天国か地獄


 side:芳川

「齋藤君が、裏切った」

 その声は静かに木霊する。
 テーブルを囲んでいた生徒会役員は、各々思うところがあるのだろう。向かい側、佇む生徒会会計・灘和真の言葉を復唱すれば、役員たちの視線がこちらを向いた。
 その視線の内の一つ、灘は「はい」と、一言、答える。

「櫻田君の証言と、指導室に向ったその行動を考えればその可能性は大きいと思われます。『阿賀松伊織を助けようとして指導室へ向った』のだと」
「ちょっと待ちなさいよ、まだそうとは決まったわけではないんでしょう?『阿賀松伊織を連れ戻しに来た誰かさん止めに行った』可能性だってあるわよ」

 灘和真の発言に割って入ったのは親衛隊総隊長・連理貴音だ。
 決めつけるような灘の言葉に耐えられなかったのだろう。
 反論するものの、灘和真はその連理の反応も予め予測していたかでもあるように、あくまで冷静だった。 

「齋藤君一人で?江古田りゅうが一緒にいたのに、彼は単独で飛び出した。連理先輩の言うことが本当なら、他の人間を連れて行った方がより安全ではないでしょうか」
「……それはぁ、そうかもしれないけどぉ……きっと焦ってたのかもしれないわ。『自分でなんとかしなきゃ』って思ったのかもしれないわ、佑ちゃんだって男の子よ?」

 動じない灘和真に、連理はゴニョゴニョと口ごもらせる。
 そんな連理に助け舟を出すように、連理の向かい側、灘和真の隣の席に座っていた生徒会副会長・五味武蔵は「灘」と小さく手を上げる。
 五味がこういった場で発言することはあまりない。
 無言を決め込むもう一人の副会長である栫井平佑よりかは発言回数は多いだろうが、それでも、普段から傍観に回っていた五味自らの挙手に、少しだけ、興味が沸いた。

「お前のお前の言いたいことも危惧してることも分かるが、だとしてだ。齋藤はそのままあいつらのところに戻ったって言うのか?それも、同意の上で」
「……自分はそう考えてます。そして、連中の要求には必ず彼を材料にしてくるはずです」
「……だから、『相手にするな』って、お前は、和真は言うのかよ」

 ダン、とテーブルを叩き、立ち上がったのは十勝直秀だった。そこにいつもの軽薄な笑顔はなく、真っ直ぐに灘を見るその視線には珍しく、怒りの色が滲んでいた。
 ――なるほど、こういう反応もするのか。……彼に対しても。
 十勝と五味の反応と少し以外だったが、概ねは予想通りだ。何かしら、灘の発言を反論するやつはいるだろうなと思っていた。そういうやつらばかりだ、わかっていたことだ。
 さて、どうでるか。と、灘に目を向ける。こちらを見ようともせず、灘は続ける。

「そこまで言うつもりはありませんが、どちらが優位にいるのか、それは間違いなくこちらです。下手に出れば調子付いてエスカレートするのかは明白。それならば、こちらからアクションを掛けてその上下関係を識らしめるのが適切な対応かと」
「……和真、お前自分が何言ってんのか分かってんのか?」
「重々承知しています。しかし、このまま連中の条件を呑んでのさばらせ第二、第三と齋藤君のような人間が出てくることになればそれこそ無法地帯と化します。……それは、芳川会長の理想からは掛け離れている」
「灘、寧ろそれは早計なんじゃないか。逆だ。逆に、『齋藤佑樹で材料が事足りる』と思わせた方がやつらは他に手を出さない可能性もある」
「……五味先輩、それは、連中の言いなりになるということと捉えてもよろしいですか」
「だから早計だと言ってるだろう。もう少し頭を冷やせ、らしくないぞ。俺が言いたいのは、一度言うことを聞いただけで別に一生犬に成り下がるつもりはないということだ。こっちには阿賀松がいる、相手方もどこのラインまで齋藤を遣えるか、慎重になるはずだ。なんたって、少し間違えば阿賀松の身に何が起こるか分からないと懸念するはずだからな」
「武蔵ちゃん、たまにはまともなこと言うじゃなぁい!」
「た、たまにはって……お前な……」

「……」

 ――なるほどな、確かに、五味らしいとは言えば五味らしい。
 敢えてその一歩を踏み込まず、相手の出方を伺う。慎重で、臆病なやり方は昔から変わらない。傍観に徹するかと思っていたが以外だ。確かに、ここまで来れば俺だけの問題ではないのも事実だが……相変わらず、生ぬるい。

「俺も、五味さんに賛成です。下手に相手を制圧した方が、飛び火する場合だってある。和真、お前だって分かるだろそれくらい」
「……確かに、その可能性も危惧すべきでした」

 十勝の言葉に、灘は静かに応えた。
 結局はこうなってしまうか。
 予めの流れは灘に伝えていたはずだが、灘も灘で多数決になると弱いところがある。
 一対一なら、こいつに負ける者の方が少ないだろうが……。
 絆される灘を見て、仕方ないと俺は持っていた資料をテーブルに置いた。

「だが、相手が無茶な要求をしてきたら灘、お前の考えは間違っていないと思うぞ」

「謙虚な相手には謙虚に、出過ぎた相手には鉄槌を。各々、自分たちが優位であることを頭に入れて行動しろ。相手の意見を汲むことと言いなりになるのは違う、俺たちの手元にあるのは俺からしてみればゴミでもあいつらにとっては価値のあるものだ。決して、足元を見られるな。勘違いしてる連中にはそれを分からせるのもいいだろう」最初から期待はしていなかったが、『いますぐに阿賀松伊織を開放すべき』と馬鹿なことを言い出すやつがいなくて安心した。
 俺の言葉に、役員たちはそれぞれ返事をする。
 結局のところ、問題は単純明快だ。どれだけ優位でいられるか。下手をすれば喉笛を噛みちぎられても仕方ない。それ程、綱渡りの状態の今、どれだけ大きく見せられるかが問題だ。

