天国か地獄


 01

 この学園に転入してきてから何週間かが経つ。
 五月の上旬のことだった。

「だいぶ治ったんじゃない?額の傷」

 隣の席の志摩は、自分の額を指差しながらそう笑いかけてくる。俺はつられて自分の額に手を伸ばした。
 傷は瘡蓋になっており、触れても数週間前のような痛みはない。少し後
「お陰さまで」

 俺は志摩の言葉に笑いながら頷く。
 怪我をして数日は人と擦れ違う度に顔を二度見されたり、話すときに顔を逸らされたりと変に注目された。しかし、ここ最近それは全くない。
 周りも慣れたのだろう。それとも、俺が慣れたのか。

「どういたしまして。……あ、次理科室だ」

 俺に可笑しそうに笑い返すと、志摩は思い出したように椅子を立つ。
 やばい、準備してなかった。志摩の言葉につられ、俺は慌てて自分の机の中をまさぐる。

「齋籐?」
「ごめん、先に行ってて」
「りょうかーい」

 人が少なくなる教室内。
 そう告げると、志摩は教室から出ていく。
 俺は教科書やノートを慌てて取り出し、それを抱えようとした。

「……ん?」

 ふと、机の隙間から見覚えのない白い封筒がひらりと床に落ちる。
 俺、こんなもの持ってたっけ。不思議に思い、俺は床の上の封筒に手を伸ばした。
『齋籐佑樹様へ』封筒には丁寧な字でそう書かれていた。

 ◆ ◆ ◆

 時間は経ち、HRが終わるとあっという間に放課後を迎える。

「あー終わった終わった」

 志摩は大きく伸びをしながら、椅子から腰を浮かす。
「今日のHRは長かったね」俺はそんな他愛ないことをいいながら、カバンの中に入った一枚の手紙を思い出した。
『放課後、体育館裏に来てください』。
 あの手紙にはそう、一言だけがかかれていた。
 差出人もない、いつのまにかに机の中に入れられていた手紙。ここが共学だったら舞い上がっていたのだろうが、ここは男子校だ。正直、いい予感がしない。

「……齋籐?なにやってんの?早く帰ろうよ」

 手紙のことを思い出し、顔を強張らせていた俺に志摩は声をかける。
「ごめん」俺は慌ててカバンをかるえば、席を立った。

「亮太、ちょっと来い」

 丁度そのとき、扉から顔を出した担任の喜多山が志摩に声をかける。
 デジャヴ。俺と志摩は顔を見合わせ、苦笑を漏らした。

「ごめん、齋籐」
「忙しいんだろ、委員会。頑張ってね」
「どうせまた雑用だよ」

 俺の言葉に志摩は肩を竦め、そのまま廊下にいる担任の元へ向かう。
 俺は志摩の背中が見えなくなるのを確かめれば、小さく溜め息をついた。

「……」

 一人、とぼとぼと廊下を歩く俺。
 帰る相手が多忙な志摩ぐらいしかいないというのがここ最近の悩みだったりする。それでも、贅沢な悩みなのだが。

「はあ……」

『体育館裏に来てください』。
 脳裏に浮かぶあの丁寧な文字に、俺は浅く溜め息をついた。
 体育館裏だなんて大抵、告白かリンチかそんな場所だ。おまけにここは男子校、こうなるともちろん後者が圧倒的だろう。
 それに、俺には心当たりがあった。

「……親衛隊」

 いつか、志摩から親衛隊の話を聞いたことがある。もちろん詳しいことは覚えていない。
 知り合いの親衛隊を思い出す限りあまりいいイメージはないのは事実だ。
 いっそのこと、俺も親衛隊に入るか。いや、さすがにそれはないな。
 一人ネガティブな思考に悶々しながら廊下を曲がろうとして、突き当たりから飛び出してきた人影とぶつかった。

「おわっ」
「すまない、大丈夫か」

 バランスを崩しかけたところで、向かい側からやってきた人物に支えられる。
 聞き覚えのある声に慌てて顔をあげると、目の前に芳川会長の顔があった。

「あ……ありがとうございま……」
「悪い。今急いでるんだ」

 言いかけて芳川会長は俺から手を離し、そのまま廊下を走り抜けていく。
 あっという間の出来事で、お礼を言い損ねた俺は呆然と芳川会長の背中を見つめた。

「会長ー!!待ってくださ……」

 すると、喧しい足音とともにこれまた聞き覚えのある声が聞こえてくる。櫻田だ。
 慌てて櫻田を避けようとするが、一歩遅かった。

「うわっ!」

 引っ込みのつかなくなった俺の足が、ミニスカートから伸びる櫻田の足を引っ掛けてしまう。
 転倒寸前の櫻田の手が、俺の腕を掴んだ。
 こいつ、巻き添えにするつもりか。そう悟ったときにはもう遅く、俺は櫻田のクッション代わりにされる。

