天国か地獄


 08

 収まりかけていた熱が蘇るようだった。
「沸いたぞ」と会長に促され、俺は、脱衣室へと向かう。会長の言う通り、汗がベタついていて気持ち悪いのも事実だ。会長は、俺の服を脱がせようとしてくるので流石にそんな真似までさせられないと「自分で脱ぎます」と伝えれば、「分かった」とだけ答え、湯加減を確認しに浴槽へと向かった。
 心臓が煩い。指先の震えを堪えながら、俺は、服を脱いでいく。鏡に自分の姿が写つり、血の気が引いた。
 鬱血痕がくっきりと浮かび上がった胴体、それはどう見ても指の形だった。
 咄嗟に目を逸すが、瞼の裏には自分の身体がこびりついて離れない。汗が滲む。
 動けないでいると、「どうした」と会長が浴室から顔を出す。俺は、とっさに服の裾を下げ、身体を隠す。

「……っ」

 すみません。すぐ、行きます。そう言えばいいと分かっていた。けれど、会長を前にすると、言葉が出てこないのだ。
 身体を隠すように蹲ることしか出来ない俺に、会長は気付いたのだろう。俺が、何を躊躇っているのかを。
 眉根を寄せる会長を見て、気が急く。すみませんと、慌てて立ち上がり、俺は服を脱ぐ。
 会長は何も言わなかった。俺の身体を見ても、くっきりと残った手の跡を見ても、何も。
 下着一枚になって、俺は、会長の方をちらりと見た。会長は、何も言わずに俺に背中を向けた。
 気遣ってくれてるのだろうか。分からなかったが、会長が見ていないと思い、慌てて後ろ向いて下着に手を掛ける。
 やっぱり、裸に、ならないといけないのか。いやそもそも風呂なのだから当たり前だ。けれど、別に散々裸を見られたのだから隠すものでもないと思うけれど、それでも明るい浴室の照明の下照らされるのと薄暗い室内とでは全く違う。

「ぁ、あの……タオルお借りしてもいいですか?」

 思い切って、恐る恐る尋ねる。

「そこの上にある。好きなものを使うといい」
「ありがとう……ございます」

 一先ずほっとするが、それでも、とんでもないことになってしまったと今更後悔していた。
 腰にタオルを巻いて、その下から下着を脱ぐ。
 たかが布切れ一枚、されど布切れ一枚。少しでも肌が隠せるのなら俺にとってはましだった。心許ないのも事実だが。

「あの、脱ぎ終わりました」
「冷める前に湯船に浸かれ。そのままだと風邪を引くぞ」

「歩けるか?」と尋ねられ、俺は会長に手を貸してもらうことにした。
 浴室。湯気に包まれた浴室内。
 シャワーヘッドを手にした会長は、水圧と温度を調節しているようだ。自分の手を濡らしてはそれを確認してる会長は「ちょっと待て」と俺を止めた。

「は、はい……って、ぅあ……ッ!」

 言われた通り立ち止まったときだ。いきなりシャワーヘッドを向けられ、大量のお湯の粒に驚いて、滑りそうになる。が、会長に支えられていたお陰でなんとか寸でのところで助かる。

「熱いか?」
「熱くはないですけど、……ぁ、あの……っ、俺、自分で……」
「筋肉痛で後ろまで腕が回らないだろう」

 指摘され、言葉に詰まる。会長の言う通りだった。
「ほら、後ろを向け」と指示をされ、俺は、言われるがまま背中を向けた。水の音が響く浴室内。項から背中へとシャワーが掛けられる。冷たくない。寧ろ体温に近く設定されたそれはすぐに肌に馴染んだ。

「……っ、ぅ……」

 足元から排水溝へと流れていくお湯をただ眺めることしか出来なかった。石のように固くなった身体を、会長に洗い流される。冷えていた手足が温まっていく。
 ワイシャツを着た会長と、ほぼ全裸の俺。こんな状況だからだろうか、余計、こうして会長に世話をさせていることが恥ずかしくて、耐えられない。

「こちらを向け」

 耳元で、会長の声がした。ドクドクドクと早鐘打つ心臓。
 俺は、言われた通りゆっくりと会長の方へと向いた。正面向き合えば、会長と目が合い、顔が熱くなる。
 腿から臍、それから胸元へとシャワーを当てられれば、無意識に腰が引けた。

