天国か地獄


 03

 幸い、まだ校舎内に教師が残っているため昇降口の鍵は開いていた。
 正面突破を選んだ灘には驚いたが、確かに逆にコソコソしていて見つかった方が面倒だ。
 靴を履き替え、階段を駆け上る。
 校舎に人は残ってるものの、職員室以外の照明は落とされているようだ。
 薄暗い校舎内、二人分の足音だけが辺りに響いた。

 道中、灘は喋らない。ただ前を見て、軽い足取りで廊下を突き抜けていく。
 対する俺は、灘についていくことでいっぱいいっぱいになっていた。

 元々の運動神経の差もあるだろうが、手に響かないのだろうかと気になって仕方なかった。
 それでも、弱音を吐かずに前に進む灘を見てるとこっちまで励まされるようで。
 ぐっと痛みを堪え、俺は灘の後を追い掛ける。

 そしていくつかの階段を昇り、通路を渡った先。
 校舎内、監視室前。

「……」

 重々しい扉の横、端末機械が取り付けられていて。
 その前に立った灘は胸ポケットから学生証を取り出した。

「……それは……」
「俺は会長に言われて、この扉の解錠コードを学生証に入れてました」
「会長に?」
「はい。出入りは可能です。……以前のままならば、ですが」

 そう、学生証を端末に翳す灘。
 僅かな沈黙が流れる。そして、微かな電子音ととも錠が外れる音が聞こえてきた。

「……開いた」

 退学処分後、カードキーが使用出来なくなっていた栫井のことを思い出す。
 灘は、芳川会長を裏切ったわけではない。だからそのままになっていたのか、それともわざわざ変更する暇がなかったからか、後者だとは分かったがそれでも栫井のことを考えずには居られなかった。

「急ぎましょう。誰かに気付かれる前に」
「う、うん……!」

 そうだ、今は監視カメラを確認するのが目的だ。感傷に浸ってる暇はない。
 自分に喝を入れ、俺は監視室に足を踏み込んだ。

 監視室の中は酷く冷たく、静かだった。
 薄暗い室内、壁一面を埋め尽くすたくさんのディスプレイだけが色を発していた。
 その光景に圧倒されている俺の横、ディスプレイの前に置かれた一台のパソコンの前に立った灘は慣れた手つきでそれを操作する。
 次々と切り替わるディスプレイ上の映像。
 学生寮から校庭、食堂で和気あいあいと夜食を取る生徒の映像等見慣れた景色が映し出されては直ぐに切り替わっていく。

「……色んな所にカメラがあるんだね」

 監視カメラなのだから仕方ないと分かってても、あまりにも数が多すぎるような気がしてならない。
 それに、こうしてこんなにカメラがあっても現に俺や栫井は外から侵入することも出来た。
 本当に防犯として役に立っているのか、俺にはそれが疑問だった。

「……防犯にしては関係ないところにまであるように思えるけど」
「この監視カメラは文字通り『監視』することが目的ですからね。セキュリティは別の部分で補ってるみたいです」
「監視だって?」
「生徒の中から犯罪者が出た時、親の権力を使って揉み消しにされることがよくあったそうです。それから、監視カメラの数を増やし、確実に証拠を残すことを心掛けるようになっただとか」
「……」

 そんな監視室を逆手に利用してると思ったら、なんとも言えない気持ちになった。
 それも、理事長からしてみれば監視室に残された記録が原因で孫を退学に追い込まれたのだ。
 申し訳ない反面、それでも今こうして俺にとっての打開策になっていることには違いない。

「……これは……」

 そんな中、不意に灘が手を止めた。
 灘が見詰めるその先、ディスプレイには校門前が映し出されていた。
 薄暗いその映像の一部を拡大する灘。
 そこに映し出さていた人物に、つられて俺はディスプレイを叩いた。

「縁……方人……ッ!!」

 咄嗟に、踵を返そうとした時だった。

「……ッ」

 灘に腕を掴まれる。
 怪我しているにも関わらず、強いその力に堪らず振り返れば、目が合った灘は「待って下さい」と口にした。

「でも、灘君、早くしないと、あの人が……あいつが……ッ」
「嫌な予感がします」

 こうして話してる暇すら惜しいというのに、焦れる俺に構わずディスプレイを操作し始める灘。
 その指先によって大画面に映し出される映像が次々と切り替わった。

 別のアングルから見た縁方人は、携帯を弄っていた。
 薄暗い画面の中、煌々と明かりを発する携帯端末。
 こんな状況で呑気に携帯を弄る縁に正直俺は目を疑った。
 それは、灘も同じで。

