天国か地獄


 12

 櫻田が江古田に引き摺られてから然程経っていない頃。再びノックの音が響き、五味が覗く。

「随分と賑やかだな。声、外まで聞こえてたぞ。騒ぐのもほどほどにしねえとまたなんか言われ……」
「きゃーっ!武蔵ちゃん〜!」

 現れた五味にどこぞの乙女のように黄色く野太い声を上げる連理。
 やつに気付いた五味は「うげっ!」とあからさまに顔色を変えた。

「き、来てたのか連理……」
「俺が朝礼の間齋藤君を見るよう頼んでいたんだ」
「会長、相手は選んだ方がいいんじゃねえのか?」
「んま!どういう意味よ!せっかく武蔵ちゃんのこと待ってたのに〜!」
「俺は待ってろなんて言った覚えはないんだけど?」

 確かに連理は元々五味の親衛隊長だと聞いていたが、なんだろうか。この二人のやり取りを見てると一周回って仲が良さそうに見えてきた。
 俺は隣にいた十勝に「ねえ」とこそっと声を掛ける。

「んぁ?どうした?」
「ご、五味先輩と貴音先輩って……そ、その……そういうあれなの……?」
「ぶボォッ!!」

 瞬間、十勝が吹き出した。五味にもその言葉が届いていたようで、今にも死にそうな顔をした五味に肩をがしっと掴まれる。

「さ、齋藤……お前頼むから外でそういうこと絶対言うなよ、頼むからな!連理、お前の言動が紛らわしいせいで俺まで誤解されてんじゃねえか!」
「やぁ〜ねぇ、本当のことなのに照れちゃって」
「連理お前なぁ……!」

 ここまで狼狽える五味もなかなか見ないが、懇願されては仕方ない。連理も連理で五味をからかっては楽しんでいるようだし、友情の形は人それぞれということなのだろう。
 二人を見守ってると、俺の生暖かい視線に気付いたらしい。五味は慌てて手を横に振った。

「ち、違うんだ。こいつはなんつーか、あれだよ、まあ、一年のときからの腐れ縁っつーか。断じてそういうあれじゃないからな!おい、会長も笑ってないでなんか言えよ!」
「ふ……いや、いいんじゃないか?俺は人の色恋に口を挟む程狭量な人間ではないつもりだからな」
「会長……ッ!裏切るのかよ!」
「ま、あれだ、連理先輩は五味さんのルームメイトで色々ほら……まあ、深い仲らしいぜ」
「十勝ッ!テメェ!」
「あいて!なんで俺だけ殴るんスか!ちょっ、今日これからデートなんで髪崩すのはやめてくださいよ!ぎゃあ!」

 腐れ縁、というのは不思議な言葉だと思った。連理と初対面である俺には分からないが、そんな俺から見ても五味や連理、会長の間には信頼関係が築かれているということは一目瞭然だった。
 唯一物理的被害を受けている十勝の泣き声が響く生徒会室に、またもや二回ノック音が響く。先ほどとは違う、静かなノック音に「入れ」と芳川会長が声を掛ければそこから現れたのは。

「只今戻りました」
「……した」

 灘と栫井が戻ってきたようだ。

「ご苦労だったな」
「あら、カズくんおかえりなさ〜い!平佑ちゃんも!今日もいい男ね!」
「う……」

 連理が五味のときとは違う黄色い声を上げたとき、その姿を目にした平佑ちゃんもとい栫井は露骨に眉根を潜めた。対する灘は相変わらず眉一つ動かすことなく、

「連理先輩の美しさには負けますよ」

 なんて言ってのけている。
 真顔にいつもの調子だからこそ洒落に聞こえなくて、ぎょっとする俺たちを他所に連理は「きゃー!」と頬に手をあて、くねくね動き始めた。

「まぁまぁ嫌だわカズくんたらも〜!」
「灘、そいつ相手に煽てる必要は無いぞ」
「そうでしたか、失礼しました」
「ちょっとそれってどういう意味よ!」

 裏表がないというのも困ったものだ。
 主に連理と五味、十勝たちを中心に騒がしくなる生徒会室。
 だからだろう、自分の置かれた立場を忘れかけて、その空気に馴染んでしまいそうな自分がいた。
 皆といるのは楽しい。そう思う反面、自分だけが明らかに場違いなことを思い出しては皆との間に見えない壁を感じずにはいられなくかった。

 人と一緒にいると、やけに時間が経つのが早く感じる。
 今朝、灘が用意した惣菜パンが残っていたということで皆でパンを食べることになったまでは良いが、午後からデートに行くとか言い出す十勝が会長に怒られて結局皆で生徒会の仕事に取り掛かることになったようで、連理は櫻田の処罰のために生徒会室を後にした。
 残された俺は何もすることがなく、ただ、皆の邪魔にならないようにソファーの隅で知恵の輪を弄んでいた。


