天国か地獄


 20

 志摩に連れられ、やってきた校門前。
 正直、まだ縁に会う覚悟ができなかったが、そんな余裕もなかった。外から帰ってきたあとなのだろう、私服姿の縁は笑顔で俺達を迎えた。

「いきなり会いたいだなんて言うから何事かと思えば……随分と可愛い子を連れてるなぁ、亮太」
「こいつがアンタから話を聞きたいって言うから俺はただのその付き添いですよ」
「齋藤君が? 俺に? ……へぇ、どのことについて聞きたいの?」

 言うなり、距離を詰めてくる縁に全身が強張った。
 首を締められた感触がまだ残っているみたいで、落ち着かない。硬直する俺を見兼ねた志摩が、俺を引っ張り、縁から離してくれる。

「方人さん」
「何?近付いただけだろ」
「……」
「おお、怖いなぁ」

 そう、肩を竦める縁方人は悪びれた様子は微塵も感じられない。それどころか、反省する様子もなく俺に笑顔で絡んできた。

「齋藤君、向こうでの生活はどうだった? ちゃんと可愛がってもらえてる?」
「……縁、先輩……そのことなんですけど……あの、会長のことについて教えてもらいたくて……」

 このままでは縁のペースに呑まれてしまう。そう思い、思い切って話を切り出せば縁は不思議そうに目を丸くした。

「……会長さん? 俺に? ……相手間違ってない?」
「齋藤が聞きたいのは、芳川知憲の過去に関係してることらしいんですよ。方人さん、あんたなら知ってるでしょ」
「ああ、ま、そりゃあね。春になってようやく退院出来たんだし。俺の春休みを潰した罰は重いよ」
「……ッ、退院って……もしかして……」
「懐かしいなぁ、君と出会った時はまだちょっと本調子じゃなかったんだっけ」

 遠い思い出を語るかのように、縁は続ける。そう言えば、俺が縁と初めて出会ったとき縁は松葉杖を持っていた。
 確かに、病み上がりだとか病人だからとか言っていたが縁の怪我に芳川会長が関係しているということだろうか。胸の奥がざわつき始める。

「足にね、ヒビ入っちゃって。恥ずかしい話、これはあんま君に話したくないんだけどなぁ……格好悪いし」
「格好悪いっていうかそれは……自業自得じゃないすか」
「そ、そのヒビっていうのは……」

 恐る恐る尋ねれば、縁は少しだけ神妙な顔をする。

「実はさちょーっと知憲君と喧嘩しちゃってね」
「け、喧嘩……?!」

 縁と芳川会長が仲良くしているのも想像出来ないが、まさか喧嘩なんて。
 それで足の甲にヒビということは、まさか。と、青褪める俺に縁は「それでね……」と声を潜める。

「むしゃくしゃして思いっきり自販機蹴っ飛ばしたら足の甲にヒビ入っちゃってさ……」
「………………自販機?」
「自販機も弁償しなきゃなんねーし、足もめっちゃ痛いし、あんときは本当すごい泣きたかったな〜」
「………………」

 それは会長関係ないじゃないか。思い出しているのか、さめざめと泣き真似をする縁に俺は呆れて何も言えなくなる。
 同様、顔を顰めた志摩は「方人さん」と泣き真似を辞めさせた。

「あの、方人さん、齋藤が聞きたいのはそっちの話じゃなくて……」
「あっ、知憲君の過去が知りたいんだったっけ? 俺の可哀想な話には興味ないって?」
「そ、そういうわけではないんですが……その……」
「はは、分かってるよ。君は本当優しいな〜今度たっぷり聞かせてあげるね」

 どこまでが冗談でどこまでが本気なのか、相変わらず掴みにくい男だと思った。
 答えに迷っていると、縁は「そうだな」と静かに切り替える。そして、懐かしそうに目を細めた。

「確かにあいつは生徒会長になる前は本当生意気で可愛げのないやつだったよ。けど、まあ仕事とかに対してはいつでも一生懸命だったし、その点は嫌いじゃないけど如何せんあいつは食えないからなぁ」

 人のことを言えるのかとも思ったが……昔の会長か。
 最初から会長なわけがないのだから昔があって当たり前なのだが、少し、見てみたかった気もする。

「初めて会った時、あいつは会長補佐だったんだ。……どっかで見たことある顔だなぁって思ってたんだけど、最近になって確信したよ。君も見たんだろ? あの書類」
「……書類、ですか?」

 突然話を振られ、俺は困惑する。なんのことを指しているのか一瞬分からなかったが、俺の脳裏に過ぎったのは数日前、VIPルームで阿賀松が阿佐美から受け取っていた書類だ。
 確か、栫井の名前があったのは覚えてるが……。

