02※
あれから結構な時間が経過した。
とは言っても、手元に時計がない俺は具体的にどれくらい経過したのかわからない。
取り敢えず、窓の外に目をやると青かった空に赤みがかかるくらい時間が経過した。
「なんか暑くね?クーラーねえの。クーラー」
櫻田は、腰くらいの高さまで積まれたマットの上に寝転がりながらそんなことを言い出した。
ハードルをベンチ代わりにしていた俺は、「窓、開けようか」と立ち上がる。
「届く?」
「……無理」
窓際の壁に近付き手を伸ばしてみるが、いかんせんこの体育倉庫は天井が高く窓まで手が届かない。
俺はもう少し粘ってみるが、無理なものは無理だった。梯子のようなものがあれば、いいのだろうが。
「梯子とかある?」
「んー、ちょっと待ってろ」
櫻田に声をかけてみると、櫻田はマットから降りゴソゴソと辺りを探り始める。
「あ」なにかを見つけたらしい。櫻田は一瞬動きを止めれば、ずるずると何かを引きずり出した。
「扇風機!」
「……」
櫻田の手には市販で売っているようなタイプの扇風機が握られていた。
なんともいえない気分になった俺は、「よかったね」と苦笑を浮かべる。
「まじ気持ちー」
「……」
扇風機の発見により、櫻田の気分はよくなっていた。
八つ当たりされることもないのでそれはそれでいいのだけれど、スカートの中に扇風機の風を当てるのはやめて欲しい。おかげで俺まで風がこないし、なんというかもうなんというか。
「さ、櫻田君……」
「あ?」
「……やっぱりいいです」
自分にも風を当てて欲しいと言おうとするが、櫻田に睨まれ俺は恐縮する。
年下にまで遠慮してしまう自分が情けなくて、俺は自分の膝小僧を抱き締めた。
「そういえば、クマの……江古田君は一緒じゃないの?」
沈黙が恐ろしく、俺はとっさに話題を変えてみる。
俺のイメージでは櫻田の側にいつも江古田がいたから、珍しく一人の櫻田には疑問を抱いた。
櫻田は俺の方にちらりと目を向ければ、「あー」となにか思い出したように呟く。
「そういや、あいつと約束してたんだった」
「約束?」
「買い物」
「すっかり忘れてた」と渋い顔をする櫻田。
予定をすっぽかされたうえに相手が軟禁されているなんて、江古田が不憫で堪らなかった。
「だとしたら、江古田君が櫻田君のこと探してくれるんじゃないかな」
「だといーけどな」
ふとそんなことを思った俺は、パアッと顔を明るくする。あくまで希望を捨てない俺に対し、櫻田は興味無さそうに答えた。
最初はすぐに誰かが見つけてくれるだろうと、そんな淡い期待を寄せていた。が、どうやら現実はそんなに上手くいかないようだ。
俺は、高い位置に取り付けられ窓に目を向ける。茜色だった空は深い闇に染まり、外は静まり返っていた。
「ずっとこのままだったらどうしよう」
嫌でもそんな思考が働く。
弱音を吐く俺。櫻田は、私物化したマットの上から俺を見下ろした。「バーカ」それだけを呟けば、櫻田はゴロリと寝転がる。
「助けてーって叫んでみ。誰か来るかもしんねーよ」
挑発的な笑みを浮かべる櫻田の言葉に、俺は戸惑った。
確かにその方法が一番効果的かも知れないが、少し恥ずかしい。
いや、いまはそんなことを言っている場合じゃない。俺は顔を強張らせながら、渋々窓際に近寄った。
窓を見上げ、本当に声が聞こえるのだろうかと心配になりながら俺は小さく息を吸う。
「た、た、助けてー」
自分が想像していたよりも弱々しく情けない声が出た。
マットの上の櫻田が、小さく噴き出す。かなり恥ずかしい。
俺は顔をうつ向きながら、情けなく緩む頬を必死に引き締める。
「……だっせー」
「……」
自分でもよく理解しているつもりだが、他人に言われるとかなり気付く。
ぐさりと心臓に痛みを感じながら、俺はトボトボとハードルの元に戻った。
「もうお前、寝とけば?」
俺がアクビを噛み締めていると、それを見ていた櫻田がそんなことを言い出した。
あれから更に時間が経つが、なにも進展はない。
目を細める櫻田に、俺は少しだけ考え込んだ。
「でも……」
「ほら、一枚だけマット貸してやるよ」
渋る俺に構わず、マットから降りた櫻田は上から一枚のマットを土の上に落とした。
その拍子に埃が舞い、俺は小さく咳き込む。
気を遣ってくれているのだろうか。俺はちらりと櫻田の方を見る。
「好きにしろよ。なんたって俺は優しいからな」
「あ、ありがとう」
櫻田の言葉は敢えて聞かなかったことにする。
俺は櫻田にお礼を言うと、土の上に放り出されたマットを手にとった。
正直、一枚だけだとなんとも寝心地が悪そうだが、相手に主導権を握られているだけに文句は言えない。
さっそく俺は、布団を敷くような感覚で土の上にマットを敷いてみる。試しに寝転がってみるが、寝心地の悪さは否めない。
