天国か地獄


 side:阿賀松

 生徒会に拘束されてから五日目に入る。
 例の如くいつも阿賀松の前に現れるのは灘和真か栫井平佑のどちらかだった。
 本命である芳川知憲は顔すら見せない。
 栫井平佑は「会長には色々やるべきことはある。お前に構ってる暇はない」と言っていたが、あくまでもあいつは自分の手を汚さないつもりなのだろう。
 それが分かるからこそ余計、腹が立った。

 食事は栫井平佑が運んできたが、正直、食べられたものではない。食事というには環境が悪すぎた。
 食堂に置かせた海外から取り寄せたミネラルウォーターと、お気に入りのチェア、それから贔屓してるブランドの食器がないと食事してるような気になれない。味どころではない。床に這い蹲らされて無理矢理顔に持ってこられるそれを口に入れる気にすらならなかった。
 結局、食わずじまいで一日が経過する。栫井平佑が戻ってきたらミネラルウォーターを持ってきてもらう予定でいたのに、あいつもここ最近顔を出さない。
 お目付け役を任されていたであろう灘和真も現れない。
 恐らく、外で何かがあったのだろう。
 予想付いたが、正直、遅すぎるくらいだ。
 目的は果たした。他に何かないだろうかと様子見ていたが、これ以上ここにいても無駄だろう。
 外で物音が聞こえないのを確認し、数日前、栫井平佑の制服から拝借した鍵を使って手足の手錠を外した。
 滅多に外されるものではないかある程度誤魔化せるだろうと思っていたが、ぬるすぎた。

「あぁー……クソ……ッ痕になってんじゃねえかよ……」

 手首を擦る。人に痕を付けられることは嫌いだった。
 ふつふつと怒りが込み上げてくるが、先に飯だ。
 立ち上がり、まだ感覚の取り戻せていない体を無理矢理動かして部屋を移動しようと生徒会室に繋がる扉の前に立つ。ドアノブを捻ろうとしたが、どうやら外側から鍵が掛かってるようだ。短く舌打ちをし、辺りを見渡す。出られそうな窓もない。ならば、と、思いっきり、扉、そのロック部分に蹴りを入れる。みしりと軋む音が聞こえたが、それでもまだ扉はそこにある。構わず、二発、三発へと扉を蹴る。
 こういうとき、体が無駄に丈夫だったのは役に立つ。
 蹴りを何発を食わせてる内にフレーム部分が僅かに歪んでいき、大分、傍から見てもダメージを受けている扉を思いっきり蹴り飛ばした瞬間、めきりと音を立て、扉に大きな亀裂が入る。それからは、さして大変ではなかった。
 邪魔な板切れを足で完全に払い、生徒会室の中へと足を踏み込む。
 流石反応がないだけあって、生徒会室は無人だった。
 壁一面の大きな窓は先日縁方人が割ったせいでまだ補強材でごまかされたままになっていて、景色は違うものの、広がる光景は懐かしいものだった。

『伊織』

 ああ、と思う。気付いたときには、あるはずのない、いるはずのない、そいつの姿が生徒会室、両袖デスクに腰を掛けているのだ。
 白昼夢、とはまさにこのことか。

『伊織、ここはお前だけの城じゃねえんだよ。俺たちの遊び場だ』

 高らかに笑うその声に不思議と不快感はない。右腕に『生徒会長』と刺繍が施された腕章を嵌めたその幻影は笑う。
 ……こんなものを見るなんて、まだ、薬の作用が抜けていないのかもしれない。自嘲し、「うるせぇよ」と吐き捨てる。瞬きをした次の瞬間にはそれは消えていた。

 もう少しだ。もう少しで、全て終わる。あとは、あいつのために席を空けて置かなければならない。

 目眩のする頭を軽く抑え、両袖デスクの前に立つ。そこには人がいた形跡もない。
 割れた窓から微かに生ぬるい風が吹き込んだ。デスクの上に置かれたパソコンを開き、それを操作した。重要な書類もデータも持ち帰っているのだろう。大して目新しいものもないが、最初からそれに期待はしていなかった。
 キーボードを叩く。指には既に感覚が戻っており、短文程度なら打ち込むことに問題はなかった。

 最後にそれを保存し、キーボードから手を離した。そして、デスクの上に置かれたペン立てに立ててあったカッターナイフを手にし、それを思いっきりモニターに突き立てる。
 派手に壊れることは出来なかったが、別に構わない。ぶっ壊したいだけなら窓から放り投げる。大きな亀裂とともに歪に歪みながらも文章を表示するモニター画面。
 重要なのはメッセージと誰がこれをしたのかということだ。
 本来ならばもっと派手にぶちかましてやりたかったが、今ここには誰もいない。材料もないんだ、許してくれよ。と一人ごちる。

 その声は阿賀松伊織本人ただ一人にしか届かず、風に吹かれて消えた。


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