天国か地獄


 19

 二回目の会議はわりと早く終わった。
 というよりも、問題を持ち越したというべきか。
 灘が提示した音声記録。それにより、事態は余計悪化していた。今回の会議だけで全てを即決することは不可能と判断した結果、俺は一時的に釈放されることになる。
 その代わり、志摩裕斗と芳川会長、この二人に近づくことを禁じられた。
 そして二人も二人で行動を制限するということで落ち着いた。芳川会長はそれをただ聞いていた。あれだけ反対していた会長が反論一つすらしないことが意外で、なにより恐ろしくもあったが俺が口出すことはできなかった。

『うんうん、妥当だよね。危害を加えるかも知れない他人といるよりも一人でいるのを選ぶのもありだと思うよ、俺はね』

『その代わり、風紀委員には見回りを強化してもらうらしいから安心してね、齋藤君。なんなら俺も君の傍に居るから』審議の結果を聞き、縁方人はそう満足そうに頷いてみせた。
 本当にそれでいいのだろうか。答えあぐねてる俺の代わりに口を挟んだのは渦中の会長でも志摩裕斗でもなく、志木村だった。

『それが最善策とは思えませんけどね。齋藤君が一人になる……それこそ相手の思う壺のような気がしますけど』
『なら代わりの案を出してみろよ。あ、因みに僕が面倒見ますってのはなしだから、君の細腕じゃ何もできないだろ』

 すかさず反論を入れる縁に志木村は不快そうに眉根を寄せる。けれど、実際、これ以上の案が出ないのが現状だった。
 事実、中には賛同する者もいた。

『これからずっとってわけじゃないんだし、一先ずだろ?俺は別にいいと思うけど。本当に見回りするんならな』

 十勝直秀はあくまで懐疑的ではあるが、よしとしているようだ。

『まあ、こうなったらこれが妥当よね。こういうのは第三者に任せた方が確実でしょうしね』

 連理貴音はこの距離感を危惧し、第三者を介入させるべきだと口にする。
 五味も特に何も言わないが、志木村のように反論するわけでもないことを考えると悪くないと思ってるのかもしれない。栫井はちゃんと聞いてるのかすらわからない、微動だにせず、ただ他人の言葉を聞いていた。そして。

『では、異議はある方はいませんか』

 静かな声が響く。進行役の灘和真は、異論を上げるものがいないことを確認すると手にしていたファイルを置いた。

『それでは齋藤君の処遇についてはこれで決定とさせていただきます。志摩裕斗、芳川知憲の対処についてはまた追って連絡させていただきます』

 その灘の一言で、その日の会議は終えた。

 苦い顔をした志木村の横顔がやけに頭に残っていた。そして、芳川会長の元へ向かおうとしたときだ。

「齋藤君」

 名前を呼ばれる。書類を手にした灘和真が立ち塞がった。

「話を聞いてましたか。会長と志摩裕斗には近付かないと伝えたはずですが」
「そ、れは……」

 言ってる内に、芳川会長は縁とともに部屋から出ていこうとするのが見えた。そして、志摩裕斗も志木村と共に会議室を出て行く。
 もしかして会いに来るのだろうか、それとも本当に俺を一人にするつもりなのか。不安が過る。自室、あいつがいる部屋にだけは帰りたくない。

「念のため自分が部屋まで送らせてもらいます」

 一応は一言言ってくれるようだが実質拒否権などないようなものだ。俺は、頷くことしかできなかった。
 安心するべきなのか、得体の知れない灘ではあるが、心強さもあるのだから何とも言えない。
 灘とともに、自室へと戻ろうとしたときだ。一つの陰が近づいてきた。

「部屋まで送るんだろう。俺も着いていっていいか」

 五味武蔵の提案に、俺は心底安堵した。
 灘は「構いません」とだけ応える灘はやはり何を考えてるかわからない。少なくとも喜んでるようには見えなかった。

 ……。
 …………。
 ………………。

「ふーん、武蔵君見た目の割に目敏いってかわりと気が利くよな。そう思わないか?知憲君」
「御託はいい。やつから目を離すな」
「裕斗君の方は気にしなくて大丈夫だよ。それよりも知憲君、本当に良かったの?あれで」
「無論だ。連中が変な気を起こさなければいい。後は……」
「伊織の出方だよねえ。……ま、あいつが大人しくしてるわけないだろうけど」

