05
灘に連れてこられ、やってきた生徒会室前。
灘は「少しここで待っていてください」とだけ言い残し、そのまま生徒会室の奥へと消えていった。
待っていてくださいと言われた手前、勝手に動くわけにもいかない。なにがあったのだろうかと不安になりながらも灘を待つこと暫く、十分近く経っても生徒会室の扉が開くことはなかった。
「……」
流石に心配になってくる。しかし元はといえば俺は部外者だ。関係ない人間を連れてくるなと言われていた場合はなにも言えない。
けど勝手に移動するのもそれはそれでどうだろうか。
そんなことを一人悶々と考えた結果、もう暫くだけ待ってみよう。――という結論に至った。
そんな矢先のことだ。
「……邪魔なんだけど」
いきなり背後から声を掛けられ、一瞬心臓が止まりそうになった。
その生気のない声には聞き覚えがあった。慌てて振り返れば、そこには栫井が立っていた。
「か、こい」
「お前、なにやってんだよ。そこで」
そう尋ねてくる栫井だが、その目、態度から間違いなく怪しまれているのだろう。
よりによって、こんなタイミングで栫井がやってくるなんて。
「あの、その……灘君に」
ここで待ってろ、と言われて。そう口ごもる俺。対する栫井はというと、灘の名前を出した途端さらにその眉間に皺を寄せられるのだ。
「は?」
「え、えと……ここで待ってろと言われて」
それで、と言いかけた声はしぼんでいってしまう。これ以外に説明のしようがないので仕方がない。
栫井の眼差しは相変わらず冷たいまま、それでもそれ以上なにを言うわけでもなくイラついたように溜息を吐く。
「あの……」
「なに言われたか知らねぇけど、ここにいたって無駄だ」
「さっさと消えろ」と軽くあしらい、栫井はそのまま俺の前を取りすぎ、生徒会室の扉の前へと立つ。
「栫井、」どういうことだと思わずその名前を口にした時、扉をノックしようとしていた手を止める栫井。そして、眼球だけを動かしてこちらを見るのだ。
「……灘の奴には俺から言っとく、お前は帰らせたって」
それは栫井なりの優しさ、なのだろうか。俺が呆気にとられている間に栫井は目の前の扉を三回ノックし、「失礼します」と言いながらそのまま生徒会室の中へと消えていく。
とうとう俺は栫井に付いて行くということもできないまま、生徒会室前通路に一人ぽつんと残された。
◆ ◆ ◆
栫井に追い返され、結局何があったのかわからずじまいというもやもやを胸に抱えたまま俺は学生寮へと戻ってきていた。
自室に帰ろうにもまだ阿賀松がいたらと思うと気が気でないし、かといって壱畝とも顔を合わせたくない。そう考えた結果、やってきたのは学生寮一階にあるコンビニだった。喉も渇いてないが、時間を潰すために無意味にドリンクコーナーでジュースを吟味していたときだった。
「随分と真剣だね、齋藤」
すぐ背後から聞こえてきた声に本日二度目の心臓停止の危機に陥りそうになる。
考えるよりも先に、脊髄反射で「志摩」と振り返れば、そこには頭で思い浮かべたまさにその人本人がいた。
「俺からのメッセージ返すよりも大事なジュースだもんね、そりゃあ真剣にもなるのか」
「え、メッセージって……」
このやり取りには身に覚えがあった。その冷めた目にもだ。
慌ててあらゆるポケットの中を探れば、携帯端末ごと部屋に置き忘れてしまっていたようだ。俺の表情からそれを察したらしい、志摩は深く溜息を吐いた。
「まあそんなことだろうと思ったけど、本当に齋藤は期待を裏切らないね」
怒ってはいるのだろう、志摩の態度からその態度からその本心までも汲み取ることはできなかった。
俺が阿佐美と同室になったということ、志摩も気付いているのだろか。でも知っていたらもっと怒るだろう、今俺の目の前に入る志摩はあくまでもただ機嫌の悪いいつもの志摩だ。
「なに? その顔」
「あ、いや……ごめんね。その、返事忘れちゃって」
「そんなことはいいんだよ」
