天国か地獄


 03

 授業が終わり、女教師に呼び出された俺は重い足取りで職員室に向った。といったものの、女教師の話は短い注意だけですぐに終わる。
 わざわざ呼び出されたわりにはあまりにもあっさりしすぎていて、なんだか物足りなく感じてしまった。
「失礼しました」浮かない気分のまま、俺は職員室を後にする。

「……齋籐君?」

 ふと、背後から声をかけられ、俺は反射的に振り返った。そこには芳川会長が立っていた。
 まさかこんなところで会うとは思ってなくて、少し驚く。

「職員室になにか用か?」

 意外そうな顔で聞いてくる芳川会長に呼び出されましたなんて言える勇気はなく、俺は「まあ、ちょっと」と言葉を濁した。
「あまり、問題を起こすなよ」俺の様子から何かを察したのか、芳川会長は茶化すように笑う。会長がいうと不思議と嫌味に聞こえなくて、俺は「気を付けます」と苦笑を浮かべた。

「そういえば、齋籐君。昨日校舎に忍び込んだらしいな」
「……」

 普通に考えてみれば、芳川会長も生徒会なのだからその辺の情報は筒抜けになっていて当たり前か。
 そんなことも忘れていた俺は、芳川会長の言葉に少しだけ動揺する。
 もしかして、怒られたりするのだろうか。

「す……すみませんでした」

 バレているのだから隠してても仕方ない。そう悟った俺は、怒られる前に素直に謝ることにする。

「いや、そういうつもりで言ったんじゃない。君、鍵を持ってるか?」
「鍵……ですか?」

 芳川会長の言葉に、俺は少しだけ考え込む。心当たりはありすぎるくらいあった。でも、なんで芳川会長がそんなことを聞いてくるのがわからなくて、俺は戸惑う。

「昨日の見回りで拾ったんだ。一応先生方にHRで声をかけてもらったんだが、まだ持ち主が見つからなくてな」
「多分、それ……俺のだと思います」

 多分、というより間違いなく俺のだろう。なんだか情けなくて、俺は語尾を弱めた。
 芳川会長はそんな俺を見て「だと思ったよ」と小さく笑う。その言葉が妙に引っ掛かった。

「あ、でも、なんで俺ってわかったんですか?」

 気になったので、直球で聞いてみる。すると芳川会長は少しだけバツの悪そうな顔をして、俺から視線を逸らした。
 もしかして、聞かなかった方がよかったのだろうか。些細な表情の変化に過敏になってしまい、俺は段々不安になった。

「まあ、なんというか……勘だよ。勘」

 珍しく歯切れの悪い会長に、「そうなんですか」と俺は呟く。
 あまり、突っ込んだことは聞かない方がいいのかもしれない。
 会話が途切れ、お互いが黙り込みなんとなく気まずい空気が流れた。

「そうだ、鍵を渡さないとな」

 短い沈黙を破ったのは、芳川会長の一言だった。
 会長は思い出したように言うと、そのまま職員室の中に入っていく。
 まるで避けられたような気がしたが、きっと気のせいだろう。この場合は、大人しく待っておいた方がいいのだろうか。
 芳川会長についていこうか迷い、結局俺は職員室前の廊下で芳川会長を待つことにする。
 芳川会長が職員室から戻ってくるまで、然程時間はかからなかった。

「悪い。生徒会室に置き忘れてきた」

 戻ってくるなり、芳川会長は申し訳なさそうにそう言った。意外とうっかり屋なのだろうか。
「今じゃなくても別に大丈夫ですから」項垂れる芳川会長に、慌てて俺はそう首を横に振る。

「でも、ないと困るだろう。なんなら俺が、後から教室まで……」
「いや、大丈夫です本当。自分で、生徒会室に取りに行きますから」

 ただでさえ色々迷惑をかけている状態なのに、さらに芳川会長になにからなにまで任せるのは分が悪い。
 慌てて頭を振ると、芳川会長は「いいのか?」と聞いてきた。悪いわけがない。俺は小さく頷いた。

「じゃあ放課後、生徒会室まで取りに来てくれ」

 芳川会長が言い終わると同時に、天井に取り付けられたスピーカーから予鈴が響いた。
「もうこんな時間か」職員室の壁にかけてある時計に目を向けながら、芳川会長はそんなことを呟く。