「縁方人は貴方から逃げていると伺いました。けれど、隠れている素振りすら感じません」
「……罠だとでも言うのか」
「その可能性が高いでしょう」
「でも、罠だとしてもあいつに近付かなければ意味がない」
「ですが近付く前に嵌められても無意味ではありませんか」

 灘の言葉はあくまで冷静で、客観的だった。
 灘の言っていることは最もだ、それは頭でも理解できた。
 だけど、その冷静さが、客観的な物言いが、他人事そのもので引っ掛かるのだ。
 けれど、それも束の間。

「誤解しないで下さい。何もあの方を庇おうと言うのではありません。ただ、俺達も準備をする必要はある」

 静かに続ける灘に、俺は言葉を乗んだ。
 いつもと変わらない淡々とした口調だが、その一言一言はとても力強くて。
 次々と切り替わる校門付近のカメラの映像を確認していた灘は、不意にこちらに目を向けた。

「齋藤君は今携帯は持ってますか」
「……あるよ。充電が切れそうだけど」
「使えるなら問題ありません」

 そう一言、キーを叩く軽快な音とともに、取り付けられた画面全てが校門前の縁が映り込んだものに切り替わる。
 携帯の画面が確認できる程近いものから掠った程度姿が映り込んだものまで、様々なアングルで映し出される映像はただただ異様だった。

「俺はここから縁方人の動きを貴方に伝えます。貴方は、縁方人に逃げられない内に近付いて下さい」

 そんな画面をバックにした灘は、静かに俺に告げた。

「近付く、って、言われても」
「簡単です。背後から後頭部を殴ればいいんですよ。そうすれば、脳震盪起こして動けなくなるはずです。その間に動けないように縄で縛ればなんの問題もありません」

 狼狽える俺に、灘は軽く自分のこめかみを叩く。
 迷いのないハッキリとした口調のせいか、その物騒な灘の提案が最もに聞こえてしまうのだ。
 実際、問題はそこなのだ。いくら縁に触れることが出来たとしても、縁に抵抗された場合を考えると下手に手を出されないところまで持っていった方が無難と思えた。

「力が無くても人間は脳にダメージを与えることが出来れば全機能を停止することが出来ます」
「そう、だけど……」
「齋藤君が抵抗があるのならば俺がその役目を請け負いますが」
「いや、俺がするよ」

 その言葉は、思ったよりもすんなり出た。
 渋ったところで、これが最善であることには違いない。
 灘にお願いして、ルール違反だと縁にゴネられるくらいならば俺がした方がましだ。
 とは言ったものの、自分でも分かっていた。ただ単に、自分の手で決着つけたいだけなのなだろう。

「……了解しました」

 灘もそんな俺に気付いているのかもしれない。
 それでも、それ以上深く追求してはこなかった。
 その代わり。

「取り敢えず、これだけ渡しておきます」

 そう言って、部屋の隅の用具入れから何かを取り出した灘はそれを俺に手渡してきた。
 渡されたものは、束ねられたビニール紐だった。

「生憎この部屋に鈍器はありませんので齋藤君で調達してください」

 鈍器、という単語に頭の奥がズキリと痛んだ。
 気が付けば汗が滲んでいて、額から流れ落ちるそれを俺は手で拭う。
 鈍器、何がいいのだろうか。俺は力があまりないから軽くて、それで振りやすい……ならば棒状のものか?
 なんて、一人考えていると、灘と目が合った。

「しかし、意外ですね」
「……ん?」
「君なら、俺の発言を止めると思ったのですが」

 その一言に、ギクリと全身が強張った。
 嫌な汗が滲む。
 ああ、しまった。なんて思ったが、今更何言っても取り繕うことは出来ないだろう。
 それに、灘の提案に賛同したのも事実だ。

「……そうだね、俺も、驚いてるよ」

 なんて、笑って誤魔化そうとするがうまく顔の筋肉が動かなかった。
 これじゃ、芳川会長と同じじゃないか。
 そんなことを思ったところで今更立ち止まることも出来ない。
 結局、俺は倉庫にあったバールを選んだ。
 灘は何も言わなかった。

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