 ◆ ◆ ◆

 会話があるとは思ってなかった。
 俺も灘も、あまり自分から話すタイプではないのは分かっていたことだし、状況も状況だ。五味だってベラベラと話さないだろう。そう思っていたのだけれども。

「齋藤」

 それまでその場を支配していた重い沈黙を破ったのは、五味だった。意識を別のところに向けていた俺は、突然の問い掛けにすぐ答えられず、慌てて「はい」とだけ頷いた。
 五味は、それから少しだけ考えて口を開く。

「あーっと、お前、昼飯まだだろ」
「……え?」
「ついでに食っていくか。灘、お前もどうだ?」
「自分は結構です」
「齋藤は?」
「…………」

 考える。このメンツで食事。味を楽しめるかどうかも難しいだろう。別に意図があるのだろうか。色々考えては見るが、体が空腹を訴え始めているのも事実だ。
 五味の言葉に反応するかの如く微かにきゅるると鳴る腹部を抑えれば、五味は少しだけ笑った。

「それは、行くってことでいいのか?」
「……すみません」
「いい、俺も腹減ってんだよ。朝抜いてきたからな」

 顔が熱くなる。五味は気にすんなと言ってくれたが、気休めにしかならなかった。こんな状況でも腹が減るのだ。そう思うと、自分の浅ましさが露呈してるようで顔があげられなくなる。
 あれよあれよと俺は五味に連れられるまま食堂へとやってきていた。本来ならばまだ午後の授業が行われている時間帯、そこは無人だ。
 CLOSEと表記されたプレートを外し、扉を開けばウエイターは「いらっしゃいませ」と頭を下げる。
 営業時間外でも生徒会役員となると特別なのは今でも変わらないようだ。俺たちは空席の中から一番人目につかない席を選んだ。メニューを開いてはみたが、羅列する単語のどれにも食欲は沸かず、結果簡単に胃に流せそうな野菜ジュースを頼むことにした。腹が減ったのは事実だが、固形物を受け付ける自信がなかったのだ。
 数分後、俺たちのテーブルの上には各々が選んだ昼食がそこには並べられる。
 それを見て、五味はちらりと向かい側の灘に目を向けた。

「お前、自分は大丈夫とか言ってたけど食うのな。しかも結構な量だろ、それ」
「せっかく来たので、食べておくのが通りかと」
「相変わらずだな、お前のそういうとこ」
「……」

 集めの肉が挟まったパンをもぐもぐと食す灘に、五味は苦笑する。先程まであれほど張り詰めていた空気が和らいだのは気のせいか。なんだか以前のように生徒会の皆と食事をしていたことが遠い日の思い出みたいに感じてしまい、急に懐かしさが込み上げてくる。
 同時に、強い後悔の念も。俺が、あの時阿賀松の言う通りにして芳川会長を裏切らなければ、ここまで皆がバラバラになることはなかったのかもしれない。そう思えば思うほど、胸が締め付けられる。気持ち悪くなって、胃液が込み上げてくる。自己嫌悪。今更なんだ。壊したのは俺だ。そう思うのに、五味の顔も、灘の顔も見れなかった。顔を上げることができなくなる。俺がここに座ってる違和感、それ以上の。

「不安か?」

 声が、響く。顔を上げれば、五味と目が合った。憐れむような、申し訳無さが混ざったような、優しい目つき。

「これからいきなり放り出されんのは不安だろうな。いつも通りに戻るだけっつっても、お前にとっては戻りたくないものだったしな、そりゃそうだよな」

 不安じゃないといえば嘘になる。壱畝にいつ殺されるか分からない。それよりももっとひどい目に遭わされる可能性もあるわけだ。けれど、それ以上に志摩裕斗に志木村、五味や十勝のこれからのことを考えると、生きた心地がしないのだ。俺が心配するのはちゃんちゃらおかしいと分かっていても、こうして優しさに触れると浮き彫りになる。自分の愚かさと醜さが、より。

