天国か地獄


 31【side:十勝】

(十勝直秀視点)

 明らかに歯車が噛み合わなくなりだしたのはいつからだろうか。
 ごく最近からのようにも思えるし、一年前から……俺たちが出会った頃からのようにも思えた。
 楽しければよかった。面倒なこともあったけど、それでも皆といる時間は楽しかったし自分の中では掛け替えのないものになっていた。
 今の会長に生徒会に誘われたとき、『なんで俺が』と思った反面、正直言うと嬉しかった。
 自分自身に出来ること、自分の存在とその必要性。
 幼い頃から定められた将来へと向かう途中、残り少ない自由な時間をどう使えばいいのか決め倦ねていた。
 暗中模索。どれだけ遊んでいても、胸の中の焦燥感は増すばかりで日に日に焦れったい思いに胸焦がしていた矢先に生徒会書記として誘われた。
 なぜ、俺が。勉強だって得意ではない、生徒の模範になれるような品行方正な人間でもない、それなのにそんな俺に声を掛けてきた会長が不思議で不思議で仕方なかった。

『お前の字が好きだ』

 疑義の念を抱く俺にそう会長はそれだけを告げた。
 お世辞を言うタイプではない、どちらかと言えば歯に衣着せぬ物言いをする会長に褒められただけで認められたような気がして、嬉しかった。

 生徒会役員となって様々な特権を手に入れると引き換えに、面倒なこともその倍増えた。
 それでもなんだかんだ上手く行っていたと思う。
 最初こそ慣れないことばかりで毎日のように会長たちに怒られてたし、全生徒会役員と比べられることも何度もあった。
 それでも危うかった均等を保ち、不安定だった足場も会長は実力と時間を掛けて強固なものへと作り変えていく。

 学園内で起きた問題に介入し、解決するような真似もした。困ってる生徒を見つければ積極的に声を掛け、学園に設置した生徒会宛ご意見箱に寄せられた意見一通一通読んではそれに応えるように動いた。
 慈善活動も生徒会の仕事になるのかと呆れたが、人から感謝されて悪い気はしない。そんなボランティアを繰り返して信頼関係を築き上げ、地盤を固めていった。そしてようやく今の状況が出来るのだ。

 いつからだろうか、慈善活動の真似事はしなくなった。ご意見箱も和真が定期的に確認してるようだが、その後どうなっているのかはわからなくなっていた。
 それでも、熱狂的なファンみたいな生徒は増えていく。
 今となっては慣れたものだが、当時の俺が今の状況を見たらどう思うのだろうか。引くのだろうか。喜ぶのかもしれない。けれど今の俺は何も感じることはなくなっていた。
 だから、今回のことは久し振りにガツンときた。頭を殴られたような衝撃と、足元が崩れるような感覚。

「生徒会を……リコール?」

 声が、無意識に震える。
 生徒会室内、五味さんと栫井、和真と……それから志木村さん、八木さん。主不在の生徒会室の中はいつもに増して静かで、それでいて酷く重苦しい。理由は分かっていた。

「リコールって、なんだよ、いきなり。……おかしいですよね、別に何もしてないってのに」
「まあ、あくまで一部の生徒でそういう声が上がってるということですよ。……規則を守れない生徒会長を携え、それを擁護している生徒会役員たちも同罪だと」

 志木村さんの声は優しいが、その分余計冷たく声が響く。
 咄嗟に、俺は他の皆の反応を見た。五味さんは目を瞑ったまま、何かを考えてるようだ。栫井はどこか床の隅を見てる。和真は、相変わらずの無表情のまま志木村さんを見ていた。
 八木さんは――。

「つか、この場に肝心な会長さんがいないってのがそもそも問題だからな。……随分とご執心のようだな。俺達よりも大切ってか?そりゃ苦言も呈されるわけだ」
「……あいつは、今日は具合が悪いから休むと連絡があった」
「仮病じゃないって証明もできないんだろ?」
「どちらにせよ彼の欠勤は今日に始まったことではないでしょう。生徒会長としての役割も果たせていないのなら指摘されても無理もない。……それに、部屋に『彼』もいるとなると……正直、疑ってくださいって言ってるようなものではありませんか」

