天国か地獄


 06

「いでで、いてッ!おい!叩くな!」

 どうやら気付いたらしい。江古田にペチペチ叩かれていた櫻田は痛みに呻き、起き上がる。

「さ、櫻田君……大丈夫?」
「これくらい会長のアッパーに比べたら……って、あれ?!赤髪は?!つーか、裏切り者の齋藤先輩じゃねえかよ!テメェ何してんだ!」
「だっ、だから、それは……」

 口籠る俺の横、テディベアのホコリを払いながら、江古田はじとりと櫻田を睨む。

「……どうせ、またいつもの櫻田君の先走りでしょ……先輩を裏切り者扱いするなら、相応の理由を言うべきだと思うけど……」
「こいつ、赤髪となんかコソコソ話してたんだよ!そんで、会長に言われた通り助けてやろうとすれば赤髪のことを庇うんだぜ、こいつ!」
「……」

 灘の視線が痛い。疑っているのだろう。けれど、大方間違いではないだけに俺は何も言えなかった。それでも、江古田は櫻田に反論した。

「……そんなの、信憑性がない……それに、どうせまた櫻田君が暴れるから先輩が止めただけなんじゃないの……」
「なんだとーー!!このチビ!!」
「お、落ち着いて、櫻田君……」
「元はと言えばお前のせいだろうが!!面倒くせぇ!!自分で認めろよ!!」
「ヒッ」

 櫻田に胸倉を掴まれそうになり、寸でのところで灘が櫻田を止める。
 た、助かった……。
 ホッとするのも束の間、灘はこちらを見た。先程と変わらない、冷たい目に内臓がひやりとする。

「阿賀松伊織と何を話していたんですか」
「……っ、そ、れは……」
「言いにくいことならここで無理に離さず、結構です。……場所を変えましょうか」

 灘と二人きり。全身が硬直し、思わず立ち竦んだときだった。

「その必要はない」

 そう、凛とした声が通路に響く。全員その視線が、その声のする方へと向けられた。
 そこには、先程姿を消したはずの会長が立っていた。

「……会長……っ!」
「彼が阿賀松と話していたことなら見当がつく。灘、それよりもお前は早く手当をしてもらえ。痕になれば厄介だ。幸い会議はないし表立つこともないが、今は大事な時期だ。見られる前にどうにかしろ」
「……分かりました」

 灘は、会長の言葉に頷く。納得したのだろうか。気になったが、それ以上俺が首を突っ込むことすら出来なかった。

「櫻田も、江古田君も、ありがとう。助かった」
「か、会長ー!!」
「やはり、想像通りだったな。しかし、ここに来るということはやはり、情報が洩れていたようだ。……しかし、お陰で……」

 そう、会長が笑ったときだった。タイミングを見計らったかのように、寮内に警報が鳴り響く。
 けたたましく響くそれに、驚いた他の生徒たちが続々と部屋から顔を出した。

「……っ、ラウンジの方か……」

 サイレンに掻き消されそうな声量で、会長は忌々しげに口にした。ラウンジ、ラウンジに何かあるのだろうか。もしかしたら五味達が全くこちらに顔を出さないのと関係あるのだろうか。
 騒がしくなる寮内、会長は俺達に向き直る。

「君は、部屋に戻っていろ。櫻田、江古田、お前らも一緒に部屋にいるんだ」
「……会長さんは……」
「俺は……少し様子を見てくる」

 そう、江古田に答える芳川会長。何やらただならぬ空気を感じたが、今の俺が会長についていったところで役に立っどころか足手まといになる可能性もある。
 それに。

「おい、ぐだぐだしてんだよ!会長がそう言ってんだから早く行けっての!」
「っ、わ、ちょっ、押さないで……」

 櫻田に腕を掴まれ、部屋に押し込められる。
 そうこうしてる間にも会長の姿も見えなくなって、ただ、通路にはざわめきだけが残されていた。
 何者かが警報ブザーを鳴らしたということなのだろうが、もしかしたら本当に火災か何かでも起こったのかもしれないなんて心配になる。
 会長は大丈夫だろうか。思いながら、戻ってきた部屋の中。
 気付けば灘もいなくなっていて、部屋の中にはソファーに寝転んで寛いでいた栫井がこちらを見た。

