天国か地獄


 42

 横になれば眠れるだろう。
 そう思ったが、目を瞑ればこれからの不安ばかりが頭をぐるぐると巡るのだ。
 裕斗と志木村、何を話してるのだろうか。
 間違いなく芳川会長の処分については話に出てるだろうが、問題は裕斗だ。今この学園で会長の処分についての決定権を持ってる人間は裕斗だろう。
 そしてその背後には阿賀松もいる。

 ……会長の名誉を守り、裕斗の信頼を落とす。
 そうすれば、少なくとも会長が極端な処分を受けることはなくなるだろう。

 自分が恐ろしいことを考えてることに気づき、今更怖気づきそうになる。考えるな、今は、会長のことだけを……。
 そう考えたとき、玄関の方から音が聞こえてきた。
 裕斗が戻ってきたのだろうか。置き時計を確認すれば、大分時間が経っているようだった。
 のそりと体を起こそうとすれば、「あれ」と裕斗ではない声が聞こえてきた。

「齋藤君、まだ起きてたんですね」
「し、きむら……先輩……?」
「具合は大丈夫ですか?」

 ベッドのそばまでやってきたその人はにこりと微笑みかけてくる。起き上がろうとすれば「ああ、寝てていいですよ」と志木村は俺に布団をかけ直してくれた。

「……だ、大丈夫……です。あの……」
「ああ、裕斗さんが気になるんですか?」

 部屋にも戻ってきていないようだ。裕斗の部屋の鍵を手にした志木村は「少し遅くなるかもしれませんね」となんでもないように続けた。

「ちょっと問題……というほどのことではないですけど、急用ができて席を外してます。その間、念の為君を見ると僕が言ったんですよ」

「窓の外から入られたり、見張り眠らされたら元の子もありませんから」と志木村は冗談めいた口調で続ける。
 誰のことを指しているのかわかった。
「すみません」と謝れば、志木村は微笑んだまま俺の布団をぽんと叩いた。

「君は悪くないですよ。その原因が君だとしても、防ぐことはできた。つまりこちらの落ち度ですから」

 志木村は物腰から穏やかで柔らかい印象を受けるが、その根底は醒めているのだろう。
 冷静な言葉だからこそ救われる。けれど、今の俺にとって志木村と二人きりという状況は緊張以外のなにものでもない。
 志木村は、どこまで気付いているのか。
 本当は俺と裕斗のことを気付いたと言われても納得できそうな気もして、今こうして反応を見られてるのではないか。そんなことを考えては、動きが固くなる。
 意識しすぎてはいけない。あくまで自然体でいかなくては。

「ぁ、あの……志木村先輩……」
「ん?どうしました?」
「十勝君は、怪我は……大丈夫ですか?」
「……ああ、見た目は腫れが酷くなってましたが骨には異常はないみたいですよ。腫れも冷やしたら時間経過で収まるものなので、僕が会った時本人はピンピンしてましたよ」

「それどころか、君のことばかり心配して」そう、志木村の言葉に何も言えなくなる。
 十勝……。
 俺を保護してくれると信じて裕斗に部屋の鍵を渡した十勝の気持ちを考えると、申し訳なさに頭が上がらなくなる。

「念の為見張りも付けてますが相手が相手ですしね、彼に寝泊まりしてもらう寮長室は教師の部屋も近いので下手に手出しもしないはずです。ある意味安全な場所なのできっと心配はいらないです」
「……あの、ありがとうございます」

 志木村は笑った。「君たちは仲がいいんですね」と、いつもの胡散臭さのある笑顔とは違う、きっと素の笑顔なのかもしれない。

「縁方人と灘和真については見かけ次第捕まえるようには手配済です。君がいるところに現れる可能性は高いでしょうが、まあ彼らについては君は気にしなくて大丈夫です」

 そうか……灘。
 十勝と別れたあと、きっと灘は十勝のことも心配してるだろう。
 灘なら、俺の考えていることを手伝ってくれるかもしれない。
 きっと灘は俺のことを信用していないだろうが、利害は一致している。
 灘のことだ、まだどこかに潜伏してるのだろう。

「齋藤君?」

 名前を呼ばれて、はっとする。
 志木村がこちらを見ていた。その目に驚いて内心ぎくりとすれば、志木村は少しだけ申し訳なさそうに眉を下げた。

「……そんなに心配しなくても大丈夫ですよ、なるようになりますから」

 僕たちに任せてください。
 そう笑う志木村に、俺は本心を悟られないように曖昧に頷き返すことで精一杯だった。

「すみません、具合悪かったんですっけ。……僕のことは気にせず休んでて大丈夫ですよ」

 気にするなと言う方が無理な話だ。
 けれど、表向き具合悪いということになってる今ペラペラ喋りすぎて変に勘繰られるのを避けたかった。

「……わかりました、じゃあ……すみません」

 いえいえ、と志木村は小さく手を振って笑う。
 ……優しい、いつもの志木村だ。
 さっきはギクリとしたが、やはり冗談だったということか。裕斗とのことはまだ勘付かれていないようだ。
 ……厭な緊張感だ。
 どこで勘付かれるかもしれないという恐怖がこびりついて離れない。とにかく、下手な真似をするよりかは眠るふりしてた方がいいだろう、そう思い、シーツ被った俺はそのまま目を瞑る。
 志木村が動く気配がする。何をしてるのかわからないが、音を立てないように配慮してくれてるようだ。

