天国か地獄


 03

「まっ……孫?」

 想像すらしてなかった事実に、俺は間抜けな声を上げる。
「本当に知らなかったのか」芳川会長は俺の反応に苦笑を漏らした。
 だとしたら、生徒会が阿賀松を煙たがるのも大体想像がつく。

「おまけに親バカ……というより、爺バカだしな」

 なにかを思い出したのか、五味はうんざりしたように呟いた。五味の言葉に、芳川会長はうんうんと頷く。
 阿賀松を可愛がる理事長……まったく想像がつかない。始業式で見掛けた理事長は人良さそうなお爺さんだったから、なおさらだ。

「阿賀松から逃げたいんだったら、自分の部屋に戻るのはやめた方がいい」

 芳川会長は息継ぎをし、「合鍵を造って部屋に待ち伏せしてるかもしれない」と続ける。
 冗談にしてはやけにリアルで、俺は頬をひきつらせた。

「今日は、他の部屋に寝た方がいいんじゃねえの?なんなら、俺の部屋に来るか?」
「え?い、いいんですか?」

 いきなりの五味の提案に、芳川会長がピクリと眉を寄せた。
 まさかそんなことを言ってくれるなんて思ってもおらず、俺は顔を上げ五味の方に目をやる。

「駄目だ」

 芳川会長はそう低く言い放った。

「いや、でも会長……」

 芳川会長の一言に、五味は冷や汗を滲ませる。
 芳川会長が反対してくるなんて思ってもいなかった俺は、どうすればいいかわからず黙り込んだ。

「……三年の部屋だと阿賀松がすぐに嗅ぎ付けるかも知れない。そういう意味だ」

 芳川会長は小さく咳払いをしながら、そう静かに続ける。
 それはどこも同じなのではないだろうかと思ったが、芳川会長に口を挟むような度胸はない。

「それじゃあ、二年か一年ってことですか?」

 先ほどまで静かに話を聞いていた会計が、芳川会長に問い掛ける。俺は会計の方にちらりと目を向けた。短い髪がよく似合う大人しい生徒だと思った。

「そうだな。……五味、十勝はいまどこにいるんだ」
「ああ、あいつなら確か百合女の女と遊びに行くって言ってたけど……」

 そこまでいいかけて、五味は芳川会長に目を向けた。

「まさか、十勝の部屋に?」
「齋籐君と十勝は仲がいいみたいだからな。俺たちといるより気が楽だろう」

 驚く五味に、芳川会長は答える。
 確かにそれはそうだが、十勝と仲がいいかと言われたらそうでもない。
 嫌いじゃないけれど、まだ少し怖かったりする。
「齋籐君はどう思う?」不意に芳川会長に話題を向けられ、俺は咄嗟に頷いた。

「なら、決定だな」

 なにも考えずにとった俺の行動が決め手になったのだろう、芳川会長はそう呟いた。
 俺は一瞬自分の行動の意味が理解できず、目を丸くする。

「いや、ちょっと会長、十勝と同室のやつ、あいつは大丈夫なのか?」

 五味は声を潜める。
 そうだ、確か十勝と志摩は同室だったはずだ。その事を思い出した俺は、ほっと胸を撫で下ろす。

「同室……?」
「志摩亮太」

 五味の言葉に今一つピンとこなかった芳川会長の代わりに、栫井が口を開いた。
 なんでここで志摩の名前が出てくるのかわからなかったが、俺は黙って三人の会話に耳を立てる。

「ああ、そういや十勝と同じ部屋だったな。確か、齋籐君と同じクラスだよな」
「え?あ、はい」

 芳川会長に問いかけられ、俺は慌てて答える。
 なんでそんなこと知っているのだろうか。ふと疑問に思ったが、生徒会長ならクラスぐらい調べるのは簡単なことだろう。

「それに、最近は大人しいし、気にしなくてもいいんじゃないのか?」
「さあ、どうだろうな。裏ではなにやってるかわからねーやつだからな」

 とくに気に止めない芳川会長に対して、五味はなにか言いたそうな顔をする。
 歯切れの悪い五味に、芳川会長は「考えすぎだ」と宥めるように言った。
 意味深な五味の言葉が妙にひっかかるが、敢えて俺は黙っている。

「とにかく、十勝に電話を入れておけ」
「はいはい」
「はいは一回だ」

 芳川会長の言葉に、腑に落ちないのか五味は唇を尖らせながらソファから腰を上げる。
 なんだか、思ったより大事になってしまった。
 部屋の隅で携帯電話を取り出す五味を眺めながら、俺は内心冷や汗を滲ませる。
 阿賀松から逃げられるだけでよかったのに、部屋まで泊めてもらうことになるなんて。
 有り難いが、当たり前のように面倒を見てくれる生徒会に少しだけ戸惑ってしまう。
 中には、快く思ってないやつもいるのだけれど。
 向かい側の栫井は相変わらずの無表情でじっと俺を凝視する。何を考えているか表情から読み取れない分、不気味だ。

「ああ、そういえば紹介してなかったな。会計の灘。齋籐君と同じ二年生だ」

 浮かない顔をしている俺を気遣ってくれているのか、芳川会長は思い出したように会計の紹介をする。

「どうも」
「ど、どうも……」

 灘はそれだけ呟けば、興味がないのかそれともそういう性格なのか再び黙り込んだ。
 絶対仲良くなれそうにないな。どこか栫井と似た気難しそうな雰囲気がある灘を横目に、俺はそう確信する。