 会議、と呼ぶにはお粗末な、緊急集会は終わった。
 齋藤君のことが気にならないといえば嘘になる。が、灘と櫻田の話を聞いた今、慎重にならないといけないのも事実だ。
 実際あの日、齋藤君は俺の言いつけを守らずに阿賀松伊織がいると伝えていた指導室に向かったのは間違いない。それから、縁方人に連れて行かれたことも知っている。
 どうして阿賀松伊織に会いに行ったんだ。
 聞きたかったが、いくら問い掛けたところで悪い想像しか帰ってこない。

 それならば、と思考を振り払い、席を立つ。考えている間に、それぞれ戻っていったようだ。会議室には灘だけが残っていた。

「会長……申し訳ございませんでした」
「別に構わない。誰が言ったところで変わらないだろう、あいつらの場合」

 そこが長所なのか短所なのか分からないが、予め俺が伝えていた『シナリオ』をまともに辿れなかったことが悔しかったのだろうか。適当に慰めてやっても、灘の表情は変わらなかった。

 齋藤佑樹を見捨てろ。それが、俺の下した判断だった。
 今は、阿賀松伊織を使ってどこまでいけるかが重要だ。あんなじゃじゃ馬、いつまでも利用できるわけではない。いつ来るか分からないタイムリミットを、自分から選んでは身も蓋もない。その場合、ネックになるのは齋藤佑樹の存在だ。
 齋藤君に、少なからず情を抱いてる役員は少なくない。都合がいいように、そう仕向けたのも俺だから仕方ないのだろうが、この場合は『裏切った』と頭に叩き込む必要がある。そして、断ち切る。それが勘違いでもこの際どうでもよかった。今、彼への情は不要なもので違いないのだから。

「……」

 気にしていない、どうでもいい。わけではない。手元に置いておくべきだと頭の中でもう一人の自分が叫びを上げるが、それでも、阿賀松伊織という餌を捨ててまで選ぶかと言われればノーだ。

『物事は常に優先順位を決めろ。そうすれば、動き方が勝手に見えてくるから』

 学園に来たばかりの頃、あの人は何も分からない俺にそう一つ一つ、事務作業を叩き込んでくれた。お陰で、この有様だ。物事を数値でしか測れなくなっている。
 灘とともに会議室を出たときだった。扉のすぐ横に、人影が佇んでいることに気付いた。

「長話は終わったか?」

 まず、視界に入ったのは腕章の風紀の文字。
 放課後になった今でも、飽きもせずご丁寧に付けてる風紀委員なんて一人しかいない。

「……八木、ずっと待っていたのか?」
「『会議中、入室厳禁』なんて掛け札されてりゃどうしようもないからな」

 風紀委員長・八木夏生(なつき)。人相と目付きは些か悪いが、風紀委員で一番仕事をしてるのはこいつだと俺は知っている。皮肉混じりだが、大人しく待っている辺りが八木らしい。
 俺は「すまなかった」とだけ口にする。

「それで、どうした?用があったんだろう」
「大した用はない。ただ、さっきの職員会議で阿賀松伊織の処罰が決まってな。後から分かったことだが、おまけに飲酒と来たもんだ。お前のお望みの停学は却下されたが、その代わりに二週間の謹慎処分だとよ」

 ……二週間か。短くはない、長くもないが。妥当な判断だろう。
 それにしても、あの男、馬鹿なのだろうか。酒を飲んで来るなんて。
 もう少し頭がいいやつだと思っていたが、浅ましい。言動だけではなく中身もその程度ということだろう。たかが、自分の弟が怪我しただけで。

「………別に風紀委員長であるお前がわざわざ来なくとも、他のやつに任せればよかっただろう」
「俺が行かなきゃ意味がないと思ってな」
「意味だと?」
「お前に話がある」

 八木の言葉に、背後で静かに聞き耳を立てていた灘が、微かに身体を動かしたのを制する。そんな灘を一瞥し、八木は廊下の奥を顎でしゃくった。

「ここじゃなんだ、場所を移すぞ」
「お前と話すことなんてない。……と、言ったらどうする」
「無理やり引っ張っていくまでだ」

 灘が警戒しているのだろう。背後から刺すような殺気に皮膚がひりつく。
 灘が八木を疑うのは仕方ないと思っている。俺自身、八木は、食えないやつだと思っているのだから。そして、何より。

「灘、俺はこいつと話してくる。『アレ』のこと、頼んだぞ」
「……承りました」

 何か言いたそうだったが、それだけを告げれば灘は音もなくその場を立ち去った。
 どれを優先すべきか、先程耳が痛くなる程伝えたばかりだ。やつも分かってるということだろう。

「へぇ、あいつは相変わらずの忠犬っぷりだな。ご主人様のことが気になって気になって仕方ないってか。是非躾け方を教えてもらいたいところだ」
「くだらん……まあ、少なくとも、お前には無理だ」
「そりゃあ残念だな」

 言うほど残念がるわけでもなく、八木は「行くぞ」と歩き出す。この先は風紀室だろう。
 今すぐ帰って冷蔵庫に残していたティラミスを食べたかったが、またお預けのようだ。


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