05
「ごちそうさまでした」
「お粗末様」
「……」
カップ麺を平らげた俺は、両手を軽く重ねそう呟いた。志摩はニコニコと笑いながらそんなことを口走る。
突っ込む気にもなれなかったので、俺は苦笑いで流した。
なんだか、全然味がしなかった。
俺は膨れた腹部を擦りながら、小さく息をつく。
きっと、食べている間ずっと志摩に見つめられていたせいだろう。
背中が嫌な汗で湿っていた。
なのに、当の志摩はというと俺よりも先に食べ終わっている。
「なんか飲む?買い置きしてるやつならあるけど」
志摩は椅子から立ち上がり、小さな冷蔵庫からペットボトルを取り出す。
「いつのかわかんないけど」そう笑う志摩に、俺は何度も顔を横に振った。
「冗談だよ、今日買ったやつだから。飲みなよ」
「じゃあ、貰うね」
楽しそうに笑う志摩は、座る俺の前にペットボトルを置く。志摩に気圧された俺は、渋々とペットボトルに手を伸ばした。
せっかくの志摩の好意を踏みにじり、さっきみたいに怒らせたくない。
冷えたペットボトルの中には緑茶が入っていて、俺はキャップを開き咥えた。喉に通るひんやりとした液体が心地いい。
「……ありがと」
俺はペットボトルから口を離し、口許を拭いながらキャップを閉める。脂っこいものを食べたあとなだけあってのど越しがいい。
ペットボトルをテーブルの上に置き、俺は志摩にお礼を言う。
「どういたしまして」
志摩は口許で笑いながら、ペットボトルを手に取りキャップを開けばそれを口につける。
一瞬俺は志摩の動作にぎょっとするが、志摩たちにとっては普通なのかもしれない。
回し飲みなんて、初めてだ。妙に意識してしまう自分が情けなくて、俺は顔を逸らす。
「ご馳走さん」
ペットボトルのお茶を飲み干した志摩は、言いながら空になったペットボトルをゴミ箱に向かって投げる。
ペットボトルは壁に当たり、見事ゴミ箱の中に入った。
「そういや齋籐、風呂どうする?」
「風呂?」
「いまの時間帯ならまだ空いてるんじゃないかな」
テーブルの上のゴミ片付けながら、志摩は言う。どうやら大浴場のことを言っているようだ。
俺は少し悩んだ末、「俺はいいや」と首を横に振る。
「じゃあ部屋のやつ使う?」
「いいの?」
「もちろん」
志摩はユニットバスへと続く扉を指しながら、頷いた。
俺はパアッと顔を明るくするが、すぐに自分が手ぶらだということを思い出す。
着替えもなければ温泉タオルもない。せめて部屋に取りに帰っとけばよかった。
自分の計画性のなさに俺は落胆する。
「……やっぱり、いいや」
入浴を諦めた俺はそう呟いた。
部屋まで取りに帰ろうかと考えたが、どうやら自分にはそれほどの勇気はないようだ。
「もしかして手ぶらなの?」
落ち込む俺を見て、志摩は驚いたような顔で問い掛けてくる。
俺がそう頷くと、志摩は可笑しそうに笑った。
「部屋に取りに行こうか?なんなら俺もついていくけど」
「いや、その……」
志摩の言葉に、俺は語尾を濁らせる。
あまり、志摩には阿賀松絡みの話はしたくない。
俺が言葉に困っていると、志摩はなにか思い付いたような顔をする。
「齋籐って、人のパンツとか履ける人?」
「えっ?」
平然とした様子でそんなことを聞いてくる志摩に、思わず俺は素っ頓狂な声をあげた。
なんでそんなことを聞いてくるのだろうか。
そこまで思って、俺は志摩が言いたいことを理解する。
「別に、あんまり気にしないけど……」
気にする気にしない以前に、そんなこと考えたこともなかった。
取り敢えず空気を読んでそんなこと言ってみるが、どうだろう。自分でもよくわからない。
「なら、俺の貸そうか?」
志摩は目を細め、にやにやと笑いながら聞いてくる。
俺は少し戸惑ったが、ここで断ったらまるで意識しているみたいで引かれるかもしれない。
