04
人気のない廊下に出た俺は、十勝に連れられてエレベーターに乗り込む。十勝は制服からカードキーを取り出し、差し込み口にそれを入れた。動き出したエレベーターを操作し、三階まで降りる。
「ほら、このエレベーターいいだろ?親衛隊がウザいから、会長が理事長に生徒会専用の渡り廊下とこのエレベーターを造らせたんだ」
「生徒会室から寮まですぐ行き来できるんだぜ」自慢気に胸を張る十勝に、俺は「おおっ」と唸る。
どうやら、十勝が持っているカードキーも生徒会役員しかもっていないもののようだ。
十勝が言うには、生徒会専用の渡り廊下は寮と校舎の二階三階四階に繋がっているらしい。
そんなに親衛隊はすごいのだろうか。俺はそこまで考えて、ふと十勝の言葉に疑問を抱いた。
「理事長?」
「そうそう、理事長。理事長って会長のことものすごい気に入っててさ。っていうか、俺らもよくして貰ってんだけど」
なんだかすごいことを聞いてしまったような気がする。
エレベーターは静かに停まり、俺たちは理事長に造らせたという渡り廊下前に出た。
確か、理事長って阿賀松のお祖父さんなんじゃ……。ボンヤリ考えていると、十勝はそのまま渡り廊下を渡っていく。
俺はさっさと渡り廊下を歩く十勝の背中を慌てて追いかけた。
渡り廊下に取り付けられた窓には全てカーテンが引かれていて、天井からぶら下がる小さな照明が煌々と光を発していた。
あまり光が強すぎると影をつくってしまうせいなのか、渡り廊下は他に比べて薄暗い。
そこまでするものだろうか。俺はキョロキョロと渡り廊下内を見渡す。
「ここを通ることが出来るのは限られてるからな、よく見とけよ」
物珍しそうな俺に、十勝は可笑しそうに笑う。その表情さえ、薄暗い渡り廊下では翳ってよく見えない。俺は咄嗟に頷いたが、きっと十勝には見えていないだろう。
暫く歩いていると、渡り廊下が終わり目の前には一枚の扉が浮かんだ。
十勝は先ほどのカードキーを取り出し、扉を開く。
こんなに優遇されていると、アンチが沸くのも無理もない。実際、俺もこの渡り廊下といいエレベーターといい羨ましくて堪らなかったりする。
扉の向こう側は見覚えのある廊下が広がっていた。いきなり視界が明るくなるもんだから、俺は思わず目を細める。
「こっからだと近いから楽なんだよな」
そう笑う十勝は、慣れたように廊下を歩いていく。
十勝の言ったように、303号室には5分もかからない内に辿り着くことができた。
十勝はドアノブに手をかける。ガチャリと小さな音を立て、静かに扉は開いた。
「亮太、亮太?いるんだろ」
十勝は扉を開き、先に部屋の中へと入っていく。
俺は部屋の様子を目の当たりにし、どうすればいいのかわからず扉の前で立ち竦んだ。
部屋の中央に取り付けられカーテンレール、遮るように引かれた黒いカーテン。入り口から見て右の部屋は悪い意味で生活感が滲み出ており、左の部屋は見苦しくない程度に片付けられている。十勝が入っていった左の部屋には志摩がいた。
私服姿の志摩はベッドの上で寛いでおり、いきなり入ってきた十勝を睨む。
「……お前なに勝手に入ってきてんだよ」
「そんなことより、お客様だぜ」
不機嫌そうに低く唸る志摩に、十勝は大袈裟に肩を竦め俺を顎で指す。
つられて目を向ける志摩は、扉の前に棒立ちになった俺を見付け驚きを露にした。
「齋籐……なんで」
「……お、お邪魔します」
「今日、齋籐ここに泊まるから」
俺は機嫌がよくない志摩を前に冷や汗を滲ませ、苦笑を浮かべた。
志摩は十勝の一言に、顔をしかめなにか言いたそうに十勝を睨んだ。
「そんなの、俺に言ってくれればいつでも泊まらせてあげるのに」
そういいながら、志摩はいつもの笑みを浮かべた。どこか含みのある志摩の言葉に俺はいい返事が思い浮かばず、苦笑する。
「阿佐美は?一緒じゃないの?」
志摩は俺の背後に目をやりながら、そんなことを口にする。俺は志摩の言葉に思わずハッと顔を上げた。すっかり忘れていた。