「……おい、なんの騒ぎだよ。……って……」
「どーも、お邪魔しまーす」
「……お邪魔します……」
「………………」

 説明しろって顔でこちらを睨む栫井。その背後ではビービーと鳴り響くサイレン。
 正直、こちらが教えてくれと言いたいところだが、一通りのあらましを伝えることにした。

「ええと、その……」

 どこから説明したらいいのだろうか。
 いろいろなことが一気に起こりすぎて混乱してる俺を他所に、櫻田は「うお、良い匂いすんじゃん」とか言いながら鍋を覗き込んでる。
 マイペースにも程がないか。

「……このサイレンは、恐らくイタズラみたいです……会長さんに僕と櫻田君は先輩と部屋にいるようにと言われました……詳しいことは、何も……」

 要領を得ない俺の代わりに、江古田は栫井にざっくりと事情を説明した。そうだ、俺達は何が起こってるかという現状把握が出来ていない。
 栫井は腑に落ちない顔をしていたが、「勝手に食ってんじゃねえよ」と櫻田の頭を叩き、こちらを睨む。

「イタズラって……他の奴らは?何やってんだ?」
「それが……俺にもよく分からないんだ……その、俺が会ったのは、会長と……灘君だけだったから」

 櫻田は、恐らく前に会長が言っていた『役目』で部屋の前を見張っていたのだろう。江古田がどうしてココにいるかは分からなかったが、大方櫻田に巻き込まれたに違いない。
 だとすると、少なからず扉から出ていった五味や連理、十勝のことを知ってるんじゃないか。

「櫻田君、あの、五味先輩たちがどこに行ってたか知らないかな」
「知らねぇよ。俺、便所に行ってたんだし。なーんか、腹の調子よくないんだよなぁー」
「そ、そう……」

 何か分かるんじゃないかと思ったが、確かにそんなこと言っていた。だとすると結構な時間離れていたことになるが、仕方ない。
 結局何もわからないままか、と項垂れたとき、くいくいと江古田に服の裾を引っ張られる。

「……あの、先輩……」
「ん?……どうしたの?」
「……直接見たわけじゃないんですが……櫻田君がトイレに篭っていたとき、あの赤髪とよく一緒にいる人を見掛けました……青い髪の……」

 そう、俺にだけ聞こえる声量で江古田はゴニョゴニョと語尾を濁らせる。名前が出てこないようだ。が、俺にはそれだけで充分だった。
 阿賀松とよく一緒にいる、青い髪の人。縁方人、あの人しかいない。

「……縁先輩が……?」

 芳川会長が阿賀松に言っていた面倒の種が縁、ということだろうか。
 だとすると、なんだか嫌な予感がする。そして、同様俺の言葉を聞いていた栫井は、立ち上がる。

「っうお、おい、いきなり立ち上がるなよ!」

「……栫井……?」

「…………」


 俺達の声にも耳を貸さずに、そのまま部屋を出ていこうとする栫井。俺は考えるよりも先に栫井の腕を掴んでいた。

「っ、待って。……あの、今は、出ていかない方がいいって……会長が……」

 言い掛けて、「触るな」と思い切り振り払われる。痛くはないが、取り付く島もない栫井には怯んでしまう。でも、どうにか止めないと。栫井が出ていくと余計に事が荒立つ。そんな気がしてならないのだ。

「……大丈夫だよ、きっと!その……縁先輩も、何もしてこないと思うよ。だって、阿賀松先輩は……」

「先輩」と、江古田が視線を向けてくる。その目の意味を、俺はちゃんと理解できていなかった。この時、江古田は俺を止めたのだろう。それ以上はやめておけ、と。
 けれど、それに気付けなかった俺は。

