37
内側から開けようとしても開かない、窓のない部屋の中、勝手に部屋のものを漁ることもできなくてただ玄関口に座り込んで扉の向こうの物音や気配で十勝が戻ってくるのを待つことしかできなかった。
そしてようやく足音が近付いてきた時、俺は慌てて扉から離れる。鍵が開く音。そして、目の前の扉がゆっくりと開くとき、俺は咄嗟にドアノブを掴み、部屋から飛び出そうとして――そこにいた人物とぶつかりそうになる。
十勝には言いたいことが山ほどあった、どうして俺を置いていったのだとか、どうするつもりなのかとか、色々だ。けれど、そこにいたのは十勝ではなかった。
「――齋藤?」
志摩は、血相変えて出てきた俺を見て驚いたように目を見開く。
息が止まりそうだった。どうして志摩が、と思ったのも一瞬。ここは十勝と志摩の部屋だ、志摩が帰ってくるのはおかしなことではない。
けれど、俺にはあまり嬉しくない再会だった。
それは、志摩も同じだろう。
「し、ま……」
「…………ここで、何してるの?」
「それは……」
言葉に詰まる。
その目の冷たさに思考停止しかけ、俺は口を噤んだ。
「その、十勝君に……」
「あの馬鹿に閉じ込められたってこと?」
「っ、十勝君……十勝君は……どこに……っ」
「そんなこと俺が知るわけないでしょ。というか、知ってたとしてもなんで齋藤に教えなきゃいけないの?」
「……っ、志摩……」
正直に話してくれるとは思っていなかったが、案の定不機嫌になる志摩に俺は何も言えなくなる。
とにかく、ここから逃げなきゃ。
そう思って扉に目を向けるが、それよりも先に志摩は扉を閉める。当たり前のように内鍵を掛ける志摩に思わず息を飲んだ。
「志摩、鍵……どうして……」
「邪魔が入らないようにだよ」
「邪魔って……」
そう志摩が言いかけたと同時に、扉の外からノックされる。数回の乱暴なノック。
『おい、亮太!いるんだろ!鍵を開けろ!』
ドンドンドンと叩かれる扉とその音にびっくりして思わず身体が竦む。後退りする俺に、志摩は「ほら邪魔なのがきた」と笑う。
この声は……裕斗か?
「無視していいよ」
「でも、お兄さんじゃ……」
「あながち齋藤のことでも探してるんじゃないの?……十勝の馬鹿が齋藤をここに連れ込んだってことは、あいつ生徒会にも他の連中にも喧嘩売ったってことでしょ」
志摩は、どこまで知ってるのか。俺よりも状況把握してるのではないかと慄く俺に、志摩は呆れたように息を吐いた。
「齋藤って本当に顔に出る癖、直しなよ。ただのカマ掛けのつもりだったのにここまでわかり易いと逆に心配になるんだけど」
「っ、カマ……掛け……?」
「それで?……会長さんの次はあの女たらしねえ、本当に齋藤ってモテモテだよねえ。そりゃそうか、あの不能の会長さんに囲われるくらいなんだから女たらしくらい難でもないか」
「十勝君は、そんなんじゃ……っ」
「……『十勝君は』ねえ、」
しまった、と思ったときには遅かった。俺の目の前、立つ志摩に肩を掴まれる。
痛い、と顔を顰めれば、その口元に薄く笑みが浮かぶ。
「助けてあげようか」
……一瞬、この男が何を言ってるのかわからなかった。
助ける?誰を……まさか、俺をか?
何から助けるというのか、意味がわからなかった。
「……正直見てらんないよ、今の齋藤。……ふにゃふにゃの腑抜けで、あいつらに好き勝手利用されて挙げ句の果に針の筵にされるなんて。……悔しくないの?それとも、ドMっていうのはこんなゴミみたいな扱い受けても嬉しいわけ?」
「……っ」
侮辱され、顔がカッと熱くなる。
志摩は俺と会長のことを知ってる、知っててそんな言い方をしてくることが不愉快だった。
けれど、志摩の言葉は汚いが、その真意は痛いところばかりを突いてくる。そう感じるのは俺自身がそう思っているからと認めたくなかった。
「助ける、って……」
「だから、俺が助けてあげるって言ってるの。……簡単だよ。生徒会をリコールして芳川を潰せば全部終わりなんだからね」
「な、に言って……そんなこと、駄目だ……っ!」
「なんで?」
「な、んで……って……」
「死ぬわけじゃないんだから良いでしょ。それに、少なくとも芳川知憲は覚悟してたはずでしょ。一般生徒囲った時点でさ、こうなることになるなんて」
「それともセックスしすぎて馬鹿になったのかな、あの秀才さんは」なんて、見も蓋もないことを言い出す志摩に俺は、血の気が引いた。
一瞬でも志摩の言葉に反応してしまった自分が憎たらしい。わかってたはずだ、この男が俺を、会長たちを本当に助けてくれるわけがないと。
「……離して」
「離さないよ」
「……っ俺は、助けてほしいなんて言ってない」
「嘘つき。齋藤はいつだって本当のことを言わないよね」
「……志摩……っ」
「あいつ庇うために『生徒会長を誘ってセックスしまくってました』って自分のせいにしてそれで処分受けて周りからは指差されてさ、肝心の会長さんは『全部あいつが誘ってきたから悪いんだ』って自分は行儀よく席についたままでさ、それで満足なの?齋藤だけが悪者扱いされてそれでのうのうとしてるあいつら見て『これでよかった』なんてどん底から見上げてんの?自分はこっ恥ずかしい汚名まで着せられて指咥えてるんでしょ?」
「それって馬鹿でしょ」ぐさぐさぐさと音を立てて言葉のナイフが刺さる。耳を塞ぎたかった。目を逸したかった。目の前の志摩を突き飛ばそうとするが、突き出した手首ごと掴まれ、壁に押し付けられる。
「っ、ぐ……っ」
「見ててスゲームカつくんだよ。なんで言いなりになってるの。そこまでする価値があるの?あの男に」
「ほっといてくれ……っ、もう、俺のことなんて……志摩には関係ないだろっ!」
「ああ……そうだね、関係ないよ。どこで笑われようが野垂れ死にしようが全部齋藤の自業自得だ、俺はあんだけ何度も何度も忠告してきたんだ……っ、こうならないようにさ!」
志摩の笑みが引き攣る。強い力で手首を壁に押し付けられ、思わず呻いた。すぐ目と鼻の先には志摩の顔があった。
見たことのないその表情に、息が止まる。
「もうどうだっていいと思ってるよ、齋藤がどうなろうが……このまま堕ちていけばいいよ。勝手に。俺にはどうでもいいことだし……もう関係ない」
じゃあ、なんでこの手を離してくれないんだ。
勝手にしてくれないんだ。
言い返したかったのに、その目に見詰められると何も言い返せなかった。
自分で自分の感情を制御できていないようなその挙動に、俺も、志摩も、お互いに困惑していた。
「……齋藤、俺に助けてほしいって言いなよ」
「……っ言わない」
「言えって」
「……っ、俺は、助けてほしいなんて思ってない……」
少なくともこれでいいと思っていた、今だってその考えは変わっていない。真正面から志摩を睨む。
怖かった。また、殴られるかもしれない。犯されるかも知れない。もっと酷いことされるかもしれない。
震えが止まらなかった。けれど、その言葉は思いの外すんなりと口から出た。
……出てしまったのだ。
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