 どれほどの時間が経ったのだろうか。静まり返った生徒会室の中、一番最初に沈黙を切ったのは十勝だった。

「ぅうう終わったーー!!終わりましたよ!会長!ほら!昨日の会議の内容全部ちゃんとまとめましたよー!ねっ!もう帰っていいっすよね?!」
「そうか、なら俺の分を分けよう」
「いやだぁあー!もう文字の羅列を見たくないっすからまじで!」
「冗談だ。一応約束は約束だからな。しかし門限はちゃんと守れよ」
「うーっす!じゃあ五味さん、栫井!お先ー!」

 会長から許可を貰い、満面の笑顔で生徒会室を飛び出していく十勝。
 よほど楽しみだったのだろう。十勝がいなくなり、再び静まり返った生徒会室内に嫌な沈黙が響く。
 十勝が一抜けしたことにより、栫井と五味のフラストレーションが上昇していることに気付き、一層気不味くなる。
 そんな中、空気を読まないノック音が二つ。その場にいた全員の視線が、扉に向けられた。

「……入れ」

 そう、芳川会長が声を掛けた時だった。静かに扉が開き、「失礼する」と聞き慣れない声が聞こえてきた。そして、そこにいた人物に目を向けた俺はハッとする。
 右腕に嵌められた『風紀』と刺繍された腕章。第一ボタンまで留められた制服。昨日、食堂で見たあの風紀委員がそこにはいた。
 確か、名前は。

「先程、職員会議にて朝礼で問題を起こした生徒全員の処罰が決まった。その書類を纏めてきた」
「随分と遅かったな、八木」

 そうだ、八木だ。
 会長の言葉に、阿賀松たちがそう呼んでいたことを思い出す。同時に、血の気が引いていった。そうだ、やつは、阿賀松たちと親しいようだった。
 これは、まずいのではないか。

「俺に文句言うなよ、おせーのは向こうだっての。……ほらよ、お前の望み通りの退学にはなんねーがそれなりに厳しい方だと思うぜ」
「自宅謹慎に反省文……ぬるいんじゃないか?」
「我慢しろ。今回は決定事項だからな」
「そうか。……二度とこのような馬鹿げた気を起こさないよう躾けておけよ」

 会長と八木が話し込んでいる間、俺は息を潜めるのに必死になっていた。バレないようにしなければ、八木に背中を向けるように縮こまるが、それでも頭までは隠すことは出来ない。
 そもそも八木が俺のことを知ってるかどうか分からないが、それでも、やはり最悪の事態を想定せずにはいられなくて。

「五味、お前んところの大将は血の気が多いな」
「会長、齋藤いるんすからほどほどにしないと嫌われますよ」

 八木に話を振られた五味がそんなことを口にした瞬間、ドッと心臓が大きく震えるのが自分でも分かった。
 冷や汗が滲む。後頭部に八木の視線が突き刺さってるような気がして、振り返ることしか儘為らなかった。

「……八木、これはもらっておく。もう戻っていいぞ」
「ああ。それじゃあ、失礼した」

 すると、どうしたことなのだろうか。それだけを告げ、八木は生徒会室を後にした。閉まる扉。てっきり何か揺さぶられるかもしれないと思っただけにあっさりと身を引く八木に拍子抜け感を覚える。
 けれど、まだ油断は出来ない。居場所をバレた可能性を考えると、安心は出来なかった。
 それにしても、会長たちは八木に対してなんの疑問も抱いていないようだった。
 ……知らないのか?八木と阿賀松たちが繋がっているって。
 気になったが、それよりも俺は一つ、気になることがあった。
 先ほどまで無言でパソコンのモニターと向かい合っていた栫井がやけに窓の外を見るようになったのだ。
 まだ日が沈むには早い時間帯。何か用事があるのだろうか、そんなことを考えながら俺は再び各々の作業に戻る会長たちを眺めていた。

 流れる沈黙の中、気がついたら窓の外は既に赤く染まっていた。どうやら皆を待っている間に寝落ちてしまっていたようだ。ハッとして体を起こせば、いつの間にかに掛けられていた膝掛けが落ちる。

 生徒会室には誰もいなかった。大分経っているようだったし、無理もない。会長もどこかに行っているのだろうかと辺りを見渡してみれば、向かい側の席にコーヒーカップが置かれていることに気づく。飲みかけのようだ。もしかしたら少し席を空けてるだけなのかもしれない。

