天国か地獄


 23※

 
 どうやら、気を失っていたようだ。
 気がつけば、見慣れない景色が映り込む。白い天井。同様真っ白なベッドの上、俺は寝かされていた。
 鼻につく薬品の匂いに、ここが保健室だということはすぐに分かった。
 全ての音が遠い。校庭で体育の授業を受けている生徒たちの声も、風の音も。まるでこの空間だけ隔離されたかのように静まり返ったその中で、俺は、思い出す。記憶が途切れる前のことを、志摩とのやり取りを。
 ……息苦しさは大分収まっていた。頭がまだぼーっとするが、それでも、ちゃんと呼吸ができている。酸素を取り入れることができている。それだけで安堵する。

 そういえば、志摩は……。
 と、締め切られたカーテンの向こう、人の気配がないか探った矢先のことだった。
 足音が、近付いてくる。それは、こちらへと確かに向かっていて。カーテンの前、人影が浮かび上がり、息を飲む。
 志摩だったらと思うと、顔を合わせたくなかった。俺は、考えるよりも先に布団を頭まで被って寝たふりをすることにした。
 そして、間もなくカーテンが開く音がする。閉じた瞼の向こう、人の気配を確かに感じた。
 息を殺す。呼吸も、無意識に止めてしまう。滲む汗にじっとりと肌が濡れた。
 誰だ、早く出ていってくれ。
 強く願ったとき、カーテンが閉まる音がした。
 本当に出ていってくれたのか。もしかしてただ人がいるか確認したかっただけなのだろうか。そう、安堵するのも束の間だった。
 ベッドが、軋む。俺以外の何者かの体重が掛かったのが沈むスプリングで分かった。上に誰かいる。そう理解した瞬間、俺は飛び起きた。

「ッ……な、に……」
「なんだ、起きてたんだ」

 俺の上、あっけらかんとして笑うのは志摩亮太だった。
「せっかく汗拭いてやろうと思ったけど」なんて続ける志摩に、俺は、何も答えることができなかった。怖かった。何を企んでいるのか。やつはそんなことを言うが、手にタオルは持たれていない。俺が本当に寝ていたら何をするつもりだったんだ。考えるだけでも背筋が凍る。「退いてよ」と押し退けようとするが、腕に力が入らない。それどころか逆に志摩に腕を掴まれる。

「そんなに邪険にすることないでしょ。誰がここまで連れてきてやったと思ってるの?」
「……っ、それは……」

 志摩が、変なことを言うから、そのせいで。言ってやりたかったが、本当に志摩のせいかと言われれば即答できなかった。志摩が言おうが言わまいが、その事実がなきにしもあらずというのも確かだ。
 口籠る俺に、志摩はふっと笑う。そして、ネクタイを強く引っ張られ、顔を上げさせられた。

「っ、離し……」
「……寧ろ感謝してほしいくらいだよ。あそこにいたのが俺じゃなかったら今頃齋藤どうなってたんだろうね?……それとも、齋藤はそっちの方が良かった?嫌いな俺に介抱されるよりか」
「……何、言って……」

 話が通じない。そんなに俺の態度が気に入らなかったのだろうか。締まる首元に、物理的に器官を押し潰され、息苦しさが戻る。怖くて、声が震えた。ネクタイを掴む志摩の手を引き剥がそうとするが、触れた瞬間志摩に唇を塞がれた。

「っ、ふ、ぅ゛……ッ!!」

 全身が、石のように強張る。瞬きする暇もなかった。
 壁に上半身を押し付けられ、唇を深く重ねられた。
 昨夜の、会長との感触が、塗り替えられる。そう考えた瞬間恐ろしくなって、俺は、慌てて志摩の胸を強く叩く。けれど、志摩は目を細めるだけで、舌打ち混じり、俺の首を掴み、更に深く唇を重ねる。
 唇を這う舌の感触に凍りついた。意地でも唇を開かず、必死に首を逸らそうとすれば、志摩に顎を捕まれ、力づくで正面向かされる。