「阿賀松先輩は、指導室にいるから」

 きっと、下手なことはしないと思うから安心して。
 そういう意味で言ったつもりだったが、栫井の表情の変化は顕著だった。

「……ッ」

 目を見開いた栫井は、息を飲む。どうしたのだろうかと心配になって覗き込んだとき、肩を掴まれた。ぎり、と軋む関節。「か、栫井」と驚いて名前を呼んだとき。

「……なんつった、今……」

 みるみるうちに、土色になる栫井の顔。それは、明らかな『恐怖』の色が滲んでいた。

「っ、あの、栫井……?」
「なんつったって、言ってるんだよ……!」
「ええと、その……阿賀松先輩は、灘君と江古田君が気絶させて……その、指導室に……」

 そう言い終わるよりも先に、櫻田が動いた。
 駆け足で部屋を出て行く櫻田に、舌打ちをした栫井も続いて俺から手を離し、部屋を飛び出す。
 何が起こったのか、分からなかった。栫井だけでもなく、櫻田までもが血相を変えて出ていった部屋の中、江古田の溜息がやけに大きく響いた。

「……先輩……今のは、失策ですよ……よくありません……」
「え、江古田君まで……」
「……もし……もしもの話ですが、会長さんが生徒会のことを嫌ってる人たちに捕まったらどうしますか……?」

 そう、上目がちにこちらを見上げてくる江古田。
 会長が、阿賀松たちに。考えるだけで、ゾッとする。笑えない冗談だ。

「それは……どうにかして助けないと……でも、下手に動いたら会長の身が危ないかもしれないし……」
「……先輩は、そうなんですね……」

 安心しました、と江古田は微かに微笑んだ。それも一瞬のことで、すぐに、いつものジト目に戻る。

「……ですけど、もし、先輩ではなく……そうですね、早い話櫻田君とかの単細胞だったらどうすると思いますか……?」

 その一言に、俺は言葉を飲んだ。
 作戦を考え、機会を伺う時間すらも惜しい。
 櫻田程の馬力がある人間ならば、相手を伺うよりも自分が動いた方が早いと考えるだろう。

「敵陣に……乗り込む……?」
「……それもあるかもしれません……ですが、僕なら、相手に優位に立たせないよう……同じ条件を用意します……」

 同じ条件。そう口にした江古田に、思わず俺は顔を上げた。
 薄暗い瞳が、じっとこちらを捉えては……離れない。
 江古田が言わんとすることが分かり、嫌な汗が、じっとりと背に滲んだ。

「……例えば、誰か、相手の大切な人を人質にするとか……」

 江古田の声が聞こえたときには、俺は、釣られて部屋を飛び出していた。
 サイレンは止まっていたが、通路には人混みが出来ていた。そんな人混みを掻き分け、俺は、走った。向った先は、先程会長が口にしていたラウンジの方角……ではなく、指導室がある校舎だった。

 どこまで情報が出回っているのか、分からない。
 けれど、風紀委員にアンチ生徒会に通ずる人間がいる限り、やつらの耳に届くまで時間の問題だろう。それを知ったアンチが行動を起こすよりも先に、阿賀松伊織を逃がすことが出来れば。そう考えたつもりだったが、どうやら、遅かったようだ。



 ――学園・特別教室棟、生徒指導室前。
 汗を拭う暇もなかった。ゼェゼェと息切れしながらやってきたそこには、風紀委員の姿はなかった。それどころか、生徒の姿も、一つもない。
 嫌な予感がする。胸騒ぎを抑え、俺は、恐る恐る指導室の扉を開く。スライド式の扉には、鍵は掛かっていなかった。

