天国か地獄


 17

 十勝の部屋は確か志摩亮太と相部屋だったはずだ。
 二年生の部屋が並ぶ学生寮三階。
 他同様人通りが少ないお陰で何事もなく十勝の部屋に辿り着くことが出来た。……が、部屋の前に見張りが一人。風紀委員だろう。

「あいつも寝かしときます?」
「いや、あいつは別のところへ誘き出せ。……エレベーター乗り場の方で生徒が揉めていたと言えば様子見行くだろう」
「了解!」

 人の話を聞くなり、櫻田はすぐに見張りの生徒の方に駆け寄る。そしてわざとらしい演技で見張りの生徒を向かわせていた。
 いなくなったのを確認して、櫻田はこちらを振り返り頭の上に腕で○を作ってみせる。
 ……あいつ、また変に目立つ真似をして。
 誰もいないからいいものの、すぐに戻ってくるかもしれないというのに。
 舌打ちをし、櫻田の待つ十勝の部屋の前まで移動する。
 十勝に念の為予めアポを取っておくべきか考えたが第三者がやつの携帯を管理しているときが厄介だったためアポなしの訪問になる。
 同室者の志摩亮太、もしくは中にも監視がいる可能性も拭いきれない。俺は扉の横に待機し、櫻田に扉をノックさせる。
 三回櫻田は軽く扉を叩く――反応はない。
 もう一回やれ、そう目で合図したとき。ゆっくりと扉が開き、櫻田はすぐにドアノブを掴んで扉を抉じ開けた。

「っ、おわ!なに……ッ!」
「お邪魔しまーす」

 十勝の声が聞こえる。
「何勝手に入ってきてんだよ!」と慌てた声。それ以外の声は聞こえない。
 扉の中へ入った櫻田だったがすぐにバタバタと扉から顔を出した。

「大丈夫そうっすよ、こいつ一人なんで」

「会長」と笑う櫻田。
 先程適当な嘘で騙した見張りが戻ってくるのも時間の問題だろう。
 ここにいつまでもいるわけにもいかない。
 櫻田が開く扉から十勝の部屋の中へと踏み入れる。相変わらず雑多な部屋だ。
 後ろ手に閉められる扉を確認し、そのまま正面に目を向けた。

「か、いちょう……?」
「久し振りだな。十勝」

「なんで、ここに」という声は酷く掠れて聞こえた。
 困惑、動揺。……少なくとも、喜んでいるようには到底見えない。どれもこれも想定内の反応だ。

「単刀直入に聞こう。――志摩裕斗はどこにいる?」

 無駄話をするつもりもない。
 恐らく全てがあの男に繋がっていることは分かっていた。十勝もその内の一人だ。
 志摩裕斗によって保護されていた十勝ならば何かしら耳に入ってきてるはずだ。
 そしてその証拠に、あの男の名前を出した瞬間十勝の表情が曇る。

「会長……っ」
「言うつもりがないのか、それとも知らないだけなのか。答えろ」
「裕斗先輩のことは、俺も人伝に聞いただけだから知らないです。……でも、そんなこと聞いてどうするつもりなんですか?」

 十勝直秀は軟派な性格ではあるがその芯は強い。
 いい加減ではあるが情には厚い男だと、その点を評価していた。
 ……けれど、それも以前の話だ。

「お前には関係のないことだ」

 もう既に生徒会は崩壊している。こいつが俺に義理を尽くす必要もない。
 何も知らないというのなら、余計。

「……っ、会長……」
「離せ」
「俺も、着いていきます」

 一瞬耳を疑った。
 ……この男が何を言っているのかまるで理解できなかった。

「お前、俺の立場を分かってるのか?この部屋から出ていきたいのなら勝手にすればいい。鍵なら開けたままにしてやろう」
「俺、聞いたんです。佑樹もいないんですよね」
「…………」
「俺も、一緒に探します。会長の手助けならいくらでもするので連れて行ってください」

 どこまで、何を聞いたというのか。
 頭を下げる十勝に、櫻田は呆れたように肩を竦め「どうします?」とこちらを伺うのだ。
 正直、大人数でウロウロする必要はない。
 こいつが何を考えているかもわからない。けれど、恐らく十勝が心配しているのは俺でも志摩裕斗でもない。

「……邪魔になればすぐに置いていく」
「っ、会長……!」
「会長、本気で言ってます?」
「俺の言うことに不満があるのならお前がここに残るか?櫻田」
「う……っ、冷てえ……でもそこがイイ……ッ!」