脳裏に浮かぶ阿佐美の笑顔に、俺はダラダラと冷や汗を滲ませる。
「あーあ、阿佐美可哀想」
押し黙る俺からなにかを感じたのか、そう志摩は笑う。
『可哀想』というわりには、どことなく嬉しそうだ。
……まあ、一日くらい大丈夫だろう。俺は心の中で阿佐美に謝罪した。
「佑樹、なんか食いたいもんある?」
すると、十勝は折り畳み式の携帯をパコパコ鳴らしながら俺に問い掛けてくる。
十勝の問い掛けに、俺は顎を擦りながら考えた。
「……ラーメン」
「ラーメン?何味?」
「じゃあ、塩で」
「りょーかい」
十勝はそう言って、携帯を操作しだす。
もしかして、わざわざ用意してくれるというのだろうか。お礼をいうタイミングを見逃してしまった俺は、十勝の横顔に目をやる。
「なら俺はトンコツで」
「……自分で買ってこいよ」
ニコニコと微笑みながらいう志摩に、十勝はうんざりしたような顔で志摩をあしらった。
「トンコツ」
「……」
「トンコツ」
あまりにも執拗な志摩の注文に、とうとう十勝は折れる。
数分後、ビニール袋を抱えた灘が部屋にやってくる。
「こっちが塩で、こっちがトンコツです」
そう言って、灘は志摩の部屋のテーブルにカップ麺の容器を置く。どうやら一階で買ってきたようだ。
「あっありがとう、灘君」
若干吃りながら俺が灘にお礼を言えば、灘は小さく会釈する。
無口なせいか感じ悪く思っていたが、灘は礼儀正しい男だった。
「灘ありがと、助かった!ってことでこれお代」
十勝は悪趣味な財布から千円札を取りだし、灘の手に握らせる。灘は小さく頷き、お札を制服の中に直した。
「お邪魔しました」
灘はぶっきらぼうにそう呟き、部屋を後にする。パタンと静かに閉まる扉。灘がいなくなって、妙に気まずい空気が部屋に漂う。
「いやー悪いね。奢らせちゃって」
「そう思うなら金払えよ」
「冗談」
ニコニコと笑いながらいう志摩に、十勝は眉を潜める。十勝の言葉に、志摩は肩を竦めた。
仲良くないんだな、この二人。俺はハラハラしながら二人のやり取りを眺めていたが、流石にこれ以上気まずくなるのは耐えられない。
「……十勝君ごめんね。部屋に戻ったらお金返すから」
話題を変えようかと俺は十勝に向き直りながら軽く頭を下げた。
全然変わっていないことに気が付いたが、今更訂正するのもおかしい。
十勝は少しだけ驚いたような顔をして、「お前のはいいんだよ」と可笑しそうに笑った。
「そんなに畏まられると、こっちが困るだろ?」
十勝はヘラヘラと笑いながら、そう言った。
十勝の言葉に嬉しいが、やっぱりお金はちゃんと返しておこう。俺は「そうだね」と小さく笑った。
「じゃあ俺も飯食ってくる。俺の部屋、勝手使っていいから」
十勝は思い出したようにそう言い、カーテンの向こう側を指差した。
俺は無言で頷こうとしたとき、十勝にぐいっと腕を捕まれる。
「なんかあったら、すぐに洗面所に駆け込めよ」
「え?」
十勝はそう耳元で囁けば、すぐに俺の腕を離した。
いきなりすぎてなにを言っているのかわからず、俺は十勝の顔を見る。
「それじゃあ」
十勝は何もなかったかのようにそう笑いながら、部屋を出ていく。
扉が閉まり、部屋に残された俺と志摩の間に妙な沈黙が流れた。
なんだったんだ。十勝がいなくなった扉を眺めながら、俺は呆けたように口を開く。
「はい、ポット」
「え?ああ、ポット……」
ベッドから腰を上げた志摩は、近くにあった棚からポットを手にし、それをテーブルの上に置いた。
十勝から妙な忠告をされたせいか、志摩の動作一つ一つにビクリと反応してしまう。
そんな俺を志摩は不思議そうに眺めながら、目を細めて笑った。
「齋籐って、十勝と仲良かったっけ」
志摩はカップ麺の包装を剥がしながら、そんなことを聞いてくる。
「ん?そうだっけ?」俺は返事にすらなっていない返事をし、はぐらかそうとするがそう簡単に上手くいくはずがない。
「齋籐って、そんなに十勝と仲良かったっけ」
テーブルの上にあるカップ麺に手を伸ばしたとき、志摩に手首を掴まれる。
