03
俺のベッドに腰をかけた志摩に、椅子に座る阿佐美。
二人は床の上で正座をする俺を面白くなさそうに見下ろす。ひたすら沈黙。
二人の詰るような視線がキツくて、俺は膝の上で拳をつくりながらそわそわと目を泳がせる。
「……そういえば志摩、どうしたの?部屋まできて……」
話題を変えようと俺はひきつった笑みを浮かべながら志摩に目を向けた。
志摩は眉間にシワを寄せ、顔をしかめる。
俺、なんかまずいこと聞いたのだろうか。
「今朝友達がいきなり姿を消したうえ、授業始まっても教室に来ないから心配になって部屋まで来たんだけど。なんか文句でもあるの?」
「ご、ごめんなさい」
あまりにも無神経な自分の言葉に、俺は縮めていた肩を更に縮めうつ向いた。
確かに、結果的に志摩にはなにも伝えず俺はいなくなったことになる。
そんな俺を見て、志摩は深い溜め息をついた。
「それで、傷は大丈夫なの?随分と派手なことになってるけど」
「多分……」
「ならいいけど。今日は風呂入っちゃダメだからね」
「は、はい」
諭すような口振りの志摩。
思わず俺は座り直し、畏まるように頷いた。
「じゃあ、俺は帰らせてもらうね」
「え、もう?」
そういいながら立ち上がる志摩に、俺はついそんなことを口走る。
これじゃあ、まるで遠回しに『まだ帰ってほしくない』と言っているようなものじゃないか。
あまりにも図々しい自分の言動に、俺は気恥ずかしくなる。志摩はそんな俺を見て、目を細め小さく笑った。
「ごめんね。俺、これから出なきゃいけないんだ」
どこへとは言わなかったが、志摩が今から寮を出なきゃいけない用事があるというのはよく理解できた。「そうなんだ」と相槌を打つ。
「それじゃ、お邪魔しました」
志摩は俺に笑いかければ、そのまま部屋の扉から廊下へ出ていった。
どうやら、本当に俺の姿を探しに来ただけったらしい。顔の傷についてもっと問い詰められるかと覚悟していたが、余計な心配だったようだ。
嵐のように去っていった志摩。部屋に残された俺と阿佐美の間には、暫く沈黙が流れる。
「詩織、今日も学校に行ったんだ」
沈黙を破ったのは俺だった。
俺は、制服を着た阿佐美に目をやりながらそう口にする。
終始、面白くなさそうな顔をしていた阿佐美は俺の言葉に反応して顔をほころばせるが、なにかを思い出したようにキッと緩んだ口許を引き締めた。
「お、俺だって、いっぱい心配したんだから……」
阿佐美は顔をそっぽ向ければ、そう呟く。
どうやら先ほどの志摩とのやり取りを気にしていたようだ。
「ごめんね。心配してくれてありがとう」
足を崩しながら、俺は阿佐美に小さく笑いかけた。
気が利いた言葉が返せない自分が歯痒くて、浮かべた笑みは苦笑に変わる。改めて、自分の語彙の少なさを痛感した。
「どういたしまして」
それでも阿佐美は嬉しかったらしい。デレデレに溶けるように、阿佐美の仏頂面は崩れ口許を緩めた。
あまりにも阿佐美が嬉しそうにするもんだから、俺はなんだか照れてしまう。
「そうだ、部屋また散らかってるから掃除しなくちゃね」
「……がんばってっ」
思い付いたようにいう俺に、阿佐美はまるで他人事のように笑いながらコソコソと椅子から腰を浮かせた。
こいつ、逃げるつもりだな。
直感で阿佐美の行動を読み取った俺は、慌てて腰を持ち上げ阿佐美の腕を掴む。
腰が痛んだが、この際関係ない。いや関係なくもないが、この部屋の掃除を俺一人ですることに比べたら些細な問題だ。
「逃げたら、恨むからなっ」
「ゆ、佑樹君」
ムキになる俺に、戸惑う阿佐美。
