01
……。やけに体が重たい。
カーテンの隙間から差し込む朝日に目を薄く開きながら、俺はそんなことを思った寝返りを打とうとしるが、うまく身動きがとれない。
「…………」
腰に回された骨っぽい腕。いつの間にかにベッドの中に入ってきていた阿佐美は、俺の背中に抱き着いたまま眠っていた。どうりで重いはずだ。というよりなんでいちいち俺のベッドに入ってくるんだ。
面と面向かって朝を迎えるよりかは幾分ましだが、気分がいいわけじゃない。
「詩織、詩織。重いって」
俺は阿佐美の腕を無理矢理離しながら、背後の阿佐美に声をかける。
「んん……あと五分」むにゃむにゃと、阿佐美はそんなことを呟くと俺の腰に再び腕を回しながら背中に頬を擦り寄せてきた。もしかして俺を抱き枕かなにかと勘違いしているのだろうか。
「詩織、離してって……詩織!」
腰を押し付けられるようにぎゅっと抱き締められ、さすがの俺も青ざめる。
俺は手探りで阿佐美の髪を鷲掴めば、ぐいぐいと軽く引っ張った。
「ゆ、佑樹君痛いよっ……」
「え、あ、ご……ごめん」
泣きそうな声で言う阿佐美に、俺はつい反射で謝ってしまう。
阿佐美は唸りながら、ゆっくりと上半身を起こす。
「なんで毎朝俺のベッドに入ってくるんだよ」
大きなアクビをする阿佐美に、俺は起き上がりながら問い掛ける。
阿佐美はなんで今さらと言いたそうに俺の方を向くと、「佑樹君あったかい」と答えにないっていない返事をしてきた。
「ベッド二つあるんだから向こうで寝ろよ」
「佑樹君も一緒に?」
「な、なんで俺が」ベッドから降り、洗面所に向かう阿佐美の背中を目で追いながら困ったように俺は顔をしかめる。洗面所の中へ入っていった阿佐美は、そのまま扉を閉めた。なんだかうまくかわされたみたいで、俺はむっとする。
……まあいいか。いや、いいのか?なんてくだらない自問自答をしながら、俺はベッドを降りる。
取り敢えず、学校の準備をしよう。目元を擦りながら、俺は阿佐美のいる洗面所へと向かった。
「眠……」
そうアクビを噛み締めながら、俺は洗面所の扉を開く。
「……っ!」洗面台の前に立っていた阿佐美は、いきなり入ってきた俺に驚いたように近くにあったバスタオルを頭から被った。
「ご……ごめん」まさかこんな反応をされるなんて思ってもおらず、咄嗟に謝罪が口から溢れる。
「あ、いや、俺、もう出るから……っ」
しどろもどろ言う阿佐美はどこかよそよそしい。阿佐美はバスタオルを被ったまま、俺の横を通って洗面所を後にした。やっぱり、顔を見られたくないらしい。ここまで露骨な反応を示されると、ほんのちょっと興味が沸いてくる。それを堪えながら、俺は洗面台の前まで行った。
制服に着替え、身支度を整えた俺はリモコン片手にテレビをつけた。
画面には女性アナウンサーの姿が映し出される。ニュースの内容に興味はなかった。俺は画面左上に表示される時間に目を向ける。いつもなら、そろそろ志摩が来る時間だ。
そんなことを思いながら、俺は部屋の玄関に目を向ける。相変わらず人気はない。
「佑樹君?」
背後から声をかけられた。阿佐美だ。昨日同様制服姿の阿佐美は、妙にそわそわしている俺に感付いたのだろう。
「どうしたの?」俺は扉から目を離し、阿佐美の方を向いた。
「……なんでもない」
白々しい俺に、阿佐美はそう呟くと床の上のカバンを肩から提げる。
遠回しに部屋を出ようと言われているように感じ、俺は着けたばかりのテレビを消した。
こういうとき、余計なことを聞いてこない阿佐美は結構嫌いじゃない。
俺はソファの上に置いていたカバンを手に取ればそれ肩から提げ、「そろそろ出ようか」と阿佐美に告げる。
「うん」阿佐美は俺の言葉に大きく頷いた。