「っ、か、いちょう……」

 湯気で白く濁った空気の中、再び視線が絡み合った時、唇を重ねられる。最初は触れるだけの優しいキス。二度目は、深く唇を貪るようなキス。
 シャワーの音に混ざって、呼吸が混ざる。暖かくて、熱い。まだ湯船にも浸かっていないのに逆上せるようなそんな錯覚に陥るのはきっと、湯気に充てられただけではないはずだ。

「っ、ぅ……ふ……ッ」

 歯列をなぞられ、ゆっくりと口の中を舐められる。会長の舌が上顎に触れた瞬間、身体が震えた。
 目の前が薄暗くなる。自分が何をしてるのか、分からなくて、ただ俺は会長にしがみつくのが精一杯だった。
 会長のシャツを掴んだときだった。シャワーヘッドが会長の手から滑り落ちた。カツンと音を立て、天井を向いたシャワーヘッドはさながらスプリンクラーのように散水する。
 会長にまでお湯が掛かってしまう。シャツが濡れてしまう、とシャワーを止めようと思うが、伸ばしかけた手を掴まれ、そのまま身体を抱き寄せられる。それからは、よく覚えていない。
 時折舌を絡め、俺は夢中になって会長を受け入れていた。
 不意に、会長は鬱陶しそうに、濡れ、額に張り付く前髪を掻き上げる。

「このままではせっかく暖めたのに冷えてしまうな」

 それは、浴槽のお湯のことを言ってるのか。それとも、俺のことを言っているのか。
 頭がぼーっとする。離れる会長の唇に目が行ってしまい、身体の中の血管の下、焼けるようにどろどろになった血液が勢い良く駆け巡る。
 もっと、なんて、端無いことを口にしたくない。それでも離れる唇に名残惜しさを感じてるのだ、どうしようもない。
 会長が言っていたのは湯船のことだったようだ。
 再び湯を温め直してる会長をぼんやり眺める。会長に抱かれたのだと、今になって鮮明に頭に刻まれてくる。華奢でない、しっかりとしたあの腕に身体を抱き締められたのだ。そう、会長の右肩に目を向けたとき、俺は、視線を止めた。
 水を含み、肌に張り付く白いワイシャツ。
 その右肩の部分に、鬼が現れたのを俺は見てしまった。
 それは、鬼と呼ぶよりも般若のようにも見えた。恐ろしい形相のそれは、服の模様ではないはずだ。肌の色に混ざって浮かび上がるそれに、以前縁に聞かされた言葉が脳裏を過る。
 右肩に刺青か、手術痕。
 俺は、慌てて顔を逸した。バクバクと、今度は別の意味で加速する鼓動。目の錯覚だろうか。俺の潜在的意識が見せた幻覚か妄想か。分からない。けれど、恐る恐る、再び目を向けたとき、腕を下ろした会長と目が合った。

「そろそろ頃合いだな。浸かれ、寒いだろう?」
「……は、はい」

 袖を捲くった会長は、そう言って浴槽から離れる。シャツのシワのせいか、もうあの鬼は現れなかった。けれど、脳裏にこびりついて離れなかった。
 あれは、見間違いなんかではない。
 間違いない。会長の腕には、鬼がいる。

 例えば、芳川会長が俺が思っているような人間じゃないとして、どうするのだろうか。
 前歴があって、会長に苦しめられた人が存在するとして、俺はどうする?
 そもそも会長の入れ墨を偶然知った縁による嘘の可能性もある。
 会長が、そんなわけがない、そう思いたいのに、思い出すのは今まで隅々で感じた会長への恐怖の片鱗だ。
 俺は、何も知らない。何も。会長のことだけではない。出会う前の色んな人たちのそれまでを、何一つ知らない。それは相手からしても同じだろう。
 風呂を上がるまで、俺は、会長の顔を見ることが出来なかった。後ろめたさが勝ったのだ。
 昇りそうになって、会長に「そろそろ上がったほうがいいんじゃないのか」と注意されたくらいだ。
 ……風呂を上がって、スッキリするどころか頭がぼうっとして地に足がついている気がしなかった。
 会長の肌を直接みたことはない。昨夜だって、薄暗い部屋の中だ。それに、上を脱いでいなかった。
 もう一度確認したとして……俺はどうするんだ。会長が入れ墨を彫っていたとして、俺は会長に幻滅するのか。問い掛けてみる。
 しかしあれが見間違いではないとしても、俺は、会長に幻滅することはないだろう。
 誰しも触れられたくない部分はあるはずだ。それは俺も同じだ。もしも縁の言葉が事実にしろ嘘にしろ、今までの会長の姿までが嘘になるという理由はない。
 そうだ。何を気にしてるんだ……俺は。
 濡れた髪を拭いながら、自己完結してみせるが目を瞑っても会長の腕の入れ墨が頭から離れなくて、思い出す度に心音が加速する。

