天国か地獄


 07

 後頭部、延髄付近の鈍い痛みにより目を覚ます。
 ゆっくりと瞼を開く。やけに身体が気怠いと思えば、椅子に座らされていたことに気付いた。
 手足が、動かない。電気が一つもついていない、薄暗い部屋の中。どこにいるのかすら分からないこの現状に、背筋が薄ら寒くなる。
 そして、気を失う直前、俺は縁と対峙していたことを思い出した。

 ……そうだ、俺は、指導室で縁と鉢合わせになって……それで。何かされたのだろうか。やけに身体が怠いが、自分の身体の状況までは分からない。少なくとも、衣類に乱れはない。

「……誰か………」

 誰か、いませんか。と、言い掛けたときだった。後方から、扉が開く音が聞こえた。そして、すぐ。

「……齋藤?」

 聞き覚えのある、柔らかい声に、俺は考えるよりも先に「志摩」とその名前を口にした。

「齋藤、よかった……目を覚ましたんだね。随分と眠っていたから本当にあの人殺したんじゃないかと思ってヒヤヒヤしちゃったよ」

 すぐに、電気が点いた。見慣れない部屋の中、ソファーに棚、テーブルなど当たり前のように並べられたその中央、置かれた椅子に俺は縛られていたようだ。
 入り口に背を向けたまま、振り返れない俺に気付いたのだろうか、志摩は俺の目の前へと回り込んでくる。そして、持っていたタオルを俺の首筋に当てた。

「っ、つ……」
「ああ、ごめん、冷たかった?汗、掻いてるかなって思ってさ。要らないかな」
「志摩……本当に、志摩なの?」
「齋藤も随分と面白いこと言うようになったね。俺以外に何に見えるっていうわけ?」

「それに、寧ろそれはこっちのセリフだよね」と、笑いながらも皮肉を口にする志摩は俺の額に滲む汗を拭ってくれる。氷水に漬けていたのかと思うほどのひんやりとした感触に身体がびっくりして、つい、顔を反らした。

「……志摩、ここは……それに、志摩はどうしてここに……縁先輩は……」

 そこまで言って、阿賀松のことを思い出す。そうだ、阿賀松だ。早く、阿賀松を逃さないと、と思ったところで、「待って」と唇を指で押し付けられる。

「一つずつ言ってくれない?……それに、聞きたいことはこっちだってたくさんあるんだから」
「……ごめん」
「……で、なに?ここはどこって話だっけ?ここは、方人さんの部屋だよ」
「縁先輩の?」

 確かに、志摩の部屋ではないことは一目瞭然だったが、縁の部屋だと言われると、少し納得した。どこからともなく薬品の匂いがして、保健室みたいだ、なんて思った。けど、どこにもこの部屋の主は見当たらない。

「それから……俺がどうしてここにいるのかっていうのは、方人さんに言われたから。齋藤を見張ってるようにって」

 その言葉に、「え」と思わず声に出してしまう。露骨な俺の反応に、志摩はクスクスと笑う。

「そんな顔しないでよ。……別に、俺が方人さんとグルになって齋藤をどうこうしようなんてこと考えてないよ。それよりも、あの人に任せるよりは俺の見える範囲に齋藤を置いていた方が『まし』だからね」

 読まれてしまった。そんなに分かりやすい顔をしていたのだろうか。少し申し訳なくなったが、でも、その言葉を聞いて少しだけ、ほんの少しだけ安堵した。

「齋藤が芳川に連れて行かれてからずっと気掛かりだったんだ。阿賀松たちのところにいたら少しは何か分かるだろうと思ったけど、思った通りだ」
「ずっと、阿賀松先輩たちのところに?」
「……そうだね、詰まらないし全くの時間の無駄だったけど、こうして齋藤には出会えたんだ。問題ないでしょ」

 俺は志摩が阿賀松たちといると聞いてヒヤヒヤしていたのに、あっけらかんとして言うものだから俺は自分の不安が無駄だったことを改めて感じた。

「方人さんは出掛けてるよ。何も言ってなかったけど、多分、仁科たちのところじゃないかな」
「そうなんだ……あの、ところで、その……志摩」
「ん?どうしたの?再会のキスでもしとく?」
「っ、違う、そうじゃなくて……これ、何?」

 後ろ手に拘束された腕を動かせば、ガシャガシャと背後で金属が擦れる音が響く。
 志摩は露骨に不満そうな顔をしたが、深い溜息混じり、俺の言葉に応えてくれる。

「それは……見ての通り、拘束だよ。悪趣味だよね、拘束椅子。でも、案外これが使い勝手よくて便利なんだよね」
「志摩……っ、あの……」
「……分かってるよ。外してくれって言ってるんでしょ。悪いけど、それは出来ないよ」

 そう一言、バッサリ切られる。どうして、と目で訴えかければ、志摩は何か言いたさそうに口を開き……そして、代わりに深い溜息を吐いた。

「今は、ここで安静にしてるのが齋藤のためだと思うから……なんて綺麗事じゃ、納得しないか、齋藤は」
「……」
「正直に言えば、外してあげるのは別に構わないよ。けれど、この部屋から出ることは無理な相談だね」
「どうして……」
「逃げ出したところで、どうせすぐに連れ戻されるのがオチだからだ。そして更に余計な制裁まで加えられる。拘束外して『外に出られるかもしれない』なんて甘い考えをもってしまうよりはさ、絶対に逃げ出せない状況の方がまだ諦めつくでしょ」
「確かに、それはそうかもしれないけど……縁先輩は、どうしてこんなことを」
「俺にあの人の考えてること聞くかな?理解もしたくないけど……あながち、生徒会への交渉材料にされるんじゃないかな」

 そう、口にする志摩に、俺は言葉を飲んだ。江古田の言葉が脳裏を過ぎり、ああ、と納得してしまう。そんなことだろうと概ね予想はついたはずだが、実際この立場になるのとでは大きく変わってくる。

「……大丈夫だよ。齋藤はあくまでも姿を見せずにここにいるだけでいい。大事なのは『俺達が齋藤を預かっている』って言う事実なんだ。それだけで、大分形勢は保たれる……って、方人さんは言ってたけど、俺はそうは思えないな。だってそうだろう、阿賀松一人がいなくなったくらいでこんなに必死こいてる時点で生徒会からしてみれば阿賀松がそれほど大切な存在だって自分から言ってるようなもんだしね」
「……」
「まあ、気にしなくていいよ。齋藤には手を出さないように、そうなるようにはするつもりだから。もし、何かあっても、俺が助けてあげるよ」
「……そうなる可能性があるって言い方だね」
「そりゃあ『お前は大丈夫だ、安心しろ』って言ったところで齋藤は手放しで安心しないでしょ。わざわざ誤魔化す必要もないし、俺的にはちゃんとそこらへん覚悟してもらっといた方が助かるからね、後先」
「……」

 まるで、志摩の話は現実味がなかった。
 静かな部屋、二人きりのこの空間のせいだろうか。外で何が起こってるかなんてまだ理解できてなくて、夢現に聞きながらも、俺は、どうして志摩がこんなに嬉しそうに笑ってるのか分からなかった。


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