「それじゃあ。齋籐君も次の授業に遅れないように」

 芳川会長と別れ、そのまま俺は教室へと戻った。
 もちろん授業に遅れるわけもなく、本鈴が鳴る数分前には無事に席につくことができる。

「……」

 本鈴に間に合ったのはよかったが、なんとなく違和感があった。
 多分、隣の志摩の席が空いているからだろうか。よく見れば、阿佐美の席も空いている。そんなことを考えていると、教室の扉が開いた。阿佐美だ。恐らく便所かどこかへ行っていたのだろう。
「佑樹君」阿佐美は俺の姿を見つけると、パタパタと俺の机に寄ってきた。二人の姿が見えなくてなんとなく嫌な予感がしたが、どうやら俺の考えすぎだったようだ。

「志摩は?いないのか?」

 だとしたら、志摩はなんでいないのだろうか。
 思いきって目の前の阿佐美に聞いてみると、阿佐美は少しだけ面白くなさそうな顔をする。

「……志摩なら、さっき廊下ですれ違ったよ」

「どこに行ってるかは知らないけど」阿佐美は唇を尖らせながらもちゃんと答えてくれた。
 もしかして、さっきの授業言い過ぎて俺に怒ったのだろうか。そんな不安が沸沸と沸いてきて、俺はバツが悪くなって顔を逸らす。

「……そっか」

 やっぱり、ちゃんと謝った方が良いのだろうか。でも、今回のことに対しては俺はどうすればいいのかわからない。
 話がしたい。たしか志摩がそんなことを言っていた。謝るにしろ、話をするにしろ、なにしろ今からは無理だろう。そう思ったとき、教室のスピーカーから本鈴が鳴り響いた。

「詩織、席つかないと」
「うん……わかった」

 阿佐美は俺の言葉に頷くと、そのまま自分の席へと戻っていった。間もなく、教室の扉が開き教師が入ってくる。
 結局、授業が始まっても志摩は戻ってこなかった。

 時間は進み、放課後。
 HRも終わり、ぞろぞろと教室を後にする生徒たちに混じって俺は阿佐美の元へ向かった。

「詩織」

 名前を呼ぶと、阿佐美は俺の方に顔だけ向ける。
「俺、用事があるから先に戻っててよ」芳川会長との約束を思い出しながら、俺は阿佐美に言った。
「……うん」阿佐美は俺の言葉に力なく頷く。
 てっきり『俺もついていく』とか言い出すんじゃないのだろうかと構えていただけに、あまりにも素直な阿佐美の反応に拍子抜けした。少しだけ寂しかったが、自分から言い出しといて今さら『やっぱりついてこい』なんて言えるわけもない。

「多分、すぐ終わると思うから」
「わかった」

 そういうと、阿佐美はそのまま教室を後にした。もしかして、阿佐美もなにか用事でもあるのだろうか。
 一人教室に残された俺は、阿佐美の後ろ姿を眺めながら妙な疎外感に囚われる。

 ◆ ◆ ◆

 生徒会室前。
 ここにくるのは二度目になる。本音、あまりここには来たくなかった。
 栫井がいませんようにと強く念じながら、俺は生徒会室の扉を数回ノックする。

「か、会長。俺です。齋籐です」

 なにか言った方がいいのかと思い、取り敢えず扉に向かって名乗ってみた。無反応。もしかして、こういうときって勝手に入っていいのだろうか。
 少しは躊躇したが、ヤケクソになった俺はえいっとドアノブを掴んだ。それとほぼ同時に、内側からドアノブが捻られ扉が勢い開かれる。

「うっ」

 額に扉の角がぶつかり、俺はと小さく唸った。鼻がつんとして、若干泣きそうになる。
 なんなんだいきなり。俺は額を押さえながら扉から離れた。

「またお前か。帰れ」

 栫井は、俺の姿を見るなりそう冷たく言い放ち──扉を閉める。
 色々言いたいことはあったが、咄嗟に俺はドアノブを掴んだ。が、俺よりも栫井が扉の鍵をかけるのが早かった。何度もドアノブを捻ってみるが手応えはなく、さすがに頭に来る。
 なんなんだ一体。信じられないものを見るように、閉じられた扉を見ながら俺は呆然とした。
 すると、数秒もしないうちに扉の鍵が外れ再び扉が開く。

