29
「え、ぁ……ッ」
どうして、灘が。
なんて、聞く余裕もなかった。思いもよらぬ人物がそこにいることに、そして、扉を抉じ開けてくることに対する並々ならぬ恐怖。
灘は、狼狽える俺を他所に後ろ手に扉を施錠する。
「なんで、鍵」
「質問を質問で返さないで下さい」
今までと変わらない灘。
けれど、だからこそ余計何を考えているのか見えなくて、ただただ能面のようなこの目の前の男が恐ろしくてたまらない。
「……っ、待って、外には、見張りが」
いたはずなのに、と言い掛けて、言葉を飲む。
嫌な予感に全身が強張った。俺が言わんとしたことを察したのだろう、灘は表情変えることなく「安心してください」と続ける。
「彼らには眠ってもらってます」
「ねむ、って……って」
どうやって、なんて恐ろしいことを聞くことはできなかった。八木の顔が脳裏をよぎる。が、あの男が簡単に気絶する図も想像できなかった。
どういうことだ、わけがわからない、思考が追いつかない。けれど、ただ一つだけ言えることがある。
――この状況は、よくない。
「……ッ、……!」
咄嗟に、部屋の奥へと逃げようとする。
が、動揺のあまり足は覚束ず、それどころかあっさりと灘に捕まった。
肩を掴まれ、引っ張らる。関節があらぬ方向へと曲がり、その痛みに堪らず呻いた。
「離し……っ」
て、と言い終わるよりも先に、壁に背中を押し付けられた。ろくに受け身が取れず、痛みが走る背中に全身が震えた。正面に立つ男の陰に視界が覆われる。
無表情を貼り付けたその目は、確かに俺を見ていた。
「時間がありません。単刀直入に聞きます。
……貴方は、会長の敵ですか」
軋む肩。鼻先が擦れ合うほどの至近距離。感情を感じさせないその冷たい目に見据えられ、俺は、その問いにすぐに返答することができなかった。
会長の敵なのか、否か。
灘らしくない、抽象的で……それでいて、本質を突いた問いかけであった。
当たり前だ、俺は会長の味方だ。俺は、会長のことを助けたいと思っている。
……そう、数日前までの俺はそう迷わずに答えていたのかもしれない。
けれど、今の俺は、その問いに反応することができなかった。考えてしまった。迷いが生じた。
それは、会長に対してでもなければ、目の前のこの男に対してだ。
灘は、会長の味方なのか、敵なのか。それが、わからなかった。本心を掴みあぐね、困惑し、口を閉じる。
「……どう、いう意味だよ……」
「難しい質問をした覚えはありませんが」
「…………灘君は、どうなんだ」
君は、なんのために、誰のために動いている?
少なからずそれが汲み取れない今、俺は灘にそれを答えることはできない。
ここに来たのが会長の命令とは思えない、会長ならばこんなまどろっこしい真似はしないはずだ。
「質問の意図がよくわかりません」
「……会長が、俺にそんなことを聞けって言ったのか」
「……それを、貴方が知る権利はありません」
違和感。それは、確かな凝りのようなものだった。
灘は、こんな風にはぐらかす物言いをする男ではないはずだ。嫌な気分になり、足下から不安が込み上げてくる。
まさか、と嫌な予感が過る。
会長の敵か味方、それを確認する灘の意図。
……そして、灘が本来求めていた返答。あくまでも可能性に過ぎないし、それも被害妄想甚だしいものだった。
「っ、な……」
灘君。と、その名前を口にしようとした瞬間だった。
トン、と首に衝撃が走る。痛みとは違う。それは確かに衝撃だった。体が吹き飛んだような気がしたのに、吹き飛んでいない。寧ろ、飛んだのは意識の方だった。
視界が大きく揺れる、膝から落ちるのを確かに感じながら俺は最後に冷たい目をした灘を見た。
「……時間がないと、お伝えしたはずですが」
響くその冷めた声は、俺の耳には届かなかった。
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