「ッ……ねえ、齋藤……なにそれ、もしかして……抵抗してるつもりなの?それで……っ?」

 志摩の笑顔が歪む。その目には怒りの色が滲んでる。怒らせた。そうわかっていても、それでも、受け入れられなかった。これ以上、上塗りするような真似、されたくなかった。唇を拭った。残った感触を掻き消すように、何度も、手の甲で。けれど、ちょっとやそっとでは感触は抜けない。ただヒリヒリするだけで、生々しい感触は薄れるどころか……。

「……それで、会長さんに操立ててるつもりかよ」


 聞いたことのないほどの低い声。
 志摩に、笑顔はなかった。額に青筋が浮かぶ。
 ああ、これは、まずい。
 肌に突き刺さるほどの憎悪に、息を飲む。
 けれど、俺は知ってる。風紀委員が見張りでいることを。
 だから、俺が大きな声を出して助けを求めればきっと……。

「ああ、それと、風紀の連中期待してるなら無駄だよ。ついさっき招集掛かってたみたいだし」

「それとここ鍵掛けてるから、暫く誰も入れないよ」二人きりだね、と冷笑する志摩に、血の気が引く。そして、俺は考えるよりも先に、手元にあった枕を掴み、思いっきり志摩を殴りつけた。怯んだ隙にベッドから逃げようとするが、志摩は、俺の攻撃を腕で塞いだ。あ、と思った次の瞬間、受け止めたそれを奪われ、思いっきり殴り返される。

「ッ、ぐ……ッ!!」

 たかが枕、クッション材とはいえど、力いっぱい殴られればそれは凶器に等しい。重い衝撃が頭部全体を揺すり、視界が傾く。平衡感覚が一瞬わからなくなったとき、志摩はベッドに落ちる俺の上に馬乗りになる。腹の上、思いっきり体重がかかり、堪らずえずいた。手足をばたつかせ、上に乗った志摩を退かそうとするが体勢からして圧倒的に不利だった。

「ほら、早く逃げろよ。さっきみたいに殴ればいいだろ。本気で嫌がれよ。……じゃないと、どうなっても知らないよ」

 煽る言葉とは裏腹に、尋常でない力で上から押さえつけてくる志摩。逃がす気など最初からないくせに、そんなことを言う志摩がただ腹立たしかった。
 このままでは、本当に、何されるかわかったものではない。睨む。こちらを見下ろす志摩の目には感情はない。
 一か八か、俺は、大きく口を開けた。
 そして、

「誰か助けてくれッ!!」

 人生で一番大きな声出したかもしれない。張り裂けそうなほどの喉に構わず、声をあげる。志摩は鍵を掛けたと言っていたが、どこまでが本当かわからない。ハッタリの可能性もある。現に、俺が助けを求めるために声をあげた瞬間、目の色が変わった。そして。

「ッ、静かにしろ!」

 思いっきり、頬に痛みが走る。一瞬左耳が聞こえなくなった。視界が揺さぶられ、鼻の奥がツンとした。殴られた。
 頭で理解したとき、口の中に鉄の味が広がる。

「……齋藤のくせに、なんだよ、そんな大きな声出してさぁ……そんなに俺と二人きりは嫌なの?」

 引き攣った表情、思いっきり首を掴まれる。軋む骨。今度こそ掌全体で器官を締め付けられ、視界が白ばむ。
 苦しい。けれど、微かに汗ばんだ掌からは志摩の動揺を確かに感じることができた。志摩が、焦ってる。
 ならばそこに抜け道があるはずだ。
 そうは思うが、弱まるどころかどんどん指の力が増していき、無意識に、空気を求めるように口が開いた。瞬間、志摩に唇を塞がれる。喉奥まで舌を挿入され、粘膜ごと全て塗り替えるかのように舌を這わせるのだ。ぐちゅぐちゅと音が響く。残った酸素も全て奪うかのようなそれをキスと呼びたくなかった。

