天国か地獄


 04

 寮・三階。
 自室目指して廊下を歩いていると、ふと前方に志摩らしき生徒の後ろ姿を見つけた。

「……」

 どうやら向こうは俺に気が付いていないようだ。後ろ姿だけなので、本人かどうかさえ定かではなかったが俺はそれを志摩だと思い込む。声をかけようか迷ったが、俺はなにもせずその場を離れた。
 自分でも感じが悪いと思ったが、声をかけたにしてもなにを話せばいいのかわからなかった。
 俺は違う道を通って、自室へと戻ることにする。

 芳川会長から貰った鍵を取りだし、俺は333号室の扉に鍵を差し込んだ。
 やはり鍵は俺のものらしい。ガチャリと音を立て、扉の鍵が開く。
 どうやら阿佐美はまだ部屋に戻ってきていないようだ。人気のない部屋の中に足を踏み入れ、そのまま俺は洗濯機の側に寄れば制服を脱ぐ。脱いだ制服を、そのまま洗濯機の中に詰め込んだ。
 自分しかいないとしても、いつまでも下着姿で彷徨くのはあれだと思った俺は自分のクローゼットの前までいく。

「……」

 クローゼットを開き、俺は顔をしかめた。
 なに着ていこう。生徒会室をでてずっとそのことばかりを気にしていたのだが、いまだに決まらない。
 別に異性と会うわけではないのだからそんなに意識する必要はないのだが、やはり相手が相手なだけに気にしてしまう。こういうとき、改めて自分の気の小ささを気付かされ嫌になる。

「……なんでもいいや」

 数十分、クローゼットの前で悩んだ末に出した俺の答えはそれだった。
 考えれば考えるほど自分がバカらしくなってしまう。俺は可もなく不可もない無難な服を手に取り、それに着替えた。いや、やっぱり流石にこれは面白味が無さすぎるだろうか。でも服にユーモアを求めてもどうしようもない。

「……」

 まあいいか。なんなら一階のショッピングモールに買いに行くことも考えたが、やめた。
 無難な服で落ち着いた俺は、クローゼットの扉を閉めソファに腰を下ろす。
 テーブルの側に落ちていた携帯電話を手に取った。
 七時までまだ三十分ほどある。着信はない。別に、期待していたわけではないけどなんだか落ち込んでしまう。こういうとき、友達がいると少しは違うのだろうか。携帯電話が休む暇なく鳴り響くのを想像して、更に気分が落ち込む。
 友達。
 ふと脳裏に志摩の横顔が過る。
 ……やっぱり、さっき声をかけていた方がよかったのだろうか。声をかけて、謝ればよかったのだろうか。
 でも、喧嘩したわけじゃないから謝るのも可笑しい話だ。

「……」

 別に、いま考えなくてもいいじゃないか。せっかく芳川会長と出掛けるというのに、わざわざ気分を落ち込ませる必要もない。わかっているのに、やっぱり気になってしまう。
 俺は携帯電話をテーブルの上に携帯電話を置き、ソファに背中を埋めた。

 ◆ ◆ ◆

 七時。
 とうとう、芳川会長と約束した時間がやってきた。未だに阿佐美は戻ってこない。
 俺はというとすることがなにもなくあれこれ考え事をしたせいで、すっかり気分が凹んでいた。
 そろそろだろうか。思いながら部屋の扉に目を向けると、丁度扉が数回叩かれる。

「あ、はいっ」

 今さら緊張してきて、俺は声を上擦らせながら扉の元に駆け付けた。俺は靴に履き替え、部屋の扉を開く。
 案の定、そこには芳川会長がいた。

「少し……早すぎたか?」

 芳川会長は俺から目を逸らしながら、少し恥ずかしそうに聞いてくる。
「全然大丈夫です」緊張しすぎて妙な日本語を口走る俺。芳川会長は、安心したように「そうか」と短く頷いた。
 やっぱり、私服ってだけでなんか雰囲気変わるな。制服の時よりも数倍落ち着いた雰囲気を纏う私服の芳川会長を凝視しながら、俺はそんなことを考える。

「その、齋籐君……」
「なんですか?」
「……そんなに見られると、恥ずかしいんだが」

 芳川会長はそう恥ずかしそうに呟けば、俺はハッと顔をあげる。
 そんなに見ていたのだろうか。

「す、すみません」

 俺は慌てて芳川会長から目を逸らしながら、部屋から出た。無意識だったとはいえ、結構恥ずかしい。

「もう行けそうか?」
「あ、はい。行けます」

 気を取り直す芳川会長に問いかけられ、部屋に鍵をかけながら俺は小さく頷く。
 先輩と出掛けるなんて、初めてだ。同年代ともまともに交遊したことがないだけに、なんだか数倍緊張してくる。
「じゃあ行こうか」そう言うと、芳川会長はエレベーターに向かって歩き出した。
 その時だった。ほんの一瞬、背後から視線が突き刺さる。

