天国か地獄


 01

 俺はあまりの肌寒さに身を震わせ、目を覚ました。
 重い瞼を持ち上げ、辺りを見回す。電気が消えているせいで、辺りは暗い。
 俺は上半身を起こし、ベッドから降りた。
 扉の近くまで行き、電気をつける。
 まだ明るくない。あまりにも早く寝床についたせいで、おかしな時間に目が覚ましてしまったようだ。
 ふと、阿佐美のベッドに目をやるが、阿佐美の姿は見つからない。
 ……いま何時だよ。
 俺はベッドに戻り、いつの間にか床に落ちていた携帯電話を拾い、中身を確かめる。ディスプレイには早朝とも深夜ともいえるような時間が表示されていた。
 阿佐美、こんな時間まで外を彷徨いているから朝起きれないんだ。俺は空のベッドを横目に、小さくため息をつく。
 まだ活動を始めるには早いと考えた俺は部屋の電気を暗くし、再びベッドの中に潜った。が、中々寝付けない。
 何度もモゾモゾと寝返りを打ち、俺は諦めたように上半身を起こした。

「……トイレ」

 誰に言うわけでもなくそう呟けば、半目の状態で部屋についている便所へと向かう。
 結局、用を足しても俺は寝付けることはなかった。

 やることもなく、家を出たときに一緒に持ってきた読み掛けの本を読んでいると、いつの間にか窓の外に日が上がっていた。
 俺は本を閉じ、テレビをつける。やっぱりテレビではニュースが放送されていた。
 校舎に入れる時間まであと一時間くらいはあるが、準備をしていると丁度そのくらいにはなるはずだ。床に脱ぎ捨てられた制服を拾い上げる。
 ふと、がちゃがちゃと鍵穴に何かを差し込まれ扉が開いた。阿佐美だ。

「こんな時間までどこにいってたんだよ」
「そ、その……」

 阿佐美は俺の姿を見つけると、驚いたような顔をしてみせた。
 呆れたように阿佐美に問い掛けると、阿佐美は叱られた子供のように項垂れる。
 手には買い物袋がぶら下げられてないから、まず買い物に行っていたように思えない。

「ちゃんと寝ないと体壊すよ」
「……えへへ」

 阿佐美ははぐらかすように苦笑を浮かべる。
 阿佐美がこんな時間までどこに行っているのか気になったが、どうやら阿佐美は話す気がないらしい。そそくさと俺から逃げるようにベッドに潜り込む阿佐美を横目に、俺は困ったように眉を寄せた。
 まあ、いいか。俺は小さく息をつき、学校の準備を優先させることにする。

「……」

 制服に着替え、準備を済ませた俺はベッドで眠る阿佐美を一瞥し部屋を出ていく。
 廊下を見渡すが、人一人すら見かけない。俺はほっと息をつき、扉に鍵をかける。
 流石にこんな時間から待ち伏せするはずがないか。普通の生徒たちが動き出す時間より、一時間くらい早い時間帯だ。
 にしても、なんかちょっと怖いな。
 俺は、不気味なくらい静かな廊下に鳥肌を立てる。
 部屋一つ一つに防音の設備が施されているせいだろうが、こんな馬鹿広い建物で自分の足音しかしないというのは結構堪えた。そのうち、慣れるんだろうけど。

 俺は早足で廊下を歩き、一番近くにあるエレベーターへと向かった。
エレベーターを呼び出し、数分もしないうちに扉は開く。当たり前のように、中には誰もいない。
 ふと、昔見たホラー映画でエレベーターに閉じ込められるワンシーンを思い出し、俺は乗り込むのに戸惑う。
 やっぱり、無理せずにいつもの時間帯に起きればよかった。あまりにも俺が乗り込まないせいか、目の前のエレベーターが閉まりかける。
 慌てて俺は扉を開き、挙動不審になりながらも乗り込んだ。
 一階のコンビニで、軽く朝食を取ろう。
 気を紛らすように朝食のことばかり考えていると、エレベーターが小さく揺れ止まった。
 もう一階に着いたのだろうか。そう思って顔を上げると、扉が開く。
 そこには見覚えのある二人組がいた。櫻田と江古田だ。

「……」
「……」
「……」

 気まずい。というより、居心地が悪い。
 さっきから櫻田が無言の圧力をかけてくるのだ。
 蛇に睨まれた蛙の如く縮み込む俺は、極力櫻田に目を合わせないようにするが結構辛い。
 俺の隣にちょこんと並ぶ江古田は、無言のまま熊のぬいぐるみを抱え床を睨むように見ていた。

