
自分から聞いておきながら、黙り込む阿佐美。せめて鼻で笑うなりなんかリアクションくらいしてくれ。馬鹿馬鹿しくなった俺は、恐る恐る阿佐美に目を向けた。
と、同時にいきなり抱きつかれる。
「ちょ……っ」
ビックリして、思わず俺は倒れそうになるのを必死に堪えた。
脇腹に回された腕にぎゅっと抱き締められ、俺は思わず呻き声を漏らす。
「重いっ、重いからっ」いいながら、俺は阿佐美の腕を掴み離そうとした。
「佑樹君に嫌われたと思った」
耳元で阿佐美の声がする。俺の肩に顎を乗せた阿佐美は、そう囁くと俺の背中を抱き寄せた。
「し、詩織……」つい俺は引き剥がそうと掴んだ阿佐美の腕から、手を離す。
同性に抱き締められるのは気持ちがいいものではなかったが、阿佐美なりのスキンシップだと思うと無理に離すことができなかった。
「……ごめん」
手のやり場に困った俺は、阿佐美の背中に回そうとして慌てて止める。
さすがに、これ以上はあれだ。ボーダーラインからギリギリはみ出してしまう。
肩に顔を埋めたまま大人しくなった阿佐美。
「詩織、さすがに、そろそろ離れ……」この体勢に精神的な限界を感じてきた俺は、恐る恐る阿佐美に声をかける。
「……ずずっ」
耳元で鼻を啜るような音が聞こえ、俺は思わず顔を強張らせた。
「なんで泣くんだよ……」慌てて、阿佐美の肩を掴み離せば、俺は呆れたような顔をする。
「だって、佑樹君が……!」
唇をへの字に曲げる阿佐美に、俺は慌てて側にあったティッシュ箱を手に取った。
その言い方だとまるで俺が泣かせたみたいじゃないか。いや、間違ってはないのだけれど。
「ほら、ティッシュ」俺は箱から数枚のティッシュを抜き取ればそのまま阿佐美の顔に押し付けた。
「ゔぅ゙……」
阿佐美は唸りながら、制服の袖で目元を拭う。なんのためにティッシュを渡したと思ってるんだ。ティッシュを手にしたまま袖を汚す阿佐美に、俺は思わず苦笑を漏らす。
「ほら、ティッシュならまだあるから」
俺は小さく笑いながら、阿佐美の膝の上にティッシュの箱を乗せた。
阿佐美って、結構泣き虫だよな。そこまで考えて、自分が人のことを泣き虫と言えるような立場ではないことを思い出す。
数日前に友人にうざがられて泣き出した俺も、俺だな。妙な自己嫌悪に浸りながら、俺は緩めた頬を引き締める。
余計なことまで思い出してしまい、自然と表情が曇った。
「……佑樹君?」
「あ、ごめん。なんだっけ」阿佐美に名前を呼ばれ、俺は慌てて顔をあげる。
考え事に夢中になって、上の空になっていた俺は言いながらベッドから立ち上がった。
「……」
阿佐美は立ち上がる俺の方に顔を向ける。不審がるような阿佐美の視線から逃げるように、俺はテーブルの上に置いてあったテレビのリモコンを手に取った。
テレビの電源を入れると、そのチャンネルでは地域のローカル番組が放送されている。静かだった部屋に、女性リポーターの声が響いた。
「詩織、お腹減らない?」
テレビのリモコンを再びテーブルの上に戻した俺は、言いながらベッドの阿佐美に笑いかける。
沈黙で気まずくなる前に強引に話題を変えようとするが、それが裏目に出てしまったのか阿佐美はきょとんとした顔で俺を見上げた。
さすがに、強引すぎたかもしれない。内心冷や汗をかく俺だったが、阿佐美は大きく頷いた。
「空いた!」
阿佐美の単純な性格には、結構救われる。
表情を明るくする阿佐美に、俺は笑いながら小さく頷いた。
「じゃあ、着替えて食堂に行こう」
「この時間なら、結構空いてるかもしれない」そう言い足し、俺はクローゼットまで行くとその中から適当な服を手に取る。
「うん!」嬉しそうに頷く阿佐美は、ベッドから立ち上がるとそのまま洗面所に向かった。
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