天国か地獄


 14

 生徒会室。
 会長に肩を抱かれるようにして戻ってきたそこには、五味と連理もいた。

「っ、佑ちゃん!大事だったの?」
「ああ……悪かったな片付けさせて、五味」
「これくらい別にどうってことねーよ。ただ、風通しが良すぎるな、こりゃ」
「……」

 割れた窓ガラスから吹いてくる風はひんやりと冷たく、汗の滲んだ肌を優しく撫でる。
 遊びに行くと出ていった十勝と、灘を覗いて生徒会役員が揃った生徒会内。
 俺は、まだ信じられない気持ちがあった。
 縁は、最初から俺を助けるつもりは無かったのだろうか。それとも……。
 考えたところで胸が痛くなる。灘の安否を考えるだけで生きた心地がしなくて、酷く口の中が乾いた。

「齋藤君、怪我はないか」
「……大丈夫です、けど、俺のせいで……灘君が……」
「えっ?!カズ君がどうかしたの?!」
「心配するようなことは何一つない。齋藤君、さっきも言っただろう。あいつは大丈夫だ、それよりも……おい、栫井、濡れタオルを用意しろ」
「……わかりました」

 芳川会長に命じられ、生徒会室の奥へと向かう栫井。
 何が大丈夫だというのだろうか、俺には納得出来なかった。
 だって、縁は。
 首を撫でる、ただ脅すにしては本気で潰す程の力で締められた首にはまだやつの指の感触が残っていた。縁のことを信じたい反面、防衛本能があの人は危険だと叫ぶのだ。

「……会長、灘がどうしたんだよ」

 気になったのだろう。静かに尋ねる五味に、芳川会長は少しだけ黙り込み、やがて諦めたように口を開く。

「灘、あいつは……齋藤君の代わりに縁方人に連れて行かれた」
「……何?縁方人?」
「人質だと言っていた。……どうせ、俺の動揺を誘うためだろうがな」
「……そうか……」

 芳川会長の言葉に、神妙な顔をする五味。芳川会長よりもいくらか灘のことを案じているのかもそれない。それよりも、灘が連れて行かれたことよりも縁の名前の方に反応したのが気になったが、その真意は分からない。

「それで、どうするんだ?」
「どうする、とは」
「このままあいつらのところに置きっぱなしにするつもりじゃないんだろう」
「まあな、あいつにはしてもらわないといけないことがある。……が、良い機会でもあるのも事実だ」

 耳を疑った。本気でそんなことを言っているのかと。

「あいつのことだ、俺が言わずとも土産を用意してくれるだろうがな」
「トモ君、本気で言ってるの?」
「ああ、俺は本気だ。俺は感謝してるよ、あいつが栫井ではなく灘を選んでくれたのを。……だって、あいつは……」
「芳川」

 会長が言い掛けた時だった。五味が、それを遮った。
 いつも会長と呼ぶ五味が会長を呼び捨てにすることにも驚いたが、それ以上に、いきなり芳川会長の胸倉を掴む五味に驚いた。

「ちょ……ッちょっと!武蔵ちゃん!」
「……お前の言いたいことも分かる、けど少し言葉は選んだ方がいいんじゃないのか」
「……」

 一発触発。凍り付く空気に、その場から動けないでいると、俺の横、陰が通り抜ける。

「……っ、五味さん、落ち着いて下さい……」

 駆け寄った栫井は慌てて、芳川会長を掴む五味の腕を掴んだ。
 驚いたのは、栫井が仲裁に入ったことではない。
 いつもの栫井からは考えられない程、焦りを滲ませたその声、表情が意外だったからだ。
 そんな栫井に、小さく息を吐いた五味は「別に落ち着いてる」とだけ吐き捨て、芳川会長から手を離した。

「……会長……っ」

 怒るわけでも落ち込むわけでもなく、眉一つ動かさない芳川会長は心配そうに手を伸ばしてくる栫井の手を振り払う。

「……驚いたな、五味。お前がそんなに熱血だったとはな」
「……」

 芳川会長の言葉に何も答えず、五味はそのまま生徒会室を出ていこうとする。

「どこに行くつもりだ」
「……職員室だよ。その窓じゃ、夜虫が入ってくるだろ」

 背を向けたまま答える五味。
 それが本当か嘘かは分からないが、五味はそれ以上何も言わず、会長も何も言わなかった。
 五味が退室し、静かに扉が閉まる。
 なんだかんだ言って、五味は会長のことを一番に考えていたように思っていた。
 そして芳川会長も五味のことを信用していて、そんな二人がこんな風になるなんて、思ってもいなかった分余計俺はどうすれば良いのかわからなかった。
 もしかしたらそれは、栫井も同じなのかもしれない。