「悪いな、気にしないで入ってくれ」

 出てきたは芳川会長だった。
 生徒会室内には栫井と芳川会長しかいなくて、前に来たよりも格段静かだった。いや、ただ十勝や五味が賑やかだっただけなのだろうか。なんとなく、居心地がよかった。もちろん、栫井がいなければの話だけれど。

「ああ、適当に腰をかけてくれて構わないからな」

 俺を生徒会室に招き入れた芳川会長は、言いながら客用のソファに目を向ける。

「いや、鍵を取りに来ただけなんで、大丈夫です」

 慌てて俺はそういって頭を横に振った。
「ああ、そうだったな」芳川会長は、少し残念そうな顔をして笑うとテーブルの上に置いてあった鍵を手に取りそれを俺に渡す。

「もう落とさないように気を付けるんだぞ」
「はい」

 俺は鍵を制服になおすと、「ありがとうございました」と改めて芳川会長にお礼を言った。
「どういたしまして」芳川会長は照れ臭そうにそう笑う。

「そうだ。齋籐君、これから予定はあるのか」
「予定ですか?」

 思い出したように言う芳川会長に、俺は考え込んだ。やりたいことは幾らかあるが、とくにこれと言った予定はない。

「一応、ないですけど……」

 俺は芳川会長を伺うようにそう呟く。
 俺の言葉を聞いた芳川会長は、「ならよかった」と嬉しそうに目を細めた。

「この間、ケーキバイキングの割引券を貰ったんだ。その……一緒に行かないか?」

 芳川会長は少し恥ずかしそうな顔をして、俺に目を向けた。
 確か、前にもケーキバイキングに誘われたことがあったような気がする。そんなにケーキが好きなのだろうか。思いながら、俺はかなり迷った。
 芳川会長の親衛隊は全員自宅謹慎中だし、阿賀松だっていつも俺を気にしているわけでもない。なら、大丈夫だろう。なにか根拠があるわけではないが、なんとなくそう思った。

「その……俺で、いいんですか?」

 誘われることは嬉しかったが、なぜ自分が誘われたのかがわからなくて、俺は確かめるように芳川会長に問い掛けた。
 そんなこと聞かれるなんて思わなかったのか、芳川会長は少しだけ驚いたような顔をして、安心したように頬を緩める。

「君だから誘っているんだ。駄目か?」
「い、いや……嬉しいです」

 じっと見据えられ、なんとなく気恥ずかしくなった俺は目を逸らして小さく笑った。
 自分だから。他人からそういう風に言われたのは初めてで、少しだけ胸が熱くなる。

「なら良かった。じゃあ、七時ぐらいに部屋に迎えにいくから」
「わかりました」

 どうやら芳川会長はまだ仕事が残っているらしい。今日は晩御飯抜いとこうとかそんなことを思いながら、俺は芳川会長の言葉に頷いた
 芳川会長とケーキバイキングの約束を交わした俺は、そわそわしながら生徒会室を後にする。途中で口を挟んでくるかと思っていた栫井もやけに大人しく、なんだか怖かった。
 それにしても、ケーキバイキングかあ。やっぱり私服なんだろうか。会長だし、ぴしっとしてそうだな。俺もぴしっとしていた方がいいのだろうか。自分の持っている私服を思い出し、少しだけ憂鬱になる。
 会長と一緒にいくんだから、少しでもちゃんとしておいた方がいいな。いや、でも逆に気合い入れすぎると引かれてしまうかもしれない。
 悶々としながら、俺は廊下を歩いていく。
 ただがケーキバイキングでこんなに頭を悩ませるなんて思わなかった。なんだか可笑しくて、俺は苦笑を浮かべる。
 幾つかの階段を降り、昇降口目指して廊下を歩いていたときだった。

『いちいち絡んでくんじゃねえ!気色悪いんだよ!!』

 近くの空き教室から聞き覚えのあるその声は聞こえた。
 阿賀松だ。しかもなんか怒ってる。直感で関わらない方がいいと思った俺は、慌てて足を引き返そうとした。それよりも早く、空き教室の扉が乱暴に開かれる。

