天国か地獄


 11

「ただいま戻った……っと、大丈夫か?齋藤君」
「お、おかえりなさい……」
「あら〜思ったよりも早かったわね。せっかくトモ君がいない間にあんなことやこんなこと聞き出そうと思ったんだけど」
「た、貴音先輩……っ」

 何を言い出すんだ、この人は。あれほどまでに人に色々聞き出しておいてこれ以上吐くことなんてもう俺の出生時に遡るしかないじゃないのか。
 青褪める俺に、芳川会長はやれやれと言った様子で連理を宥める。

「おい、連理。齋藤君はお前と違って繊細なんだからな、丁重に扱えよ」
「あら〜!聞いた?ユウちゃん、あの人ったらアタシをなんだと思ってるのかしらね?本当こういうこと言うからモテないのよ」
「悪いがそういうのは間に合ってるんでな」

 ブレザーを脱ぎ、椅子の背もたれに引っ掛けながら芳川会長はなんでもないように答える。
 それにきょとんと目を丸くした連理だったがやがて、にやにやと笑いながら俺の肩を叩いてきた。

「あっ、やだ、もー!トモ君たら!そうよね、ふふ、ごめんなさいねユウちゃん!気を悪くしないで!」
「い、いえ……気にしないでください」

 その連理の反応に、ようやく俺は会長の言葉の意味を理解する。
 同時に、すごく恥ずかしくなってきた。そうか、忘れかけていたが一応付き合っているということになってるのか。
 フリだとは分かっていても、会長のさらっとこういうことを言うところには慣れそうになかった。
 そんなこんなしていると扉が二回ノックされ、開く。入ってきたのは十勝だった。

「はー!疲れた〜!って、ゲッ!連理先輩……ッ!」
「あら、ナオちゃんお疲れ様〜!今日も可愛いわね〜!」
「は、はは……今日もお綺麗っすね……」
「やだもぉ〜!ナオちゃんってば本当口が上手なんだから!」

 言いながら、連理は十勝の背中を叩く。バシィッと凄まじい音とともに十勝から「ぐおっ!」という悲痛な声が聞こえてきた。うわぁ、見事に決まったな。俺は心の中で十勝にご愁傷様と手を合わせる。

「ね、ね、武蔵ちゃんは?一緒じゃないの?」
「あいつと灘と栫井には後片付けをさせている。と言ってもそんなに量はないから多分すぐに戻ってくるだろうが……」

 なにやら話し始める連理と芳川会長に気を取られていると、不意に隣のスプリングが沈む。
 顔を上げれば、そこには十勝がいて。
 まだ背中が痛むのだろう。「まじで手加減なしじゃねえの」と背中を擦っていた十勝は、目が合うとにっと笑った。

「佑樹、お前も来てたんだな」
「……十勝君……」
「あいつらと一緒にいるときはヒヤッとしたけど、よかった。会長たちに連れ出してもらえたんだろ?」

 連れ出してもらえたというよりも無理矢理連れてこられたと言った方が適切なのだろうが、正直阿賀松たちと一緒にいるよりも十勝たちと一緒にいる方が心が安らぐのも事実だ。不安分子はあるにしろ、だ。
 そんな俺の肩を軽く叩いた十勝は「大丈夫だよ」と笑う。

「あいつらがまたなんか言い出しても俺が守ってやるから!大船に乗ったつもりでいろよ!」
「あ、ありがとう……」

 その自信はどこから来るのだろうか。不思議だが、だからだろう。根拠がなくとも胸を張ってそう言ってくれる十勝の前向きさには正直救われる部分が多かった。
 嫌われたかもしれない。食堂で鉢合わせになったとき、何も言えない俺に今度こそ軽蔑されたかもしれない。そう思っていただけに余計、変わらない態度で接してくれる十勝が嬉しくて、同時に後ろめたさを覚えた。

「あらあら……トモ君いいの?ナオちゃんにユウちゃん取られちゃうわよ」
「お前は本当色恋のことばかりだな。そんなくだらんこと考える暇があったらこれに目を通しておけ」

 そんな俺達のやり取りを眺めてははしゃいでいる連理に対し、興味なさそうな芳川会長はテーブルの上から数枚の資料を連理に手渡した。

「ん?なになに?……修理費……ウン万円……って、何、またうちの子たちが問題起こしてるの?」
「ああ、そうだな。お前のところの櫻田洋介とかいう一年が別の隊員と揉めて器物と扉をぶっ壊してるようだ」
「まあ、ヨウちゃんたら……!」
「今月に入って何件目だ?俺が言っても聞く耳持たん。貴様の方から絞っておけ、総隊長」
「うぐ……ッ!」

 流石の連理もこれには堪えているようだ。コメカミを指で抑える連理は、やがて諦めたように深い息を吐いた。

「はぁ……せっかくこれから気分転換にデザートでも食べに行こうと思ったのに……始末書を優先しないといけないみたいね」

 どうやら櫻田洋介に頭を抱えているのは俺や会長だけではないようだ。
 肩を竦める連理に十勝が何かを思い出したように口を開いた。

「ああ、でも洋介なら……」

 と、何かを言い掛けたときだった。いきなりノックもなしに扉が開き、そこからバタバタと足音を立てて現れた人影が一つ。

「会長ー!お疲れ様でーす!」

 櫻田洋介本人だった。
 なんというタイミングだろうか。以前同様女子の格好をした櫻田に連理の目付きが先ほどまでの恋する乙女のようなそれとは打って変わってどこぞの凄腕スナイパーのような鋭い目つきになったのを俺は見逃さなかった。