 不愉快な戯言を聞き流し、俺は十勝に向き直る。

「……お前はどこまで聞いた?」
「裕斗先輩と、裕斗がいないっていうのだけ……風紀委員の連中が志木村先輩と騒いでたのは聞きました」
「それじゃあ、縁方人のことは何も聞いていないのか」
「……っ!あいつも、何か関係してるんですか?」
「さあな、知らんが……あいつも姿を消した」

 偶然の一致にしてはあまりにもタイミングが良すぎる。
 そして十勝もすぐにそれを意味することに気付いたようだ。その顔が青ざめて行く。

「佑樹たちは、もしかして……っ」
「無関係と言い切れないだろう」
「あいつ……ッ!」

 苛ついたように髪を掻き毟る十勝は全ての元凶が縁方人だと思い込んでいるようだ。
 十勝があの男のことを嫌悪していることは前からだ。十勝が留年するきっかけとなったのも元はといえば縁が直接的な原因だ。そう思いたいのも無理はないだろうが、俺にはやはりどう考えてもその後ろに別の人物の存在を感じてならなかった。

「……っ、そういえば会長、和真は会ってないんですか?あいつならもしかしたら何か知ってるかも」

 閃いたように食い付いてくる十勝。
 この男は灘と暫く会っていなかったのだろうか。
 最後に会ったときの灘の様子を思い出す。

「会っていないな」
「そっすか。……なら、俺の方から連絡……あ、携帯取り上げられてんだっけな」
「灘とは会っていないのか」
「一度会いましたけど……邪魔入ってあまりちゃんと話せなかったんですよ。……それに、ほら、栫井のこともあるから和真、気にしてたみたいでしょっちゅう様子見に行ってるらしいっすけど……もしかしたら栫井の病院に行けば和真と会えるかもしれませんよ」
「そうだな。お前は栫井のところには行ってないのか」
「俺はほら怪我のこともあったからまだ見張り外されてないんですよ。本当、心配してくれるのは有り難いっすけどここまでくりゃありがた迷惑っすね」

 十勝は本当に何も知らないのだろう。縁方人に殴られた傷か。俺が縁方人と協定を組んでいたと知ったらどんな顔をするのか。
 ……軽蔑するのだろう、こいつは。

「でも、もうピンピンしてますから。寧ろ元気有り余ってますし」
「元気だけ有り余られてもなあ」
「んだと……って、お前櫻田か?!」

「おい、余計なこと言うな」と櫻田を止めるよりも先にようやく気付いたらしい。
 女装ではない櫻田に驚いた十勝はまじまじと櫻田を見ていたが「お前全然わかんねえな」と感心する。

「気付くのが遅えよ。あと、会長はお前がついてくるの許してくれたみたいだけど会長の邪魔になるようだったら俺が許さねえからな。覚えとけよ」
「相変わらず可愛げねえ……ってか、お前今までどこに行ってたんだよ。貴音先輩が探してたぞ、江古田も!」
「俺には会長からの命令を遂行するという重大任務があるんだよ」
「はぇー……まあ知らねえけど後で一応声かけとけよ?」

 煩いのが二人に増えたお陰で余計騒がしくなる部屋の中。不意に扉を叩く音が響く。
 その音に飛び上がった十勝は「ちょっと出ます」と声を潜め、そのまま玄関口へと向かう。
 俺達はそのまま玄関から死角の物陰へと身を隠した。

「あ……どうしたんすか?声?……ああ、すみませんただの鼻歌っすよ。……え?変なやつが来なかったかって?……いやー見てないっすね、疲れてるんじゃないっすか?」

 どうやら先程誘き出した風紀委員が戻ってきたようだ。
 玄関の外でなにやら風紀委員と会話を交わしていた十勝だったが、やがて向こうが折れたようだ。再び扉を閉じ、十勝はこちらへと戻ってくる。

「変な男が来てないかって聞かれましたけど……もしかしなくてもお前のことだよな、櫻田」
「会長に殴るなって言われたからああするしかなかったんだよ」
「一応来てないって言ったら引いてもらえたけど……これ以上はどこまで誤魔化せるか……。これからどうするつもりなんですか?」

 何かしら十勝が知っていればと十勝頼りに来たのも事実だ。
 志摩裕斗への道が途絶えてしまった現状、大分選択肢は狭まる。
「監視室のカメラの様子を見たい」
「っ!……けど、あれって……」
「ああ、キーがなければ入ることはできないだろう。そして、俺はその権利を剥奪されている。現時点であの監視室に入れる人間は……」