「……?」

 なんだろうか。違和感を感じた俺は、視線のする方を振り返る。……誰もいない。どうやら、自分は少しだけ過敏になりすぎているようだ。

「……齋籐君?」

 いつまで経ってもやってこない俺を心配したのか、芳川会長はこちらを振り返り声をかけてくる。
「すみません、なんでもないです」自分の気のせいだとわかった俺は、そう言って慌てて芳川会長の元へ小走りで向かった。

「一応、齋籐君の分の外出許可も貰っている」

 芳川会長の隣にやってきた俺。
 芳川会長は、俺を一瞥するとそう言った。

「あ……ありがとうございます。ほんと、助かります」
「お礼はいい。誘ったのは俺の方だからな」

 畏まる俺に、芳川会長は目を細めて小さく笑う。
 会長の気遣いが嬉しくて、つられて俺は頬を綻ばせた。

 エレベーターに乗り込み、そのまま一階へと降りていく。時間が時間なだけに、一階は結構な数の生徒で賑わっていた。
 ううっ、視線が痛い。
 廊下を通るだけで背中に視線が突き刺さる。悪意というより、どちらかというと好奇のそれだった。

「どうした?」

 視線が気になって気になってそわそわしている俺に、芳川会長は不思議そうな顔で問い掛けてくる。
「な、なんもないです」俺は慌てて頭を振った。
 きっと、芳川会長は人の目なんて気にしないんだろうなあ。そりゃあ、全校生徒の前に立つぐらいだからそんなこと気にしたら気が病みそうだし、当たり前か。
 ふと、そんなことを思いながら俺はちらりと芳川会長の横顔を盗み見た。目が合う。

「俺の顔になにかついてるのか?」
「え、いや、その……すみません」

 そう芳川会長に聞かれ、俺はなんて言えばいいのかわからずに謝った。
「なにを謝ってるんだ」恐縮する俺に、芳川会長は可笑しそうに笑う。

「そこまで畏まらなくていい。そんなんじゃ楽しくないだろ?」

 芳川会長はそう言って、出入り口の扉を押し開いた。その言葉で、いくらか俺の緊張が和らぐ。
「が、頑張ります」俺は芳川会長に応えるように、大きく頷いた。

 寮を後にした俺たちは、そのまま校門を潜り抜け、街に出た。
 街道に添えられるように並んだ街灯のお陰で、視界は十分自由が効く。街灯がなくても、近くの店や建物の電光があるのであまり困りそうにないのだけれど。

「齋籐君は、寮から出たのは初めてなのか?」

 あまりにも物珍しそうに辺りを見回す俺に、隣を歩く芳川会長はそんなことを聞いてきた。
「初めてです」俺は芳川会長の方に顔を向け、何度か頷く。

「なら、ついでに道も覚えとくか。土地艦はあった方が便利だしな」
「……えっと」

 提案する芳川会長に、俺は言葉に詰まった。なんだか社会科見学にでも来たかかのような気分になり、俺は表情を曇らせる。
「冗談だ」あまりにも露骨すぎる俺の反応に、芳川会長は苦笑を漏らした。

「どうやら齋籐君は、顔に出るタイプらしいな」
「……よく言われます」

 芳川会長に言われ、つられて俺は苦笑を浮かべる。
「分かりやすくて助かるよ」芳川会長は言いながら、小さく笑った。
 どういう意味かはわからなかったが、それを誉め言葉と受け取った俺は「ありがとうございます」とお礼を言う。

 ◆ ◆ ◆

 駅前通りにあるケーキ屋前。
 芳川会長は「ここだ」と短く俺に告げれば、そのまま自動ドアを潜り店内に足を運んだ。
 俺は慌てて芳川会長を追いかけるように、自動ドアを潜る。店内は思いの外広く、甘い香りが充満していた。場所が場所だからか、客も多い。もちろん、客の殆どは女性客だ。

「……っ」

 自然と、顔が強張る。
 ケーキ屋なんだから女性が多くて当たり前だと理解しているが、かなり緊張してきた。

「齋籐君?」

 段々挙動が怪しくなる俺に、芳川会長は心配そうな顔をして近付いてくる。
「……ちょっと、緊張しちゃって」俺は自虐的に笑いながら素直にそう言うと、芳川会長は意外そうな顔をした。

「齋籐君でもそういうことがあるのか?」
「そりゃあ……ありますよ」
「てっきり、女慣れしているのかと思ったよ」

 芳川会長は肩を小さく揺らしながらそんなことを言い出した。
 俺、そんな風に思われてたのか。どんな反応をすればいいのかわからず、俺は苦笑を浮かべる。異性どころか、同性にも慣れないのだけれど。

「とにかく、ここじゃなんだ。席につこう」

 そう芳川会長は笑うと、そのまま奥へと歩いていく。
 確かに、店の扉塞いだらかなり迷惑だ。俺は慌てて扉から離れ、芳川会長の後をついていく。

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