side:阿賀松
紫煙と香水が混ざったような噎せ返るほどの悪臭には油断をすれば吐きそうになる。
こんな空気が悪い場所で平然としているこいつらのことが理解できなかった。
「それでぇ、平佑君はお友達が心配でここに来たってわけか。はぁ、泣ける話だよなぁ」
「……相変わらず耳と頭が悪いみたいだな」
「お前、伊織さんに向かってなんてこと言うんだ!土下座して詫びろ!」
「安久ちゃん、ステイ」
「う……ッ!でも、伊織さん……」
「今俺はこいつと話してんの、分かる?口を挟むようなら出ていってもらう」
「……ッ、す、すみませんでした……」
「…………」
学生寮一階のゲームセンター。その奥にある、VIPルームとは名ばかりのただ空間を無駄にしている阿賀松伊織の遊び部屋。遣われていないダーツボードに、ボード代わりに酒瓶が転がったビリヤード台。栫井平佑はそれらを一瞥し、そのまま目の前の阿賀松に目を向ける。
「十勝直秀なら俺は知らねぇな」
「……本当だな?」
「信じなくても結構。後は好き勝手に探せばいいだろ。ただ時間の無駄になるだろうがな」
咥えていた煙草を唇から離し、弄ぶように煙を吐く。吹き掛けられるそれに眉間に皺を寄せれば、やつは楽しげに笑った。
「……アンタ、それ辞めたんじゃなかったのか」
「辞めたわけじゃねえよ、吸う必要が無かっただけだ。口が寂しくなることはなかったからな」
「……」
笑いながら指先でそれを弄ぶ阿賀松。赤い小さな光に照らされ、やつの口元が厭らしく歪み、その吸口を舐めてみせる。
相変わらず、好きになれない男だと思った。品がない、見ているだけで気分が悪くなる。
「……アンタでも寂しいなんて人間みたいなことを言うんだな」
「なんだ?お前俺に構って欲しいのか?」
「馬鹿じゃないのか」
「本当可愛くねーやつ。お前みたいなののところにいるなんて、ユウキ君も大変だよなぁ」
何気なく口にする阿賀松の言葉に、顔が強張る。それを気付かれたようだ、阿賀松は目を細め、笑った。恐らく、八木から漏れたのだろう。いつまでも匿えるとは思ってもいないが、やはり、情報が早い。
「あんたのところの青髪、あいつから目を離すなよ。……余計なことしかしない」
「方人か?あいつは俺のいうことも聞かねえからな。何してくれたんだ?」
「齋藤佑樹で脅して、灘を人質に連れて行った」
「ッハ……本当あいつは……。……それで?灘和真なら普通に今朝食堂に来てたって聞いたぞ」
「……知らねえよ、逃げられてんじゃねえの」
「ハハハッ!!そうか、逃げられたのかよ方人のやつ。本当あいつは馬鹿だよなぁ、けどま、簡単に捕まるようなやつ捕まえてもどうしようもねーからなぁ」
「飼い主ならちゃんと見張ってろよ」
「冗談、あんな駄犬知らねえよ。……なるほどな、生徒会室にでけー穴空いてんのもしかしてアイツの仕業か?ったく、そんなおもしろそうな事すんなら一言くらい言えばいいのによぉ」
「…………」
仮にも親族の持ちものである学校を壊されておいて笑っているのだからこの男の神経はやはりおかしいのだろう。
笑い事かよと呆れるが、今更でもある。阿賀松の言いつけを守り、無言でウンウンと頷く御手洗安久を一瞥し、栫井平佑は浅く息を吐いた。
「それでユウキ君は芳川のところにでも行ったのか?」
「……よく分かるな」
「俺なら穴が空いた生徒会室なんかに宝物を置かねえからな。置くんなら、自分の手元だ」
「……昨日から会長の部屋にいる。いつまでいるかは分からないけど、俺はろくに会わせてもらえなかった」
「フン、お前もう切られてんじゃねえの?」
「……」
「そんなに睨むなよ。本当のことだろ?……ま、あいつが馬鹿みたいに過保護なだけかもしれねえけど」
煙草を咥え、戯れるように鼻から煙を出した阿賀松は笑う。
あの人のことを馬鹿にされているようで面白くなかったが、今に始まったことではない。それを分かった上で、自分はこの場に立っているのだから。
「無理やり連れ出すのもいいが、ただ引き裂いてもつまらねえよなぁ。……どうせなら、もっと……せっかく譲ってやったんだ。大切に扱わねえと」
阿賀松の目の前、さっと灰皿を出した安久に阿賀松はにこりと笑い、短くなったその先端を磨り潰すように灰皿に押し付けた。
「直秀のことが気になるんなら、芳川の方を調べた方がいいんじゃねえの?」
「……なんで会長を……」
「いなくなったんじゃなくて、自主的に身を隠してる可能性を考えろって話」
「分かるか?」と小馬鹿にでもしたかのように笑う阿賀松の言葉に、何を返すことも出来なかった。
――会長が何かを考えてるってことか。
確かに、五味とともに探し回ったのは外と阿賀松たちの周りばかりで会長の周りは何も調べていない。阿賀松の言っていることが正しいと思いたくなかったが、ちゃんと探していなかったのも事実だ。
「……分かった。洗い直してくる」
「おお、素直なことは大切だな。見つかっても別に報告しなくていいからな」
「……」
誰がするか、と口の中で吐き捨て、VIPルームを出ていこうとしたとき。「平佑」と呼び止められる。
「芳川に捨てられたらいつでもこっちに来ていいんだぜ、灰皿ぐらいにはしてやる」
「……本当死ねよ」
「お前……ッ!!」
御手洗安久が痺れを切らす前に、部屋を出た。
扉の前には仁科奎吾が立っていて、目が合えばやつは無言で目を逸らした。
それを無視して、栫井平佑はゲームセンターを後にした。
今一度、生徒会室に戻り情報を集め直すために。
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