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◆ ◆ ◆
「夏季休暇中に実家に戻る際には先生に言ってくれ。それとか数日旅行に行ったりする場合もだ。日帰りの場合は今まで門限までに戻ってくる場合には申請は不要だ。それでは、以上。皆、ちゃんと課題は済ませろよ」
パン、と手を叩き、暑苦しい担任教師は一学期最後のホームルームを終える。
それから、それぞれクラスメイトたちは勝手に動き出す。
「なーなー壱畝、夏休み実家に帰んの?」
ホームルーム終了早々、クラスメイトの一人が席までやってくる。長期休暇の予定はあった。昔の同級生から『日本に帰ってきてるんならまた皆でどっかで会おう』なんて連絡も入ってきたし。けれど、今はとてもじゃないが夏を満喫する気分ではない。
「そうだな、どうしようか迷ってるところ」
「ふーん、ならさ、暇なときどっか二泊三日くらいで旅行行かないか?こいつの別荘、プライベートビーチから花火とかよく見えんのよ」
「バーベキューしながら花火大会とかさ、楽しそうじゃない?」
「いいな、それ。それなら俺霜降り肉取り寄せて持っていくけど」
「言ったな?嘘なしだからな」
いつの間にか、周りには他のクラスメートたちが集まっていて、それぞれ勝手に盛り上がってる。
誰も一言も参加するとか言っていないのに、よくここまで騒がれるものだ。正直、気分が乗らない。前の俺なら二つ返事で承諾してたのだろうが、参加したところでまともに楽しめる気がしなかった。
原因は、分かっていた。
「……考えとくよ。それじゃ、俺、ちょっと用事あるから先に失礼するよ」
ごめんね、と先に詫びを入れ、そのまま鞄を手に教室を後にした。ズキズキと頭の奥が痛む。油断するとすぐこれだ。以前よりはましになったのに、ここ最近で頭痛が悪化してる。俺は、鞄の中に入れっぱなしになっていたジュースを取り出し、一緒に、頭痛薬を取り出した。廊下を歩きながらそれを喉奥へと流し込む。炭酸も抜け、ぬるくなったそれはひどく間抜けな味だが今は気にならない。
齋藤佑樹が俺の前から姿を消して一ヶ月が過ぎた。
教室にもまともに出なければ、行事やイベントごとにもことごとく現れなくなる。けれど、時折目撃情報は入ってくるのだ。食堂で生徒会といただとか、なんとか先輩と歩いていただとか。正直、どうでもよかった。興味もない。あいつ、俺の前から逃げたんだと。度胸もないクソ野郎だ、そんなこと最初から分かりきっていたことだった。
けれど。
『芳川知憲が齋藤佑樹を自室に監禁してる』
なんて、クラスメートたちの口から聞かされたあの時から、見てみぬふりしていた腹の中のそれが一気に膨らんだのだ。
芳川知憲。生徒会長。眼鏡を掛けた、一見地味な人だと思った。けれど、喋り方、仕草、その端々から滲んでいた不遜さ。自分が正しいと思って疑わないあの目には、見覚えがあった。何故そんな男がゆう君なんかを特別視するのか分からなかったが、家柄か、どうせその辺りだろう。
正直、面白くない。面白い訳がない。
俺がこんな風にゆう君のことを考えてる間に、ゆう君は他の野郎の部屋でぬくぬくしてると思うと腸が煮えくり返るようだった。
きっと、俺のことなんか忘れて会長さんのことばかり考えてるのではないだろうか。そう考えるだけで非常に不愉快だった。
部屋まで戻ってきて、ようやく息を吐く。ゆう君の荷物は置きっぱなしの部屋の中。ムカつくので全部燃やしてやろうかとも思ったけど、面倒なのでそのままにしていた。
一人部屋には広すぎる部屋の中、無音でいるのが嫌で何気なしにテレビを点ける。
制服を脱ぎ、ラフな私服へと着替えた。
ゆう君がどこにいるかは分かってる。あながち芳川知憲の部屋か生徒会役員連中の手元だろう。
本当に嫌なら自力出てくるはずだ、やっぱり甘んじてるんだ、その立場に。そう思うと酷く吐き気が込み上げてくる。
別に、別に、どうでもいいけど。さっさと芳川知憲に捨てられて死ぬほど苦しめばいい。
俺から逃げようとするからだ。俺から……。
ぼんやりとテレビを見ていると、扉がノックされる。
誰か来たのか。クラスメートだったら面倒だな、思いながら、俺は出る前に扉の向こうの相手を確認しようとドアスコープを覗いたとき。
ドン、と思いっきり扉を叩かれる。否、蹴られてるような鈍い音が響いた。
スコープの向こうには、顔にいくつものピアスをぶら下げた赤い髪の男が立っていた。
一瞬、息が止まるかと思った。
クラスメートたちから「この人とは関わらないほうがいい」そう何度も教え込まれた要注意人物、その本人が扉一枚隔てた向こう側にいるのだ。
なんでここに、と思ったが、もしかしなくてもゆう君に会いに来たのだろうか。なんかこの人に絡まれてるというのは聞いていたが……。
……居留守を使おう。そう思い、テレビの音を消した、
赤い髪の男、阿賀松伊織はしつこかった。ここが住宅街ならば一発で近所に通報されるであろうレベルで扉を叩く。
うるさいな、いないって言ってんだろ。段々イライラしてきて、イヤホン付けて音楽でも聞こうかとした時、ガチャリと音を立て、ドアノブが捻られる。
え、と思ったときには遅かった。勢いよく開かれる扉。
扉の前、驚きと困惑で固まる俺を見て阿賀松伊織は「なんだよ、いんじゃねーかほら」と不機嫌そうに短い眉を寄せた。
「っ、な、んですか……いきなり」
「は?ノックなら充分しただろ?」
そういう問題ではない、が、そういった常識が通用しない相手ならば仕方ない。
「ゆう君なら、ここにはいませんよ」
なるべく平静を装い、そう口にすれば阿賀松伊織はにやりと口元を歪め、笑った。
「知ってる。俺が用があんのはお前だよ、壱畝遥香」
「……俺?」
どういう意味だと問いかけるよりも先に、腹部に強烈な衝撃が走る。一瞬、何が起こったのかもわからなかった。鳩尾に重い一発。めり込む拳を見て、汗がぶわりと噴き出した。
「そ、お前」
内臓が潰されるようなその重み。痛みを感じるよりも先に、あまりの衝撃に全身の筋肉が弛緩した。四肢から力が抜け落ち、その場に膝をつきそうになったところを阿賀松伊織の腕に掴まれる。
霞む視界。気を失ってはならない。しっかりと立たなければ。そう思うが、まるで糸が切れたみたいに体が動かない。
廊下側から複数の足音が聞こえてきた。誰か、この際誰でもいいから来てくれ。そう思うが、すぐにその淡い期待も打ち砕かれた。
現れたのは、阿賀松伊織の仲間だった。ピンクの頭と金髪頭。それは見覚えがあった。
「悪いなぁ、別にお前に恨みあるわけじゃねーんだ。恨むなら自分恨めよ」
チカチカと点滅する視界。頭上から阿賀松伊織の軽薄そうな声が聞こえてきた。
自分を恨め。簡単に言ってくれる。
クソ、最悪だ、と毒づく言葉すら声にならず、俺の意識はそこで途切れた。
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