天国か地獄


 24※

 非生産的で、ひたすら不毛。ただ屈辱を味わせるためだけの行為に意味を求めること自体が無駄だと分かっていたが、それでも求めずにはいられなかった。

「ん、ぅ、ぐ……ゥ……!」

 志摩の指先が、シャツの隙間に触れる。ぷち、とボタンを外されそうになり、震えた。志摩には、服の下を見られたくなかった。嫌だ、やめろ、離してくれ、そう、体を動かす。

「動くなよ。……今更俺に見られて恥ずかしがるものなんてあるの?」

 冷ややかな声。冷たい目。確かにそれはそうかもしれないが、それでも俺には超えられたくないものがあった。
 腫れの引いていない体を見られたくなかった。痣だらけの体を、芳川会長との行為の痕跡を、こいつにだけは。
 だから、なけなしの力を振り絞り、なんとか片腕だけ志摩の拘束から逃れた俺は志摩の手を止めようとする。その俺の行動に志摩も気付いたのか。俺の制止を物ともせず、強引にシャツを開いた。同時に、大きく襟首を掴まれ、剥かれる。照明の下、晒される胸部を視界に入れた志摩。その表情が凍りつくのを俺は見た。……見てしまった。
 そして、それも一瞬。志摩の顔には笑みが浮かんだ。

「……いい趣味してるね、齋藤」

 否、笑顔と呼ぶにはあまりにも目は据わっている。弧を描いただけの口元から発される言葉からは殺意にも似たどす黒いものがありありと伝わる。最悪だ、と思う。これ以上、誰かに踏み込まれたくなかった。おまけに、こんな状況で。

「……本当、最高すぎて殺してやりたいくらいだ」

 大きく開かれた胸元、志摩はくっきりと残ったそこに直接唇を這わせた。ミミズが這ったようなその傷跡を舌でなぞられればピリッと痛みが走り、堪らず体を逸した。けれど、背後に回された腕に上半身を抱き寄せられ、より一層深く顔を埋められれば逃れられない。
 ちゅ、と濡れた音が響く。痛いとか、そんなものではなかった。芳川会長の痕跡を上から塗り潰すような行為に、血の気が引く。やめろ、と志摩の頭を掴んで引き離そうとするが、びくともしない。それどころか、胸の真ん中、残った傷口を舐められた瞬間焼けるような痛みに支配される。

「んっ、ぅ、……う……」
「っ、本当……なんなの……これさぁ、齋藤……こんなところにまで跡残ってるじゃん」
「ッ、う゛……ッふ……ッ!」

 あのド変態眼鏡が、と吐き捨てる志摩は、逃げる俺の腰を掴まれ、腫れ上がり、熱を持ったそこを舐る。痺れにも似た痛みに、全身の血液の流れが加速するのがわかった。不衛生。触られたくない場所なのに、志摩に吸われ、舌先で上塗りされる度に頭の中が真っ白になる。下腹部がじわりと熱くなり、腰が、苦しくなる。
 志摩の舌が胸元を掠める度に腰が揺れ、唾液分泌量が増す。下着の中が濡れているのが自分でもわかった。腰が動く度に気持ち悪い感触を覚えた。
 ぬるりとした舌が限界まで尖った乳首を掠めた瞬間、甘い電流が走る。口を塞ぐものがなければ情けない声が出てしまっていただろう。緊張した筋肉が反応する。こちらを上目にみた志摩は、ふと目を伏せ、そして更に唇を押し付ける。ふに、と柔らかい感触が触れる。そして、熱い唇に啄まれたとき、どろどろとした熱が湧き上がった。腰が揺れる。逃げられないとわかっていても、腰が引けるのだ。シーツが擦れ、呼吸が乱れる。先程までのもどかしいだけの感覚とは違う。待ち望んでいた直接的な刺激に、思考も、儘ならない。

「っ、ん……ぅう……ッ」

 舌先で先端をねっとりと愛撫され、乳輪ごと口に含まれる。背中に回った腕に抱き寄せられ、一層縮まる距離に、吹き掛かる息の近さに、自分でも過敏になっていることがわかった。
 嫌なのに、嫌だと言わなければならないのに、逃げなければならないのに、志摩を引き剥がそうと肩を掴んだ手で、気がつけば俺は志摩に縋り付いていた。手を離せば自分自身というものがどこかへ行ってしまいそうです怖かった。
 ああ、だめだ、だめだ、いけない。そう思うのに、強く吸われ、舌先で突起を穿られれば何も考えられなくなる。

「……っ、齋藤……」

 名前を呼ばれる。吹き掛かる熱い吐息。その感触すら俺には刺激が強い。熱に溺れそうになる都度、志摩の表情が複雑そうに歪む。
 認めたくはなかった。会長以外の人間の手であさましく感じる自分など。それでも、突き付けられた現実を見てみぬふりするにはあまりにも大きくて、誤魔化せなくて。