「……」

 俯き、押し黙る栫井はいつもと様子が違うように思えた。

「トモ君、どこに行くの?」

 連理の声がしたかと思えば、丁度、芳川会長が生徒会室を出ていこうとしているところだった。

「板かなんか探してくる。どちらにせよ、風穴空いだままだとまたどこかの鼠が入り込むかも知れんしな」

 心配する連理に対し、いつもと変わらない調子で答える芳川会長。
 連理は「早く戻ってきなさいよ」とだけ声を掛け、会長は何も答えずに生徒会室を後にした。
 俺、栫井、連理だけが取り残された生徒会室内に、嫌な空気だけが残った。

 静まり返った生徒会室内。
 俯いたまま押し黙る栫井が何を考えてるのか分からなくて、俺も、どうすればいいのか分からずに何も言えずにいた時だった。いきなり、伸びてきた腕に肩を掴まれる。

「全く、ホント男子ってやーねぇー!」

 突然、俺と栫井の肩を抱き寄せた連理。驚く俺と栫井を無視して、連理は「ほら、なんて顔してるのよ二人とも!」とばしばし背中を叩いてきた。
 ……これはなかなか一発がキツイぞ。

「た、貴音先輩……」
「……連理さん、痛いんすけど」
「あったりまえじゃないの!痛くしたんだから!」

「でもま、アタシに文句言える元気は残ってるみたいで安心したわ」悪びれもなく応える連理に栫井の顔が引き攣るのを俺は見た。
 しかし、会長たちが揉めてるのを目の当たりにして動転する俺達を気遣ってくれたのだろう。

「武蔵ちゃんの熱くなりやすいところも素敵なんだけど、ビックリしちゃったわよねぇ、二人とも。大丈夫よ、一年の頃なんてあの二人しょっちゅうどうでもいいことで喧嘩してたんだから!」
「そうなんですか?」

 いつも芳川会長の意見を優先させる五味を見てきていたからか、言い争う二人が想像できない。驚く俺の隣、栫井は「手、どかして下さい」と連理から逃げようとするが。

「ダーメーよ!それよりも平佑ちゃん、貴方もっと肉付けないとダメよ〜?うちのりゅうちゃんとどっこいどっこいなんじゃないのかしら」
「……」

 あ、栫井が困ってる。あの栫井にも苦手な人がいたなんて、意外だ。
 確かに俺も連理の強引かつマイペースっぷりには驚くが、それでも今、その強引さは有り難い。

「それにしても、問題はあの男よね!」
「あの男……?」
「何ぽややんとしてるのよ佑ちゃん!貴方を攫ったあの男よ!ああっ!信じられない!年頃の男の子の肌に傷を付けるなんて!」

 もしかしなくても、縁のことを言っているのだろうか。
 大袈裟な、とも思ったが、恐らく俺が見えてないからそう感じるだけで相当目立つアザになってるのかもしれない。そこまで周りに言われると、鏡を見るのが怖くなってくるものだ。

「ほら、平佑ちゃん!何ボーっとしてるのよ、タオル、佑ちゃんのために用意したんでしょう?」
「……別に、俺は……」
「もー!何照れているのよ!……平佑ちゃんがやらないのならアタシが貰うわ。ほら、貸してちょうだい!」
「……じゃ、お願いします」

 栫井からタオルを受け取った連理は俺の隣に腰を掛ける。
「佑ちゃん、こっちを向いて」と、優しく頬を撫でられると擽ったさに体が震えた。

「ホント……酷いわね」

 ソファーの上、連理と向かい合うように座る。そっと濡れたタオルを首筋に押し当てられれば、そのひんやりとした感触に全身の筋肉が反応した。
 擽ったさも勿論ある。けれど、それ以上に向かい合った連理が喋り方や仕草は女っぽくても、俺よりも大きな手とか高い背、整った顔立ちは男で。そのギャップのせいか、余計、なんだか緊張してしまう。

「あの、どうなってますか?……そんなに、酷いんですか?」
「内出血はそれほどないけど、指の跡はくっきり残ってるわね。……強い力で首を締められたんでしょう?……苦しかったわよね」

 慈しむように、未だ縁の指の感触が残るそこをタオルで撫でてくれる。痛みは既にない。けれど、連理の言葉にあの時の縁の目を思い出してしまい、皮膚を突き破る勢いで食い込んでくるやつの指を思い出して、肩が震えた。

「……ごめんなさいね、アタシがあの後すぐに追い掛けていたら良かったのでしょうけど……」
「そんな……会長たちを呼びに行ってくれてたんですよね?……先輩が皆に声を掛けてくれたお陰で助かったのも事実です。……ありがとうございました」

 あの場に芳川会長がいると分かったから縁はあの場に戻った。
 もし、そうでなければ?なんて考えただけで混乱するだけだ。俺は自分に言い聞かせるよう連理に頭を下げた。
 するとどうしたことだろうか。連理の目にじわりと涙が滲むではないか。
 泣いた?!と驚いたときだ。

「あ゛ぁ゛〜ん゛!!ごめんなさいねぇ゛〜!ダメな女で許してちょうだいッ!!」

 泣き声、というよりも咆哮に近かった。
 感極まって俺を抱き締める連理はわんわんと泣き出す。抱き締めてくるその腕のあまりの力の強さに内臓が飛び出るかと思ったが、それ以上に温かい連理の体温に先程までの緊張が緩む。