そう思って、俺は志摩の言葉に頷いた。
「はいこれ、一応洗っといたから。こっちはバスタオルでー、これは服。多分入るでしょ」
「あ、ありがとう」
服まで貸りてしまった……。
志摩に借りたバスタオルに温泉タオルに服一式を抱え、俺は目の前に立つ志摩に頭を下げる。
人の好意もここまでくるとなんだか気が引けてしまう。
「制服脱いだらこっちに渡してよ。洗っておくから」
「い、いいよ別にっ」
「別に遠慮しなくてもいいって」
「じゃあごゆっくり」志摩はニコニコしながら軽く手を振る。
俺は困ったように眉を寄せ、渋々と洗面所へ足を向かわせた。
志摩は優しいというより、なんなのだろうか。少し強引だな。
洗面所で一人になった俺は、小さく息をつき制服を脱いでいく。
人の部屋で服を脱ぐのって、結構神経つかうな。
思いながら、俺は脱いだ制服をカゴの中に放り込む。
全裸になった俺は、志摩から借りた温泉タオルを片手に風呂場に向かった。
俺が風呂に入ると言い出して、志摩がわざわざ沸かしてくれたようだ。俺は浴槽に浸かる。じんわりと体に染み込んでいく暖かさが心地よい。
「齋籐、気持ちいい?」
扉越しに志摩の声が聞こえる。
どうやら洗濯するために制服を取りに来たようだ。さっきいいって言ったのに。少し不満を抱いたが、わざわざ世話を焼いてもらっているのだから文句は言えない。
「……気持ちいい」俺は全身湯槽に浸かりながら、扉の向こうにいる志摩に答える。
「ならよかった」
扉に映る志摩の影が動く。俺は目を細め、小さく息をついた。
体の芯が暖かくなり、全身の疲れが取れていくような感覚を覚える。
すると浴場の扉が開き、腰にタオルを巻いた志摩が入ってきた。
「ちょっ、え、なに」
「いや、せっかくだし俺も一緒に入ろうかと」
慌てて前屈みになる俺に、けろりとした顔の志摩。
俺は顔を強張らせ、「無理だって」と勢いよく首を横に振る。
「これ、男二人も入らないって」
「縦になればギリギリいけるって」
「すぐに上がるからちょっと待ってよ」
無茶苦茶なことを言い出す志摩に、俺は顔を青くする。
男二人が浴槽に鮨詰め状態なんてなにかの冗談だろうか。俺が慌てて浴槽から上がろうとしたとき、玄関の方から誰かが入ってくるような音がした。
「……お前らなにやってんの」
どうやら俺たちの声が部屋まで聞こえていたようだ。
何事かと洗面所にやってきた十勝は、浴場で揉める俺たちを見て呆れたような顔をした。
「なにって、風呂に入ってんの。見てわからない?」
志摩はしれっとした顔でそう答える。
「んなこと、見ればわかるっつーの」十勝は棘のある志摩の言葉に眉を潜め、志摩の肩を掴んだ。
「佑樹ドン引いてんじゃん。さっさと出ろよ」
「やだなあ、そんなピリピリするなって。男相手に手出しはしないよ」
志摩は可笑しそうに笑いながら、肩を竦める。
「ねえ、齋籐」
「……う、うん?」
同性に手を出すなんてとんでもない。そう自信をもって言いたいところだが、この学校ではその考えは通用しなかったのも事実だ。
俺は志摩から目を逸らし、無意識に語尾をあげる。
「どうでもいいからさっさと出ろって」
「はいはいっと」
グイグイと肩を押し、志摩を強引に風呂場から追い出そうとする十勝。
志摩はやれやれと言いたそうに大袈裟にため息をつけば、笑いながら洗面所へ出る。
「佑樹はゆっくり入ってていいからな」
「……わかった」
十勝はそう言えば、洗面所に出て風呂場の扉を閉めた。
扉に映る二人の影が洗面所からいなくなったのを確かめ、俺はようやく肩の力を抜く。
まさか、志摩が入ってこようとするなんて思ってなかっただけに、無駄に緊張した。
小さく息を吐き、俺は浴槽に口許まで浸かる。