「……ん」ふと阿佐美はなにか思い出したかのように真一文字に口を結べば、腕にしがみつく俺の首筋に顔を近付けてくる。
「え、ちょ……なっなに」
スンスンと犬のように俺の匂いを嗅ぐ阿佐美に、俺は体を強張らせる。長い阿佐美の前髪が首筋にかかってこそばいゆい。
あまりにも唐突な阿佐美の行動にびっくりした俺は、つい阿佐美の腕を離してしまう。
「……佑樹君、香水つけてる?」
阿佐美は俺の首筋に鼻を近付けたまま、そんなことを聞いてくる。
いつもなら『そんなこと言って話を逸らそうとしてもダメだから』と言い返しているところだが、俺には心当たりがありすぎた。阿佐美の質問に、思わず俺は顔を強張らせる。
「たっ多分、それ湿布だって」
俺は阿佐美の肩を押し、慌てて離そうとした。
どれだけ鼻がいいんだ、こいつ。
阿佐美は名残惜しそうな顔をするが、怪我人の俺を気遣ってくれているのかすんなりと離れてくれた。
「そうなの?」
「……そうだよ」
「ふーん」
どこか白々しい阿佐美になんだか見透かされているような気がして、俺は冷や汗を滲ませる。
「俺のことはどうでもいいから。掃除しよう、掃除」
「……」
このままだと阿佐美と立場が逆転してしまうと悟った俺は、強引に軌道修正を行った。
案の定阿佐美は嫌な顔をして、鼻唄を歌い聞かなかったことにしようとする。
「……手伝ってくれないなら、全部捨てるから」
「わ、わかったから。やるって。ちゃんとやるからっ」
俺は床に散乱する阿佐美の私物に目をやりながら、ボソリと呟いた。
もちろん他人のものを捨てるなんてとんでもないが、阿佐美にはかなり効いたらしい。
懇願するように俺を見る阿佐美に、俺は軽く優越感に浸ってみる。
「……こんなものかな」
俺は額の汗を拭い、小さく息をつく。
側にいる阿佐美は、もう掃除に飽きたのか床に寝転がってゲームをしていた。
「……」俺は阿佐美を一瞥すれば、わざとらしく咳払いをする。
よっぽどゲームに夢中になっているのか、無反応の阿佐美。若干傷付く俺。
服は全て洗濯機に入れ、CDや本は本棚の中に無理矢理押し込めた。ゴミは問答無用でゴミ袋に詰めた。先ほどと見違えるような部屋に、俺は満足気に頷く。
「詩織、詩織っ。部屋綺麗になったよ」
「うん?ん〜……ぁー」
俺は寝転がる阿佐美の側に腰を下ろし、軽く肩を揺すった。
てっきり『わあ!ホントだ!流石佑樹君!』と喜ぶかと思っていただけに、あまりにも興味なさそうな阿佐美に俺はショックを受ける。
阿佐美からしてみれば、部屋が汚かろうが綺麗だろうがどうでもいいらしい。まあ阿佐美は最初から乗り気じゃなかったし、これくらいは許容範囲だ。仕方ない。俺は自分を慰めるようにそう思い込むことにした。
「……」
「……」
気まずい。というより、阿佐美が構ってくれないのが少し寂しかった。
俺は体操座りをし、暫く阿佐美のやっているゲームを傍観してみるがなんだか難しそうで、俺はさっと目を逸らす。
ふと、部屋の扉がノックされた。気まずい沈黙から逃げるように、俺は扉に駆け寄る。
「はい」
言いながら、俺は扉を開いた。
「……齋籐君」
「か、か会長……っ」
扉をの向こうには芳川会長と十勝が立っていた。
芳川会長は俺の顔を見た瞬間驚いたような顔をする。
まさか、芳川会長が自ら部屋までくるなんて予想だにしなかった俺は度肝を抜かれたように一歩後ずさった。
「やっべー、佑樹、男前さらに上がってんじゃん!」
人の顔を見るなりゲラゲラと笑い出す十勝。
誉めているのか貶しているのかよくわからない十勝のリアクションに、自分の顔の状態を思い出した俺は笑って誤魔化す。
「……どうしたんだ、この傷」
芳川会長は眉を潜め、俺の額に指を伸ばす。