「芳川知憲。あいつは前歴持ちだよ」

 思い出そうとしていたときだ。
 あっけらかんとし、そんなことを口にした縁に俺は言葉を失った。
 前歴、ということは前科……有罪にはなっていないものの、逮捕されたことがあるということだ。
 会長が逮捕。俄「はいそうですか」と納得できる話ではなかった。けれども、そんな俺を無視して縁は続ける。

「これは大分前の話なんだけどね、まあよくある話だよ。糞ガキ同士が喧嘩して打ち所悪くて片方が瀕死。それで、一時期そういう手加減の知らない馬鹿が深夜街中で溜まってるようなガキに喧嘩吹っ掛けて、身ぐるみ全部引っ張っていくってのが流行ったんだ。負けた方は素寒貧だよ」

 強盗。恐喝。殺人未遂。暴行。ニュースで並べられるような単語が頭の中に浮かんでは消え、息が詰まりそうになる。

「それで、そんな中現行犯で捕まって少年院にぶち込まれたんだよ、彼」
「っ……、会長が……その、犯人だったってことですか?」
「そうだよ。今のあいつからは想像できないだろうけど、昔は中々の糞ガキだったんだよ。……伊織と良い勝負なんじゃないかな?」

 想像出来ない。というより、俺には信じられなかった。寧ろ、信じたくない気持ちの方が強いかもしれない。けれど、その反面、納得しそうになる自分もいた。
 時折、酷く冷たい目で人を見る芳川会長の横顔が脳裏に浮かび、俺は何も言えなくなる。

「……それ、俺も初めて聞いたんですけど」
「だってお前聞かなかったじゃん」
「……」

 それは志摩も同じようだ。志摩は思案顔のまま、押し黙る。

「信じられないって顔をしてるね。……まあ、無理もないか。あいつ、隠し事は上手いからな」
「……ッ、でも、その……本当に会長なんですか? 見間違いとかじゃなくて……その……」
「証拠か。なら、あいつの右肩見てみろよ。殺人未遂で捕まったそいつはそこに刺青が入ってたの、覚えてるよ。結構目立つものだったし、恐らく薄く残ってるか……手術の跡が残ってるはずだ」

 右肩。会長が俺の前で薄着したことも、肩を出したこともなかった。
 杞憂なら杞憂でよかった。けれど、嘘にしては縁の話は聞き流せなかった。
 狼狽える俺の横、志摩は「方人さん、それ、阿賀松に言ったんすか」と声を潜める。縁は笑った。

「言ってないよ。言ったらアイツ頑張らなくなるし、つまんないだろ? だから齋藤君、亮太、この話は伊織たちには秘密だよ」
「……わかりました……あの、ありがとうございます」
「俺は君に感謝されるようなことしたと思わないんだけどな。寧ろ、俺に嫌気さしてない?」
「え……っ」
「それじゃ、ありがとうございました。齋藤、戻るよ」

 話している最中だというのに、強引に俺の手を掴んだ志摩はそのまま歩き出す。

「し、志摩……ちょっと……!」
「ったく、俺の話はまだ終わってないってのに……まあいいや、いつでも俺に会いに来てくれていいんだからね」
「っ、し、失礼します……」

 引っ張られ、転びそうになりながらも俺は縁に頭を下げた。
 縁から話を聞けば、少しは会長のことを知れるのではないかと思ったがどうだろうか。寧ろ、会長が分からなくなっていく自分がいた。


 ◆ ◆ ◆


「し、志摩……痛いよ……」

 校舎の前。掴まれた手首の痛みに耐え切れず、思い切ってその背中に声を掛ければ志摩はようやく俺の手を離してくれた。そして。

「さっき、三階の廊下からこっちを見てる人影を見つけた」
「……人影?」
「今は授業中だから普通の生徒は廊下を彷徨いていないはずだけど……あの人影は灘和真かもしれない」

 なんで灘が、と思うよりも先に、芳川会長の顔が脳裏に浮かぶ。嫌な背筋を流れた。

「今のところを見られていたとしたら面倒だな……」
「……志摩、さっきの縁先輩の話だけど……志摩も知っていたの? ……その、会長が前歴持ちかもしれないって……」
「……確かに、一時期この辺りで不良ばっかを狙った強盗とか恐喝が多かったのは知ってるよ。やられたやつの殆どが右肩がどうとか言っていたってのも聞いたことある。その少年が捕まってからは落ち着いたと思ったんだけど、それどころかそれを見習って余計節度ないやつ多くなった時期もあった」

「……けれど、その発端が芳川っていうのは知らなかったよ」続ける志摩は嘘をついているように見えなかった。
 こんなことで嘘をついても仕方ないし、それに、俺に嘘をつく必要もないわけだ。