「齋藤君」

 いきなり名前を呼ばれ、飛び上がりそうになる。顔を上げれば、着替えた会長がグラスを持って立っていた。

「まだ顔が赤い。少し水分補給した方がいい」
「あ……ありがとう……ございます」

 グラスを受け取る手が震える。慌ててもう片方の手で支えようとしたが、遅かった。受け取り損ね、床に落としたグラスが足元を濡らす。

「っ、すみません」
「……」

 会長は、無言でグラスを拾い上げる。慌てて俺は溢れた水をタオルで拭った。言葉にし難い空気だけがそこに流れる。
 不審に思われただろうか。平常に振る舞おうとすればするほど、意識してしまい上手くいかない。
 会長は何も言わずにグラスに水を入れ直してくれた。今度は俺に直接手渡さず、近くのサイドボードにそれを置くのだ。

「ありがとうございます」
「別に構わない」

 そう言って、会長はソファーに腰を下ろした。こちらから会長の表情は読めないが、会長も、俺の顔を見たくないのかもしれない。
 部屋の中に沈黙が広がる。さっきは少しは和らいだと思っていた空気がまた冷えていくのが肌で感じるようだった。
 俺と会長の二人きりの時間は長かった。寝ては起きての繰り返しで、時間感覚が狂い出す。会長の部屋に来て何日経ったのかも分からない。
 縁の部屋にいたときとはまた違う、会長といるときは緊張してろくに食べ物も喉を通らなかった。
 あれ以降、会長から触れられることはなかったが……会長がいない時、俺は一人思い出しては自分で自分を慰めることが多くなった。
 会長は部屋に居るときが多くなった。携帯は返してもらったものの、会長以外の連絡先も消され、登録してない番号からの電話は着信できないように設定されているようだ。
 そもそも、日頃会長がいる間は携帯は会長が預かっているのでそれほど重要ではなかったがそれでも、日時を確認するすべはそれしかなかった。

 七月上旬。世間では炎天下の下、人々は汗水垂らしながら通勤通学してそれぞれ生活していることだろう。
 俺は、夏の暑さを肌で感じることもなくクーラーの効いた部屋の中、会長と一緒に過ごした。
 時間が経つにつれ、会長の冷たかった空気も少しずつ、少しずつだが和らいでいく……そんな気がしていた。
 だから、俺は部屋を出ようとも思わなかった。
 きっと、実際はそんなに日時も経っていないはずだ。現に、一ヶ月は経ったと思っていたが実際は俺は会長の部屋に連れてこられてからまだ一週間も経っていなかった。

 いつまでこんな生活が続くのだろうか。俺は、会長の背中を眺めながらぼんやりと考えていた。
 外で何が起こってるのか、まるで分からない。文字通り、蚊帳の外というやつだ。それでも、ここにいたら会長が怒らない。もう、あんなに怒った会長は見たくなかった。

 けれど、そんな時間も長くは続かなかった。
 その日も一日が終えようとしていた。ベッドの上でウトウトしていたときだ。
 部屋に一つのノックが響いた。
 突然の訪問者に俺も会長も身構えた。会長は扉を一瞥し、それからゆっくりと腰を上げた。
 出るのか。てっきり居留守を使うと思っていただけに驚いたが、会長の立場もある。

『……こんな時間になんの用だ』

 玄関口から死角になるように、俺は壁際へと身を寄せた。無意識の行動だった。別に隠れる必要はない。分かっていたが、何故だか、俺は息を潜め、影に潜る。
 玄関口から聞こえてきたのは、聞き覚えのある声だった。