「ちょっ……連理先輩、齋藤潰れますよ……」
「平佑ちゃんにはわからないのよ〜!アタシの複雑な乙女心がッ!!」
「カマ心の間違いじゃあ……」
「な゛んですって?!」

 俺が思っていたよりも連理は情熱的、というよりも情に弱い人なのかもしれない。
 わんわん泣いていたかと思うと栫井を追い掛け始める連理につい笑ってしまいそうになり、慌てて口元を引き締める。
 なんだろうか、賑やかな連理のお陰で先ほどまでの鬱々とした空気が嘘みたいに吹き飛んだ。
 それは俺だけではなく、栫井もそう感じてるに違いない。……と思う。今はただ、連理の賑やかで温かい性格が有り難かった。

 芳川会長はすぐに戻ってきた。けれど、五味はまだ戻ってこない。
 軽くはなったもののどことなくギスギス感が残った生徒会室の中、応急処置として板切れを固定された壁に目を向ける。それにしても、縁はここの外で中を伺っていたと言っていたが。
 そっと外に目を向ければ確かに、人一人は立てるスペースはあった。けれど、ヘタしたらそのまま落下してもおかしくない狭さだ。

「……今日は俺の部屋に泊まるか、齋藤君」

 不意に、隣に立った会長に尋ねられる。

「会長の部屋に、ですか」
「仮眠室の窓を割られてみろ、今度こそ君に何かあったら俺は君の親御さんに顔向けが出来ない」
「そんな……悪いです」
「俺の部屋ならベランダも無ければ登れるようなものもない。窓から侵入されることはないはずだ」

 俺を自室に返す気はないようだ。会長の言葉は、このまま自室に帰れない俺からしたら有り難いものだった。けれど、このまま甘えていいのかという気持ちも拭えないのだ。

「悪いが、状況が状況だ。無理にでも連れて行くつもりだが構わないな」
「……いえ、すみません、ありがとうございます。……助かります」
「そうか、そう言ってくれるだけで安心する」

 微かに会長が笑った、気がした。
 俺と会長がこれからのことを話していると、不意に立ち上がった栫井が扉を開く。

「……おい栫井、どこに行くんだ」

 静かな声。会長の問い掛けに、視線だけを会長に向けた栫井は「帰ります」と小さく口にした。

「もうやれって言われてたのは終わったんで……会長も戻られるんですよね」
「……ああ、そうだな」
「それじゃあ、お先に失礼します」

 頭を下げ、生徒会室を後にする栫井。いつもなら俺を睨んで出ていくのだろうが、なんだろうか。なんだかいつもと様子が違うようだった。なんか、焦っているというか……上の空というか。
 同様不信感を持っているらしい会長は栫井がいなくなった後も扉を睨んでいたが、結局何もいうことはなかった。

「連理、お前ももう戻ってもいいぞ。……悪かったな、親衛隊のことでもゴタゴタしているのにこっちにまで付き合わせてしまって」
「水臭いわね、相変わらず。困った友達を放っておけるわけなちでしょ」
「……すまないな」
「アタシに謝るより、明日までに武蔵ちゃんと仲直りしときなさいよ?佑ちゃん、貴方達が喧嘩してるの見て怖がってたんだから」
「えっ?い、いや、ええと……」
「そうだったのか?齋藤君。……見苦しいところを見せてしまって悪かったな」
「そんな、見苦しいだなんて……!」

 慌てて首を振るが、正直、連理の言葉は確かだ。
 出来れば誰かが喧嘩するところなんて見たくない。それに自分が関与していなかろうが、やはり、心苦しいものは心苦しいのだ。

「そうか、君は優しいな。……しかしまあ別に俺は喧嘩したつもりはないのだがな……」
「何言ってるのよ。貴方達ただでさえ顔が怖いんだから話すときくらい穏やかになりなさいよ」
「お前には言われたくないが、そうだな。後輩にいらん心配を掛けるのは恥だ。……気をつけるよ」
「……会長……」
「まあ、そういうことだ。……気にしなくていいからな」

 会長なりに励ましてくれているのだろう。頭を撫でられ、俺はなんとなく居た堪れなくなる。
 やはり子供か弟か何かと思われているのだろう。何かと子供をあやすように接してくる会長に、気恥ずかしさで顔が熱くなる。

「良かったわね、佑ちゃん。これでまた喧嘩でもしてたら貴方、トモ君殴ってもいいからね」
「要らんこと吹き込むのはやめろ。齋藤君をお前みたいな暴力漢と一緒にするな」
「んまぁ!失礼ね!……もう良いわ、せっかく心配してあげたのにそんなこと言うんだったらアタシ先に帰るわね」
「あぁ、気を付けて帰れよ」
「引き止めなさいよ!本当に女心がわからない男ね!」
「どこに女がいるんだ」

 わいわいと言い合う二人。仲がいいのだろうが、会長も悪気無く連理を煽っているのだから流石だと思う。

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