「ん゛ッ、ぅ゛、ぐ……ッ!!」

 感覚がなくなる。口の中で蠢く他人の舌の感触だけがやけになまなましく残っていて、気持ちよさも苦しさもわからなくなった頃、指が緩まった。その隙にあわてて酸素を取り入れようとぜえぜえと喘いだ瞬間、唾液を流し込まれ、それを拒む術無く腹の奥底へと落ちていく。

「っ、う゛……ぉえ……ッ」
「すごい嫌そうな顔するね」

「そんな顔されたら、もっと奥まで注いでやりたくなるじゃん」情欲というよりも、それは、最早支配欲の一種のようにも思えた。凶悪な笑みに、お互い糸を引く唇に、触れる手の熱さに、腹の中の違和感に、吐き気すら覚えた。

 逃げないと。助けを呼ばないと。上のこいつを、どうにかしないと。繰り返す。逃げろ、逃げないと、逃げなければ。頭ではそうしなければならないと理解してるが、押し倒された体は志摩の下から逃れられない。

「っ、ぅ、ン、ッふぐ……っ!」

 俺のネクタイを外した志摩は、俺の口を無理矢理抉じ開け、躊躇いもなくその布を丸めて捻じ込む。吐き出そうとするも、腕を掴まれ、叶わなかった。舌でなんとか出せないかと動かすが、長いそれはちょっとやそっとじゃ動かない。それどころかどんどん口の中の水分が奪われ、酷く気分が悪い。

「……震えてるね、齋藤。……別にもう叩いたりしないからそんなに怖がらないでよ」

「勿論、齋藤が暴れなかったらだけどね」と続ける志摩に、ぶるりと体に寒気が走る。そう口にする志摩の目は笑っていない。冗談ではない。本気だ。志摩の性格はある程度把握してるつもりだった。志摩が本気になれば、なんだってやるようなやつだということも嫌ってほど知っている。
 不意に、伸びてきた手はスラックス越しに内腿に触れる。指先を滑らせ、無遠慮なそれはその奥に辿り着く。
 確かめるようなその手付きに、汗が滲む。咥内に唾液が滲んだ。

「……ねえ、齋藤、俺と会えなかった間、何回セックスしたの?ここに、何人のモノ咥え込んだの?……気持ちよかった?」

 トントンと排泄器官が付近を指先で叩かれ、喉奥から声が漏れる。すぐに口の中の異物によってその声すらも吸い取られたが、首を横に振る俺に、志摩は鼻で笑う。

「嘘つき」

 薄い唇はそう動いた。瞬間、ぐっと志摩の親指、その先端に力が掛かる。瞬間、ぶわりと汗の粒が溢れた。玉を押し潰すかのようなその指先に、衣類越しとはいえど、上から掛かる重みに性器全体が圧迫される。息ができなくなる。くぐもった声が咥内で響く。志摩は、喘ぐ俺をじっと見て、それから笑った。

「嘘つき、齋藤の嘘つき、嘘ばっか、そんなに俺に本当のこと言いたくないの?……まあ、そうだろうね」

「だって本当の齋藤は目も当てられないくらいの堪え症なしで、すぐ誰にでも股開くような尻軽のド淫乱なんだもんね」耳朶を舐められる。真っ青になるくらいの暴言なのに、吹き掛かる志摩の吐息に、舌の熱に、心地の良い声に、体が反応する。
 そんなはずがない、そんなわけがない。違う、俺は。そう言いたいのに、声すらも出ないのが歯がゆかった。盛り上がり始めたそこを布越しにぎゅっと掴まれ、志摩は目を細めた。

「……正直、がっかりしたよ、齋藤。俺はこんなやつのために頑張ってたって思うと、死ぬほど腹が立つ」
「……っ、ふ、……!」
「そりゃ、俺の言うことなんて聞かないわけだ。そうだよね、だって、齋藤は最初からこういう目に遭いたかったんだもんね。男に囲われて、籠絡されて、それだけじゃ飽き足らずに無防備に誘い込んでさぁ……俺、邪魔だったでしょ?」

