天国か地獄


 side:栫井

 齋藤から灘を押し付けられた時から想像出来ていたが、まさかこいつがここまでだとは思っていなかった。

「学園に戻らせてもらいます」

 ツテを頼ってわざわざ治療させてやったというのに、開口一番これだ。呆れてものも言えない。

「……お前、自分の体分かってんの?」
「ただの骨折でしょう。なんの問題もありません」
「お前がほったらかしにしたせいでまともに筆握れなくなるかもしれねーってのに問題なしかよ」
「逆の手で書き取りが出来るようになればいいのでは?」
「そう出来るようになるまでにどれくらい掛かるんだよ」
「書き取りができるようになるまでに練習します。なので」
「駄目だ」

 既に日も沈み始めた街中。他の高校の制服がちらほらと目立ち始める時間帯。
 駅前の広場で俺と目の前の頑固野郎と向き合う。
 無言でこちらを見つめ返してくる灘だが、いつもよりも強張った表情筋を見る限り気を悪くしているのは一目瞭然だ。
 けれど、そんなこと俺には関係ない。

「あいつから大体のことは聞いてる。……お前が戻ったところで役立たずが増えるだけだろ」
「役立たずとは俺のことですか」
「お前以外に誰がいるんだよ、この石頭」
「石頭でも結構です。ですが、彼をあそこに一人残すような真似、出来ません」
「縁方人だろ?」

 その名前を口にすれば、微かに灘の瞼がピクリと痙攣する。こいつはここまで分かりやすかっただろうか、それとも、お陰様で俺が目敏くなったのか。

「……君は、分かってて見捨てるんですか?」
「見捨てるとか見捨てねーとかの話じゃねえんだよ、お前はおとなしくその骨折を治せって言ってんだよこのバカが……」
「俺は問題ありません」
「大有りなんだよ!お前あそこで何の話聞いてきたんだよ!」
「俺の心配してるんですか」

 こいつが怪我人じゃなければ一発殴ってやりたいところだったが、それもそれで図星ですと言ってるみたいで気に入らなかった。
 代わりに、手元にあったペットボトルを投げつければ灘は当たり前のようにそれを受け取る。

「ゴミ箱はあちらですよ、栫井君」
「クソうぜぇんだよ、テメェ……ッ!」

 俺の声に反応した周りの視線が突き刺さる。
 クソ、見てんじゃねーよ、まじうぜぇ。涼しい顔したこいつを見てると俺ばっかりムキになってるみたいで余計イライラして、腹の中を掻き毟りたい衝動が込み上げてくる。

「……俺を殴らないのですか」
「お前は俺に殴られたいのかよ、なあ」

 睨めば、相変わらずの鉄仮面のまま灘は「まさか」と口にした。まさか、そんなわけがないでしょう。そう言いたげに。

「お前なんかに無駄な労力を使いたくないんだよ」
「なら」
「駄目だって言ってんだろ!」
「そんなに心配なら君も戻ってきたらいいのでは」

 ムキになる俺がそんなにおかしいのか、クスリとも笑わずにあいつは不思議そうにそんなことを言い出した。
 その何気ない疑問に、俺は喉の先まで出掛けた言葉をぐっと飲み込んだ。
 齋藤のやつ……言ってないのかよ。
 自分ばっかり楽しやがって、クソ、クソ、本当ムカつくんだよあいつ。

「……栫井君?」
「面倒だから言わなかったけど、俺はあそこの生徒じゃなくなってんだよ、もう。お前は休学扱いだから戻れるけど、俺はついていくことは出来ないんだよ」

 隠す程のことでもない。大したことない。
 そう思っていても、実際口に出してみると結構、堪えるものだ。適当に笑ってみようと思うが上手く笑えず、引き攣ったような顔面の筋肉に対し、灘の表情はやっぱりちっとも変わらなくて。それが余計なんか、惨めで……腹立つ。

「……何故、君が退学に」

 表情に変化はない、そう思っていたが、灘の声が微かに掠れていた。珍しい、と思い、奴に目を向ければ、ゾッとした。相変わらず能面のような無表情だが、その目は底冷えする程の冷たくて。
 なんで俺が咎められなれないといけないのか分からなかったが、根負けした俺は灘から目を逸らした。

「いいんだよ、そういうのは」
「俺は生徒会会計です。副会長が退学になった理由を把握しておく必要があります」
「……話したら大人しく俺の言うこと聞くのかよ、お前は」
「聞いてから決めます」

「説明してください、副会長」と、灘。
 こういうときだけ副会長扱いだ。いつもは副会長と呼ばないくせに。本当、腹立つ。

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