 俺が抵抗をやめたのを見て、志摩は俺の口からネクタイを引き抜いた。唾液でどろどろに濡れたそれをベッドの上に捨てる。口いっぱいに広がる新鮮な空気。塞ぐものがなくなったというのに、俺は、声をあげることが叶わなかった。長時間異物を入れられ開かされていた顎が痛む。そして、愚かなことに言葉の発し方がわからなかったのだ。体と脳が齟齬来したようだ。刺激され、腫れたそこに柔らかく歯を立てられた瞬間、「ぁ」と声が漏れる。自分のものとは思えない、ぞっとするような甘い声。

「っ、ぁ、や……ッ、ぁ……いや、だ……や、ぁ……ッ」

 根本を噛まれ、血液が集まり更に凝るそこを舌先で転がされ、解される。それだけで脳内ではどくどく色んなものが溢れて、まともに思考することもできなかった。志摩の頭に手を回す。引き剥がしたいはずなのに、体が言うことを聞かない。皮膚に爪が食い込むほど強く体を抱き寄せられ、胸をむしゃぶり尽くされる。志摩の髪が当たってこそばゆいとかそんな次元ではない。混ざり合う体温。鼓動。片方の空いた胸を手のひら全体で強引に揉み扱かれれば、限界まで張り詰めた下半身、その中で熱がどろりと溢れるのがわかった。スラックスの下、染みが滲むのを感じ、愚かなことに俺はそれを恥ずかしいと思うよりも先に直接触れてほしかったなどと血迷った思考を働かせてしまう。
 いつからだろうか、快楽に弱くなったのは。ぐにゃりと滲む視界の中、儘ならない自分の体が恐ろしくなり、同時に、理性の行き場を失った。
 志摩の愛撫により濡れ、通常時よりも明らかに赤く腫れ、性器のように肥大した自分の胸を見て、吐き気を覚えた。

「……本当、最悪だよ、齋藤」

 志摩は、笑う。熱に蕩けさせたその目は俺の下腹部を見、そして、うっとりと細められた。最悪だ、と再び口にする志摩。俺はやつが嘘つきだと知ってる。口に出す言葉がたまに裏返ることも。そして、口よりも目が正直だということも。
 全身を駆け巡る熱は収まる気配はない。
 背中に回された腕に抱き寄せられる。やつの唇に挟まれた乳頭を口の中、滑る舌で執拗に愛撫されればそれだけで腰が揺れた。

「っ、ふ、……ぅ……ッんぅ……ッ!」

 そこを濡らす唾液ごと思いっきり吸われれば、先端部に針を刺さったかのような鋭い痛みが走る。瞬間、腰が波打つ。ビクビクと下腹部が揺れ、股間を中心にじわりと熱が広がった。それは、先程までの先走りとは量がまるで違う。
 ただ胸を強く吸われただけで射精してしまった。それは恥ずべきことだし、しかも相手は志摩だ。好きでもない相手に体を好きにされてるというのにも関わらず、頭の芯は熱くなって、何も考えられなくなる。
 浅く呼吸を繰り返す俺を見上げ、志摩は、その目に軽蔑の色を滲ませ、何も言わずに唇を重ねてきた。

「っ、ぅ、ん、……っふ、……ッ」

 唇を割り、押し入ってくる舌を押し退けるほどの体力も残されていなかった。唾液を絡め取るように咥内を暴く舌にただ翻弄される。粘着質な音がすぐ傍で聞こえた。行為に夢中になっていたせいでいつの間にか拘束が解けてることに気付いたが、それは志摩が俺は逃げないと判断したからだろうか。
 志摩の手が無遠慮に下腹部に伸ばされる。達したばかりのそこを衣類越し、すり、と指の先で撫でられれば声が漏れそうになった。

「っ、や、……め……」
「……そんな顔してよく言うよ。……もっと触ってくれって誘ってるのはお前だろ、齋藤」

 再び熱を持って盛り上がり始めたそこを一瞥し、志摩は鼻で笑う。底意地の悪い笑み。熱い息。
 否定したいのに、腰を抱かれ、思いっきり抱き締められた瞬間、お腹に厭な感触が押し当てられる。硬いそれは嫌でもなんなのか理解できた。瞬間、息が漏れる。離れようと志摩の胸を押し返すが、それでも構わず志摩は更に体を密着させてくるのだ。臍の当たり、ごり、と掠めるそれに汗がどっと溢れる。
 瞬間、芳川会長との行為が脳裏に過ぎり、脈が加速する。目眩がするほどの熱が一気に全身を巡った。呼吸が、儘ならない。