 二人の指摘に、五味さんは「そうだな」と肩を竦める。言い返す言葉もないといった様子だ。その顔は酷く疲れているように見えた。

「齋藤のことは、俺の方からも何度か言っている。……とにかく、もう少し時間をくれ。ここ最近いろいろなことがあってあいつも色々なことに過敏になってるんだよ」
「過敏ねえ……別に僕たちは構いませんが、外野がどれほど待ってくれるかではありませんか?……何やら芳川君……会長さんの親衛隊から声が上がってると聞きましたけど。非公認とは言えど、数には僕たちでさえ適うことはできませんからね」
「確かにな。……飼い猫に手を噛まれるのが一番厄介だからな。……風紀にまでこんなものが届いてたぞ」

 言いながら八木さんは封筒から用紙の束を取り出し、置いた。
 それを手にした五味さん。その手元の書類を覗き込み、ぎょっとする。

「これって……」
「署名だよ。……生徒会長リコールの署名。そこに載ってる名前のやつら皆が芳川のリコールを望んでる。……それと、あんたらにはこっちのが堪えるだろうな」

 言いながら八木は別の書類を置いた。ぐしゃぐしゃになったそれをそっと手に取り、俺は言葉を飲む。

「生徒会リコール?」
「……騒ぎに便乗してる連中の仕業だろうが、それにしてもこれだけ集めてんだから大層なことだ。……よっぽど暇なのかもしれんな」
「……っ、なんだよ……これ……」
「この署名を理事長に提出するとなれば流石に芳川君が議会に掛けられるのを免れるのは難しいでしょうね」

 名前の中には見覚えのある名前もちらほらある。
 生徒活動の一環で慈善活動をしていたとき、何度か助けた連中の名前を見たときは腸が煮え繰り返りそうになった。
 会長への恩義もないのかこいつらは。そう思うと、無意識に署名を握る手に力が籠もってしまう。このまま破り捨てたいところだったが、この男のことだ、どうせコピーを取ってるのだろう。

「とにかく、身の振り方を考えろよ。……お互いな」

 本来ならばいないといけない人物がいない話し合いはすぐに終わった。
 けれど、志木村さんと八木さんが帰ったあと、暫く俺はその場から動けずにいた。何度も署名を見比べていた。筆跡も、同じ人間がただ書いたようには見えない。本当に、ここにある名前のやつらが会長のリコールに賛同している。その事実を俄受け入れることができなくて、粗を探そうとしたが見つからない。

「……っ、なんだよ、これ……クソ……っこいつら何考えてるんだ?誰のお陰でこの学園でまともに生活できてると……っ!」

 腹が立った。遣る瀬無い。他の生徒が過ごしやすいようにどうすれば問題がなくなるのか、そんなことを日夜話し合っては毎晩見回りしてたことがバカバカしくなって……肩を掴まれる。

「落ち着け、お前まで荒れてどうすんだよ」
「……っ、五味さんは……悔しくないんすか、こんな……」
「何も感じないって言えばそりゃ痩せ我慢になるだろうけどな、火のないところに煙は立たねえだろ。……連中が指摘するのも最もなんだよ。確かに今のあいつ――会長はまともじゃない」
「五味さんまで、そんなこと言うんですか?会長は、佑樹のことを心配して――っ!」
「別に心配するなとは言わねえ、その限度の話だろ。……以前のあいつなら生徒会長としての仕事を全うしていた。けれど、今はあまりにも偏ってる。それに、齋藤がまったく顔を見せないのも余計周りを不安にさせるんだろうな」

 栫井も、和真も俺たちの会話をただ聞いていた。否定も肯定もしない。
 ……五味さんの言ってることは変なことではないとわかってる。あくまでもそれは一般論だ。
 けれど、俺は会長の気持ちもわかった。
 佑樹がどんな目に遭っていたか俺は知ってる、見てきた、だからこそ、会長が恋人である佑樹を人前に出そうとしないのも分かる。だってそうだろう、俺だって好きな子が危ない目に遭うかもしれないと分かってて一人で出すような真似、絶対無理だ。
 けれど、五味さんはそれを理解してない。というよりも、やりすぎだという。
 きっとこれは実際に見て感じた人間にしか分からないのだろう。噛み合うことのない平行線のやり取りは不毛でしかない。

