天国か地獄


 41

 





「裕斗さん、ちょっと……一体今までどこにいたんですか?ずっと僕探してたんですよ」

 四階、三年の部屋があるフロア。
 裕斗の自室に向かうその途中、最寄りのラウンジで待ち伏せしてたらしい。ソファーから立ち上がった志木村は怒ったように裕斗に詰め寄っていたが、その後ろに俺がいるのを見つけると「齋藤君」と目を丸くした。

「ちょっと、齋藤君と一緒にいたんならなんで尚更教えてくれないんですか。ずっと心配してたんですからね」
「あー、わかった、悪かったって。……それより、十勝君は?」
「念の為風紀の監視下に置いてますよ。部屋に戻るのも危険かもしれないので今日は寮長室で一晩過ごしてもらおうと」
「……そうか」
「それよりも、大丈夫ですか?齋藤君。顔色が優れないようですけど……」

 心配そうに近付いてくる志木村にぎくりとした。
 声を出しすぎて声が枯れているのを勘付かれたくなくて黙っていたが、それが余計怪しまれたらしい。
 慌てて首を横に振るが、怪訝そうな目は離れない。

「まさか……裕斗さん齋藤君になにかしたわけじゃないですよね」
「えっ?」

 ギクリとした。それはもう口から心臓が飛び出すかと思うくらいだ。それは裕斗も同じだったらしい。わかりやすい反応する裕斗に益々焦ったが、志木村はすぐにへらりと笑ってみせた。

「齋藤君、この人になんか意地悪されたらすぐに僕に言っていいんですからね。この人自分勝手だから聞かないでしょう?」
「……い、いえ……そんなことは……」
「志木村、齋藤体調悪いんだから余計なこと喋らすなよ。……それと、今夜は俺の部屋に置いておくから」
「それは別に構わないですけど……体調悪いなら尚更僕の部屋に連れて行った方がいい気もしますけど?」
「お前な……」

 俺の緊張を解させようとしてるのかもしれない、裕斗の反応見てクスクスと笑っていた志木村は俺の方を見て、「半分本気ですよ」と目を細める。

「でも、明日の件について話があるので齋藤君を休ませたあとでいいんで時間を貰いますよ」
「電話じゃだめなのか?」
「嫌ですよ。裕斗さんと電話までしたくありませんし」
「はいはい、そりゃ仕方ねえな。じゃあ後でまた来るよ」

「行くぞ」と、裕斗に背中を撫でられ、ぎょっとする。
 けれど、裕斗は気にしていないようだ。なるべく平静を装って歩き出そうとしたとき。
「そういえば」と、ソファーに座り直していた志木村が俺たちに向かって声をかけた。
 振り返れば、そこには変わらない柔和な笑顔。

「裕斗さんって齋藤君のこと呼び捨てでしたっけ?」

 何気ない一言だった。
 けれど、それはあまりにも鋭く、咄嗟に息が停まる。
 冷たい汗が背筋に流れた。最悪の事態は想定してるが、あまりにも勘が良すぎる志木村に心臓の鼓動は加速する。
 反応できずにいる俺の隣、志木村の方を振り返った裕斗は笑う。志摩によく似た笑顔だ。なにかを隠すような、薄い笑み。

「……なんだよ、俺が呼び捨てにするのがそんなに珍しいのか?」
「いえ、別に。ただなんとなく気になったんで」
「なんだそれ」
「くだらないことで呼び止めてすみませんね、齋藤君。裕斗さん、先に齋藤君を休ませてきて下さい」

 志木村は本当に思い付きだったようだ。
 それ以上深く追求されないことにホッとする。裕斗は「はいよ」とだけ志木村に手を振れば、「行くぞ、齋藤」と俺の肩を叩く。
 触れられただけで緊張してしまう理由はわかっていた。

「……はい」

 小さく頷き返し、俺は志木村に会釈してその場を後にした。


 ――裕斗の部屋。

「っ、ん、ぅ……んん……っ」

 まさか玄関に入るなりキスされるとは思ってもいなくて。
 玄関を施錠するなり抱き潰されそうになる。性急な行為には慣れていたつもりだったが、それでも先程までの緊張感が残ってるからか余計熱が増す。
 中途半端な状態で部屋を出てきていたのもあるだろう、それでも、裕斗に求められるというだけで反応してしまうのだ。裕斗とこうして唇を重ねるごとに自分がどんどん醜いなにかになっていくような嫌悪感。
 それ以上の熱に、溶かされる。

「……っ、齋藤……」
「ん、ぅ……っ」

 どこでもいい、柔らかいクッションなど無くたっていい。裕斗に求められるだけで俺にとっては十分だった。
 広い背中にしがみつき、俺は、裕斗の舌に吸い付いた。恥ずかしくないわけがない。けれど、その感覚すら麻痺していくのが自分でわかった。
 どれほど経ったのかも分からない。
 志木村を待たせてるにも関わらず、裕斗は止めることをしなかった。結局その場で裕斗の熱を抑えるため一度抜いた。流石にこれ以上挿入されると俺が保たないというのもあったし、温情……のつもりなのだろうか。
 もう、何もわからない。 