「お前、本当に会長の友達なわけ?」

 痺れを切らしたように、櫻田は俺の顔を凝視する。
 なんでそんなことを聞くのだろうか。俺は櫻田の質問の意図がわからず、思わず櫻田の顔を見た。

「そんなこと、聞かれても」

 友達かと聞かれればそうでもないし、顔見知りというには少し親しいかもしれない。
 俺の口から説明するには少しむずかしい。

「もしかして、付き合ってたりする?」
「は?」

 言葉を濁らせる俺に、櫻田はきっぱりと聞いてくる。櫻田の言葉に、俺は目を丸くした。
 どこをどうやってどうなったらそんな考えが出てくるのだろうか。

「どうしたらそうなるんだ」
「親衛隊の皆さま方が騒いでた」
「……」

 親衛隊。
 その存在をすっかり忘れていたわけではないが、やはり耳を疑ってしまう。
 少し話して食事を一緒にしだけで恋人扱いなんて、被害妄想も甚だしい。

「……だよなあ、お前みたいなチンチクリン。会長が相手にするわけないもんなあ」

 俺の表情からなにかを読み取ったのか、櫻田は大袈裟に溜め息をついた。
「ち、チンチクリンって……」俺は櫻田の言葉にムッと顔を強張らせる。
 一応俺の方が一つ上のはずだというのに、なんて失礼なやつだ。なんて、口が裂けても言えるわけがないのだけれど。

「……先輩、親衛隊の人達に目を付けられてる……」

「え?俺が?」

 江古田は俯いたままボソボソと呟く。
 そう言えば、この学校に来てからよく視線を感じていた。転入生だからか変に注目を浴びているだけかと思っていたが、その視線には親衛隊のものも含まれていたということだろうか。
 背筋が凍るような寒気が走る。

「でも、なんで櫻田君たちがそんなこと……」
「あ?俺?俺たちは、あれだ。会長専属の親衛隊に入ったからさー、色々聞くのよ」
「……勝手に入れられた……」

 確かに、芳川会長に執心する櫻田なら親衛隊に入っても可笑しくはないだろう。
 不満そうに呟く江古田に、俺は同情してしまった。

「なんだよ、会長に文句あんのかよ」
「……文句があるのは櫻田君にだよ……」
「はあ?調子ぶっこいてんじゃねえぞ」

 そう狭くはないエレベーター内で取っ組み合いを始めた二人。仲裁に入ろうかと迷ったが、丁度いいタイミングでエレベーターが一階につく。俺は「お先に」と呟き、巻き込まれないよう一足先にエレベーターを後にした。

 一階にやってきた俺は、コンビニで惣菜パンを買いそれを朝食にした。
 ショッピングモールにちらほらと人の影が増えてきたとき、俺は逃げるように寮を後にする。
 いつみても、無駄に大きい。何百人もの生徒が暮らしている寮なのだからこれくらい当たり前なのかもしれないが、俺からしてみれば無駄な部分に金がかかっているように思える。まあ、贅沢できることは悪いことではないのだけれど。そんなことを考えながら、俺は早足で校舎内に向かった。

 校舎内。
 慣れない廊下を歩いていると、向かい側から見覚えのある生徒が歩いてくる。
 生徒会副会長の栫井だ。
 眠そうな顔をした栫井は、両脇に可愛らしい生徒を引き連れている。というより、必死に腕にしがみついている生徒を引き摺っているといった方が正確かもしれない。

「副会長ーっ、待ってくださいってばぁ」
「……」
「僕たち、頑張って先輩のために弁当つくってきたんですっ」
「……」

 どうやら、揉めているようだ。あれが、櫻田たちが言っている親衛隊という人達なのだろうか。想像していたより、可愛らしいものだと思った。
 同性に付きまとわれている栫井に『ざまあみろ』なんて思っていると、親衛隊らしき生徒は俺の姿を見るなり血相を変える。

「うわっ、齋籐佑樹……ッ」
「先輩、早く行きましょうっ」

 親衛隊らしき生徒に名前を呼ばれ、俺は生徒の顔を見た。
 なんで俺の名前知っているんだ。そこまで思って、先ほどの櫻田たちとの会話を思い出す いやいや、まさかあれは本当だと言うのだろうか。
 栫井は親衛隊に引っ張られるようにして、俺の横を通りすぎていく。

「……」

 通りすぎる瞬間、ふと栫井と目が合った。眠そうな瞳は俺を捉え、小さく笑う。
 なんなんだ、今の。
 一人残された俺は、離れていく栫井たちの背中を振り返り眉を寄せた。
 栫井にしろ、親衛隊にしろ、なんであんなに感じが悪いんだ。

