35
十勝と一緒に部屋を出る。
俺が逃げる気がないとわかったのだろう。十勝は拘束はしなかった。
灘は準備をしてからすぐに向かうと言っていた。
今日の会議も以前と同じ場所、校舎側の会議室で行われるという。
十勝のカードキーを使い、生徒会専用の通路から校舎へと向かう。
長くはない通路を渡り終え、校舎へと繋がる扉を解錠して最上階へと出たときだった。
「……やっと来た」
扉を出た瞬間、聞こえてきたその声に血の気が引いた。
隣を歩いていた十勝は俺の手を掴み、咄嗟に庇った。扉の前、壁にもたれ掛かるようにして待ち伏せていたその男は俺達の姿をみるなり微笑んだ。
「随分と勝手な真似をしてくれたよねえ、君も。……けど、よかった。その顔を見るなり乱暴な真似はされてなかったみたいだね、齋藤君」
縁方人はまるで世間話でもするかのように気さくな笑顔を携えたまま歩み寄ってくる。
あまりの動揺に動けなくなる俺と縁の前に、割り込むように十勝が出た。
「こいつに近付くな!」
「……おお、怖いな。そんなに吠えなくても俺はどうこうするつもりはないよ、齋藤君に」
「……っ」
その言葉の意図はすぐに理解できた。嫌な予感がして、俺は咄嗟に十勝の腕を掴む。落ち着いてくれ、と宥めるように目を向ければ十勝は険しい表情のまま、縁を睨んだ。
「その様子、自分たちがしたことくらい理解してるんだろ?」
「だとしても、お前には関係ねえだろ」
「あるよ。俺達の計画邪魔されたんだ、せっかくお膳立てしてやってなのに全部台無し。……本当悲しいよ、あともう少しだったのに」
言い終わるよりも先に、縁が一歩踏み込むのを見て、俺は咄嗟に十勝の腕を引いた。そして、慌てて十勝を背に庇った瞬間、腹部に衝撃が走る。
内臓の詰まってる部分を守る肋、その隙間を掻い潜って内臓をえぐってくるその拳に、痛みなんて感じる暇もなかった。汗が、体液がぶわりと溢れる。目の前が真っ白になって、前のめりになった体はそのまま傾いた。
「……っ、う゛ぷ」
「あ、ごめん、間違えちゃった」
「佑樹!」と言う十勝の声がやけに遠くから聞こえた。お腹を抑えたまま、俺は、動けなかった。膝に力が入らない。口から唾液が溢れる。
そんな俺を抱きかかえた縁は悪びれもなく言うのだ。
前にも、こんなことがあった気がする。
けれどあのときとは比にならない。痛み。弱っていた身体には強烈な一発だった。
「まあいいや。ちょっと悪いことしちゃったけど目的は果たせたし」
「佑樹を離せこの……ッ」
「あーっと、ストップ。それ以上近付いたら君たちのお姫様も無傷じゃ済まないから」
「……っ!」
「…………まあ、これがどうなってもいいってなら好きにしなよ。どうせ、お前らにとっては邪魔者なんだろ」
ぐらぐらと揺れる思考の中、縁の声が響く。
気持ちが悪い。痛い。苦しい。それ以上に、こちらを見る十勝と目あって、心が張り裂けそうになる。
俺のことはいいから、早く、どこかへ。そう思うのに、肺からはガス欠みたいな咳しか出ない。
なのに、十勝は。
「うるせぇんだよ、引っ込んでろ部外者が!」
一瞬、何が起こってるのかわからなかった。
縁の舌打ちが聞こえたと思った瞬間、視界が、体が大きく揺さぶられる。
十勝が縁を殴ったのだと知ったのはその後だった。
乱暴に縁の腕から俺を引き離した十勝に肩を掴まれ、「佑樹、立てるか」と声を掛けられる。
一瞬何が起きたのかわからなくて、目を白黒させながらも俺は数回頷いた。
「……本当、君の血の気の多さと脳筋っぷりは変わらないなぁ」
「佑樹、さっさと行け!会議室に他の人たちがいるから助けに……っぐ……ッ!」
言い終わるよりも先に縁の膝蹴りが十勝の腹部に入るのを見て血の気が引いた。
その隙を狙って間髪入れずに十勝の前髪を掴み上げる縁は躊躇なくその頭部を壁に叩きつけた。
「十勝君!」
一発まだならまだしも、二発、三発と躊躇なく叩きつける縁に足が震えた。縁の口元に変わらない笑みが浮かんだままだ。縁の腕を掴んだ十勝は、顔を歪め、こちらを睨む。早くいけ。そう言ってるかのように。
行けるか、こんな状況で十勝を残して。
「……っ、やめてください……ッ!それ以上は、十勝君が……っ!」
震える足を無理やり動かし、俺は縁の腕を掴む。
その一瞬、縁の目がたしかにこちらを向いた。
「馬鹿だなぁ、君は……こいつは君を裏切り者として売ろうとしてるんだよ?それなのに、こいつを庇うんだ」
「っそれは……」
「それとも……君がそれを望んだの?」
いつもと変わらない柔らかな声。けれど、どこまで気付いてるのか核心を突くような縁の問に何も答えられなかった。
その一瞬だった。
「この野郎……ッ!」
ぐったりとしていたはずの十勝の頭突きが縁の顎に入った。それはほんの一瞬のことのように思えた。
縁の手が緩んだのを見た瞬間、十勝はやつの手を振り払い、そのまま俺の腕を掴んで走り出す。
「テメェ……ぶっ殺す!」
背後から聞こえてくる、初めて聞くような縁の声に血の気が引いた。
けれど十勝は足を緩めない。通ってきた生徒会専用の扉を解錠し、すぐに俺を押し戻した。そして閉まる扉の隙間から追ってくる縁が見えたが、やつが手を伸ばすよりも先に扉は閉まった。そして施錠される。
「っ、とか、ちくん……っ頭……血が……!」
「良いから走れ!時間稼ぎにしかなんねーから、とにかくここから離れるぞ!」
痛いはずなのに、俺なんかよりもきついはずなのに、手はがっしりと俺を掴んで離さない。
ものすごい力に引っ張られるようにして俺たちは学生寮へと戻ってくる。それから、人目を避けるようにしてやってきたのは十勝の部屋だった。
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