「今日のお話すごい素敵でした!季節の変わり目だから風邪を引かないようにって皆のこと考えてあげる辺りとか本当まじすっげーかっこいいっつーかまじ濡れ……ぐぶっ!」

 周りに目もくれず芳川会長に突進していく櫻田。しかし芳川会長にぶつかりそうになる寸前で間に入った連理にアッパーを掛けられる。見事に決まり、櫻田が思いっきり吹っ飛んだ。痛そうだ。

「いってーなぁ!何すんだこの……うげッ!!」

 一転二転したところでようやく体勢を整えた櫻田だったが、目の前に佇む連理を見た瞬間顔を引き攣らせた。

「あら、あらあら、会長への挨拶もだけど挨拶しなければならない相手がもう一人いるんじゃないのぉ?」
「な、なんでカマゴリラもいんだよ……ッ!」
「誰がカマゴリラよッ!アタシのことは貴音と呼びなさいと何度も言っているでしょうが!」
「カァーッ!テメェに名前呼びなんか勿体ねえっつーの!なーにが貴音だ!テメェにそんなお高い名前は似合わねえっての!」
「な、なんですってェ……ッ!」

 火に油とはまさにこのことだろう。額に青筋を浮かべる連理。地を這うようなドスの効いたその声に流石に櫻田も命の危険を感じたようだ。
 全く関係ない俺達までその気迫に圧されソファーの背に隠れてしまう。あと十勝「女と女の戦いだ……」とか言うのはやめてくれ。噴き出したら殺され兼ねない。
 ここは巻き込まれる前に逃げようと十勝とアイコンタクトを取り合っていたのだが、しまった、櫻田と目が合ってしまう。

「つうか齋藤佑樹お前も何しれっと生徒会室にいんだよ!お前のせいで生徒会室がメスくせーんだよ!」
「えっ?!」

 なんだその無茶苦茶な理由は。どちらかというと女装してる櫻田にメス扱いされる筋合いはそれこそないし俺よりも女性らしい連理の前でなんだそれは、当て付けにも程がある。
「出ていけ出ていけ!」と八つ当たりの如く掴みかかってくる櫻田に勘弁してくれと泣きそうになっていると、見兼ねた会長が櫻田を止めに入った。

「おい櫻田、それはこちらのセリフだ。寧ろノックも無しに勝手に入ってくるなどどういう躾をされてるんだ貴様は?また一から叩き込まなければならないのか」
「はいっ!俺に会長を一から叩き込んでくだヒブッ」

 喜んでるし。と思った次の瞬間。飛んできた熊のぬいぐるみが櫻田の顔面に見事ヒットする。
 ぬいぐるみの柔らかさからは到底考えられない、ゴッという重いものがぶつかるような音ともにに撃沈する櫻田。
 この熊のぬいぐるみはもしかして、と辺りに目を向けたとき。

「……すみません、櫻田君が失礼しました……」
「ヒィッ!!」

 いつの間にか俺と十勝の横に一緒になって隠れていた江古田はすくりと立ち上がり、そのままトドメの蹴りをその顔面に食らわせていた。相変わらずの容赦のなさ。足を掴まれ、拾われる熊のぬいぐるみにはなんとも言えない哀愁が漂っているような気がしないでもない。

「江古田か、お前もいたのか」
「……一応ノックはしたつもりだったんですがお取り込み中のようでしたので……」

 芳川会長も江古田に気付かなかったようだ。
 驚いたような顔をする会長にぼそぼそと江古田は答える。

「……テメェ!このチビ!顔だけはやめろっつってんだろうがッ!この……んぐっ?!もがもがッ!」

 その間わずか数秒。復帰した櫻田が江古田に飛び掛かろうとした矢先、どこから取り出したのかガムテープで櫻田を拘束する連理。凄まじい早業だ。あっという間に口、腕、手足を塞がれた櫻田は床の上に転がされる。

「本当ヨウちゃんは下品なのが困るのよねぇ。レディーに対してのマナーがなってないのよ、まったく失礼しちゃうわ」
「……連理先輩……相変わらず鮮やかなガムテープ芸ですね……」
「ヨウちゃんはすぐ逃げ出すから自然と身についちゃったのよ」

 なんだよガムテープ芸って。
 感動したように目を輝かせる江古田と得意げになる連理に俺は何も言うまいとそっと床で跳ねてる櫻田から目を逸らした。

「それよりもりゅうちゃん、よかったらヨウちゃんを親衛隊室に連れていってくれるかしら」
「……面倒くさい……触りたくない……嫌です……」
「本当りゅうちゃんも素直ね……なら貴方の好きなお菓子買ってあげるから」

 まるで近所の子供でもあやすかのように屈んで江古田に視線を合わせる連理。その一言に、死んだ魚みたいに濁っていた江古田の目がキラキラと輝き始める。

「……本当ですか……?」
「え、ええ、本当よ。……その代わり一つだけだからね」
「……ハバネロ……カラムー●ョ……激辛唐辛子煎餅……」
「わ、分かったわ!なんでも買ってあげるから!」

 その連理の言葉に、ぱぁあっと江古田の表情が明るくなる。相変わらず表情筋は死んでいるようだが。

「……片付けてきます……」
「ん゛ー!!ん゛ん゛ー!!」

 いそいそと転がる櫻田の足を担いだ江古田は櫻田の頭部を引きずる形で背負、軽い足取りで生徒会室を後にした。
 スカートが大変なことになってる櫻田に目も当てられないがこればかりは同情せずにはいられない。俺はいざという時ああいう風な運ばれ方をしないため日頃の行いを改めることにした。

「……全く、りゅうちゃんは真面目にしてたら良い子なのに……」
「そうか、江古田はハバネロで動いてくれるのか……今度櫻田のやつが押し掛けてきたときのために頼んどくか……」

 ブツブツとメモしてる会長を俺と十勝は生暖かいで見ていた。



 home 
bookmark
←back