天国か地獄


 01

 志摩裕斗、十八歳。
 縁曰く長い間入院のため休学しており、阿賀松や縁と同じで一年留年している。三年生。そして、志摩亮太の実兄。
 最初はよく横顔や笑ったときの目元が似ていると思ったが、話して分かった。志摩とは正反対の性格の持ち主だと。
 眩しいくらい真っ直ぐで、裏表の感じられない言葉や輝いた瞳。優しげではあるものの辛辣な志摩とはその言動は何から何まで対照的だった。
 俺は、志摩裕斗と志木村と別れ、縁の部屋と戻ってきていた。けれど、肝心の縁は、ここにはいない。
 仁科はどこか落ち着かない様子で、縁が残していった料理を食していた。仁科より早く食べ終えた俺は、先程のことを思い返していた。

『裕斗、戻ってくるんならなんで教えてくれなかったんだよ』
『なんでってほら、サプライズ感あっていいだろ?伊織に言われたんだよ、誰にも連絡するなって。そっちのが驚くだろうからって』
『い、おりが?……それ、いつ頃の話?』
『いつだっけ。覚えてねーけど自立歩行できるようになるまでには大分時間掛かったからな。年明けぐらいだな』
『年明け……。それ、亮太は知ってるのか』
『亮太にも伝えてなかったんだよ。うちの親には言っといたけど、亮太あいつは俺の話聞かねーからな。別に連絡しなくていいっつってさ、はは、これから会いに行くんだよ。あいつ、びっくりするだろうなぁ』

 志摩裕斗は無邪気、というよりも、どことなく子供のような人だった。場面を想像して楽しげに笑う志摩裕斗に、縁は、『そりゃ誰だって驚くだろうな』と突っ込む。

『芳川は、もっと驚くんじゃないか?自分が殺した男が生きて戻ってきたりなんて知ったら』

 その一言に、その場の空気が一瞬にして凍りつく。
 志木村が身構えた瞬間、志摩裕斗は手を動かし志木村を制する。

『変わらないな、方人。けれど、それは語弊があるな。俺は、別に殺されちゃいないし死んでない。現に、ここに立ってお前とこうして話している。……別に俺には構わないが、そういう冗談が通用しないやつだっているんだ』

『お手柔らかに頼むぞ』と、裕斗は笑った。
 志木村の全身から滲む敵対心。それに気付いてるのか気付いていないのか、裕斗に諭された縁は痛くも痒くもないという顔をしたまま『りょーかい』と笑った。
 お互いに笑顔で、一見すれば和やかな再会のシーンなのかもしれない。けれど、俺は、そうは見えなかった。
 縁方人を睨む志木村もあるが、それよりも、志摩裕斗を死んだ男と揶揄する縁がだ。
 志摩裕斗の休学は、芳川会長が関わっていたということなのか。
 分からないが、あの時感じた居心地の悪さだけは今でも鮮明に思い出せる。

 部屋の掃除ついでに弟に会いに行くと、志摩裕斗と志木村はその場を後にした。
 それから俺達には目的通り部屋に戻ってきて、それから縁は昼食代わりにパスタとスープを作って、それからすぐに部屋を出ていった。「ちょっと出かけてくる」と言って用件までは口にしなかったが、なんとなく、俺は志摩裕斗のことを思い出していた。
 元生徒会長が戻ってきたからと言って、なんということもない。俺には関係ないはずだと思うのに、どうしてか、酷く落ち着かない気分になった。
 恐らく、あの時、志摩裕斗に囁かれた言葉が原因なのだろう。
『俺が来たからにはもう大丈夫だ』。
 掌に冷ややかな感触が蘇る。

「まさか、会長……いや、裕斗先輩が戻ってくるなんてな」

 やっぱり、仁科も志摩裕斗のことを考えていたようだ。喜ぶというよりも、仁科は不安の色を多く滲ませている。

「あの……裕斗先輩って、阿賀松先輩と仲いいんですか?」
「え?」
「あの、伊織伊織って言ってたから……阿賀松先輩のことですよね、伊織って」
「ああ、そうだな。……仲良いっていうか、いや、仲いいのかな……伊織さんと裕斗先輩は確かによく一緒にいたのを見掛けたな。けど、友達というよりかは……役職が役職だったから一緒にいる機会が多かったんじゃないか」
「役職って、生徒会長っていうことですか?」
「ああ、俺が一年の頃、あの人たちが二年のときだな。裕斗先輩は生徒会長で、伊織さんは風紀委員長だった頃だ」