「え」と思わず声に出てしまっていた。
どういう意味なのかと固まる俺のすぐ隣、リーチインへと志摩の手が伸びる。そして迷うことなくその手は俺がどちらにしようか決めかねていたお茶と紅茶のボトルを取り出すのだ。あっとそれを目で追えば、志摩は「これが飲みたかったんでしょ?」と笑った。
なんで知ってるんだと驚いたが、志摩のことだ。ここ数分手を伸ばそうとしては引っ込めていた俺を棚の陰から見たいたと言われても納得できた。
「飲みたいなら両方飲めばいいじゃん、ほら。行くよ」
「あ……」
「齋藤には色々話があったからね。どうせ、すぐ喉渇くよ」
そうレジへと向かおうとし、振り返る志摩。その目を見て俺は確信した。
――志摩は、俺が無断で部屋替えをしたということを気付いている。
冷たい汗が背筋に流れ落ちていく。ここは腹を括った方がよさそうだ。俺は観念し、志摩の後を追うことにした。
志摩に連れられてやってきたのは近くのラウンジだった。丁度人気もなく、「座りなよ」と志摩に促されるがまま俺は二人用のテーブルの椅子に腰をかける。
それから、志摩は向かい合うように対面の椅子に腰を掛けた。
「それで、齋藤は言いたいことはないの?」
初手尋ねられ、じわりと嫌な汗が滲む。
試すような志摩の視線が痛くて、俺はまともに志摩の顔を見ることができなかった。
「……っ、その」
「…………」
「ぁ…………」
言葉に詰まる。
どう応えるべきか迷ったとき、頭の中には阿佐美の言葉が蘇った。
誤魔化して、一時的に対話を避けたところで根本的な解決にはならない、と。阿佐美はそう言っていた。
それは俺にとって耳が痛いものだった。
どうせ、遅かれ早かれこうなることはわかっていたのだ。小さく息を吐き、自分を落ち着かせる。
そして、目の前の志摩を見た。
「――……部屋のこと、その、ごめん」
「部屋のことって?」
「志摩が協力してくれてたのに、俺……」
「それ、もしかして阿佐美のやつのところに転がり込んだこと言ってる?」
志摩は自分用にとコンビニで買った炭酸ジュースが入った缶を開ける。かしっと炭酸の弾ける音が響いた。
「許さない」
「……っ」
「……って、言いたいところだったけど、今回ばかりはそれで正解だったと思うよ」
やっぱり怒ってるのか、と身構えた矢先。続けて志摩の口から飛び出してきた言葉につられて思わず俺は志摩の顔を見上げた。
「俺になんの相談もなかったのは普通に考えてあり得ないけどね」
「っ、い……いいの?」
「いいか悪いかと言われたら『マシ』ってだけだよ。本当は俺の部屋に連れて帰ってやろうと思ってたんだけど、それもできなくなったしね」
「……できなくなった?」
妙な言い回しをする志摩に引っかかり、聞き返せば志摩は「そう」と頷き、そのまま缶に口をつける。一口喉の奥に流し込み、「どうしてだと思う?」と流し目を送ってくる志摩。
「どうしてって……」
「生徒会が今面倒なことになってるから」
「え」
「近寄らない方が良いってこと。障らぬが仏ってやつ?」
言いながらも、志摩の笑みが耐えることはなかった。他人事のようにクスクスと笑いながら足を組み直す志摩。その口から出てくる言葉に、鼓動がドクドクと乱れ始める。
つい先程生徒会室の前まで行っていたからこそ余計他人事のように感じれなくて。
「その、面倒なことって……」
「……なんだ、齋藤本当になんもしらないんだね。もしかして、とうとう生徒会にまでハブられちゃったの?」
「っ、そ、れは」
否定できない。芳川会長が顔すらも見せてくれなかったことを思い出し、言葉に詰まる。
そんな俺の反応に、志摩は浮かべていた笑みを僅かに引っ込めた。
「……まあ、今回ばかりはそれがいいかもね」
「それってどういう……」
「そのままの意味だよ。それとも、直接見た方が早いんじゃない?」
そう言いながら、志摩は制服のポケットから携帯端末を取り出した。そして、それを操作して画面を俺の方へと向ける。
