天国か地獄


 25

 この病院に来て、どれほど経ったのだろうか。一週間は経っていないはずだが、それでも長い間だと思う。
 俺はあれから何度かサイトウに会いに行った。……とは言え、サイトウの反応は相変わらずだ。俺の顔も見たくないらしい。
 余計なお世話なのだろう。サイトウが何考えてるのか解っただけに強引に踏み込むのはやめた。せめて、挨拶だけでも。
 そんなことを思いながらも俺は裕斗に会いに行く体で五階を歩いていた。
 珍しくサイトウがいた。ラウンジ側の喫煙室、ベンチに腰を掛けていたサイトウは俺の姿を見るなり視線を外す。そして舌打ちが聞こえてきた。

「あ、あの……おはようございます」
「もう昼過ぎだぞ」
「あは、あはは……」
「志摩ならここにはいないぞ」

 志摩、と言われ志摩亮太の顔が過る。そして慌ててフリ払った。サイトウが言ってるのは兄の方、裕斗のことだろう。

「あ……はい、後で部屋に行ってみようと思います」
「……」
「……」
「……まだなんか用か?」
「い、いえ……その……すみません」

 同じ顔だというのに、なんでこの人はこんなに堂々としてるというか圧があるのだろうか。自分相手にまで萎縮してしまう自分に笑いすら出てこない。
 サイトウは何も言わない。このままいても邪魔になるだろうと思い、早々に退散しようとしたのだが。

「お前」

 不意に、サイトウに呼び止められる。煙草を咥えたサイトウの目はこちらを向いていた。
 煙草にぎょっとするもつかの間、サイトウに呼び止められるとは思っていなかっただけに「っ、は、はい……っ!」と思わず声が裏返ってしまう。
 慌てて振り返れば、サイトウは当たり前のようにそれに火を着けるのだ。広がる紫煙に、嫌な記憶が蘇り、内心汗が滲む。それを必死に誤魔化そうと火から目を逸した。

「あ、あの……」
「お前、志摩と付き合ってんのか」
「……ッ!」

 思わず声を失った。まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかったからこそ余計、何も返答を用意してなかった。同時にサイトウにまで自分と裕斗がただの先輩後輩ではないと気取られてしまっている事実に恥ずかしくなるのだ。

「っ、そ、れは……その」
「違うのか?……じゃあ、あの男の片思いか」
「……っ、え、えと……」

 上手い言葉が出てこない。事実、俺と裕斗の関係は恋人なんて甘いものではない。だからこそ余計勝手なことを言うことも憚れるのだが、それが逆に面白かったらしい。サイトウは唇を歪めにやりと笑うのだ。

「阿佐美といい、志摩といい……お前は面倒な野郎ばっか好かれるらしいな」
「さ、サイトウさん……そんな言い方は……」
「でも、あいつらじゃないんだろ。お前がわざわざこんな美味い条件を選ばず面倒な環境に戻るのは」

 興味を持ってくれてる。少しでも心を開いてくれてるのだろうか、それともただの気分か。……恐らくどちらもかもしれない。
 サイトウの言葉に、脳裏に会長の顔が過ぎった。
 ……そして、あの赤い髪の男が。
 はい、と小さく頷けばサイトウは「あいつら、ざまあねえな」と楽しげに笑うのだ。サイトウの引き笑いが響き、そしてその目が俺を見た。

「なら、早めに片付けて置いた方がいいんじゃねえか。阿佐美はともかくだ、志摩の方は特にな」
「それって……」
「お前も気付いてるんだろ?……あの男、お前のことになると目の色が変わるんだよ。……俺に対してもだ」

「ただの過保護と片付けるにはあまりにもおっかねえ顔で見るんだよ」まあ、お前の周囲の環境がそうさせてるのかもしれねえけど。と、サイトウは続けた。
 サイトウが裕斗に対してそんな風に思っていたのも驚いたが、裕斗に対する違和感は俺もずっと抱いたままだ。初めて出会った頃は裕斗のことが恐ろしくすら思えた。
 そして今、裕斗の人となりや考えを分かった今は裕斗の思考を理解しようとすることもできるようになったがサイトウはそうではない。だからこそ余計そう感じるのだろう。
 ――サイトウが俺に忠告してくれるほどまで俺に打ち解けてくれた、と勝手に解釈することにする。

「あの、片付けるって……」
「そりゃ、お前のこと好きじゃないって言うんだよ。二度と関わるなって」
「っ、そ、そんなこと……!」
「可哀想で言えねえってか?俺が言うのもなんだが、そんなんだからこんなことになってんじゃねえのか」
「……っ、それは」