「……」

 今日はなんか、一日バタバタしていたように感じて特に何もない一日だった。
 連理たちがいたときの賑やかさを思い出し、今は誰もいないこの空間に言い知れぬ寂しさを覚える。
 それにしても変な時間に眠ってしまった。これでは夜眠れないんじゃないか、なんて思いながら膝掛けを畳んでいると、不意にコン、コン、コン、と静かに扉がノックされる。
 会長たちだろうか。勝手に出ていいものか迷ったが、もし先生たちからの連絡だったらと思うと無視するわけにもいかなかった。
 慌ててソファーから立ち上がり、扉に近付く。
 でも、もし、これが阿賀松だったら。そう思うと、勝手に鍵を開けることが出来なかった。

「……っ」

 やっぱり、やめておこう。重要な連絡だったらまた後から来るだろうし、呼び出しなり掛かるはずだ。
 余計なことをして捕まったらと思うと後が怖かった。
 扉から離れ、ノックの音から逃げるように仮眠室へ向かったときだった。
 窓の外、赤い夕日が差していたそこに陰が覆う。
 なんなんだと思い顔を上げたとき、そこにいたそれに俺は声を失った。

 生徒会室一面に貼り付けられた窓ガラス、その外側に立った縁方人は俺と目が合うなりにこりと笑い、そして、手に持っていた小ぶりのハンマーを大きく振りかぶった。
 恐らく飾り用のガラスを使われてるのだろう、耐衝撃なんてないそれは劈くような音ともに一瞬にして白く亀裂が走り、そしてそこに二発目を打ち込んだ次の瞬間、生徒会室内、会長の席に窓ガラスの破片が大きく飛び散った。

 それは一瞬の出来事だった。驚く暇も逃げる暇もなかった。尖った部分を払うように穴を広げた縁は「よっと」と小さく呟き、生徒会室に足を踏み入れた。

「お待たせ。ごめんね、助けに来るのが遅くなって」

 パキリ、と縁の足元で破片が潰れる音がする。ゆっくりと歩み寄ってくる縁は手に持っていたハンマーをしまい、そして、俺に手を差し伸べてきた。

「っ、助け、に……?」
「ああ、そうだな。なかなかあいつら君から離れないからさぁ……まったく骨が折れたよ」

 縁からは敵意は感じない。けれど、それでも俺は縁の手を取ることが出来なかった。
 会長たちの顔が過ぎったからだ。もたもたしていると、「ほら、早く逃げないと」と縁に腕を取られそうになる。
 そして、驚いた俺はついその手を振り払ってしまった。乾いた音が響き、少しだけ目を丸くした縁にハッとする。
 やってしまった。

「っ、ご……ごめんなさい……」
「いいよ。そうだよな、齋藤君は繊細だから不用意に触られるとびっくりするよな。ごめんごめん、今のは俺が悪かったよ」

「でも」と、再度背中に手が回され、そのまま抱き寄せられたかと思えば、いきなり足が地から離れる。

「ぅ、わ……ッ!」
「他のやつらが戻ってきたら面倒だから、今回は許してね」

「後からなんでもしてあげるから」と、目の前の縁は笑う。
 顔が近い。というよりも、もしかしてこれは噂のお姫様だっこというやつなのではないだろうか。
 病み上がりであろう縁にきつくないのかとか、俺が重くないはずないだとか、降ろして下さいとか、色々言いたいことはあったのに恥ずかしさとか申し訳なさとか驚きとかごっちゃになって相当俺はテンパっていたようだ。
 生徒会室の扉へ向かった縁はそのまま扉の鍵を開けたかと思えば、思いっきり足蹴してドアを開く。と、同時に。

「きゃあっ!!」

 太く、甲高い悲鳴とともに人影にぶつかった。
「あ」と小さく呟いた縁はそこにいた人物を見るなり小さく舌打ちをした。

「ちょっと!危ないじゃないのよ!って……佑ちゃん?!」

 どうやら先程のノックの主は親衛隊総隊長・連理貴音だったようだ。
 縁にお姫様だっこをされてる俺を見た連理は驚いたように口元に手を当てる。

「縁……縁方人!アンタ佑ちゃんをどこに連れて行くつもりなのよ!」
「悪いね〜俺今君と付き合ってる暇ないから。おたくの会長さんに伝えときなよ、齋藤君は俺達が責任もって可愛がってあげるってさ」

「それじゃあね」と人を抱いたまま手を軽く振った縁は連理の前から走り出す。俺を抱えたままだというのに全くスピードを落とすどころか軽快な足取りで駆け抜ける縁。その後方から「待ちなさい!」という連理の声が聞こえてきたが縁はそれを無視して進む。

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