「またてめえか!!」

 廊下でうつ伏せになった俺の腕を強く掴んだまま、上半身を起こした櫻田は怒鳴った。それはこっちの台詞だったりする。
 俺は呻き声を漏らしながら、ゆっくりと起き上がった。

「お前がすっとろいせいで会長見失ったじゃねえか!」
「ご、ごめん」

 整った女顔から発せられるドスの聞いた声に、俺はビクリと肩をすぼめる。
 相変わらず、櫻田は芳川会長の親衛隊をやっているようだ。むしろ、ストーカーといった方が適切なような気もする。もちろんそんなこと口が裂けても本人には言えないのだが。

「ってあれ、なんでお前こんな所にいんの?」

 制服についた埃を払いながら、櫻田は不思議そうな顔をした。
 それはどういう意味なのだろう。『なんでお前生きてんの?』とかそういう意味だったら結構傷付く。そんなことを思いながら立ち上がった俺は、「え?」と聞き返してみた。

「手紙、机に入ってなかった?」
「……手紙?」

 櫻田の口から『手紙』という単語が出てきて、俺は眉を潜める。
 なんでそのことを櫻田が知っているんだ。訝しげに櫻田を見つめ返すと、櫻田は「無視すんなよ」と吠える。

「手紙って、これ?」

 俺はカバンから例の手紙を取り出し、櫻田に見せてみる。
「おう、それだよそれ!」顔を明るくする櫻田に、俺は冷や汗を滲ませた。
 櫻田が絡んでるってことは、やっぱりこれ親衛隊からのものなのだろうか。というより、櫻田は頭が悪いのだろうか。

「これってどういう意味なの?」
「は?知らーよ、気になるんなら自分で調べればいいだろ」
「……」

 そこまで言っておいて、今更なにをいう。
 俺は微妙な顔を浮かべながら、手紙をカバンの中に仕舞った。
 絶対にこれは親衛隊絡みだ。間違いない。あからさまな櫻田の口振りに、俺はそう確信した。

「そっか」

 俺はそう頷きながら、そそくさと櫻田の前から立ち去ろうとした。
 正直、清々しいくらい周りから浮いている櫻田と話していると周りの目が痛い。
「おい」櫻田に背中を向けたとき、腕を掴まれた。

「体育館はそっちじゃねえだろ」
「え?」

 櫻田は訝しげに目を細めると、顔を青くする俺の腕を引っ張る。いやいやと首を振る俺。
 櫻田は容赦なく、俺を引き摺るように体育館に向かって歩き出した。

「痛い痛い、引っ張らないで」
「うっせーよ、バーカ」

 懇願する俺、櫻田はさらに俺の腕を強く掴む。
 逃げることを諦めた俺は、転ばないように慌てて櫻田に歩幅を合わせた。

 櫻田に連れられること数分。とうとう俺は体育館裏に来てしまった。
 体育館裏は、でかい体育館の影になっているせいで空気が湿っている。しかし、それだけだ。
 俺が想像していたような複数の生徒の姿はない。俺たちの間を生ぬるい風が吹き抜ける。

「あ?んだよ、話がちげーじゃねえか」

 櫻田は苛立たしげに舌打ちをする。どういう話だったのかあまりにも恐ろしくて聞けそうにない。
 正直、なにもなくて安心した。俺はほっと胸を撫で下ろす。

「それじゃあ俺はこれで……」

 眉間にシワを寄せ、渋い顔をする櫻田にそう切り出す。
 誰もいないのだったら、むしろ好都合だ。俺はそう笑いながら後ずさる。

「おい待てよ」

 そう櫻田に肩を掴まれた。ギリギリと強く肩を掴まれ、思わず俺は足を止める。
 まだなにかあるのか。俺が振り向こうとした瞬間、視界が遮られる。

「えっ、ちょっ」

 いきなりの出来事に思わず間抜けな声をあげる。くぐもったような声に、俺は自分がなにかを被せられたことに気付いた。
 プラスチックのような硬い感触に、すぐにそれがバケツだと理解する。
 慌ててバケツを取ろうとするが、何者かに両腕を掴まれた。

「てめえ、どういうつもりだ!」

 なにが起きたのかわからず混乱していると、近くで櫻田の怒鳴り声がした。それは俺に向けたものではなく、俺の他にいる生徒へ宛てたものらしい。
 すぐそばで複数の足音が聞こえる。今まで隠れていたのだろうか、随分と大人数のような気がした。

「櫻田お前、会長に馴れ馴れしすぎるんだよ!」
「僕たちだって会長と一緒にケーキ食べたかったんだから!」

 背後から、親衛隊らしき生徒の声が聞こえる。
 仲間割れ。ふと、そんな単語が脳裏を過った。
 結局会長は櫻田とケーキバイキングに行ったのだろうか というより、いまはそんなことを考えている場合じゃない。

