天国か地獄


 04※

「離して………っ」
「そんな嫌がらなくてもいいだろ?俺たち恋人同士なんだから」

 おどけたようにいう阿賀松を、思わず俺は睨みつけた。
 人を馬鹿にしたような笑みに、俺は顔をしかめる。

「なんだよ、冗談だろ。冗談。そんなに睨むなって」
「なんでそんな冗談……」
「なんでだと思う?」

 阿賀松は俺の服をめくりあげながら、笑った。
「やめて下さい」俺は慌てて阿賀松の腕を掴もうとするが、仰向けになっているせいで思うように動かない。

「会長、俺たちのこと聞いたときかなり驚いていたらしいよ」
「……っ、なんで」
「さあ?裏切られたとでも思ったんじゃない?お気に入りの後輩にさあ」

 阿賀松は露出した背中に指を這わせ、背筋をなぞる。
 俺は体を跳ねさせ、近くにあった枕を掴んだ。
 さっさと終わってくれ。
 俺の上に馬乗りになった阿賀松から逃げることを諦めた俺は、ただじっと堪える。

「いや、まさか本当に会長、お前のこと気に入ってるなんてな。俺としては、かなり美味しいんだけど」
「……んッ、んん」
「だってさあ、考えて見ろよ。会長のお気に入りのユウキ君が俺とこんなことしてるんだよ。それって最高だろ?」
 俺からしてみれば、いいとばっちりなわけだけど。
 脇腹を撫でる大きな手が、シャツの中にするりと入り込んでくる。くすぐったくて、妙な気分だ。
 俺は声を殺し、胸元まで這い上がってくる阿賀松の手を離そうとする。
 阿賀松の狂言が、芳川会長にまで伝わってしまった。
 特に仲良かったわけではないのに、結構傷付いたのはなんでだろう。

「今日はやけに大人しいな。そんなに会長に知られたのがショックなわけ?」
「……別に、そんな……んッ」
「ビクビク震えちゃって。かわいー」

 胸板をまさぐる阿賀松の指先が、突起を掠めた。
「あれ?勃ってない?」阿賀松は可笑しそうに笑いながら、指の腹で執拗に突起を弄る。
 まさか、男に乳首を弄くり回される日がくるとは思わなかった。
 思ったよりも屈辱的で、俺は阿賀松の手のひらに爪を立て離そうとする。

「そこ、やめて……ッ」
「え?なに?乳首好きなの?へえ、すました顔して意外と変態だなあ」
「ちが……んぅっ」

 耳元で嘲笑する阿賀松。
 そんなこと一言も言ってない。否定しようとするが、あまりのこそばゆさに俺は息を漏らす。
 どっちが変態だ。つねられ、捏ねられ、転がれ、好き勝手人のものを弄る阿賀松に、俺は必死に逃れようとした。


「っ、いやだ、なんか、気持ち悪いッ」
「大丈夫。俺がここ、開発してあげるからね」

 全然大丈夫じゃない。
 阿賀松は俺のうなじに軽く吸い付き、突起の周りを長い爪を軽く立ててなぞる。阿賀松に弄られたせいでじんじんと熱くなってくる胸。
 腰を浮かせ、赤くなった顔を隠すように布団の中に頭を入れる。

「ハハッ、おもしれー動き」

 息が荒くなって、顔が熱い。布団を被ってるせいか、息苦しくて俺は口元だけ出して息を吸う。
 モゾモゾと下で動く俺を見て、阿賀松は可笑しそうに笑った。
 バカにされているような気がしてならなくて、俺は顔を真っ赤にしてうつ向く。
 ふと、阿賀松の携帯が鳴り出した。

「あ、はーいもしもし。なに?俺いま取り込んでんだけど」
「……ッ」

 当たり前のように電話に出る阿賀松に、俺は目を見張る。
 人の体を弄る手は止めずに、阿賀松はそのまま電話に向かってなにか話した。
 信じられない。普通、こんなときに電話に出るのだろうか。
 俺は自分の口を塞ぎ、必死に声を漏らさないようにする。

「は?今から?……あー、わかった。すぐ行く、はいはい。んじゃ」

 阿賀松はめんどくさそうに電話を切って、被っていた俺の布団を剥ぎ取った。
 少しだけ驚いて、俺は阿賀松の方を見る。

「そういうことで、今日はここまでです」

 阿賀松は笑いながら俺の顎を軽く持ち上げ、顎の下を撫でる。
 俺は猫じゃないから、ただくすぐったいだけだ。
 俺は阿賀松の手を掴み、離す。
 もう終わったのだろうか。中途半端に弄られたせいか、火照った体が疼く。

「物欲しそうな顔」
「別に……っ」

 肩を掴まれ、無理矢理仰向けにされる。
 まともに目が合ってしまい、俺はとっさに顔を逸らした。
 俺は乱れた服を直し、必死に平常にやり過ごそうとするが、破裂しそうになるくらい煩い鼓動はどうすることもできない。

「続きはまた明日ってことで、ね」
「……っ」

 阿賀松はそう笑い、俺の額に軽くキスをする。不意打ちだったせいか、俺は一瞬なにされたかわからなかった。
 そのまま阿賀松はベッドを降り、部屋の扉へと歩いていく。
 これじゃ本当に、恋人みたいじゃないか。
 上半身を起こした俺は、阿賀松の背中を眺めながら顔を青くしていく。
 バタンと扉が閉まり、阿賀松は部屋を後にした。