 指摘されれば何も言えない。自分と同じ顔してるからこそ余計、もう一人の自分に怒られてるみたいで奇妙な感覚だった。

「それに、裕斗先輩は……その、それでもいいと言ってくださったので……」

 なんで、赤の他人にこんなこと言ってるんだろうか、俺。学園にいる相手にはこんな赤裸々なこと相談できなかったのに、相手がサイトウだからだろうか。つい口から漏れてしまい、顔が余計熱くなる。サイトウの表情が凍り付き、その口からぽろりと煙草が落ちるのを見て俺は自分の発言を後悔した。

「お、お前……それって……」
「ご、ごめんなさい……今のは、忘れてください」

 裕斗の名誉のためにも慌てて撤回しようとするが、サイトウは引いた顔のまま煙草を咥え直す。そして深く息を吸った。

「お前……顔に似合わずえげつないな」
「ゆ、裕斗先輩には言わないで下さい……」
「言わねえよ。あいつうぜーしな。……けど、お前それなら余計だろ。いつか刺される……って、あー刺されてんだっけな」
「…………」

 何も言葉が出てこなかった。
 ひたすら顔が熱い。ごめんなさい、裕斗先輩。そう頭の中で繰り返していたとき、隣のベンチからサイトウが立ち上がる気配がした。そして、がこんと音がしてサイトウが戻ってきたとき。

「……っ!」

 ぴと、と頬にひんやりとしたなにかが押し当てられる。驚いて振り返れば、そこにはニヒルな笑み浮かべたサイトウが立っていた。
 その手には缶ジュースが握られていた。搾りたてりんごジュースだ。

「ほら、やる」
「え、い……いいんですか?」
「面白い話聞かせてもらったお礼だ」

「何が好きか知らねーから適当に選んだけど」とサイトウは続ける。その言葉にまたいたたまれなくなったが、サイトウからこうしてジュースを貰えるだけでも嬉しくなるのだから我ながら現金だと思う。

「あ、ありがとうございます」
「お節介ついでに言っておくが、ああいうタイプは後々面倒だぞ」
「……はい」

 後々、か。裕斗との関係のこれからをちゃんと考えていたわけではなかっただけにサイトウの言葉に耳が痛くなる。
 けど、やっぱりサイトウは悪い人ではないのだと確信した。
 そのときだった。背後で足音が響いた。ガラス張りの喫煙室内、サイトウの視線が俺の背後に向けられる。つられて振り返ろうとしたときだった。喫煙室の扉が開いた。

「――ゆうき君?」

 名前を呼ばれ、ぎくりと肩が震えた。
 阿佐美だ。……いつの間に来ていたのだろう、朝は姿が見なかったはずなのに。
 ベンチに向かい合って座っていた俺達を見て、阿佐美の顔色が変わる。
 阿佐美が何か言い出す前に、サイトウは咥えていた煙草を揉み消してそしてそのまま立ち上がった。それから阿佐美の身体を押しのける様にして「退けよ」とそのまま喫煙室から出ていく。
 阿佐美はそれに対して何を言うわけでもなく、煙たい喫煙室の中。缶ジュース片手に残された俺に駆け寄ってくるのだ。

「っ、なんであいつと……ゆうき君、大丈夫だった?何か、変なこととか言われ……」
「だ、大丈夫だよ……それに、その、たまたま会って挨拶しただけだから」
「……本当にたまたまなの?」

 阿佐美に問い掛けられ、内心ぎくりとした。
 相変わらず目元が見えないが、絡み付くような阿佐美の視線を感じた。

「……本当だよ。詩織にも、言われてたから」

「本当に俺にそっくりだったから驚いたよ」なんて、嘘付くことに対しての躊躇いがなくなっていくのが自分でも理解できた。
 それでも、阿佐美を安心させるにはこうするしかないのだ。
 それから俺は阿佐美に半ば引きずられるような形で病室へと戻された。部屋に戻ったときには既にサイトウから貰ったジュースはぬるくなっていた。

「一人で出歩けるようだし、大分回復したみたいだね」

 病室の中、阿佐美の声が響く。締め切られた扉、俺のために用意してくれたらしい食事を乗せたトレーをサイドボードに置きながら阿佐美は淡々と続けた。

「明日、手術を行う。先生たちにも伝えておくから、今日は早めに休んでね」

 Xデーは明日。今夜中にサイトウに伝えなければ。そして、入れ替わる準備も必要だ。
「分かった」と阿佐美に答えた声は酷く空々しく響いた。

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