02
阿佐美の手際は驚くほどよかった。
宣言通り、昼飯の頃合いには阿佐美の部屋へとすべての荷物を運びこみ終えることが出来た。
――学生寮三階・阿佐美の部屋。
「ふう……ありがとう詩織、詩織が持ってきたそれのお陰で思ったよりも早く片付いたよ」
「ああ、これ? ……よかった、俺もこういったことは早く済ませた方がいいと思ったから」
「これでゆうき君も一先ずはゆっくりできるよね?」とソファーの上にとっ散らかった衣類を避け、俺が座るようのスペースを開けてくれた。避けるだけではなくそのまま洗濯機に突っ込んだ方がいいのではないかとも思ったが、阿佐美も俺も作業を終えたばかりだ。
いまは目を瞑って、ゆっくりと一息つこう。
俺は阿佐美が空けてくれたソファーに腰を掛ける。そして、その隣に阿佐美は座った。
「本当に詩織が手伝ってくれたお陰で助かったよ、同室のこともそうだけど……」
「ううん、ゆうき君は気にしなくていいんだよ。……それに、これは俺の望みでもあるんだし」
俺が気にしないように、阿佐美が言葉を選んでくれているのが分かった。
本当に優しい人だと思う。
「詩織……」とじーんとしながらその横顔を見詰めていると、ちらとこちらを見た阿佐美は照れ臭そうに正面を向く。
「ゆ、ゆうき君……見すぎだよ」
「あ、ご……ごめん、つい」
ついってなんだよ、と自分でも思ったがそれ以外言いようがない。
それにしても、こんな風に阿佐美と穏やかな時間を過ごすことすらもなんだか酷く久しぶりに感じた。
「そういえば、さっきのカート助かったよ。……すごいね、詩織あんなものまで持ってるなんて」
なんとなく話題を変えるついでに玄関口、その壁に立てかけられている業務用カートに視線を向ければ阿佐美は「ああ」と思い出したように声をあげた。
「あれは俺のじゃないよ」
「え?」
「一階の倉庫でそのまま使われてなかったから丁度いいかなと思って借りて来たんだ」
「一階って……まさかショッピングモール?」
恐る恐る尋ねれば、阿佐美はこくりと小さく頷いた。
まさか勝手に持ってきたのか。
「え、じゃ……じゃあ返さないと」
「そうだね。お昼ご飯のついでにこっそり戻しておくよ」
こっそりって言ったぞ、今。
悪びれた様子もなくそう立ち上がる阿佐美に俺は突っ込むべきか迷った末、やめておくことにした。
そもそも阿佐美は俺のためにやってくれたのだし、お陰でいち早くあの部屋を立ち退くことが出来たのだから……そういうことにしておこう。
案外ちゃっかりしているな、と思いながら俺も阿佐美とともに食堂へと向かうことにした。
……見つかって怒られる前に、このカートを元あるべき場所に戻さなければ。
そんなことを考えながら。
◆ ◆ ◆
――学生寮一階・食堂前。
折りたたんだカートを運んでる途中、何人かの生徒とすれ違ったが特に咎められることもなかった。そして阿佐美が勝手に持ち出したという倉庫までカートを返すこととなる。
阿佐美はというと終始素知らぬ顔していて、俺ばかりがいつ見つかるかとヒヤヒヤしていたが全ては杞憂に終わった。
そして、食堂。
流石に堂々とこの時間に学生寮の食堂で食事をする者はいない――俺達を除いて。
「ゆうき君、本当にそれだけでいいの?」
「うん、取り敢えず……」
「そっか……我慢しなくていいんだよ?」
阿佐美の場合は我慢しなさすぎのような気がしないでもないが、今はそんな阿佐美の気遣いや優しさが染み渡るようだった。ありがとう、とだけ答えておく。
俺が頼んだベジタブルバーガーと、阿佐美が頼んだキムチ鍋と肉まんと天津飯と冷やし中華は間もなくしてやってきた。やはり頼みすぎだ。俺がおかしいわけではないと思いたい。
「そういえば、志摩のことだけど」
「へ、え」
「ゆうき君、本当は志摩の許可貰ってないんだよね」
目の前でもりもりと鍋を食いだす阿佐美に呆気取られていたところ、突然確信を付かれて喉にレタスが引っかかりそうになる。
「……っ、詩織……」
「あ……いや、その、別に今更責めるつもりはないよ。一応聞いておこうかと思って」
そう、咽る俺に水の入ったグラスを差し出す阿佐美。ありがとう、とそれを受け取り、俺は一気に喉奥へと押し流した。
「……やっぱり、気付いていたの?」
「まあ、そんな気はしたよ。だって、あの志摩が素直に俺との同室を認めるとは思わないから」
そう続ける阿佐美に正直返す言葉もなかった。
俺だって、俺でもそう思う。
「でも、気付いてて詩織は俺との同室許してくれたんだね」
「確かに懸念点はあったけど……さっきも言った通りだよ、志摩のことを気にしてる場合じゃなさそうだなと思ったから」
「――あの転校生だよね」と阿佐美は微かに声のトーンを落とした。辺りに聞き耳を立てるような人はいないが、念の為だろうか。
ここまでしてくれた阿佐美に対してまで隠し通すのは不義理ですらある。小さく頷き返せば、やっぱり、と阿佐美は小さく呟いた。
「部屋はいいとして、同じ教室になってしまったらこの先キツイと思うよ。……多分、嫌でも今回部屋を移したことを言われるだろうし」
「……うん」
「その場しのぎは出来ても根本を解決しない限り、きっとゆうき君も辛いと思うよ」
「……俺も、なんとかできる限りは協力したいとは思ってるけどね」と阿佐美は続ける。
阿佐美の言い分は最もだった。逃げてばかりではなにもならない。頭では理解していても、どうすることもできないものがあるのだ。
昨夜殴られた傷が疼きだし、無意識に膝を掴んでいた手に力が入る。俯く俺を見つめたまま、阿佐美は「そうだね」と一人なにかを考えるように天井に目を向けた。
「……俺も、できることは手伝うよ」
「詩織……」
「だから、一人だけ無理しないで」
もむ、と阿佐美は肉まんを齧り、そのまま飲み込む。相変わらず大きな一口だと思った。
それでも、阿佐美の言葉は今俺にとってはありがたいもので。
……本当に、敵わない。
「ありがとう、詩織……」
「え、ゆうき君泣いてる?」
「う、な、泣いてないよ……」
「な……な、泣かないで、ゆうき君……っ」
しょっぱい食事になってしまったが、胸の重りが一つまた取れたようなそんな気分だった。
それでも阿佐美の言うとおりだ、その場しのぎで逃げてばかりではどうにもならない。
けれど、どうしろというのだ。
壱畝遥香と仲直り?和解?それこそ無理難題だ。
俺は壱畝の性格を知ってる、だからこそ余計相容れないこともわかっていた。
――けれど、今は一人ではない。
「ゆっくりでいいよ。今はゆっくり休んで、それから一緒にこれからのことについて考えていけばいいよ」なんて阿佐美は言う。
阿佐美と話していると俺は転校前のことをどうしても思い出した。保健室登校で、俺の話を聞いてくれていたカウンセラーのことを。今では顔も名前も思い出せないが、阿佐美と話しているとそのときの保健室の香りを思い出すのだ。
今はキムチ鍋の匂いしかないが、それでも阿佐美の優しさに自分が持たれかかっていることに気付いたのだ。
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