 俺もつられて呼吸を止めそうになる。

 …………。
 どれほど経ったのだろうか。
 再度玄関口で音がした。
 今度こそ裕斗が戻ってきたのだろう。
 ソファーのスプリングが軋む音がする。志木村が玄関口の方へと向かったのだろう。俺も起きようかと思ったが、それじゃたぬき寝入りだと疑われそうでやめた。

『齋藤は?』
『安心してください、すやすや眠ってますよ』

 遠くから聞こえてきた二人の会話に、思わず体が強張った。
 やはり裕斗のようだ。……自分の名前を呼ばれ内心緊張するが、それも一瞬のことだ。

『……それより裕斗さん、どうでした。彼の様子は』

 僅かにトーンが落ちた志木村の声に、俺は、今度こそ呼吸を停めた。

『相変わらずだよ。俺とは話す気はないらしいな』
『……芳川君には伝えてないんですよね』
『言ってない。けど、あいつは芳川と……齋藤としか話さないって言っててな』

 ……彼、誰だ。
 俺か芳川ということは……生徒会の人間だろうか。
 十勝かと思ったが、それじゃあおかしい。もしかして灘のことだろうか、灘が見つかったのか。

『裕斗さん、絶対彼からの条件飲んじゃだめですよ。このまま誰にも会わせないようにしてください、見張りも最小限。絶対周りに知られないように。……彼は手段を選ばないようですから』
『わかってるよ、ちゃんと鍵も掛けてるし見張りも俺のよく知ってるやつつけてるから』
『……それならいいですけど』

 何やら俺の知らないところで何かが動いてるようだ。
 無意識に体に力が入る。盗み聞きなんてしてはいけないと思ってるが、もう、なりふり構ってる場合ではなかった。

『取り敢えず、また後で様子見に行くよ。……志木村、お前も今日はいろいろ疲れただろ。悪いな、帰っていいぞ』
『言われなくてもそのつもりです。……一応僕の方でも気にはしてますので、何かあればすぐに呼んでください』
『おう、了解。頼んだぞ』
『……それしゃ、失礼しますね』

 扉が閉まる音がした。
 志木村が帰ったらしい。暫くして、足音が近付いてくる。
 ベッドの側までやってきたその足音に、思わず呼吸が止まりそうになった。そして、つい、目を開いてしまう。
 そこには、驚いたような顔した裕斗がこちらを見下ろしていた。

「お……なんだ、起きてたのか」
「……すみません、音が聞こえたので」

「……おかえりなさい」と、しどろもどろ起き上がろうとすれば、裕斗は「ただいま」と笑う。そして、済まなそうに目を細めた。

「せっかく寝てたのに悪いな」
「いえ……大丈夫です」
「疲れてるだろ、寝てていいぞ」

 そっと頭を撫でる手に、労る声に、心臓がぎゅっと締め付けられる。
 先程、裕斗と志木村が話していた内容のことが気になっていた。
 誰を、どこに閉じ込めてるのか。きっと、直接聞いても二人は口を割らないだろう。
 ならば、どうすれば。

「……」

 そっと、裕斗を見上げる。目が合って、裕斗は「どうした?」と笑いながら俺の頬を撫でた。

「あの……その……」

 言葉が出てこない。口籠る俺に、裕斗は何か汲み取ったようだ。俺の手を握り締め、そのまま抱き締める。
 瞬間、裕斗の薬品の匂いが強くなってることに気付いた。

「わかった、頭撫でてほしいんだろ」

 違うが、それでもいい。俺は「はい」とだけ答え、そのまま裕斗に身を委ねることにした。
 薬品……それと、錆た鉄のような匂い。
 裕斗が怪我したのだろうかと思ったが、そんな素振りは見えない。
 厭な予感が巡る。そんな俺の思案も知らず、裕斗は「仕方ねえな」と俺をぎゅっと抱き締めて、わしわしと頭を撫でくり回される。
 いつもの裕斗だ。けれど、知ってる。裕斗のスイッチの切り替わる瞬間を。俺は、頭をなでる裕斗の手に擦り寄る。微かにその手が強ばるのがわかった。
 その笑顔が消えるのを見て、俺は、裕斗の手のひらに唇を寄せた。……単純も単純、分かりやすい人だと思う。
 それなのに、口は硬い。ならば、直接確かめればいい。

 何があったのか、自分の目で。
 時計の音が遠のく。
 体力持つかな、そんなことを考えながら俺は目を瞑った。

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