「……ッは、志木村のやつ、すげえわまじで……エスパーだろあれ」

「あいつの第六感は本物だな」そう、制服を着替えながら裕斗は他人事のように笑う。
 自分の汚点を気付かれそうになったにも関わらず笑えるメンタルは相変わらずのようだ。

「……志木村先輩は、気付いてるんでしょうか」
「気付いてねえよ」

「気付いてたらお前を俺に任せないだろうしな」ラフな服装に着替えた裕斗は、そう言って俺の頭を撫でる。
 その手付きは後輩に対するものではない、性的なものを帯びてることにぎくりとしたのも束の間当たり前のようにキスをされる。
 唇は触れるだけですぐに離れた。

「……っ、裕斗先輩……」
「体、大丈夫か?」
「……だいじょうぶ、です」
「そうか」

 何を考えてるのだろうか、この人は。
 あまりにも変わらない、それどころかまるで恋人に対するもののように俺に優しくしてくれる裕斗にただ困惑する。
 芳川会長と同じことをしたとなると会長の処分を考え直すだろうと思ってた。俺に襲われたとすれば、会長だって被害者だろうとわかってくれると思っていた。
 けれど、俺に嫌悪感を示すどころか裕斗は受け入れてくれる。寧ろ、こちらの方がペースに呑まれそうになる。

「せんぱ、い……っ」

 ちゅ、と何度目かのキスをする。
 触れるだけのキスをし、そして、頬を撫でられ、「齋藤」と耳元で名前を呼ばれればぞくりと背筋が震えた。

「芳川……あいつとは、どうだったんだ」
「……っ」
「本当に付き合ってたのか?」

 会長の名前を出され、ぎくりと体が硬直する。
 その問い掛けは、俺には難しかった。確かに表向き恋人として会長は立っていた、けれど、実際にはその役割を演じていただけだ。
 そして俺はその立場に甘んじて芳川会長に守られていた。

「…………付き合ってないです」
「じゃあこういうことはしてたのか?」

 唇を撫でられ、こそばゆさに縮み込む。
 逃げそうになる体を掴まえられ、真っ直ぐに覗き込まれた。俺には眩しすぎるその目に、思わず目を逸らす。
 俺は、何も言えなかった。
 それを認めると、会長がクロだと思われそうで下手に何も答えられなくて。けれど、会長とも肉体関係はあったと言った方が信憑性増すかと思ったが、そこまで頭が回らなかった。押し黙る俺に、裕斗の目が僅かに細められる。

「まだ好きなのか」

 何を聞きたいんだ、この人は。
 質問責に耐えられなくて裕斗から顔を逸した時、顎を捕まえられる。無理やり正面を向かされ、真正面から視線がぶつかりあった。

「ゅ、うと……せんぱ……っ」

 やがて痺れを切らした裕斗に唇を重ねられる。
 もう何度キスしたかなんて覚えてない。けれど、わかったことがある。裕斗はキスする直前決まって俺の目を見つめるのだ。

「っ、は……なんか、お前といるとわけわかんなくなるな……どんどん自分が嫌なやつになっていく」

 その言葉に心臓が軋む。
 裕斗は、気にしていないのだと思ったがそうじゃない。表面に出ないだけだ。そう仕向けているのだから当たり前だ、寧ろその自覚があるというだけでも俺としては万々歳だったが……罪悪感がないと言えば嘘になる。
 寧ろ、この場合嫌なやつなのは間違いなく俺なのだろうが。
 そんなとき。ドンドンと叩かれる扉に、裕斗は俺から手を離した。

「……志木村だ。あいつ、待ってろっつったのに……」
「あの、行ってください……俺は……」

 大丈夫ですので、と言いかけたとき。
 不意打ちでキスされる。
 びっくりして呆気取られてると、少しだけ面白くなさそうにした裕斗がそこにいた。

「その言い方は卑怯だぞ。……少しは引き止めろよ」
「せ、んぱ……」
「眠くなったら寝てていいから。好きに寛いでくれ」

 それも束の間。裕斗はそれだけを言うと立ち上がり、さっさと部屋を後にする。
 施錠される扉。
 外から裕斗と志木村の声が聞こえてきた。
 争うような声は聞こえないが、きっと志木村は怒ってるに違いない。あれだけ待たせてしまったのだから。
 裕斗のいなくなった部屋の中、ようやく一人になったことにホッとする。
 そこでようやく自分がかなり疲れてることに気づいた。性行為の疲労感だけではないだろう、ずっと快楽で誤魔化し続けていた慣れないことをしてるというストレスは一人になるとどうしようもない。
 裕斗もああ言っていたし、とにかく今は横になりたかった。俺は裕斗のベッドにそっと歩み寄る。
 裕斗の匂いがする。裕斗の部屋だから当たり前なのだが、裕斗を意識せずにはいられない。
 ……体の火照りはまだ取れそうになかった。

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