「……」

 扉の向こうから現れた阿賀松と目が合った。全身から嫌な汗が滲む。

「……ユウキ君」

 俺がいるとは思わなかったのか、阿賀松は少しだけ驚いたような顔をして俺を見た。

「ど、どうも……」

 逃げ出そうにも逃げられなくなって、俺はひきつったような笑みを浮かべながら目を逸らす。なんて間の悪さだろうか。

「ちょっと伊織、待てって」

 阿賀松の後を追うようにして、開いた扉からもう一人の生徒が顔を出した。
 見覚えのある青い髪に、松葉杖。確か、今朝食堂近くの便所でぶつかった生徒だ。
 特徴的な髪の色をしたその生徒は、俺の姿を見つけると「あっ」となにか思い出したような顔をする。

「また会ったね」

 松葉杖の生徒は、人懐っこそうな笑みを浮かべると阿賀松の脇を抜け俺の側にやってきた。
「またってなんだよ」阿賀松は眉間に皺をよせ、苛ついたように俺の方に目を向ける。
 俺はなんと言えばいいのかわからなくなって、冷や汗をダラダラ流しながら阿賀松から顔を逸らした。

「もー、さっきも言ったじゃん。今朝、すっごい好みの子に会ったって」

 え?好み?
 さらりととんでもないことを言ってくるその生徒は、言いながら俺の肩を腕を回してきた。体が鉛のように固くなり、俺は顔面蒼白のまま硬直する。

「方人、そいつから離れろ」
「なにまじになってんの?ウケんだけど」

 方人と呼ばれた生徒は、不機嫌な阿賀松を前におかしそうに喉を鳴らして笑った。
 阿賀松の周りの空気が一層悪くなるのがわかる。
 どうしてそんなに阿賀松を煽るようなことを言うんだ。俺は今にも死にそうになりながら、然り気無く肩に乗せられた方人の手を退ける。

「あ、そういや自己紹介してなかったっけ。俺は縁方人。仲良くしようよ、齋籐君」
「え、あ、あの……っ」

 縁方人はそう言うと、強引に俺の肩を掴み顔を近付けてくる。
 俺は慌てて縁の胸を押し、離そうとした。人気がなくてもここは学校だ。誰かにこんな場所を見られたりでもしたら分が悪い。
 そんなことを考えた矢先、縁が俺から離れる。正確には、無理矢理離された。

「悪いけどこいつ、俺のことが大好きで大好きでたまんねーってくらい俺のことを愛してるから諦めろ」

 縁の腕を掴み上げた阿賀松は、俺を一瞥するとぶっきらぼうにそう言う。
 微塵も思ったことはないのだが、阿賀松なりに助けてくれたのかと思うとなんだかビックリしてどんな顔をすればいいのかわからなくなった。

「あ、そうなの?だったら俺、セフレでもいいよ」

 縁は、そうヘラヘラと笑いながら阿賀松の腕を振り払う。
 なんてことを言い出すんだこいつは。涼しい顔でそう笑いかけてくる縁に、俺は絶句した。
「お前、俺に用があったんじゃないのかよ」阿賀松は忌々しそうに舌打ちをする。

「ああ、そのこと?やっぱりいいや。齋籐君がいるから」

 笑いながら縁は阿賀松の方を見た。
 なんのことを言っているかわからなかったが、縁の口から自分の名前がでた時点で嫌な予感しかしない。

「……俺、用事があるんで……失礼します……っ」

 これ以上この二人といたらろくなことが起こりそうにない。
 俺はそうしどろもどろ言いながら、阿賀松たちに背中を向けそのまま小走りでその場を離れる。

「……はあ」

 そのまま昇降口までやってきた俺は、緊張していた体の力を抜いた。
 なんで阿賀松たちがあそこにいたのかとか、色々気になることはあったが今さら聞きに戻る気にもならない。
 俺は下駄箱で靴に履き替え、そのまま昇降口を出た。
 七時に芳川会長が来る。それまで部屋で待っていた方がいいな。
 七時まで結構時間があったが、準備をしていると丁度いいだろう。俺は浮かない気分のまま、一先ず寮に戻ることにした。

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