「大丈夫だ。確かに、芳川は……会長は無茶するやつだ、あの場じゃ一つも反論しなかったが今回もどうせ手を回してるはずだ。お前に危害を加えさせないよう。そこの一点だけは以前と変わらず一貫してな」
「……」
「こういうことを俺の立場でいうのも変な話だろうがな。別に、俺はあいつを憎んでるわけじゃねえから」

 ただ、ここ最近のあいつは目に余るものがあった。そう五味は続けた。五味は、会長を止めたいのだろう。それと同時に、一部については認めてはいる。よく、分からない感情が言葉に入り混じってるような気がした。
 けどただ一つ、五味は会長のことを完全に見限っているわけではない。それが分かっただけで、ほっとした。なんで俺がほっとしたのかは自分でもよく分からなかった。壊したのは俺だというに。

「念のため、風紀の連中に連絡は入れて部屋の様子は見てもらって……」

 るから、と五味が言いかけたときだ。食堂の蝶番が勢い良く開いた。現れたのは大柄なシルエット。右腕には金の刺繍が施された豪奢な腕章。濡れたような黒髪をオールバックにしたその男には、見覚えがあった。

「……八木?」

 五味がその名を口にするよりも先に灘が反応した。八木は、こちらを見るとそのまま真っ直ぐにこちらへと向かってくる。そして。 
 足元、そこに黒塗りの革靴が並ぶ。磨きあげられたその先端部分は鋭く光っていた。

「齊藤佑樹」

 内側から震わせるような、低音。以前あったときとは違う、硬質な空気を身にまとった八木は俺の名前を口にした。向けられた視線の先から逃れることはできなかった。震えを堪えながら「はい」と反応したときだ、隣の空いた椅子を思いっきり蹴り飛ばされる。その音に驚いて固まってると、立ち上がった灘が俺と八木の間に割って入った。八木は「邪魔なんだよ」とそれを振り払い、俺の手を掴み、そのまま椅子から立ち上がらせた。

「っ、あ、の……ッ」
「行くぞ」
「……へ?」
「へ?じゃねーよ、なんも聞いてねえのかよ。お前が部屋に戻るまでを付き添ってやれって言われてきたってのに」

 あ、と会議でのやり取りを思い出す。そういえば縁がそのようなことを言っていた気がする。けれど、本当だったのか。本当に、縁は風紀委員としての立場で会議にきていたのか。甚だ疑問だったが、八木の逆に驚いたようなリアクションに俺は何も返せなくなる。ただ、野菜ジュースの味がまったくしなかった。それだけは確かにわかった。

「八木、こいつが怯えてるだろ。もう少し穏やかにできねえのかよ」

 そう口を挟んだのは五味だった。
 見兼ねたように割って入る五味に、八木は鋭い目付きを空に細める。

「お前の面よりはましだろ。それより、こんなところでのんびり飯食ってる場合かよ。呑気なものだな、生徒会の連中は」
「やめようぜ、別に俺はお前と喧嘩したいわけじゃねーんだよ」
「悪いな、こちらも口の悪さは生まれつきのものでな。おい、食い終わったか」

 そして、急に呼びかけられ、俺は慌てて野菜ジュースを喉奥へと押し込んだ。頷き返せば、八木は「なら行くぞ」と低く、促してくる。

「あ、は、はい……」
「ったく相変わらず忙しないやつだな」

 そう、食堂を後にする八木。大股の八木に置いていかれないよう、俺は一度五味たちに頭を下げ、そしてその背中を追い掛けようとして、五味に手を取られる。
 驚いて振り返れば、「ああ、すまん」と慌てて手を離す五味。そして。