志摩が来るまで待っておこうかとも考えたが、また昨日みたいに門前払いをしてしまっては意味がない。
どうせ、学校に行けば嫌でも顔を合わせることになるだろう。……まあ、本人が来ないと話にならないんだけど。そんなことを考えながら、俺は阿佐美と共に部屋を出た。
食堂で軽い朝食を取ってから、他愛ない会話を交えながら阿佐美と並んで校舎に向かった。
登校中の生徒の中に紛れ、俺たちは教室に入る。時計を気にして行動したせいか、昨日みたいに遅刻する羽目にはならずに済んだ。
「……」教室内に視線を巡らせる。志摩の姿は見当たらない。
「志摩のこと、探してるの?」
隣に立つ阿佐美に問い掛けられ、俺は思わず反応してしまう。そんなにわかりやすいのだろうか、俺。
どこか不満そうな顔をする阿佐美に、俺は「いないみたいだけどね」と苦笑を浮かべた。
「……そのうち来るんじゃないの」面白くなさそうにそう呟くと、阿佐美は俺から顔を逸らす。
志摩も阿佐美のことをよく思ってはいないようだけど、どうやら阿佐美も志摩のことを好いていないようだ。中立の立場である俺からしてみれば、非常に肩身が狭い。
「だといいけど」
あまり阿佐美に志摩の話題を持ち掛けない方がいいと考えた俺は、言いながら自分の席に向かう。その後ろから阿佐美がついてきた。おかげで教室にいるクラスメートからの視線が痛い。
志摩が教室に入ってきたのは、何限目かの授業が終わったときのことだった。
阿佐美と朝食の卵焼きが甘いか辛いかの話をしていると、教室の扉が開きなにくわぬ顔をして志摩が教室に入ってくる。数人のクラスメートが志摩に目を向け、慌てて目を逸らした。
別に志摩が教室に入ってくること自体はおかしくない。教室内を妙に凍りつかせた原因は志摩自身にあった。
「……し、志摩……」
俺は志摩の顔を見て、思わず目を見開く。
志摩の口元は切れ、その周りは青黒い鬱血し、右目にはよく見かけるような白い眼帯がつけられていた。
いつの日かの自分よりかはまだ見苦しいものでもなかったが、それでも痛々しいものだった。
「おはよ、齋籐」
俺と目が合うと、志摩はそういつも通りの笑みをつくってみせる。
志摩はちらりと俺の側にいた阿佐美に目を向ければ、そのまま隣の空いた席へと腰を下ろした。
「……おはよう」
俺は志摩から視線を離しながら、そう呟く。
『この前はごめん』とか、『昨日はありがとう』とか色々言いたかったことはあったはずなのに、志摩の顔を見ると言葉が喉につっかかってなにも言えなかった。
もしかしたら、志摩の方からなにか言ってくるかもしれない。
志摩に声をかけることを躊躇う俺は、とうとうそんな都合のいい事を考えはじめる。考えたところで、なにがどうなることはない。志摩は挨拶したそれっきり、俺に声をかけてこなかった。
「佑樹くーん……」
「……詩織」
その場に屈んで俺の机に頭を乗せる阿佐美は、さっきから黙り込む俺につまらなそうな顔をする。どうやら構って欲しいようだ。俺は阿佐美の頭をわしわしと撫でながら、物思いに耽る。
隣にいるというのに、言いたいことが言えないというのが歯がゆかった。
「齋籐」
そんなことを考えていると、ふと志摩に名前を呼ばれる。
心の準備ができていなかった俺は、思わず体を強張らせた。阿佐美を撫でるのをやめ手を引っ込める。
「話があるんだけど、いまからいいかな」
「無理」
志摩の言葉に答えたのは、阿佐美だった。阿佐美は立ち上がると、志摩の方に顔を向ける。
「ちょ……っ」
なんで阿佐美が答えるんだ。想定内だったのか、志摩は怒るわけでもなく静かに阿佐美の方に目を向ける。
「志摩っ」こういうときどうすればいいのかわからなくて、俺はとっさに志摩の名前を呼んだ。
「……どこに、行けばいいの?」