 俺は、仁科の言葉に一瞬、驚きのあまり返事することを忘れた。
 阿賀松が、風紀委員長。風紀を乱す張本人がまさか風紀を乱す人間を取り締まる側だったなんて。八木と同じ腕章を付けていた阿賀松がまるで想像できなかったが、そんな俺に構わず仁科は続ける。
 志摩裕斗は三年に上がる前の春、新学期が始まる前に休学届が学園側に出されている。
 事故が起きたのだという。校舎と学生寮を繋ぐ通路。その途中にあるラウンジの窓だか壁だかが無くて、落下したという。
「人伝に聞いただけだからどこまでどこまでが本当かもわからないし、俺自体、あやふやだからな」と、仁科は続けた。

「でも、それだったら完全に学園側の管理不届きによる事故ですよね。どうして、縁先輩は芳川会長が殺したなんて……」
「それは……」

 仁科は言い淀む。その表情から、言いにくそうなことなのだと分かった。
 まさか、本当に?にわか信じられず、「本当なんですか」って聞き返せば、仁科は首を横に振る。

「俺も、その場にいたわけじゃないからなんとも言えない。けれど、見たやつがいるんだよ。裕斗先輩が落ちたその時、芳川が、その場にいたのを」
「っ、え……」
「けれど、実際裕斗先輩が倒れてるのが見つかったのはたまたまその近くを通りかかった部活中の生徒だった。その生徒は、芳川のことを見てないって言ってるんだよ」
「芳川会長は、なんて言ってるんですか……そのこと」
「あいつは『その時間帯、生徒会室にいた』って言ってたな。窓から担架で運ばれてる先輩を見て知ったと」
「その、芳川会長が一緒にいるところを見たと言ってる人は誰なんですか?」
「……伊織さんだよ」

 俺は、その場にいなければ当時のことは分からない。
 けれど、もし、俺がその場にいることが出来れば、と思わずにはいれなかった。

「伊織さんは、監視カメラを見たんだと。映像になら誰と誰が一緒にいたかすぐ分かるだろうって。けれど、その時間帯の映像はなくなっていた」
「なくなっていた?」
「元々、あの通路自体あまり人が通らない場所だ。カメラの数もかなり限られていた。エレベーターに乗り込んだ記録では裕斗先輩の使用記録しか残ってないし、結局、推定無罪ってやつだよ。……伊織さんがいくら言ったところで、証拠がなければ何も言えないわけだ」

 阿賀松と裕斗が親しかったとして、もし、友人が何者かにより故意に転落させられたとしたら、どうなるだろうか。
 阿賀松の芳川会長に対する態度を考えれば、あの嫌いようも納得できた。
 けれど、だとすれば理解できないのは芳川会長の方だ。信じたくはないが、仮にもし本当に芳川会長が裕斗と一緒にいたとする。それで事故直前の監視カメラの映像をごっそり盗むなんて真似、するだろうか。
 逆に怪しまれるのではないだろうか。目撃証言が上がってる時点で白を切るよりも素直に助けようと思っていたが助けられなかったと言った方が世間体的にも印象はいいはずだ。

「だとしてもどうして、会長は裕斗先輩を助けなかったんですか?」
「……問題はそこだ、俺にはそれが分かんないんだよ。一応俺、芳川とは一年の頃結構話したこともあったけど、裕斗先輩も芳川のことは可愛がってたし、芳川も、鬱陶しがりながらも裕斗先輩のこと、尊敬してたみたいだったしな」
「芳川が、裕斗先輩を?」
「一年の頃、芳川、あいつは生徒会に入って、裕斗先輩の補佐してたんだよ。っつっても、正式な役員じゃないから本当雑用ばっかやらされてたみたいだけど」
「……そう、なんですか」

 芳川会長が一年生の頃。
 想像する。裕斗のあのテンションと会長のテンションが噛み合わないのは想像できた。仁科の話を聞いていると、その時の会長たちを少し見てみたかった気もしてきた。
 けれど、それ以上に、数年前は全員の関係・立ち位置が全てバラバラだったと思うと、縺れ合ったその糸一本一本が見えてくるようだった。
 けれど、それでも全てを解くには情報が少ない。

「会長は、裕斗先輩が帰ってきて、喜ぶんですかね」
「……どうだろうな。俺は、喜んでくれたらいいと思うどけど」

 仁科は優しい。俺の前だから言葉を選んでくれてるのだろうが、きっと、本心では確信してるはずだ。芳川会長の反応を。
 疑うつもりはないが、火のないところに煙は立たない。
 阿賀松と芳川会長には明らかな確執がある。
 志摩裕斗が何を考えてるか分からない。だからこそ怖いというのもあった。