『用なんて、言わなくても分かるだろ。十勝から聞いたぞ、齋藤を匿ってんだろ、そこで』

 五味だ。つっけんどんな物言いといい、間違いない。
 名前を呼ばれ、無意識に体が強張る。

『だったらなんだ』
『なんだ、じゃないだろ。分かってんのか?お前、今の自分の立場が。こんなことしてると知られたら、適当なこと言われて余計自分の首を締めることになるぞ』
『言わせたいやつには勝手に言わせておけ。俺は保護しているだけだ』
『だったら、あの人らが言うように授業くらい出させたらどうだ。お前がしてることは監禁と同じだろ』

 聞こえてくるその単語からして、その会話が和やかなものでは到底思えなかった。
 俺がここにいる間、何があったというのか。俺は、二人の会話を聞こうと玄関口に近づき、壁に体を寄せる。

『……五味、貴様も同じことを言うのか』
『そうだよ。俺らにも全く会わせようともせず何日も部屋から出さず、お前だってろくに顔を出さない。誰だって心配するだろ』
『心配だと?疑ってるの間違いじゃないのか?』
『そう思うのは勝手だけどな、本当にこのままでいいのかよ。このままじゃお前……本当にリコールされるぞ』

 俺は、気が付けば、玄関口へと駆け出していた。
 まともに歩くことがなくなったお陰で足は縺れ転びそうになったが、それでも、俺は、会長たちの前に顔を出した。

「それっ、どういう……ことですか……?」


 驚いたような顔をした五味と、睨むようにこちらを見る芳川会長。会長を怒らせることはしたくないと思っていた。それでも、やっぱり、聞き流すことは出来なかった。
 会長が、リコール。それも、俺のせいで。

「齋藤……ッ!」
「会長が、リコールされるって……なんで……っ」
「齋藤君、君は戻っていろ」
「会長……っ」

 あくまでいつもと変わらない芳川会長に肩を掴まれ、強引に引き戻されそうになる。それでも、俺は、会長の腕にしがみついて、押し戻されまいと踏ん張る。けれど、力の差は歴然としている。
 そのまま部屋の奥へと押し返され、尻餅ついた。

「……齋藤、よく聞け。こいつは今、『一般生徒を監禁し暴力を奮い心身ともに虐待をしてる』という理由で解任しろという声が上がってる。お前のことだ。その声が理事長の元までいくのも時間の問題だろう」
「おい、五味」
「それが事実じゃないなら、お前が名乗り上げろ、齋藤。そうじゃないなら……」
「いい加減にしろ」

 会長が五味の胸倉を掴んだのとそれは同じだった。
 通路にフラッシュが焚かれ、響くシャッター音に五味と会長は通路奥に目を向ける。部屋に押し込まれていた俺は、何がなんだかわからなかったが、それも束の間。

「あーらら、仲間割れですか?それとも、喧嘩ですか?良くないですね、他の生徒たちの模範になるべきお二人方がこんな夜中に他の生徒にも目につくような場所で掴み合いなんて」

 間延びした、のんびりとした柔らかい声。
 それは、すぐに誰のものか分かった。
 寮監・志木村は携帯端末片手にそれを操作する。

「それに、今は生徒会リコールで特に慎重にならないといけない時期だっていうのにちょっと軽率すぎませんか?関係のない僕の方が見ててハラハラしちゃうんですが……」
「盗撮が趣味なのは結構だが、少しは隠したらどうだ」
「助言ありがとうございます。けど僕、そういうコソコソしたのって苦手なんですよね。芳川君と違って」
「……」
「僕がここに来た意味って分かりますよね、芳川君」

 志木村の問い掛けに、芳川会長は何も言わない。
 ただ、無言で五味を睨み付けた。
 まさか、会長を誘き出すために五味を使ったということか。恐ろしい考えが過り、息が詰まりそうになる。
 起き上がることもできず、へたり込んだまま動かないでいると、こちらに目を向けた志木村はゆっくりとこちらへと歩み寄ろうとして、会長がその前に立ちはだかった。

「……邪魔ですよ」
「邪魔なのは貴様だ」
「おい芳川、やめろ」
「僕の邪魔をするってことは、認めるんですか?部屋に入られたら困る、疚しい事情があるってことですよね?」
「恥知らずにはプライバシーと言う言葉が理解出来ないようだな」
「芳川!」