微かに触れた額がピリッと痛み、俺は体を強張らせた。
「阿賀松か」
「いや、その……」
口ごもる俺に、芳川会長は目を細める。
確かに阿賀松のせいだといえば阿賀松のせいだが、阿賀松がなにもしていないのも事実だった。
俺はなんと言えばいいのかわからず、黙り込む。
「……っ」
なにも答えない俺からなにかを悟ったのか、芳川会長は踵を返す。
「ま、待ってください」なにかよからぬものを感じた俺は、立ち去ろうとする会長の腕を掴んだ。
足を止めた芳川会長は、俺の顔を見る。
なにか言わないと。なにも考えずに芳川会長を止めた俺は、脳みそをフル活用して次の言葉を考えた。
「阿賀松先輩は、関係ないです」
とっさに口からでた言葉に、芳川会長は目を見張る。あまりにも肝心な言葉が足りなすぎた。
訝しげな顔をする芳川会長に、冷や汗を滲ませる十勝。硬直する俺。
自分のいった言葉が取り方によっては誤解を招きそうなものだと気が付くのには、十秒もあれば充分だった。
「……こっこれはその、同級生と喧嘩になって……」
俺は苦し紛れにそう言い足す。あながち間違いではない。間違いではないはずなのに、なんだか嘘をついているみたいで息苦しく感じた。
「そう言えと言われたのか」
「ちっ違います」
「……そうか」
芳川会長はそう静かに呟く。
俺の言葉に納得したようにも思えない、俺に呆れたようなそんな感じだった。
「余計な心配だったな」芳川会長は小さく笑う。
いつも通りの芳川会長にほっと安堵の息をつくが、同時に喉に小骨が引っ掛かったような違和感を感じた。
「いきなり来て悪かった。あんまり無理はしないように」
「あ、はい……」
「それじゃあ」
芳川会長はそう告げれば、今度こそ部屋の前から立ち去った。
やけにあっさりと引き返した芳川会長に、俺は名残すら感じる。
「あのさー……」廊下に残っていた十勝は、言いにくそうに話し掛けてきた。
「俺ら、佑樹が阿賀松と一緒にいたこと知ってんだよね」
「怪我してるなんて思ってもなかったけど」十勝はそう続ける。
一瞬十勝の言葉の意味がわからなくて、俺は目を丸くした。
どうして知っているんだ。というか、知っているのにどうして……。そこまで考えて、あまりにも身勝手な思考に俺は二重の意味で青ざめた。
「それって、どういう……」
「あ、やべ……箝口令敷かれてんだった」
俺が詳しく聞こうとすると、十勝は誤魔化すように笑う。
箝口令?
聞き慣れない単語に俺が眉を潜めると、十勝は「じゃ」と爽やかに片手をあげ足早に芳川会長の後を追う。
逃げられた。俺は小さくなっていく十勝の背中を呆然と眺め、困ったように息をつく。
「……あ」
ふと、廊下の天井に目をやると小型カメラを見つけた。
俺はカメラのレンズを見つめたまま、顔をひきつらせた。
もしかして、これって全部撮っているのだろうか。だとしたら、最悪だ。芳川会長に、阿賀松を庇っていると誤解されたかもしれない。それ以前に、恩知らずで嘘つきなやつだと思われたかもしれない。
嘘だとわかっていながらなにも言わなかった芳川会長の気遣いに、俺は改めて自分の浅はかさを思い知らされる。
「……」
一人廊下に残された俺は、部屋の中へ戻った。
部屋には相変わらずゲームに夢中になっている阿佐美がいて、そのまま俺は洗面所へ入る。
なんとなく、一人になりたかった。思ったよりも受けたショックが大きすぎて、脱力感が全身を襲う。
俺は扉に凭れたまま、ズルズルと床の上に座り込んだ。
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