「だーっ!あいつ切りやがった!」

 生徒会室に、五味の怒鳴り声が響く。五味は小さく舌打ちをし、携帯電話を制服の中に戻した。恐らくいいところだったのだろう。
 腹立たしげな五味に、俺は苦笑を漏らした。

「おい、どうするよ」
「どうするもこうするも、十勝を待つしかないだろう」

 小さくため息をつき、ソファに座る五味を眺めながら芳川会長は答える。
 この調子だと、時間がかかりそうだ。

「それまで、ここを自由に使ってもいいからな。齋籐君」

 芳川会長は口許を弛め、微笑んだ。先ほどの栫井の言葉を思い出し、俺は素直に喜べない。
 恐縮しきった俺は、項垂れる。

「なんか、すみません。迷惑かけちゃって」
「全くだ」

 申し訳なくて俺が謝罪を口にすれば、向かい側の栫井がサラリと呟いた。
 ……嫌なやつ。栫井の方に目をやると、つんと栫井は顔を逸らした。

「俺、もう一回十勝に電話してくる」
「ああ」

 五味はそういって、再びソファから腰を浮かした。
 芳川会長は、テーブルの上に置かれたカップに口をつけながら頷く。
「それでもでなかったら、メールでも入れておけ」芳川会長の言葉に、五味は「そうだな」と小さく呟いた。
 五味が十勝にメールを送ることになったのは言うまでもない。

 ◆ ◆ ◆

 あれから一時間近く経った。
 生徒会役員と大分馴染んできたような気がしたが、やはり栫井とは性格が合わない。
 改めて実感させられた。

「齋籐君、もう一杯どうだ」
「あ……ありがとうございます」

 上品な装飾を施されたティーポット片手に、芳川会長は空いた俺のカップを手に取る。
 カップに並々と注がれる紅茶。
「好きなだけ飲んでいいんだからな」芳川会長はそう笑って、静かにカップを置いた。
 若干、馴染みすぎているような気がしないでもない。
 目の前に置かれたカップを手にとり、口をつけたと同時に生徒会室の扉が開いた。

「なんなんすかもう!何回も電話くれちゃって!お陰で逆ギレされたんすからね!」

 生徒会室に入ってくるなりぎゃあぎゃあと声を張り上げるのは言うまでもなく十勝だった。
「おう」右頬を不自然に赤く腫らした十勝を見るなり、五味はにやにやと笑う。

「なんだ、またフラれたのか」
「会長ぉー、聞いて下さいよぉ!優衣のやつ……ん?佑樹?」

 またってことは、前にも似たようなことがあったのだろうか。
 芳川会長の遠慮ない一言に間抜けな声を上げる十勝は、ソファで寛いでいる俺を見るなり不思議そうな顔をする。
「……お邪魔してます」なんて言えばいいのかわからず、俺は苦笑を浮かべた。

「え?あれ?佑樹も生徒会入ったの?」
「バカか。メールぐらい見ろ」

 まじまじと俺の顔を見つめる十勝に、五味は呆れたように言った。
「あー五味さんしつこいからアド拒否ってたわ」十勝はゲラゲラと可笑しそうに笑い、携帯を取り出す。十勝の言葉に、五味は額に青筋を浮かべた。
 どうやら十勝は五味から連絡を受けて戻ってきたわけではなく、相手の女の子にフラれたから戻ってきたらしい。
 見兼ねた芳川会長は、俺がここにきた経緯からこれからのことまでを十勝に説明した。
 勿論すべてを勝手に決めつけられた十勝は露骨に嫌そうな顔をする。無理もない。

「無理だろうか」
「いや、俺はいいんすけどー同室のやつが……」

 十勝は声のトーンを落とす。志摩がどうしたのだろうか。俺はちらりと芳川会長と十勝のやり取りを伺う。

「なにか問題でもあるのか」
「……個人的に、佑樹とそいつ一緒にしたくないんすけど」
「……どういう意味だ?」

 渋い顔をする十勝に、芳川会長は顔をしかめる。
 まさか十勝にそんなことを言われるなんて思ってもおらず、俺は顔をあげた。
 反応する俺に気が付いたのか、十勝は「やっぱなんもないっす」と苦笑を浮かべる。

「じゃあ、俺たちは先に抜けさせてもらいますか」

 十勝はなにもなかったようにヘラヘラと笑いながら俺の肩を叩く。
 少し反応に戸惑ったが、十勝の言葉につられ俺は腰を浮かした。

「二人だけで大丈夫か?なんなら、俺も」
「会長がいると更に面倒なことになりますからいーっす」
「……そうか」

 遠慮ない十勝の一言に、芳川会長はなんとも言い難い顔をした。
 もう少し言い方があっただろうに。俺は内心冷や汗を滲ませながら、十勝の傍へと寄る。

「どこに阿賀松がいるかわからないからな。なんかあったらすぐに俺を呼べ」
「やーだなあ、会長は神経質すぎるんだって!」

 心配そうな顔をする芳川会長を、十勝は笑い飛ばす。
 確かに、芳川会長の心配性には耳を疑うものがあった。
 悪いことではないのだろうけど、優しすぎるというのは逆にこっちが気を遣ってしまう。俺は「大丈夫です」と苦笑を浮かべた。

「じゃ、お仕事頑張って!」
「……色々、ありがとうございました」

 やけに楽しそうな十勝は「行こうぜ」と俺の肩をつかみながら生徒会室の扉を潜る。
 俺はソファで寛ぐ四人に向かって軽く会釈し、先を行く十勝に慌てて着いていく。


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