 ――阿賀松伊織。
 俺と十勝の頭に同じニヤケ面の赤髪が思い浮かんでいることだろう。
 しかし普通に考えればそれを選択肢に入れるのは愚かなことだ。

「マスターキーを使う。……寮長であるあいつなら使うことはできるだろう」

 ――志木村千寿。
 できることなら会いたくない顔だ。
 けれどずっと避けることができるとは思っていない。
 あいつが素直に言うことを聞くとも思えない。
 それでも、ここまできて手段を選ぶつもりはなかった。

 ◆ ◆ ◆

 学生寮一階、寮長室。
 志木村の自室は空だった。だとすると居る場所はここしかない。扉の前には丁度寮長室から出てきた志木村の後輩がいた。
 その生徒は俺の顔を見るなりぎょっとする。

「おい、中に志木村はいるのか?」
「え……その……」
「いるのか、と聞いてる」
「い、いらっしゃいます……っ」

 どうぞ、と寮長室の扉を開くその生徒に招き入れられるがまま寮長室の中へと足を踏み入れた。
 私物化されたその寮長室の中は相変わらずごちゃごちゃと散らかっている。
 その部屋の奥、座椅子に腰を掛けていた志木村は部屋の中に入ってくる俺たちにゆっくりと視線を向けるのだ。
 さして驚くわけでもなく、それでも歓迎するわけでもなくただ片眉を持ち上げる。

「……誰かと思えば、ぞろぞろとなんの用ですか?生憎ここは休憩室ではありませんよ」
「そんなこと見れば分かる」
「でしたらお引き取りどうぞ」

 この男は、と喉元まで出かかった言葉を飲む。
 ここまで露骨に邪険にされることは想定内だ。
 このままでは恐らく話は平行線だろう。やつの前の卓袱台をバン、と軽く叩いた。

「……志木村、単刀直入に言おう。マスターキーを借りれるか?」
「それ、本気で言ってます?……だとしたら芳川君の頭が心配になりますね」
「んだとこんのニヤケやろ……ふご!」

 案の定志木村の挑発に乗り掛ける櫻田の口を塞ぎ、無理やり黙らせる。
 しかし遅かった。志木村の不機嫌な色は更に濃くなる。

「それで威圧してるつもりかどうかは知りませんが……僕と話がしたいのでしたら一人で来たらどうですか?」

「大丈夫ですよ、もう襲うなんて真似しませんので」なんて、皮肉混じりに笑う志木村に「襲……ッ」と櫻田が絶句する。面倒だ。

「十勝、櫻田を連れて行け」
「はーい」

 飛びかかりそうになっていた櫻田の首根っこを掴み、そのまま十勝に引き渡す。
「ッ、あ、おい離せッ!おい!」と最後の最後まで櫻田は暴れていたが十勝はそのまま櫻田を引き連れて外へと出ていった。
 そして再び静まり返った寮長室内。
 いるのは俺と目の前の男だけだ。

「お望み通り邪魔なやつらはいなくなった。これで満足か?」
「それが人に物を頼む態度ですか。……まあいいですよ、話くらいは聞いてあげますよ」

「生憎、僕もやることがなくて困っていたところなので」どこまでが本気でどこまでが冗談なのか掴みどころのない男ではあるが、それでも以前のように頭ごなしに拒絶してこないだけまだマシなのかもしれない。
 歓迎されてもないが、最悪門前払いを食らうことも想定していたのでまだ話が通じることが意外だった。

「お前が志摩裕斗と連絡が取れなくなった日の監視カメラの映像を確認したい」
「でしたらその必要はありませんよ。僕が確認してますので」
「何もなかったのか?」

 尋ねれば、志木村は「ええ」と頷く。

「既に細工されたみたいですね。その時間ごとまるまる切り抜かれているようでした」

「そんな小賢しい真似をするなんて君かあの人しかいないでしょう?」あの人というのが誰かは言わずともわかった。
 そして志摩裕斗に恨みがあるするならばあの男よりも俺だと判断したのだろう。
 だからとは言え、一方的に疑われた身としては決めつけるようなその言葉に呆れしかなかった。

「そもそも俺には監視がついていた。そんな真似出来るわけがないだろう」
「だとしても、あの人がそんな真似をする理由が見つからない。どうして、齋藤君と裕斗先輩が連れて行かれたのか」