「……とにかく、あいつらの言っていた通りだ。今は下手な行動言動は控えろ。……芳川には俺から話をつけておく」
「分かりました」

「……」

 五味さんの一言でその場はお開きとなったが、胸の中にできた蟠りは燻ったままだ。俺は頷くことができないまま、生徒会室を出た。五味さんたちの視線が痛かったけれど、それでも、納得したくなかった。……しょうもない意地だと思う。
 その足で、会長に連絡した。電話には会長が出る。今日の話し合いの内容を告げれば、会長はあくまでも冷静だった。

『言わせたいやつに言わせておけばいい。……最低限のことはしているはずだ。それと十勝、後ででいいからその署名を持ってきてくれ』
「了解です。一応五味さんが持ってたと思うんで、後で借りてきますね」
『ああ、頼んだぞ』

 会長は、会長だ。何も変わってない。周りは会長は人が変わったと言ってるが、本質を見ていない連中ばかりだ。だからこそ、五味さんがそんなやつらと同じことを言うのがショックだったのかもしれない。
 けれど、会長が冷静でいてくれたおかげで俺も大分冷静になれたところはあった。

 会長に署名を渡し、それから数日経った日のことだ。
 いつもよりも早く生徒会室に訪れれば、既に中から声が聞こえてくることに気づく。
 聞き慣れない声に、そっと扉を開いて覗いた俺は息を飲む。
 亮太の兄、もとい元生徒会長の志摩裕斗と志木村さん、そして五味さんがいた。
 ソファーに向かい合って話していた三人の会話の断片が耳に入り、疑った。

「齋藤佑樹を保護した」
「明日の会議に掛ける」
「それまで齋藤佑樹は預かる」

 そんな不穏な会話が聞こえてきて、居ても立ってもいられなかった。

「どういうことっすか、今の話」

 扉を開き、五味さんに詰め寄れば、五味さんは面倒くさそうに溜息を吐いた。なんだその反応は。面倒なやつに見つかったと言いたげなその態度がムッと来て、五味さん、と詰め寄ろうとしたところを「まあまあ」と割って入ってきた志木村さんにやんわりと押さえられる。

「十勝君……勝手、というのは少し語弊がありますね。……僕たちは前々から忠告はしてたはずです。……このままでは自分の首を締めるだけだと」
「……っ、佑樹は、あいつはなんて言ってるんですか……本当に会長に暴力されたとか、そういうこと言ってるんですか?」
「本人は口では頑なに認めようとしないし、芳川に対するあの怯え方からして一目瞭然だ」
「っ、そんなの決めつけじゃ……」
「それと、彼の全身には夥しい数の生傷があった。……古傷ではない、ここ最近できたものだろうな。服を着てたら目につかないが、制服の下は蚯蚓腫れとアザで目も当てられない」
「待てよ……あんた、脱がせたのか?!」
「……」
「っ、最低だな……」
「……不本意だった。傷が目に入ったから念の為確認しただけだ。……彼には悪かったとは思ってる」

 少しだけ、痛いところを突かれたかのように表情を変える志摩裕斗。この男にも人間らしい感情があることに驚いたが、それ以上に良くも知らない男相手に体を見られる佑樹の気持ちを考えると酷く気分が悪かった。
 脳の奥で火が燻るように熱くなる。
 けれど、もし、志摩裕斗の言ってることが本当なのだとしたら……。考えてはいけないと思っていても、阿賀松伊織と芳川会長がダブって見えて、酷く気分が悪かった。

「ともかく、実際に彼の服の下には夥しい傷跡がありました。それは僕も見てます。……彼が芳川君に『軟禁』されていた時間を考えてそれが『誰が付けたものなのか』なんて自明の理。見事な役満ではありませんか」
「……っ、けど」
「……これでもまだ、彼を庇うつもりか?……生徒会ぐるみで生徒会長の行いを隠匿し、擁護する。それがどう意味するのか深く考え、発言した方がいい」

 志摩裕斗の言葉が、静かに胸の中に落ちる。
 五味さんは、何も言わない。先に聞かされていたのかもしれない。ただ二人の言葉を聞き、何かを考え込むように押し黙っていた。それが、余計もどかしかった。
 そんなことない。そう言い返したいのに、今の状況では会長が疑われても無理もない、というのが本音だった。
 違うと言いたいのに、あまりにも証拠が揃いすぎている。
 会長を庇えるような材料が、俺の手元には何一つなかった。

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