「……分かる?これ、齋藤のせいだよ。……本当は、ここまでするつもりはなかったのにさぁ……どうしてくれるの?」

 熱を持ったその目に見つめられると、何も考えられなかった。元より、志摩は俺の言葉など求めていないのだ。呆ける俺の後ろ髪を掴み、唇を重ねた。歯列をなぞられ、舌ごと絡め取られる。乱暴に臀部を揉まれ、スラックスの上から股の奥、その割れ目を探り当てるように深く指を押し込められれば、腰が揺れる。

 体がおかしくなった原因は分かってる。
 初めて会長に抱かれたあの日からだ。長時間嬲られ、記憶が飛んでも叩き起こされ、性器を咥えさせられ、文字通り犯された。
 別に初めてではないが、それでも俺にとっては何も産まない、なんの意味もない、ただの暴力行為だと思っていたそれが意味を為した夜だった。それも、最悪の形ではあったが。
 求められることに、飢えていた。
 必要とされることを望んでいた。
 それは会長だからだ。頭ではそう言い張っていたところだが、実際ここ最近会長に触ってもらえなかっただけで、この体たらくだ。
 最悪だ、思いながら、俺は、志摩にされるがままに脱がされる。肌を滑る手の感触が生々しい。会長は、優しい触り方などしない。もっと、肉を潰すように、骨を砕くように、乱暴に掴む。想起する。心臓が跳ね上がり、血流が加速した。

『君は、触られれば誰にでも反応するのか。』

 どくりと、心臓が軋む。あの目が、蔑む。
 淫乱が、とその形の整った唇が吐き捨てた瞬間、カッと顔が熱くなった。

 ああ、きっと、会長は知っていたんだ。俺の本質を。流されるフリをして、自分が気持ちよくなる方へ自ら進んでいた俺を。愚かで、浅ましい俺を。そう思考が傾いた瞬間だった。込み上げてきたのは強烈な吐き気だ。

 驚くような志摩の顔が目に入った。俺自身も、驚いた。けれど、込み上げてくるそれを堪えることが出来なかった。気持ち悪い。気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。汗が止まらない。濡れた口元を拭う、涙が止まらない。違う。拒絶する。拒否反応がでる。俺は、淫乱じゃない。こんなこと、好きなんかじゃない。気持ちいいとか、思っていない。頭の中で繰り返す。酸っぱくなった口の中、嗚咽漏らすたびに喉が痛んだ。違う、俺は、こうじゃない。こんなんじゃない。男に抱かれたいとか思ってもいない。誰が、好き好んでケツを掘られるか。

「……っ、離せ……ッ!」

 こちらへと手を伸ばそうとしていた志摩を思いっきり押しのける。このまま志摩と居たら、本当に、呑まれてしまう。会長が俺に掛けた呪縛は恐ろしいものだった。俺を、まるで俺が本当に淫乱のように扱う。そのせいで、俺は、見失っていた。本当に、まるで自分が色狂いのように思えてしまうのだ。違う、違うはずなのに。このままいれば、おかしくなってしまう。そう思って、志摩から、このベッドから逃れようとするが、志摩は舌打ちをして、そのまま俺の腕を思いっきり掴み上げる。

「っ、あ、う」
「……いきなり吐いたかと思えば、今度は暴れ出して……そんなに俺のことが嫌いなの?」

 吐き捨てる志摩だが、その声は嫌悪感よりも、意外なことに心配そうな色が滲んでいた。怒ってるというよりも、不可解なものを見るかのように俺を見下ろす。「嫌だ」と擦れた声で答えれば、思いっきりベッドに顔を押し付けられた。胃液で汚れたシーツの匂いに目眩を覚える。

「……ああ、そう。なら遠慮しなくていいよね」

 志摩の声は冷淡だった。唯一下に身に着けていた下着をずり下ろされ、ひゅっと息を飲む。
 精液で濡れた感触はなくなったものの、頭を擡げ始めていたそこが志摩の目下にさらされ、全身の体温が上昇する。耐えられなかった。やめろ、と声をあげるが、志摩は「無理」とだけ言い放ち、それから俺の顔を枕に押し付ける。口を塞がれ、息苦しさに藻掻く。それを無視して、志摩は俺の腰を高く抱き上げた。

「だってさぁ……ここまできていて、今更生殺しなんて鬼畜でしょ……ッ!」

 荒い息。微かに上擦ったその声から、志摩の興奮がわかるようだった。
 熱の引いた、冷静になった頭の中では何もかもが恐怖でしかなかった。背後で志摩がファスナー下ろす音が聞こえ、息を飲む。汗ばんだ体。志摩の下から逃れようと藻掻くが、抑えつけられた体では無駄な抵抗だった。


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