 そんなの、ただ一つしかないだろう。
 志摩裕斗が阿賀松伊織に反旗を翻したのだ。
 馬鹿馬鹿しい友情ごっこを終わらせたのだろう。……それに齋藤佑樹のこともある。俺からしてみればあの二人が衝突するのはおかしなことだとは思わない。寧ろ、今までが歪だったのだ。

「阿賀松伊織の姿は見ていないのか」
「ええ。最後に会ったときはまだ齋藤君も一緒のときでした。その時以降は一度も」
「…………」

 やはり、あの男が絡んでいることは間違いないのだろう。
 ……だとしたら面倒だ。想定していた中でも一番厄介な可能性が濃厚になっていく。
 静まり返った寮長室内。

「芳川君。君はそんなことを調べてどうするつもりなんですか?」
「知らん」
「……芳川君」
「そんなこと、あいつを見つけ出してから考える」

 他人に掻き回され、巻き込まれ、振り回されるこの状況がただ堪らなく不愉快なのだ。俺の思考脳平穏までも蝕むことが許せない。
 全て自分のためだ。そのまま伝えれば、志木村は僅かに目を開いた。
 そして、呆れたように笑うのだ。

「……変わりましたね、君は。もっと賢い人だと思っていましたが」
「なんとでも言え。そんなこと微塵も思っていないくせに」

 志木村は返事の代わりに肩を竦めた。そして微笑む。

「芳川君、君は……齋藤君を探すつもりなんですね」
「だったらなんだ?」
「諦めた方がいいですよ。僕も既に心当たりは全て当たりました。近隣の監視カメラも確認させてもらえないか頼み込ましたがまるで雲隠れしたかのように痕跡から消えてるんですよ。これ以上は時間の無駄です。君も大人しく部屋で謹慎していた方が懸命ではないですか?」

 嘘だ、と直感で分かった。
 安っぽい、欺く気など感じさせないその多弁に呆れて鼻で笑えばやつの笑顔が僅かに引き攣る。

「何が諦めただ。だったら何故ここにいる」
「なんのことですか?」
「寮長室からは校門がよく見える。ここに入り浸り車の出入りを確認してるのではないか?」

 夏季休暇中、寮長室を尋ねる者はそう多くない。そもそも生徒自体が少ないこの時期、それでもここにいるのはやつがまだ諦めていないからだ。
 志木村は不愉快そうに顔を歪め、そして自嘲する。

「驚いた、君も妄想癖だったとは」
「そういうお前は随分と腰抜けになったものだな」
「……僕にも恐ろしいものがある。残念ながら君みたいな怖いもの知らずの馬鹿じゃないんだ」
「そうか、ならばずっとここにいるのいい。帰ってくるかもわからない飼い主を待ってな」

 これ以上は何も聞き出せないだろう。時間の無駄だ。そう立ち上がり、寮長室を出ていこうとしたときだった。

「なんのつもりだ?」
「……ッ、……」

 掴まれた手首。振り返れば、やつは顔を強張らせる。心なしか顔色も悪い。それでも、手首をきつく掴むその手のひらは熱い。

「……僕も、手伝わせてください」
「恐ろしい、と言ったのはお前だろ」
「いい予感はまるでしません、もしかしたら、無事じゃないんじゃないかとも思ってます。あの人、命知らずの馬鹿だからまた無茶したのではないかと」
「それで、散々陥れてきた俺を頼るのか?」
「僕にはもう、何もありません……どうだっていい、裕斗先輩の無事が分かればそれで」
「…………」

 散々啀み合い、噛みついて、そんな相手に縋り付く目の前の男が哀れで滑稽で仕方ない。
 それなのに、まるで笑えない。まるで自分を見ているかのような違和感が拭えず、俺は志木村の手を振り払う。

「……ッ」
「なら、さっさと出掛ける用意をしろ。これから学園から出る」

 使えるものは全て使う。志木村は、はい、と頷いた。プライドなど型なしだ。元よりこちらが本質なのか。従い、依存するしか能がない。誰かさんみたいだな、と不愉快な声が頭の中で響く。それを掻き消し、俺は寮長室を志木村とともに出た。
 廊下で待たせていた二人が何事かと驚いた顔をしてこちらを見るのを無視し、櫻田に「タクシーを呼べ」と命じた。
 こういうとき足がないのは不便だ。思いながら時計を確認する。
 既に午後、夕方に差し掛かる時間帯。面会時間も残り僅かだ。
 ――今はただ、一分一秒が惜しかった。

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