「……そうなんだ」
「でも正直納得したよ。あの目といい、肝の据わり方といい、普通じゃないからね 」
「……」

 もしそれが本当だとして、阿賀松はそれを知っているからこそ前歴持ちの芳川知憲が生徒会長でありつづけるのが許せないということなのだろうか。
 縁は話していないと言っていたが、もしあの阿賀松が持っていた書類が芳川会長の過去の経歴を調べたものとしたら。
『二週間で、全部ぶっ壊してやるよ』
 阿賀松の声が、言葉が蘇る。阿賀松の言っていた二週間まであと一週間と少し。
 もしそれが、芳川会長の経歴と関連しているのならば、あの書類の重要性も頷ける。だとしたら、疑問となってくるのは何故あそこに栫井のデータまでがあったのかということだ。
 もしかして、会長だけではなく生徒会の空中分解を狙っているのだとすれば……。

「……それで、どうするの?」
「……え?」
「え? じゃなくてさ……方人さんの話は本当だと思うよ。そんな危ない奴と、齋藤はまだ一緒にいるつもりなの?」

 これからどうするのか。考えていなかった。会長が前歴持ちだろうが、俺は今会長の部屋に居座っている身だ。
 出ようと思えば出れるのだろうが、縁の話を聞いてそう決断までは至らなかったのはまだ自分の中の確信が持てなかったからだろう。それと……。

「……分からない」
「……」
「確かに、強盗とか……殺人未遂とか、そういうのは怖いけど……けど、まだ会長がその人と決まったわけではないし、少なくとも縁先輩がいうにはこの学園に来てからはそういう素振りは見せていなかったってことだろ。ちゃんと更生しているのなら……」
「本当、どこまでも甘いよね。……そういうところ、吐き気がする」

「人はそんなに簡単に変われないよ」それは、冷たくて、寂しい響きだった。確かに、いくら取り繕ったところで簡単にその本質を変えることは難しいだろう。
 けれど、会長が俺のために色々計らってくれるのも事実だ。
 そのときだ。複数の足音が近付いてきた矢先だった。

「こんな時間に揃ってサボリか?……随分と仲がいいんだな」

 聞こえてきたその声に、背筋が凍り付く。慌てて振り返れば、そこには、数人の風紀委員を引き連れた会長がそこにいた。

「っ、か、会長……ッ!」
「……あんた、齋藤のこと監視してたのか?」
「人聞きが悪い。授業中にも関わらず平然と外を出歩いている生徒がいるという報告を受け、こうして駆け付けたまでだ。……早く教室に戻りなさい」
「……言われなくてもこれから戻るつもりだけど」

 ばつが悪い顔をした志摩に「行こう」と手を取られそうになった瞬間、伸びてきた手に強く腰を抱かれる。

「……っ、わ……!」
「齋藤君、君には話がある。俺と来い」
「っ、話……?」

 嫌な予感が過る。けれど、会長から逃げることも出来なくて、その場で固まる俺に志摩が声を上げる。

「齋藤……ッ! おい、齋藤から手を離せ……ッ!」

 そして、会長に掴みかかろうとした矢先だった。風紀委員に羽交い締めにされ、それを無理矢理止められる志摩。

「……そちらの生徒はそうだな……指導室にでも連れて行け」
「分かりました……ッ、ぐぁ!」
「ッ、気安く触らないでもらえるかな……!」

 矢先だった。思いっきり、自分を拘束しようとする風紀委員に頭突きを食らわせた志摩は言うなり、逃げ出した。
 走り出す志摩に続いて、そのあとを追い掛ける風紀委員。殴られた風紀委員の顔面下半分が真っ赤になってるのを見てギョッとしたが、俺は、逃げ出せた志摩に内心ほっとした。……何も解決していないというのに。

「……無駄な悪足掻きを。……齋藤君、行くぞ」
「あ、あのっ……志摩は……」
「心配するな。……悪いようにはしない。あいつが殴らなければすぐに解放するつもりだったのだが……全く、自分から事を荒立てるのだから救いようもないな」

 どこまでが本当か分からないが、会長はあくまでいつもと変わらない。完全に安心出来る状況でもないが、このまま志摩が逃げ切ってくれるのを願うしかなかった。

「君は、俺と一緒にこのまま生徒会室に来てもらう。……このまま教室に戻ったところで勉強にならないだろう」
「……わかりました」

 やっぱり、ただで見逃してもらえるわけないか。それにしても、どこまで聞いていたのか、見ていたのか。分からなかったが、芳川会長の右肩を見つめては目が逸らせなかった。
 縁の言うことが本当なら、この下に傷跡か刺青が残っているということだ。
 けれど、無理矢理脱がすわけにもいかない。俺は一先ず思考を振り払い、会長のあとをついていくことにした。


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