「……っ、……」

 バクバクと高鳴る心臓を服の上から抑え、堪える。
 やけに、静かだ。静かすぎる。先程までの時間を考えると、とっくに阿賀松は連れてこられてるはずなのに。
 息を止め、音を立てないように、そっと、指導室に足を踏み入れた。自分の心臓の音がやけに大きく響いて、気が気ではなかった。
 生徒指導室は、生徒会室や理事長室に比べて簡素な部屋だった。中央にテーブルがあり、向き合うように並べられた椅子がある。人が隠れるような場所もない。阿賀松の姿も、風紀委員の陰もない。
 どこに行ったんだ。
 広くはない辺りを見回し、棚の影を覗くけれど、どこにもそれらしきものはなかった。
 ……どういうことだろうか。まさか、ここにくるまでの間に何かがあったというのか。
 嫌な予感が巡り、血の気が引く。それなら、早く、戻らなければ、と扉の方へ振り返ったときだった。

「あれ、誰かいるだろうなとは思ったけど、まさか君がいるなんてなぁ……」

 開きっぱなしになった扉の向こう。聞こえてきた声に、どくりと鼓動が大きく鳴る。

「これってやっぱり運命なのかな、齋藤君」

 どうしてここに、どうして、縁がいるんだ。

 笑いながら、部屋の中に入ってくる縁に、一気に汗が引いた。ゆっくりと閉められる扉に、近付いてくる縁に、俺は、本能的に後退る。
 なんだろう、なんでだろう。悪い人ではないと分かっていても、この状況下だからか、先程の江古田の言葉が過ぎった。

『……例えば、誰か、相手の大切な人を人質にするとか……』

 そんなわけがない、と言い切れなかった。何よりも俺には気になることがあった。縁がここにいるということは、ラウンジの騒ぎは?誰が起こしているというのか。考えれば考えるほど、何も考えられなくなる。俺は、石になったみたいにその場から動けなくなった。
 どうして、縁がここにいるんだ。混乱する頭の中、一抹の可能性に気付いてしまい、血の気が引く。まさか、まさか、まさかまさかまさか。

「ぁ……ッ」

 逃げないと。
 縁がここにいるなら、阿賀松はもう既にアンチたちの手に渡っているのかもしれない。
 それならば、俺は、必要ない。逃げないと、と思うが、出入り口の前に立つ縁がそこを塞いでいるわけで。

「君も、伊織を探しに来たんだろ?残念だけど、伊織はここにはいないみたいだよ」

 どうすればいい、と、思案した矢先だった。そう、やれやれと肩を竦める縁の言葉に、「え」と思わず間抜けな声を漏らしてしまう。
 阿賀松が、いない?縁も、会ってないということか?

「……その顔、君が一枚噛んでるってわけではなさそうだな。まあ、こんなやり方、純粋で優しい齋藤君がするわけないよなぁ」
「じゃあ、阿賀松先輩は、どこに」
「ところで、君はどうしてここへ来たの?」
「……え?」
「差し詰め、誰かに聞いたんだろ。……会長さんとか、あの会計君とか」

 ギクリと、身体が強張った。一歩、また一歩と近付いてくる縁の影から逃げるよう、後退る。
 消灯時間が過ぎた校舎の中に、俺と縁の足音だけがやけに大きく響いた。
 バレてる。見られていたのか?いや、そんなはずは、と否定する俺を見て縁は笑う。

「君も騙されたんだろうね。偽の情報で振り回されて、本当、可哀想だね。いや、この場合は俺も可哀想なのかな」

 伸びてきた手が、ネクタイに触れる。咄嗟にその手を振り払ってしまい、響く乾いた音にハッとする。

「す、すみません……っ」

 慌てて、謝ったとき、暫く自分の手を見詰めていた縁は、にっこりと笑った。

「大丈夫、いきなり触ろうとした俺の方が悪かったからね。それよりも、齋藤君、伊織を運んだ風紀委員の顔は分かる?」
「……え?……いえ、でも、俺の知らなかった人だと思います……けど……」

 突然の問い掛けに戸惑いながらも、答える。
 もしかして、縁はその風紀委員を疑っているのだろう。でも、確かに、縁と俺がこうしてここにいて、いるはずの阿賀松がいないという時点で、何者かの作為が働いてるのは間違いない。だとすれば、どの時点で。

『申し訳ございませんが、この方を指導室まで運んで下さい。重たいので、そこの倉庫からカート持ってきて乗せてもいいですよ』
『口よりも手を動かして下さい。後の責任は生徒会で請け負いますので』