風呂から上がり、洗面所に向かうと制服を入れていたカゴの中には見覚えのない服が一式入れられていた。
肝心の制服はどこにも見当たらない。どうやら志摩が洗濯してくれているようだ。俺は服を手に取り、思わず苦笑を漏らす。
やはり、他人の服を借りるというのは少しだけ気恥ずかしい。
自分にとって初めてなことだから、尚更そう感じてしまう。
でも、ここまでしてもらっていて着ないというのも薄情なやつかと思われるかもしれない。俺は悩んだ末、志摩の好意に甘えることにした。
「……」
志摩の服を身に纏った俺は、洗面台の前に立ち思わず顔をしかめる。
似合っているのだろうか。思ったよりも派手な志摩の服に、俺はなんだか恥ずかしくなる。
どっかの不良みたいだな……。派手な柄のTシャツを眺めながら、俺はそんなことを思った。
自分のいう不良がどんなタイプを指しているのか自分でもよくわからなかったが、志摩の服はいつも着ていた俺の服とは逆のもので少しだけむず痒い。
「齋籐ー、服入ったー?」
暫く鏡と睨みあっていると、洗面所の扉が開きひょっこりと志摩が顔を出す。
俺は慌てて鏡の前から移動し、「余裕で入ったよ」と志摩に笑いながら答えた。
「へえ、似合ってるじゃん」
「そうかな……」
品定めするように俺の全身に目を向けた志摩は、そう言って微笑んだ。
似合ってると言われた服が自分の趣味と正反対ということはさて置き、誉められたことが純粋に嬉しくて俺は照れ隠しに笑う。
「あ、ごめん。すぐ出るから」先ほどと同じタオル一枚の志摩の姿を見て、俺は慌てて洗面所を出ようとする。
洗面所に入ってくる志摩と入れ替わり、俺は十勝のいる部屋へと戻った。
「佑樹ー、風呂気持ちよかっ……あ?」
左の部屋の床で胡座をかいて携帯電話を弄って十勝は、俺の姿を見るなり眉を吊り上げる。
「……それ、亮太のやつ?」
「え?あ、うん……手ぶらだったから貸してもらったんだ」
まじまじと十勝に見られ、俺は顔に熱が集まるのを感じた。
もしかして、似合わないのだろうか。まさかと不安になったが、どうやら十勝は俺が志摩の服を着ていることを訝しく思っているようだ。
「まさか、パンツも?」
「……うん」
俺の股間を指差し、十勝は真顔で問い掛けてくる。
別にやましいことなんてないのに、そんな風に堂々と聞かれると恥ずかしい。
俺は十勝から顔を逸らし、小さく頷いた。
「そんなの、言ってくれりゃあ俺が買ってきてやるのに。わざわざ亮太に借りなくても」
「さっさすがにそれは、十勝君に悪いし……」
そんなことを言い出す十勝に、俺は慌てて首を横に振る。
いきなり部屋に泊めてもらうだけでも申し訳なくて肩身が狭いっていうのに、おまけに服まで買わせるなんて滅相もない。
「……優しいな、お前。特に俺の財布に」
十勝は呆れたような顔をしたと思えば、肩を揺らし笑い出す。
「……でも、遠慮しなくてもいいんだからな。もっと図々しい方がこっちも気持ちいいし」
一頻り笑った十勝は、やけに真面目な顔をしてそう呟く。きっと、五味にそう言えと言われたのかもしれない。俺は愛想笑いを浮かべた。
「じゃあ、一回だけ部屋に戻ってもいいかな」
そんな調子のいいことをいう十勝に、俺は話を持ち掛けてみる。
志摩には悪いけど、やはり他人の下着いうのは少し落ち着かない。
一度部屋に服を取りに帰りたいという俺に、十勝はみるみるうちに顔を青くした。
「絶対だめ」
「すぐに終わるから」
「だめったらだめ」
「……」
頑なになって首を横に振る十勝に、俺はムッと顔をしかめた。
社交辞令とはわかってはいたが、ここまで拒否されるとこちらも意固地になってしまう。
「いま遠慮するなって言ったのは十勝君じゃん」
「……そ、それはあれだって……ほら、あれ」