 五味が止めようとするが、会長は止めるどころか志木村に今にも噛みつきそうなそんな空気すらあった。
 俺は、どうすればいいのか分からなかった。
 芳川会長が困ってる。俺のせいで。そう考えれば、俺がちゃんと然るべき場所で何もなかったと説明するのが一番ではないか。そんな思考が過るが、会長は許してくれるだろうか。
 けれど、これ以上大事になるくらいなら。と、立ち上がろうとしたときだ。

「随分と楽しそうなことしてるね」

 その男は、ごく平然と何事もなかったかのように現れた。まるで、縁日の出店を覗くみたいに、楽しそうに、無邪気な目で。

「志木村君、それは誰の許可を得てやってるの?」

「伊織?……それともまさか、志摩裕斗とか言う一般生徒の命令じゃないだろうね?」縁方人は小首を傾げ、志木村に笑い掛けた。志木村、だけではない、その場にいた全員の表情が、目の色が変わる。それは俺も例外ではなかった。

「……先輩もおかしなことを言いますね。そもそも、暴力を受けているかもしれない生徒の無事を確認することに許可なんて必要ですか?それに僕も一応寮長です、生徒の安否を確認する義務があるんで」
「義務ねぇ。……そもそもそんなことしなくても、既に確認は出来てるんじゃないの?」

「ねえ、齋藤君」と、縁の目がこちらを向いた。
 まさか、縁が助け舟を出してくれるとは思ってもいなかった。けれど、会長があらぬ疑惑を掛けられてると思うと、いても立っても居られなくて、俺は「はい」と慌てて頷き返す。

「あの……志木村先輩、何かの誤解だと思います。俺がここにいたのは、その、別に会長に言われたとかそういうわけじゃなくて……自分で、決めたことなので」
「……」

 会長の目が、向けられる。怒ってるのだろう。俺が勝手に出しゃばったから。それでも、このまま会長が責められるくらいならと思ったけど、志木村も食えない男だった。

「齋藤君、君は何か勘違いしてますね。確かに君が無理矢理この部屋に監禁されてるという疑惑が浮上してるのも事実ですが、もしそれが事実ではなくても全生徒の代表である芳川君が本来ならば授業を受けるべき一般生徒の君を部屋に置いてそれを黙認・加担してること自体が由々しき自体なんですよ」

「っ、それ、は……でも、会長は俺を……助けて……くれて……そのために……っ」
「本当なら、僕は他人の色恋沙汰に首を突っ込む趣味はないんですが、こればかりは僕の首も掛かってますからね、言わせてもらいますが……本当に齋藤君のためを思ってるなら問題から顔を逸らすのを助けるのではなく、向き合うための背中を押すべきなんじゃないですか?」

 鬱陶しそうに続ける志木村の言葉はどこまでも冷たく、正論だった。志木村の言葉は正しいというのは分かっていた。
 固執してる自分がおかしいのだとも分かった。
 けれど、それでも、他人からとやかく言われるのは、自分の心を踏み荒らされるようで……酷く居心地が悪かった。
 何も言えなくて、俯いた矢先のことだった。
 芳川会長が、志木村の胸倉を掴み、自分へと引き寄せる。
 慌てて止めようとする五味。「え、まじで」と笑う縁。
 一瞬、時間が止まったかのような錯覚を覚えた。
 会長が拳を作るのを見て、無意識に体が動いていた。俺は、会長の腕にしがみつき慌ててそのまま志木村から引き剥がす。「会長」とか「落ち着いて下さい」とか、何か言ったような気もしたがそれどころではなかった。
 とにかく、会長を止めようとするので必死だったのだと思う。

「会長……ッ」

 邪魔だと言うかのように振り払われ、尻もちを付きそうになるのを今度は縁に助けて貰った。それからすぐ、五味が会長を羽交い締めにしてそれを止めた。

「離せ、貴様も邪魔をするつもりか」
「おい、まじで落ち着けって……洒落になんねーぞ!」
「おお、怖いですね……よっぽど虫の居所が悪かったみたいですね」
「志木村、お前さっさと戻れ。後は、俺から話しておくから」
「……そーですね、これ以上は話にならないみたいですし、僕も、自分が可愛いですからね」