「あいつは悪いやつじゃないんだけどな、気難しいやつなんだよ。まあ、頑張ってな」

 なにを、どう、頑張ればいいのだろうか。具体的ではないアドバイスに益々不安になるが、「何をしてんだ!」という八木の怒声に驚く。

「すみません……ありがとうございました」

 俺は五味と灘にそれだけを伝え、慌てて八木の元へと向かう。
 五味は、八木のことを知らないのだろう。阿賀松たちと八木が親しい間柄ということを。
 ……けれど、五味が悪いやつじゃないという八木のことが気にならないというわけではない。
 どちらにせよ、怒らせたくなかった。けれど、というべきか、俺と八木の相性はすこぶる悪いようだ。
 食堂前、扉の外で待っててくれたらしい。俺がやってくるのを見て、八木はこちらを睨みつけてくる。
 前髪を上げてるせいか、余計鋭い目付きが強調され、正直、怖かった。

「す……すみません……お待たせしました……」

 顔を見ることができなかった。声が震えるのを堪えながら頭を下げれば、八木はふん、と鼻を鳴らし、そして歩き出した。

「分かってるのならさっさとしろ。俺は暇じゃないんだ」

 風紀委員長・八木。生徒会とは協力的関係と聞いていたが、この男に関しては謎だった。

「大まかな話は五味から聞いたんだろう。これから、暫くの間だが俺達風紀委員がお前の周囲を監視することになった」
「……はい」
「これはあくまでも問題を回避するのが目的だ。よって、お前の行動を制限するのが目的ではない。生徒会がまともに機能していない今だからこそ、こうして俺達が動いているわけだ。お前は、自分の立場をよく考えて行動しろ。誰のせいで俺達の仕事が増えてるのかをな」
「わかり、ました」

 言葉の端々には隠そうともしない棘があった。けれど、責められても仕方ない。
 八木たち風紀委員の仕事を増やしているのも事実だし、芳川会長がああなったのも、元はと言えば、全部、俺の……。
 五味や連理、そして裕斗たちは俺を庇ってくれたが、他の人間からしてみれば、その元凶は俺だ。わかっていたことだが、改めてそれを突き付けられると応えるものがある。
 じわりと目頭が熱くなる。ここ最近、情緒がおかしい。酷く情けなくなって、それでも八木にこんなところを見られたら余計疎ましく思われそうで、嫌だった。手で拭い、俺は誤魔化すように咳をした。

 五味が言っていた通り、部屋の前には八木と同じ風紀委員の腕章を付けた生徒たちが二人いた。

「委員長」
「お疲れ様です」

 そう声を合わせ、腰を深く折る風紀委員に八木は「ご苦労」と短く答える。

「様子はどうだ?」
「ルームメイトである壱畝さんはまだ戻っていないようですね。周囲にはこの近辺に部屋を持つ生徒が数名通りかかったくらいで別段怪しい人影はありませんでした」
「芳川知憲を監視させていた早瀬からも目立った動きはないということです」
「分かった、ありがとう」

 壱畝は……いないのか。
 その報告内容に、心底ホッとする。けれど、部屋に戻ってきた今、壱畝遥香と嫌でも顔を合わせることになるわけだ。そう考えると、気が重い。

「何してる、早く部屋に戻れ」
「……は、はい……!」

 グズグズしてると、八木に急かされる。
 部屋の鍵を探してると、「寮長から借りてきた」と鍵を手渡される。

「その様子じゃ、どこかで無くしたんだろう。予備を貰ってきて正解だったな」
「あ……ありがとうございます……」
「その鍵は暫く持ってても構わない。けど、元の鍵が戻ってきたら寮長に返せ。……そういう決まりだ」

 わかったか、と威圧され、俺は慌てて頷いた。
 怖い人だが、ここまで用意周到なのは意外だった。俺の行動など予測済みということか。

「基本、部屋の前には交代制で見張りをつける。何かあれば言え」
「……わかりました」

 八木の背後、二人の風紀委員はにこりと笑ってみせた。
 風紀委員の全員が全員、怖い人たちばかりというわけではなさそうだ。少しホッとするが、関係ない人たちまで巻き込んでしまってる現状にただただ申し訳なさでいっぱいになる。
 ……けれど、今は従うのが一番誰にも迷惑かけない方法なのかもしれない。そうだとはわかっているが、俺がひとりここでのうのうとしていいのか、そうとも考えてしまうのだからどうしようもない。

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