天国か地獄


 03

 食堂での食事を終え、三階へと戻ってきた俺たち。
 阿佐美が宥めてくれたお陰で大分胸も軽くなったいた。
 そんな俺の前に立ち塞がるように現れた人影を見て思わず立ち止まる。

「っ、……ひ、とせ、君」
「遅かったじゃん、ゆう君。……ああ、それと……阿佐美君だったっけ?」

 ついさっきこいつの話をしていたばかりのせいか、よりによってこのタイミングで出てくるのかと肝ガ冷えていくのを感じた。
 今すぐにでも逃げ出したい――そう思っていたが、隣に阿佐美がいたからだろう。まだ、落ち着いていられた。それは落ち着かなければという自己暗示にも等しいが。

「……なんで、ここに」
「なんでって、迎えに来たんだよ。ゆう君のことを」
「む、かえって」
「ほら、早く帰るよ。……阿佐美君も、こいつの我儘に付き合わさて悪かったね」

 そう笑いながら歩み寄ってくる壱畝。そして、その目は笑っていない。
 伸びてきた手に手首を掴まれそうになり、咄嗟に腕を振り払おうとした矢先だった。
 壱畝が俺の手首を掴むよりも先に、阿佐美が壱畝の手を掴んだのだ。
 先程まで胡散臭い笑顔を貼り付けていた壱畝だったが、突如入った邪魔に壱畝の顔から笑顔が抜け落ちる。

「……なに?」
「ゆうき君は帰らないよ」
「は?」
「丁度良かった。……少しいいかな」

「君に話があったんだ」と阿佐美は口を開く。
 その言葉に俺も、そして壱畝も言葉に詰まる。何を言い出すのか。
「詩織」と咄嗟に阿佐美を見る。なんだか嫌な予感がしたのだ。

「待って、なにを……」
「俺に話? ……君が? なんで?」
「同じクラスメイトの好だからだよ。……それ以上に理由がいるのかな」

 普段ならば壱畝はにこにこ笑って快諾していただろう。けれど、タイミングもタイミング。阿佐美のことを警戒してるのが分かった。
 それは俺だって同じだ、阿佐美になにかがあったらと不安だった。
 けれど、阿佐美は「ゆうき君は先に行ってて」と影で部屋のキーを渡してくるのだ。
 阿佐美は俺の名前を出していない。本当にただ話をするつもりなのか――なんの?

「わ、かった……」

 これがいいことなのかわからないが、阿佐美になにか考えがあるのだろう。それを信じたい気持ちもあったし、この場からいち早く立ち去りたい気持ちもあった。壱畝に見られないようにキーを制服のポケットに仕舞い、俺はそのまま二人から離れた。

「それで、話って?」
「……君の部屋、いいかな。俺の部屋は汚いから」

 そんな二人の会話を聞きながら落ち着かない気持ちになっていた。志摩のときと同じだ。それでもまだ安心して任せられるのは、先程ちゃんと話したばかりの阿佐美だったからだろうか。
 俺はその二人の会話を最後に、小走りで自室まで戻ってくる。

 部屋の中は出ていったときと同じ様子だった。俺は時計を確認し、阿佐美が戻ってくるのをただ待っていた。

 そんなとき、不意に扉が叩かれる。
 もしかして阿佐美が帰ってきたのかもしれない。そう思って、慌てて俺は玄関の扉を開いた。

「っ、し、しお……」

 そしてそこに立っていた人物を見上げ、凍りつく。
 視界に入ったのは真っ赤な髪、そして。

「残念、詩織ちゃんじゃねえよ」
「……ぁ、がまつ、先輩……ッ」
「ってことは詩織ちゃんは留守かぁ? ……チッ、無駄足かよ」

 言いながら、足で扉を蹴り飛ばしてくる阿賀松に飛ばされそうになりながら慌てて後退する。
「邪魔すんぜ」と笑い、阿賀松はそのまま俺を無視して部屋の奥へと上がっていった。
 なんだ、なんでよりによってこんなときに来るんだ。この人は。
 このまま無視することもできず、扉を閉めた俺は阿賀松を追いかけてリビングへと戻る。

「あ、あの……」
「仲直りしたんだな、お前ら」
「え……」

 そう言えば、不本意ではあるが阿佐美と直談判するに当たって阿賀松にも手を借りていたのだった。
「お、お陰様で」と答えれば、ソファーにどかりと腰を下ろした阿賀松は「良かったじゃねえか」と笑う。

「ま、俺としてもお前にわざわざ会いに行く手間省けて楽だしな」
「……ぁ、あの……」
「んで? 詩織ちゃんはどこだ?」
「し、詩織は……その……」

 どこまでこの男に言うべきか。けれどあまりにもプライベートな部分だ、「俺も、詳しいことは」わからないです、と口にすれば煙草を咥えたまま阿賀松は「使えねえな」と溜息を吐く。

「す、すみません……」
「ま、いいわ。俺もアポ無しできただけだし」

 阿佐美がいないと分かったんなら帰ればいいのに、腰を据えたまま阿賀松は喫煙始める。
 この部屋に灰皿なんてものは見当たらないが、阿賀松にとやかく怒られる前に灰皿代わりになりそうな阿佐美の飲み捨てた空き缶をそっと渡した。

「あ? なんのつもりだ?」
「あ、灰皿……」
「携帯灰皿持ってるっての、あいつの部屋にねえくらい分かってんだから」

 なんだか余計怒らせてしまった。「す、すみません」と慌てて缶を引っ込める。
 油断すればその辺のテーブルで火消ししそうなものを、そもそも阿賀松にそんなエチケット意識があったということに驚いた。
 ……そんなことを言えばどやされること間違いないだろうが。

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