「あの、電気消していいかな」
俺は上半身を起こせば、高い天井からぶら下がる照明を指差した。
あまりにも瞼の裏が眩しすぎて、就寝どころではなくなった俺は櫻田に断りを入れる。
「勝手にしろ」
櫻田はそう素っ気なく答えた。どうやら櫻田も疲れが溜まっているようだ、心なしかダルそうに見える。
俺は「わかった」と頷き立ち上がると、扉の側にあったスイッチを押した。
倉庫内が一気に暗くなり、静けさが増す。俺はそのままマットの上に腰を下ろすと、寝転がって目を閉じた。
人間って、意外とどんなところでも寝れるもんなんだな。
硬い布団に違和感を感じていたが、それも最初だけ。マットの上で目を閉じれば、いつも間にかに意識は手放していた。
どれくらい眠っていたのだろうか。
ぼんやりとした意識の中、右手に違和感を感じた俺は重い瞼を薄く開いた。
辺りは薄暗く、眠る前と変わらない光景が広がっている。
「……ん……?」
右手が、何かを掴んでいた。
覚醒しきっていない俺は、左手で目元を擦りながら手元に目を向ける。
……なんだこれ。右手にある硬い肉のような棒の感触に、俺はみるみるうちに青ざめていく。
「な……っ」
慌てて飛び起きた。全身から嫌な汗が吹き出す。
俺は慌てて手を離そうとするが、手首を掴まれていたようで逆に強く引かれた。
「あー、起きた?おはよう」
「おっおはようじゃなくて、手っ手!なに、これ……っ」
「俺のちんこ」
そんなことわかっている。どうして俺が握っているんだ。
そう言いたいのに、あまりの出来事に俺は絶句する。
「離せって」俺は声をあげ手を振り払おうとするが、櫻田がそれを許してくれない。
「いいだろ、これくらい。突っ込むわけじゃねーんだから」
「そういう問題じゃ……っ」
耳元で荒い息遣いの櫻田が囁く。手の中のものが一層大きさを増したのを感じ、どうすればいいのか困惑する俺。
こんな状況で興奮するなんて、信じられない。右手の感触に、俺は顔を逸らした。
いつの間にかに扇風機が止まっていたせいか、じわじわと顔が熱くなる。
「擦れよ」
そんなこと言い出す櫻田に、俺は「む、無理だって」と首を横に振る。
俺は慌てて櫻田のから指を離した。
「んだよノリ悪いな」
櫻田は不満そうに呟く。「じゃあ一人でやらせてもらうから」櫻田の言葉にほっと胸を撫で下ろす。が、なにを思ったのか櫻田は俺の手の上に手のひらを置けば俺の手ごと自ら扱き始めた。
なんでそうなるんだ。
あまりにも櫻田の行動が信じられず、俺は口をぱくぱくと開閉する。
上下する手のひらの中のそれを意識すると、カッと耳や頬が熱くなった。
「や、やめ……っ」
俺は手を離そうとするが、櫻田の手がそれを許してくれない。
なんで俺が櫻田の自慰を手伝わなきゃいけないんだ。
心の中で毒づいてみるも、どうしても気が手元にいってしまう。
俺はギュッと目を瞑り、櫻田から顔を逸らした。
櫻田の脈が速くなる。それに合わせ、上下する手のひらも早さを増した。
「ん……っ」
耳元で、熱っぽい櫻田の呻き声が聞こえた。
手の中のそれはビクンと跳ね、一瞬で俺の手のひらが熱い液体で汚れる。
真っ暗な体育倉庫に、櫻田の荒い呼吸がやけに生々しく聞こえた。
「あースッキリした。これで寝れる」
床に散乱するティッシュのくず。さっきまで暗かったせいか煌々と光る照明が少し眩しい。
櫻田は制服を着直しながら、再びマットの上に上りはじめる。俺は、新しく取り出したティッシュで念入りに自分の手を隅々まで拭った。ティッシュを持ち歩く癖がついていてよかったと思ったのは、今日が初めてかもしれない。俺は心の底から母親に感謝する。
「お前、さっきから人のを汚いものみたいに失礼だろ。俺に」
マットの上から俺を見下ろす櫻田は舌打ちをする。だからといって綺麗でもないだろう。
言い返そうかと思ったが、もしこんな状況で喧嘩になったりでもしたら間違いなく俺に勝ち目はない。俺は黙り込んだ。
「……もう俺寝るから電気消しとけよ」
不貞腐れた櫻田は、そう呟いてゴロリとマットの上に寝転んだ。
俺は小さく頷くと、立ち上がり壁のスイッチに手を伸ばす。明るくなったばかりの室内に、再び暗闇が訪れた。
なんだか上手く流されたような気がする。
俺は小さく息をつきながら、土の上に敷かれたマットの上に寝転んだ。
手を洗いたくてたまらなかったが、体育倉庫に蛇口は見当たらない。
あのときお茶でも買っておけばよかった。後悔の念に駈られる俺は、それらから逃げるように目を閉じる。
最初のうちは目がギンギンしていたが、数分もすると俺の意識は泥の中に沈むように消えた。
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