「すみません、色々込み入ったこと聞いてしまって」
「あ、いや、悪い……俺もなんか変なこと言ってるかもしれないな……ええと、あんま俺の言うことは鵜呑みにするなよ。信憑性ないし、噂話とかだから」
「はい、分かりました」
「……ああ、うん」

 気を紛らすようにジュースに口を付ける仁科。
 自分からそんなことを言う人、初めてだな。思いながら、つい頬を緩めてしまう。
 踏み込んではならない。あの人達の問題だから、俺には関係ないことだ。思うが、どうしても気に掛かることがあった。
 志摩裕斗を見たときの、縁のあの目だ。
 縁の言葉を使うなら、まるで自分が殺した相手が目の前に現れたような。そんな風にすら思えるほどの反応だった。けれど、それ以外は普通に親しげだった。

「縁先輩って裕斗先輩のこと、苦手なんですか?」
「は?」
「や、ええと、すみません、なんかちょっと様子が違うように思えたんで」
「……お前って、結構人のことを見てるんだな」

 呆れたような、驚いたような、困ったような、そんな複雑な表情のまま、仁科は頭を掻く。

「あんまこういうこと言いたくないけどあの人は結構好き嫌い出るからな……仕方ないか」
「すみません、あの、変なこと聞いてしまって」
「お前、方人さんのことが好きなのか?」
「いえ、いえ、違います!そういうんじゃないですけど……あまりにも、その、裕斗先輩と会ったとき、いつもの縁先輩じゃないような気がして」

 すみません、ともう一度謝罪を口にすれば仁科は返答の代わりに小さく息を吐いた。そして。

「俺たちの間では、あの人の前で裕斗先輩の話はタブーだったんだよ。伊織さんはともかく、方人さん、あの人の前では名前も出すなっていうのが暗黙の了解だった」

 二人きりの部屋の中。縁の目もないというのに、それでも仁科は周りを気にするかのように声を潜めた。

「そう、だったんですか?」

 俺は数日前のことを思い出して、血の気が引いた。志木村と会った日のこと、間接的ではあるが志摩の兄の話を縁にさせていたからだ。
 確かにあの時も少し、雰囲気が違うように思えたが、まさかそんな暗黙の了解があるなんて知らなかった。

「俺が入学したての頃……方人がまだ副会長だった頃だよ、原因は分からないけど、一度、大きな喧嘩があったんだよ」
「えっ、あの、待ってください……副会長って、あの、誰が」
「だから、方人さん……え?聞いてなかったのか?」
「は、初耳です」

 阿賀松が風紀委員長で、縁が副会長、そして生徒会が志摩のお兄さん。全く想像できないというか、当時の学園の治安がどうだったのか心配しかならないのだが。
 けれど、確かに縁は細部までよく見て気が利くし、他人をサポートするのは上手い。けれど、五味や栫井が立っているその場所に立ってる縁を想像することは難しい。
 そもそも、真面目に動いてるところを見たことないからかもしれない。

「まあ、とは言っても、就任してたのは半年ぐらいだったしな、表立って何かしてたわけではない。書類上記録はあるが、覚えてる人間は三年でも少ないんじゃないか?」
「そうなんですね」
「それで、まあ、言ってしまえば殴り合いだよ。普通の学校なら珍しくないかもしれないが、ここはあれだろ、生徒たちは皆ある程度自分の立場を理解してるやつらが多い。問題や揉め事を自ら起こすようなやつもいなかった。だけら余計、俺は覚えてたんだ」

 裕斗と縁が殴り合い。
 裕斗はともかく、縁が殴り合うのは想像できなかった。けれど、確かに、生傷や怪我が絶えない人だとは思っていた。
 本気で喧嘩したのか、意見の相違か、なんにせよ、本気で怒ってる縁を見たことがない俺は想像できなかった。

「そのことがあって、方人さんはリコールされたよ。……それからは、今と変わらないな。入退院繰り返して、休学と復帰を繰り返してる。あの時、裕斗先輩見た時はヒヤッとしたが、流石にもう何年も経ってるし、裕斗先輩も方人さんも怪我人だ、何もないだろうとは思うけど」

 そう言って、ちらりと仁科は壁に掛かった時計を見遣る。
 縁が出掛けて三十分近くは経っているような気がする。

「齋藤、我慢しろよ」
「は、はい……分かりました」
「……」
「……でも、遅いですね」
「何時に戻ってくるかも言わなかったし、あの人のことだからどっかでフラフラしてんじゃないのか?……多分」
「……」
「……」

 もう、怒られたくない。その一心で、俺たちは食事を終える。
 なんだか、分かったようなつもりでいたが余計疑問は増えていくばかりだ。全ては二年前につながってる。それだけは、間違いないのだろうが。

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