「……」

 ここで考えていても仕方がない。俺は小さく溜め息をつき、教室を目指して再び歩き出した。
 途中、道に迷いながらもようやく教室に辿り着くことができる。阿賀松たちにも会うことはなかった。
 教室には、既に数人の生徒が席についている。生徒たちの中に紛れて、俺は自分の席に座った。隣の志摩の席には誰もいない。
 俺は授業の準備をし、黒板の上の壁に掛けられた時計に目をやった。HRが始まるまで、まだ充分時間がある。
 こんなことなら、志摩の部屋まで行っとけばよかった。思いながら、俺は席を立つ。
 このまま志摩を待つのもいいが、いつくるかわからない志摩をずっと待つには少し時間が長い。
 俺は、時間を潰すため教室を後にした。
 もしかするとと思い、辺りを見回すが阿賀松らしき影はない。
 昨日のことがあったせいで、思ったよりも自分が阿賀松に過敏になっていることに気付く。俺は脳裏に浮かぶ阿賀松の姿を必死に振り払い、一番近い男子便所に足を向かわせた。

 俺は男子便所で用を足し、人通りが多くなってきたのを見計らい便所を後にした。
 教室前まで戻ってきた俺は、そのまま扉を開く。その瞬間、教室にいたクラスメートが一斉に俺の方に目を向ける。
 先程まである程度騒がしかった教室中が静まり返り、思わず俺は怯んだ。
 すると、クラスメートたちは俺から目を離し何もなかったように騒ぎ始める。

「……齋籐君」

 教室に入るのを戸惑っていると、一人のクラスメートが恐る恐る話し掛けてくる。

「さっき安久が来て、齋籐君のこと探してたよ」
「……安久が?」

 顔を青くしたクラスメートは、小さな声でそう言った。嫌な予感しかしない。
 詳しく聞こうとしたが、「じゃあ、ちゃんと伝えたから」とクラスメートは俺の前から立ち去る。
 なんの用だろうか。気にはなるが、自分から安久に会いに行く気にはならない。

「齋籐、おはよう」

 扉の前で棒立ちになっていると、背後からやってきた生徒に声をかけられる。
 志摩だ。朝からやけに涼しい顔をした志摩は、軽く俺の肩を叩き笑う。
「お、おはよう」俺はしどろもどろと志摩に挨拶をした。

「せっかく部屋まで迎えに行ったのに、先に行ってるなんて酷いなあ」
「迎えに来てくれてたの?」
「約束したじゃん」

 驚いた俺の声に、志摩は拗ねたように唇を尖らせる。
 たしか、初日に『一緒に行動しようか』みたいなことを言われたが、まさか本当にそのつもりだとは思ってもいなかった。

「ご、ごめんね」
「まあ別にいいけど。これじゃ、俺も頑張って早起きしないとなー」
「そんな、無理しなくてもいいよ」

 志摩はアクビを噛みしめ、教室の中へ入っていく。俺も、その後ろを追うように教室に入った。

「あ、もしかして俺に迎えに来られると困る?」

 机に腰をかけ、志摩は俺の方に向き直り笑った。
 困るというか、わざわざそこまで面倒見られるのはなんだか申し訳ないというか。なんと言えばいいのかわからなくて、思わず俺は口ごもる。

「齋籐が分かりやすすぎて、俺ちょっと傷ついたかも」

 志摩は大裟にため息をつきながら、茶化すように笑った。
 冗談めいた志摩の言葉だったが、どこまでが本気かわからず俺は反応に困る。

「そういえば、部屋の前に誰かいなかった?」

 このままこの話題が続くと気まずくなりそうなので、俺は慌てて話題を変えようとする。
 志摩が俺を迎えに来たとき、そこに阿賀松がいたのか気になった俺は志摩にそのことを問いかけた。あまり話題が変わっていない気もするが、志摩は少し考えるように唸る。

「部屋って、齋籐たちのだよね」
「うん」
「そりゃあ二年は何人かいたけど、あんま覚えてないなー」

 志摩の言葉に、俺はホッと安堵すると同時に拍子抜けする。
 変に気張っていたせいか、妙な落胆が全身を襲った。
 いや、いなくて当たり前なんだ。俺は自分に言い聞かせるように呟く。

「誰か待たせていたの?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
「ふーん」

 志摩は歯切れの悪い俺を横目に自分の席についた。
 勘繰るような志摩の視線に、なんだかいたたまれなくなる。
 こういうときの志摩は、少し苦手だ。気づかないうちに変なこと言ってしまったのだろうかと、俺は肩をすぼめる。
 暫くして、担任が教室に入ってきた。また一日始まるのかと思うと、なんだか億劫な気持ちになってしまう。
 いくら俺がそんな気分になっても関係なしに、時間はただ過ぎていくのだけれど。

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