「齋藤は最初から助けなんて求めていなかったんだから」独りよがりな言い分だった。志摩は自分がそう思い込みたいだけだというのはわかった。そうすることでしか受け入れられないからだ。可哀想なやつだと思ったし、俺が悪いのかとも思った。けれど、それ以上の嫌悪感が込み上げる。正当化させるだけの言い訳の羅列。瞳の奥、憎悪と混じって色濃く滲むそれは理性の欠片もない、動物と同じそれだ。

「っ、ぅ、ッん、ふ……ッんん……!」

 認めたくないのだろう。何もかも。受け入れられないのだろう、だから、責任転嫁して自己正当化する。哀れだと思った。けれど、だからといって何しても許せるほど寛大な人間ではない。
 首元に顔を埋めた志摩に首筋を噛まれる。体が跳ねる。食い込む歯。舌で太い血管を舐められ、汗を吸われる。丹念に、皮膚に滲む体液をねぶられ、濡らされる。濡れた皮膚に熱い吐息が掛かる度に頭の芯が熱くなった。
 逃げ腰の体を抱き寄せ、犬みたいに覆いかぶさってくる志摩に、俺は、必死に腕を動かす。けれど、頭上で束ねられたそこは体重かけられ、びくともしない。

「っ、……齋藤の汗、美味しいね、しょっぱくて……ずっと舐めていられそうだ」

 紅潮した頬。据わった目。そう厭らしく笑って自分の唇を舐める志摩に、正直、平静ではいられなかった。当たり前だ。少しの間大人しくしてれば済む。そんな風に思っていたが、志摩の態度からして、こいつは、簡単に俺を開放するつもりはないのがわかったからだ。

 全身の筋肉が硬直する。顔が引きつる。シャツ越しに、もう片方の志摩の手が触れる。心臓の音を確認するかのように胸に置かれたその掌は、円を描くように全体を撫で上げた。布擦れ音に、鼓膜が震える。

「ふ、ぅ゛、……んッ、……う……ッ」

 じりじりと熱が込み上げてくる。触るなら、いっそのこと乱暴にされた方がましだった。布越しにしか感じれないその手のもどかしい感覚に嫌気が差す。それが狙いなのだろう。平らな胸を探られ、撫で回される。逃げたいのに、逃げようと背を逸らせば余計志摩に胸を突き出すような形になってしまう。そして、志摩は喉を鳴らして笑い、それからツンと勃ち上がりかけていた胸の突起を摘み上げる。瞬間、喉の奥から声が漏れる。

「……会長さんに、ここ、どんな風に触ってもらうの?女の子みたいに優しく揉んでもらうの?……それとも、乱暴に転がされて、抓られたりした?」

 嘲笑。逃れることのできない志摩の指に執拗にシャツ越しに乳首を刺激される。ぎゅっと抓られた瞬間、腿の筋がピンと張り、爪先に力が籠もる。
 くぐもった声が漏れ、玉のような汗が額から零れ落ちた。志摩はそれを舐め、更に指の腹に力を入れ、硬く凝るそこを潰すのだ。言葉にし難い感覚が脳を支配し、甘く、得たいのしれない熱が胸の奥にじんわりと広がる。

「齋藤、気持ちいいの?……好きでもないやつに服の上から体弄られて、興奮しちゃった?」

 スラックスの下、浮かび上がったその膨らみを見て一笑する志摩に、カッと顔が熱くなる。生理的反応だとしても、反応してしまう自身を受け入れたくなかった。
 だとしてもだ、だとしても、俺は、好きでもないやつの体を弄って下半身バキバキに硬くしてるやつに言われたくなかった。はち切れんばかり勃起した志摩に、目眩を覚えた。



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