「ふざけやがって、この女男が!触んじゃねえよ!」

 いや、それは人のことを言えるのだろうか。そう口に出しそうになるのを俺は必死に堪えた。
 どうやら櫻田も同じ状況のようだが、バケツ越しに櫻田の荒れ具合がよくわかる。
 そのまま体育館裏からどこかへ連れてこられた俺たち。
 バケツを被った俺にはそれがどこかは解らなかったが、どうせろくな場所じゃないということはよく解っていた。

「お前らなんか、一生そこにいろ!」

 親衛隊の一人がそう声を張り上げると同時に、掴まれていた腕を開放された。瞬間、背中に激痛が走る。「あいたっ」視界の自由が効かない俺は簡単にバランスを崩し、顔面から転倒した。
 本当、バケツがあってよかった。
 呻き声を漏らしながら、俺はゆっくりと上半身を起こす。項垂れると、頭からバケツが外れコロコロと土の上を転がっていった。

「ぜってー殺す!!」

 危なっかしいことを口走る櫻田の声に反応して背後に顔を向けると、三人がかりで開いた扉の隙間に押し込められている櫻田が目の前にいた。
 櫻田は額に青筋を浮かべ、鬼のような形相で扉を掴んでいる。が、四人目の親衛隊が加勢すると櫻田の指に限界が達した。力を入れすぎて白く変色していた指は扉から離れる。

「は……っ」

 バランスを崩した櫻田は、勢い余って土の上に飛び込んだ。あと何十センチずれていたら、きっと俺は下敷きになっていたかもしれない。櫻田には悪いが、櫻田が飛び込んだ場所が土の上でよかったと俺は安堵の胸を撫で下ろす。
 櫻田のスカートが大変なことになっていたが、相手が男だとよく理解している俺は興奮できるわけない。

「クソ……ッ」

 唸りながら、ムクリと立ち上がる櫻田。
 櫻田は慌てて閉まりかける扉に手を伸ばすが、一歩遅かった。櫻田の手が届くより先に、扉が閉められる。
 扉の外ではガチャガチャとなにやら騒がしかった。どうやら鍵をかけているようだ。

「開けろ!開けろっつってんだろ!!」

 櫻田はそう怒鳴りながら、鉄の扉を何度も蹴る。ガンガンと凄まじい音が部屋に響き、俺はビクリと肩を震わせた。
 扉の外から笑い声が聞こえる。どうやら櫻田の反応を楽しんでいるようだ。

「さ、櫻田君、ドア壊れるって」

 あまりにも何度も蹴るもんだから、俺は慌てて櫻田を止めようとする。
 櫻田が蹴った箇所が凹んでいるのを見て、俺は顔を青くした。

「……」

 俺の言葉のお陰かはわからないが、蹴るのをやめた櫻田は力尽きたようにその場にへたり込む。
「あり得ねー」櫻田はそう呟けば、大袈裟に溜め息をついた。
 言わんこっちゃない。むしろ、閉じ込められるだけで終わったのは喜ばしかった。
 妙な脱力感に襲われた俺は、小さく息をつき辺りに目を向けた。
 バケツを被っていたせいでどこへ連れてこられたかわからなかったが、内装をみる限りその疑問は解消される。
 マットに跳び箱にハードルにコーン。見れば見るほど見慣れた用具が出てくる。どうみても、体育倉庫だ。

「……どうする?」

 櫻田は、だるそうに扉に凭れながら俺に目を向けた。どうするもこうするも、答えは一つしかないだろう。
 俺は体操座りになりながら、「そのうち、用務員のおじさんがくるって」と答えた。俺の言葉を聞いて、櫻田は不満そうに唸り出す。

「あと何時間かかるんだよ」
「じゃ、じゃあ部活の生徒とか」
「ここ、旧体育倉庫。って、そんなことも知らねーのかよ」
「……」

「そんなこと言われても」とムッとする俺に、櫻田は呆れたような顔をする。
 旧体育倉庫というわりには、結構綺麗にされているようだけど。
 俺は室内に目を向ける。大きな窓が取り付けられているが、鉄格子が邪魔で抜け出せそうにない。

「お前、携帯は?」

 すると、思い付いたように櫻田は顔をあげた。
 普段から携帯電話を持ち歩いていない俺が、運よく持ち合わせているわけがない。俺は首を横に振り、「ない」と呟いた。

「んだよ、使えねー」

 櫻田の言葉に傷つく俺。
「櫻田君は?」頬をピクつかせながら、俺は櫻田に問い掛ける。

「電源切れた」
「……」

 お互い様じゃないか。

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