 そう、志木村は肩を竦め、それから俺に目を向ける。

「明日の朝までに改善されていないようでましたらまた来ます。……忠告はしましたよ。後は二人でよく話し合って下さいね」

 柔らかいその声は、今だけは酷く冷徹にも聞こえるのだ。
 志木村はそれだけを言い残し、その場を立ち去った。縁の方は最後まで見なかった。
 ……助かったのか?
 完全に不穏分子が取り除けたわけでないが、一先ずは見逃してくれるということか。……それでも明日の朝までにということは、残された時間も長くはない。
 どうすれば、と考えた矢先だった。五味を振り払った会長は、五味のネクタイを掴んだ。

「会長……ッ!!」
「……貴様、どういうつもりだ」

 低い声。レンズの下、鋭い針のように冷たいその目に、背筋が凍りつく。今にも殴り掛かりそうなそんな気配すら感じさせる会長に、五味は抵抗もしなかった。ただ諦めたように、両手を上げて降参のポーズをしてみせる。

「殴りたきゃ俺を殴れよ。……けれど、それでも状況は変わんねーからな」
「……」
「けど、あいつの言った通りだろ。逃げたところで何にもならねーよ。……そんなこと、お前だってわかってるだろ」
「……貴様に俺の何が分かるって言うんだ」

 それは、ゾッとするほど憎悪に満ちた声だった。
 嫌な予感がして、咄嗟に身を乗り出すが会長は俺の心配を他所に五味から手を離す。そして、そのまま部屋の奥へと引っ込んだ。

「っ、会長……」

 慌てて、その後を追いかけようと、閉まりかける扉に手を伸ばしたとき、五味に肩を掴まれた。

「五味先輩……」
「……悪い、けど、そっとしといてやれ。あいつは暫く頭を冷やした方がいい。……お前だってさっきの見て分かっただろ、あいつは冷静じゃなくなってる」
「っけど、……」
「でもそれってさ、逆に賭けだと思うんだけど」

 言葉に詰まる俺に続いて反論したのは縁方人だった。
 一部始終を見ていた縁は笑う。「冷静じゃないんだろ?なら、余計危なくない?」と、他人事のように。

「……縁さん」
「裕斗君から何か言われたんだろうけどさ、今回のはちょっと手荒過ぎるんじゃない?齋藤君のこと考えるんなら、もう少し穏便にいかないと。知憲君の性格からして素直に聞き入れると思う?余計悪化するだけでしょ」
「アンタたちはまあいいんでしょうね、関係ないんで。けどこっちもこっちで色々あるんですよ」
「例えば、リコール要請は会長だけではなく生徒会役員皆に出てるとか?」
「……っ、え……?」

 縁の言葉に、五味は苦虫を噛み潰したような顔をする。
 まさか、本当なのか。
 何も答えないが、その沈黙こそが答えだった。

「それって……」
「そういうの、どこで仕入れてくるんですか、いちいち。漏洩には早すぎません?」
「やだな、いつだって知憲君の味方だった君がここまでしてるんだから想像つくでしょ、それが知憲君だけの問題じゃないって。武蔵君は優しいしね」
「他の奴らに言わないでくださいよ、まだ箝口令敷いてるんで」
「じゃあ、君以外の子たちも知らないんだ」
「…………」

 生徒会が解体されるということか。
 決定事項と決まったわけではない。それでも、このまま会長のところにいて、志木村の言葉に逆らう真似をしたら、会長だけではなく、他の皆にまで迷惑を掛けてしまう。
 そう考えると、まるで地に足がついた気がしなかった。目の前が真っ暗になる。自然と呼吸が浅くなった。

 俺は、会長の傍にいることが会長のためになるのだと思っていた。信じていた。けれど、実際はなんてことはない。俺は、会長に迷惑を掛けていたのか?ずっと、何も知らずにのうのうと、周りからなんと言われてるのかも知らずに。
 そう思うと、酷く不安になる。俺は間違っていたのか。
 いても立ってもいられなくて、俺は、会長の部屋へと逃げ込んだ。五味が「おい」と止めてきたが、俺は心の中で謝った。縁は止めようともしなかった。まるでそれを最初から予想してたかのように、ただニコニコと笑っていた。
「おー頑張れ頑張れ」なんて他人事のようなことを口にして。

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