 灘が、やけに強引に風紀委員を指導室へと向かわせたがっていたことを思い出す。だから、俺は、あのまま風紀委員たちは指導室へと向かい、その途中であの八木という生徒にも阿賀松が捕まったことが耳に入り、そのまま縁へ伝わったとしてだ。
 鳴り響く警報が響き、ざわつく寮内。それに合わせて、会長たちはラウンジへと向かった。その理由は『何者かが問題を起こした』からだ。
 江古田の発言もあり、それは縁の仕業ではないかと思ったが、現に、縁はここにいる。
 ならば、あの警報を鳴らしたのが他の生徒だとして、その目的は?撹乱?アンチたちのただの嫌がらせ?

「あの、先輩……先輩は、どうしてここへ……?」
「概ね、君の予想通りだと思うよ。俺は、伊織を回収しに来ただけだよ」
「っ、八木先輩に、聞いたんですか……?」

 縁相手にまどろっこしいやり方は有耶無耶にされて終わりだ、そう思い、単刀直入に尋ねれば、縁の目が僅かに、開かれた。そしてすぐ、縁は驚いたように、それでいて楽しそうに笑った。

「あれ、齋藤君八木のこと知ってるんだっけ?そうそう、あいつから聞いたの。よく分かったね」

 偉い偉いと手を叩く縁。八木とのつながりを隠そうともしない縁にも驚いたが、だとすれば、俺の中で一つの説が色濃く現れた。
 ネズミを炙り出す――いつの日か、芳川会長が口にしていた言葉が過る。
 誰が誰と繋がっていて、誰が罠に掛かるのか。それを調べようとしたのではないのか。だとしたら、どこからどこまでが。

 騒ぎを起こして、役員たちを動かす。阿賀松が十勝の部屋の前に現れる。そして、阿賀松を気絶させる。指導室へと誘導させる灘。
 そして、指導室へと伝える者と、指導室ではない何処かへと運ぶ者。
 炙り出されたのは、俺と、縁と、八木だ。
 サイレンで騒ぎを大きく見せるための、会長による自作自演。あくまでも推測ではない、と思っても、あまりにも、それは、偶然にしては出来すぎていた。
 どこからどこまでが会長の作戦かは分からないが、もしかしたら、阿賀松を動転させるために阿佐美を襲ったのではないか、そんな考えすら浮かんでは、心臓が、握り潰されるようだった。

「……齋藤君?」

 俺は、考えてはいけないことを考えている。
 会長に限って、そんなことはない。そう思いたいのに、一度産まれた疑念は俺の意思に反して膨らみ続ける。

「齋藤君」

 縁に、耳元で名前を呼ばれた。顔を覗き込まれ、驚きのあまりつい、飛び退いた。

「……何か、良いことでも思いついたの?」

 優しい声。子供でもあやすかのように、微笑む縁は青ざめる俺にそう、声を掛けてくれた。
 とんだ皮肉だと思った。良いことどころか、これは、考えてはいけないことだ。疑ってはいけない人を、俺は、疑ってしまった。その罪悪感に、俺は、とうとう何も言えなかった。

「……可哀想に。君は会長さんのところに行ってから辛そうな顔ばかりしてる」
「……っ、そんなこと、ないです……俺は……」
「助けてあげようか」

 縁の言葉に、俺は、思わず顔を上げた。言葉の意味が分からなくて、それでも、優しい縁の目に耐えられず、俺は首を横に振った。

「っ、それよりも、阿賀松先輩を……」
「大丈夫だよ。あいつは少し、痛い目に遭って頭を冷やした方がいい」

「それに」と縁に肩を掴まれたとだった。
 縁が、手を軽く上げた次の瞬間、延髄の辺りに衝撃が走る。一瞬、何が起きたのか分からなかった。気づけば目の前には床が映っていて、縁の靴の先が見えた。
 それが、俺が見た最後の景色だった。

「やられたらやり返すのが礼儀だからな」


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