ビクッと肩を揺らし、何事かと俺は恐る恐る志摩の顔に目を向けた。
志摩の細めた目から覗く薄暗い瞳が、じっと俺を捉える。
「ま、まあ……」
詰るような志摩の視線から、思わず俺は顔を逸らす。
そんなこと聞かれても、十勝との関係は答えようがない。
俺は志摩の手を離そうと小さく腕を振る。
しかし、腕を掴む力は一層強まるばかりだった。
「ちょ……っ、な、何……っ」
皮膚に爪が食い込む。
あまりにも痛くて、俺は思わず志摩の腕を掴み無理矢理離した。
様子が可笑しい。
「志摩……?」
俺は恐る恐る志摩の顔を覗き込んだ。
志摩はじっと俺の顔を見つめていたかと思うと、顔を逸らす。
「これ、五分なんだ」
容器を手に取れば、志摩はなにもなかったかのようにそんなことを口走った。
意味がわからなくなって、思わず俺は志摩の顔を凝視する。
もしかして、悪気はなかったのだろうか。バクバクと激しく脈を打つ心臓が酷く煩くて、俺は額に冷や汗を滲ませる。
「齋籐のは何分?」
志摩はいつも通り笑いながら、俺のカップ麺を手に取る。俺はなにも答えなかった。
というより頬の筋肉がひきつって、うまく話せなかった。
じんじんと痛む手首に目をやると、薄く赤い痕が浮かんでいる。
「五分と三分て、結構差別だと思わない?」
「……そうだね」
志摩は、お湯の入ったカップ麺を眺めながらそんなことを呟いた。
俺は志摩から目を逸らしながら、同意する。まともに志摩と目が合わせられない。変に緊張してしまっているせいか、声が上擦ってしまう。
「齋籐、ビニール袋に割り箸入ってない?」
志摩は、俺の足元に落ちているビニール袋に目をやる。
絶対、さっきのことをなかったことにしようとしている。
俺は志摩の手元に視線を落とした。
「……齋籐?」
呼び掛けに動じない俺を不審に思ったのか、志摩は心配そうに俺の顔を覗き込む。
俺はビクリと肩を揺らし、慌てて足元のビニール袋を拾い上げた。
「ご、ごめ……っ」
俺が志摩にビニール袋を差し出そうと腕を伸ばしたら、再び志摩に手首を掴まれる。
志摩の長い指が爪の痕に触れ、ピリッとした微かな痛みが走った。
「痕になっちゃったね」
志摩は目を細め、俺の手首にできた痕を指の腹で撫でる。
また痛くされるんじゃないのだろうかと思い、俺は慌てて手を離そうとした。
「ごめんね。俺、力加減がわからないんだ」
志摩は、そう笑いながら俺の手首を離す。
妙なことを言い出す志摩に、俺はなにを言えばいいのかわからず口を紡いだ。
謝られているのだろうか。俺はおずおずと自分の腕を背後に隠した。
なんだか、今日の志摩は様子が可笑しい。
「別に……俺は大丈夫だから」
俺は視線を落としながら、そう呟いた。
志摩に動揺を悟られたくなかったから、少しだけ強がってみる。
「そう」そんな俺を見て、志摩は小さく笑った。
「もう、三分経ったかな」
とにかく話を逸らそうと、俺はしょうもないことを口にした。
俺はいいながら、志摩から逃げるようにテーブルの上の容器に手を伸ばす。なんとも言い難いこの空気が嫌だった。
「そうだね。もうそろそろ三分になる」
志摩は部屋の壁に取り付けられたデジタル時計に目をやる。
俺はテーブルの上に落ちたビニール袋から割り箸を一膳手に取った。椅子に座ろうとして、少しだけ戸惑ってしまう。
「そんなに緊張しなくてもいいよ」
「う、うん」
顔を強ばらせる俺を横目に、志摩は笑う。
緊張するなという方が無理だ。つい先ほどのことが自分の動作一つで志摩の機嫌を損ねてしまったせいだと思ったら、嫌でも躊躇してしまう。
「……」
志摩の言葉に甘え、俺はテーブルの脇にある椅子を音を立てないように気をつけながら引いた。
志摩は、俺の向かい側の椅子に腰を下ろす。
「……いただきます」
「どうぞ」
割り箸を手に目の前のカップ麺と向き合った。
志摩は頬杖を付き、ニコニコと笑いながら俺を眺める。
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