俺の指摘に、十勝は視線を泳がせれば語尾を濁らせる。
それ以上の言葉が思い付かないらしく、苛立ったように唸り頭を掻いた。
「とにかく!部屋からは絶対出ちゃダメだからな!」
「……」
「おい、返事は?」
「……」
俺の両肩を掴み、十勝は必死になって説得してくる。
黙り込む俺に十勝は困ったように眉を八の字にした。
「……お前が言いたいことはわかるけどさあ、仕方ねーじゃん。『絶対部屋から出すな』って会長から言われてんだから」
「……ごめん」十勝の口から芳川会長のことを出され、思わず俺は俯いた。
経緯はどうであれ、俺が生徒会に迷惑をかけているのは確かだ。
項垂れる俺を見て、十勝は長いため息を吐きながら俺から手を離す。
「おい、そんくらいで落ち込むなって。……あっそうだ」
十勝は思い出したような声をあげ、散らかった床の上に投げ出したように置かれたビニール袋を手に取った。
「ほらこれ、一階で買ってきたんだ。一緒に食おうぜ」
ビニール袋には菓子とペットボトルがたくさん入っており、俺は呆れたような顔をして十勝を見上げる。目を細め笑う十勝に、俺は苦笑を浮かべ頷いた。
テーブルの上に広げられたお菓子の入った箱や袋。
いつもなら喜んで食べているところだが、俺はついさっき晩飯を済ませたばかりだ。顔をひきつらせ、俺は目の前の菓子から目を逸らす。
「今日は寝かせないからな」
それはそれで困る。そう楽しそうに笑いながら、十勝は炭酸飲料の入ったペットボトルを開ける。
ペットボトルの口から泡が溢れだし、ジュースで手を濡らしながら十勝は声をあげた。
俺は服に埋もれたティッシュ箱を拾い、慌てて十勝に差し出した。
「やっべー、ウケる」
「十勝君笑ってないで床っ、濡れるって」
ゲラゲラと笑いながら椅子を引く十勝に、俺はティッシュを手に慌てて椅子から立ち上がり床に膝をつく。
「佑樹、お母さんみたい」十勝は足元に屈む俺を見下ろし、可笑しそうにそう呟いた。
本人からすれば誉め言葉のつもりなのだろうが、素直に喜べない。
俺は聞こえなかったフリをして、床に小さな水溜まりをつくる炭酸飲料を拭った。
テーブルの下に落ちていた一冊の雑誌の一部が被害にあっただけで、幸い傍にあった服の山に染みをつくらずに済む。
「おっ、佑樹ナイス」
「……どういたしまして」
そう笑う十勝に反省の色はまったくない。
俺は、「ふう」と小さく息をつきながら椅子に座り直した。
「いっぱい食えよ。まだあるんだから」
十勝は近くにあったスナック菓子の袋を豪快に開いた。
勢い余って、中のスナック菓子が飛び散る。
「……いや、俺お腹いっぱいなんだけど」
「遠慮すんなって!ほら」
「遠慮とかじゃなくて、ホント……」
テーブルの中央に袋を置き、十勝は他の袋に手を伸ばす。
次々と包装を開けていく十勝に、思わず俺は絶句した。
残したらどうするんだろうか。つい貧乏性が出てしまいそうになり、俺はぐっと堪える。
「これ、旨いんだよなー」
そう言いながら十勝は、手元にあった大きく開いた袋の上のスナック菓子をパクパクと食べていく。
「佑樹ーさっさと食べねーと全部食べちゃうぞー」
「えっ、ちょっと待ってよ」
ごくりとスナック菓子を飲み込んだ十勝は、そう俺を急かす。
ぼんやりと十勝を眺めていた俺は、十勝の手元に目をやった。
袋の上にはもう一粒しか残っておらず、急かされた俺は咄嗟に手を伸ばした。
が、それよりも先に俺の背後から伸びる腕が最後の一粒を摘まみあげる。
「いいもの食べてるね」
肩にタオルをかけた志摩は、そう薄く笑いながら最後の一粒を口に運んだ。
俺はあんぐりと口を開く。
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