「……」

 乱れたベッドの上に一人残された俺は、ムラムラしながらベッドに仰向けになって倒れ込んだ。
 阿賀松にいいようにされるのは嫌だ。
 だけど、中途半端に弄られてほっとかれるのも嫌だ。

「……どうしたんだ、俺」

 もしかして阿賀松に感化されてしまったのだろうか。
 俺は深くため息をつき、疼く腰を鎮めようと試みる。
 普通に無理でした。
 俺は、気分転換をするために部屋についている風呂を活用することにする。

「ふぅ……」

 思ったよりも風呂場は広くて、なかなか快適なバスタイムを過ごすことができた。
 洗面台の前、俺はなるべく鏡を見ないようにしながら俺はバスタオルで体を拭う。
 ちょうど汗かいて鬱陶しかったし、なんか得した気分だ。
 体も気分もさっぱりし、俺は一息つきながら服を取りに部屋の扉を開く。

「あれ、戻ってたの?」

 部屋には、ソファに腰をかけテレビを見ていた阿佐美がいた。
 制服のままってことは、きっと先ほど戻ってきたばかりなのだろう。
 俺は阿佐美を横目に、ベッドの側に置いていた服を手にとった。

「う……ゆゆうき君っ!」

 阿佐美は小さく頷き、俺の方を向いたと同時に声を上げた。
 阿佐美の声にビックリして、思わず俺は服を落としそうになる。

「服、ふく!なんで裸っ」
「……ご、ごめん」

 風呂から上がったんだから裸なのは当たり前じゃないのだろうか。
 顔を真っ赤にしてクッションで顔面を隠す阿佐美に、俺はどうしたらいいのかわからず取り敢えず下着を穿いてみる。
 一応前はバスタオルで隠していたというのに、なにが悪かったのだろうか。

「もう大丈夫だって」

 一通り服を着た俺は、クッションに顔を埋める阿佐美に声をかける。
 阿佐美は恐る恐る俺を見て、ようやくクッションを退けた。まだ顔が赤い。
 そんなに男の裸に免疫がないのだろうか。いや、阿佐美は男だからそれはおかしいだろう。
 一人悶々としながら、俺はタオルで濡れた髪を拭った。
 阿佐美はもじもじしながらテレビと俺を交互にチラチラと眺める。
 妙に阿佐美の視線が気になりつつ、俺はベッドに腰を下ろした。

「……詩織」
「は、はいっ」
「ちょっと、恥ずかしいからあんまり見ないで」
「ご……ごめんなさい」

 阿佐美の視線に堪えられなくなった俺は、顔を赤くしながら呟いた。
 一瞬アホみたいにぽかんと口を開けていた阿佐美の顔が、みるみるうちに顔が赤くなっていく。
 阿佐美は慌てて顔を逸らし、テレビの方を向いた。
 やっぱり、阿佐美と一緒にいると調子が狂ってしまう。
 俺は気を紛らすようにタオルで頭を乱暴に拭った。

「……」
「……」

 沈黙が走る。テレビから淡々と流れるアナウンサーの声だけが響いた。
 気まずい。志摩や十勝のようなよく喋るタイプの大切さが痛感させられる。
 沈黙を破ろうとなにか話そうとはするが、話題がない。

「……俺、なにか食べてくる」

 こうなったら強行手段。
 俺はベッドから立ち上がり、この妙な居心地の悪さから逃れようと部屋の扉に向かう。

「あ……っ」

 阿佐美は短く声を漏らし、なにか言おうとソファから立ち上がる。
『自分もいきたい』と言いたげな阿佐美の視線に、俺は思わず怯んだ。
 遠慮しているのだろうか。それとも俺が誘うのを待っているのだろうか。
 なにも見なかったことにして部屋を出ていけばいいものを、俺は阿佐美に問い掛ける。

「……詩織も、来る?」
「うんっ」

 俺の言葉にパアッと顔を明るくする阿佐美は、大きく頷いた。
 嬉しそうに顔を綻ばせる阿佐美に、俺は小さく笑い返す。
 どうやら俺はしょんぼりと寂しそうな顔をする阿佐美に弱いようだ。

 ◆ ◆ ◆

 一階にやってきた俺たちは、食堂へ向かっていた。
 隣を歩く阿佐美を横目に、俺は優柔不断な自分に溜め息をつく。
 まあ別に、阿佐美と一緒にいても困ることはないんだけど、変に目立ってしまうからなぁ。
 並んでみるとハッキリとわかる身長差に、俺は少し凹む。
 それに、顔半分を覆う長い前髪。

「髪とか、綺麗にしたら結構まともなのに……」

 思わず俺は声に出してしまう。
 阿佐美は驚いたように俺の方を見て、困ったような顔をした。

「なんの話……?」
「いや、なんで詩織って前髪伸ばしてんのかなって」
「……」

 黙り込む阿佐美。
 そこまで言って、俺は自分の失言に青ざめた。
 流石に生意気だったかもしれない。
「ご、ごめん。変なこと言っちゃって」俺は俯き、阿佐美の方をちらりと盗み見る。

「……よく言われる」

 阿佐美は困ったように笑い、俺から顔を逸らした。
 やっぱり、不愉快だったのかもしれない。
 俺はなにも言うことができず、黙り込んだ。自分の無神経さを呪いたい。
 沈黙の中、俺たちは目的地である食堂に辿り着く。

 home 
bookmark
←back