ようやく口から出た言葉はそれだった。「佑樹君」阿佐美は咎めるような視線を俺に向ける。阿佐美が俺のことを気遣ってくれるのはよくわかった。
「俺なら大丈夫だから」
なにが大丈夫なんだ。自分で言って、その言葉の意味がわからなかった。案の定、阿佐美は不満そうな顔をする。志摩は阿佐美から視線を逸らすと、椅子から立ち上がった。
「こっち来て」
志摩はそういうとそのまま教室の扉を開き、廊下に出る。つられて俺は立ち上がると、志摩の後を追うようにして扉に近付いた。背後から腕を強く掴まれ、俺は思わず足を止める。
「ダメだって」
「……」
頑なになって俺を行かせようとしない阿佐美に、俺は酷く困惑する。
確かに、最初俺が志摩を避ける素振りを見せたのが悪かったのかもしれない。阿佐美の気遣いも嬉しかったが、こういうのは少し困る。
「……ほんと話すだけだから、その……手、離して」
阿佐美を傷付けないように言葉を選んでみたが、実際に口に出してみるとキツくなってしまった。
「……ゆうきく……」
気弱そうな阿佐美の声が聞こえる。ショックを受けている相手の顔が安易に想像できた。俺は阿佐美の表情を確かめるのが怖くて顔を逸らしたまま、不意に緩む阿佐美の腕を振り払う。
一瞬周りの空気が凍りついたような気がした。
「……っ」
つい謝りそうになって、俺は口を紡いだ。ここで謝ってしまえば、志摩と話す機会を逃がしてしまうような気がした。
ごめん。ごめん。後からちゃんと謝るから。心の底で何度も阿佐美に謝りながら、俺はそのまま教室を後にする。他にも、もう少しましなかわし方があっただろう。教室の扉を閉めながら、俺は後悔と自己嫌悪に苛まれる。
「来ないかと思ってたよ」
廊下の壁際に立っていた志摩は、薄く笑った。
「……話って……」話題を切り出そうとして、志摩に止められる。
「ここじゃ、話辛いんじゃない?」
昨日、俺が人前で話したくないと言ったことを気にしているのだろうか。言いながら、志摩は廊下に目を向けた。つられて俺は廊下に目を向ける。休み時間なだけに、教室を移動している生徒が多数いた。
「ついてきて」
志摩はそう言うと、スタスタと廊下を歩いていく。志摩と二人きりというのは多少気まずさを感じたが、人に聞かれるよりかはましだと割りきる俺。俺は、先を歩く志摩の後を黙ってついていく。
志摩についてこいと言われ、結構な距離を歩いたような気がする。遠くからチャイムの音が聞こえて、段々俺は不安になってきた。
「し、志摩」
「なに?」
慣れた足取りで廊下を歩く志摩は、歩きながらこちらを振り返る。
「どこまで行くんだよ」訝しげな眼差しを向けると、志摩は「もうすぐだから」と笑うだけだった。
確かに二人きりの方がいいとは言ったが、そんなに離れたところまで行くなら人通りが少ない場所でよかった。そう考えてしまう自分の身勝手さにもホトホト呆れるが、志摩も志摩だ。
「ほら、ついた」
志摩の言った通り、そこには思ったよりも早くたどり着くことができる。
「……ここって」
一枚の扉の前で足を止めた志摩は、扉に手をかけ開いた。
どうやらそこは空き教室のようだ。机の上に積まれた椅子で室内の半分を埋め尽くされたそこには見覚えがある。一昨日の夜、肝試しと称して校舎に忍び込んだときに入ってきた空き教室だ。
「ここさあ、鍵が壊れてるんだよね。知ってた?」
言いながら、志摩は空き教室の中に入っていく。志摩の問い掛けに、俺は小さく首を横に振った。
「だろうね」志摩は笑いながら、扉の外に立つ俺に向き直る。
「入らないの?二人きりの方がいいんじゃなかったっけ」
志摩の言葉に少し躊躇ったものの、自分から二人きりがいいと言い出しておいて今さら『やっぱり帰る』というのは流石にあれだ。慌てて俺は空き教室の中に入る。
←back