「見てみなよ」と志摩に促されるがまま、腰を浮かせて端末の画面を覗き込んだ俺は、そこに映し出されたものを見て思わず言葉に詰まった。
「これって……」
表示されているのは動画のようだ。ブレているが、そこに映し出されている場所には見覚えがある。確か、生徒会室前の廊下だ。
そして、そこに写っている生徒には見覚えがある――芳川会長だ。もう一人、見慣れない生徒がいた。なにか揉めているようだ。離れているせいで会話の内容まで聞き取ることはできないが、芳川会長の雰囲気からして怒ってるように見えない。
「すんごいブレブレだけど」
「志摩……これ、なに?」
「まあいいからちゃんと最後まで見なよ」
どういう意味だ、と再び画面に目を戻したときだった。画面の中、芳川会長がもう一人の生徒に掴みかかって素手で殴っているのを見て目を疑った。瞬間、画面が揺れてその映像は止まる。
「嘘……」
「そう思うでしょ? 嘘だよ」
「え」
「この動画自体捏造ってこと。わざわざ途中までは本物で、ブレた瞬間から殴りかかるところまで別の映像が擦り替わってるの」
「な……んで、」
誰が。なんのために。そんなことを。
聞かずともその答えは一目瞭然だ。――芳川会長を陥れるためだ。
そして、そのためにそんな手の込んだことをする人間なんて一人しかいない。
脳裏に浮かぶ赤髪の男にぞくりと背筋が震えた。
「俺とかはすぐ分かるけどさ、撮影みたいに鈍感な人は『嘘……』とか言って信じるんだよ。それで、一番厄介なのはこの動画がうちの学園で出回ってること」
「偽物だったら偽物って言えばいいんじゃ……」
「それで全員が全員納得すると思う?」
志摩の言葉に俺は押し黙る。
そして次の瞬間、頭に過ぎったのは考えうる限り最悪のシナリオだ。
「……芳川会長は、大丈夫なの?」
「さあね。俺の知ったこっちゃないけど、少なくとも今の生徒会に関わらない方がいいだろうね」
なるほど、それが志摩が自分の部屋よりも阿佐美の部屋にいた方がいいと言った理由か。
だとしたら、灘が言っていた『自分のせい』というのもこの動画に関係しているというのか。
「言っとくけど、俺は『関わらない方がいい』って言ったばかりだかりだからね」
「……なにも言ってないよ」
「誤解だって周りに教えてあげよう、だなんて生温いこと考えてるでしょ。齋藤」
「…………」
正直、七割図星だった。
直接一人一人尋ねて誤解を解こうだなんて思わないが、それでも俺でもなにかできることはあるのではないか。そんな風に思えたのだ。
けれど、あくまで志摩の態度は揺るがないものだった。
「やめときな。これは忠告だよ」
「志摩……」
「火に油を注ぐような真似、自殺行為みたいなもんだよ。おまけに齋藤は自分の立場理解してる?」
言われて思い出した。
そうか、俺……芳川会長の恋人なのか。
「スキャンダルってのは火元があればいくらでも燃え広がっていくんだよ。……燃え尽きてカスになるまでね」
「今の齋藤は全身に油被ってるようなもんだよ」と志摩は続ける。相変わらず刺々しい言葉だが、志摩の言っていることには一理あった。
「じゃあ、このまま放っておく方が良いってこと?」
「そうだね。もっと言うなら、そこまであの人のこと好きじゃないなら今すぐにでも切った方がいいよ。延焼する前にね」
「そ、そんな言い方……」
「これはお節介で言ってるんだよ、齋藤。俺の善意でね」
そう、志摩は立ち上がる。そして、真正面から覗き込むように顔を寄せるのだ。近い、と後退る暇もなかった。
「――……今回は、阿賀松たちの仕業じゃない」
至近距離、俺にだけ聞こえる声量で囁かれるその言葉に思わず耳を疑った。
志摩を見上げれば、志摩は小さく目を細める。
「これはここだけの――俺と齋藤だけの秘密ね」
他の奴らに言わないでね、と志摩は俺から唇を離した。
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