天国か地獄


 21※

「え、嘘、見回り……?!」

 それも、近い。
 近付いてくる足音に緊張感が走る。

「しまったな……齋藤、早くこっちに……!」
「わかっ……」

 分かった。そう、志摩に答えようとした矢先だった。
 伸びてきた腕に首根っこを引っ張られ、大きく視界が傾く。

「え、あ、うわっ!」

 転ぶ。そう、咄嗟に目を瞑る。けれどいつまで経っても衝撃は来ない。
 それどころか。

「……っ!」
「……静かにしろ、息すんなよ」

 すぐ背後から聞こえてきた栫井の声。口元を塞ぐ冷たい手の平。
 カートの裏、栫井に抱き竦められるような形で身を潜めた俺は、慌てて頷き返す。
 そして、

『あの、今確かにこちらの方から声が……』
『一応確認しろ、何かあってからじゃ遅いからな』
『はいっ!』
「……っ」

 入口付近で気配がした。警備員だろう、足音からして数は一人か。
 必死に息を殺し、気配を消す。けれど、どうしても背後にいる栫井の存在に脈は加速し、意識すればするほど息が、心臓の音が栫井に伝わってしまいそうで。
 倉庫内部に警備員の足音が響く。
 明かりのないここではじっと見ない限り分からないはずだ。大丈夫。バレない。そう繰り返し、安静を取り戻そうとするが。
 ぎゅっと、栫井の腕に力が籠もる。益々密着する上半身に息が止まりそうになった。

「…………ッ」

 二重の意味で緊張せずにはいられない状況。
 平静なんて取り戻せるわけなんかなくて、腰に回された腕に、微かに伝わってくる栫井の心音と体温に頭の中が真っ白になって何も考えられなくなる。 
 ゆっくりと近付いてくる足音。視界をちらつく懐中電灯の光に硬直した時、後頭部に唇の感触が触れる。

「……っ?!」

 やばい、近い、近すぎる。微かに栫井の呼吸を感じ、変な汗が滲む。
 早く、どっか行っててくれて。そう叫びたい気持ちをぐっと堪え、自分の服の裾を掴んでひたすら耐え抜く。
 その時だった。外から物音がした。

『おい!外だ!』
「あ、はい!すぐ向かいます!」

 そして、バタバタと出ていく警備員。その複数の足音は倉庫から徐々に離れていく。
 栫井はゆっくりと俺から手を離した。

「……っ、い、行った……?」

 その声が聞こえなくなって、恐る恐る栫井に問いかければすぐ背後。栫井は俺の方を一瞥した。 

「……まだだ、黙ってろ」

 そう、声を潜めたまま栫井が答えたときだった。

「ちょっと、ちょっと!」

 暗闇の中、用具の物陰に隠れていた志摩が飛び出してくる。

「静かにしろ馬鹿が……っ!」
「いや近過ぎるから、もういいってそんなに近寄らなくて!」
「まだそう遠くには行ってない、いいからさっきの場所に戻……」

 戻れ、といらついたように栫井が声を上げた時だった。
 足音が再び聞こえてくる。それは確実にこちらの方に近付いていて。

『やっぱり気のせいみたいですね』
『でもハッキリ聞こえたんだよなぁ……おい、もう一度確認しとけ。じゃないと後から何言われるか分からないぞ』
『はい!』

「だから言っただろ……!」

 青筋浮かべた栫井が唸る。しかも、会話内容からして倉庫に入ってくるのがわかった。
 このままではまずい。近付いてくる足音に迷っている暇はなかった。

「し、志摩……っ!」
「えっ、齋藤、待って、うわっ」

 気が付けば志摩の腕を掴み、引っ張っていた。
 慌てて志摩が転ばないよう抱きとめれば、その衝撃に背後で栫井が呻くのが聞こえて。

「っ、ぅ……」

 流石に、重い。なんて思いながら目を開けば、すぐ目の前に志摩の顔があって。
 背後には栫井、目の前に志摩。緊急事態だとはいえ、とんでもない人口密度に今更ながら戦慄する。

『どうだ?』
『んー……やっぱりいなさそうっすね』
『もしかしたらさっきの物音は逃げたのかもしれないな』
『なら他のところ見なきゃやばくないっすか?』
『そうだな』

 そうだ、そのままさっさとどっかに言ってくれ。
 色々な意味で窮屈さで押し潰されそうになりながらもそう念じていると、不意に正面の志摩と目があった。
 瞬間、志摩はにこりと微笑み、舌なめずりをした。嫌な予感。

「っ、んん……ッ!」

 くっついていることをいいことに、躊躇いもなく顔を寄せてきた志摩はそのまま唇を重ねてきた。
 まさか、流石に志摩もそこまで愚かではないだろう、なんて高を括っていただけに度肝抜かれる。
 それだけではない、志摩の行動に気付いた栫井が呆れたように溜息を吐いた。

「おい、馬鹿、何やって……」
「っ、ぅ、ん、ふぅ……っ」

 それなのに、志摩は止めるどころか角度を変えてはちゅ、ちゅ、ちゅと何度も深くキスをしてきて。
 バシバシと志摩の背中を叩き、なんとか止めようと試みた矢先だった。
 振り上げた手が、近くの器具にぶつかってしまう。
 そして。

「ッ!」
『ん?』

 やばい、気付かれたか。
 響いてしまうかすかな物音に、全身に、倉庫内に緊張が走る。
 近付いてくる足音。こんなところ見つかってしまえば立場云々どころの問題ではない。やばい、どうにかしなければ、そう思うのに目の前の志摩は離れることすらしないのだからどうしようもない。
 気ばかりが焦り、頭がパンクしそうになっていた、その時だった。

「ニャ……ニャー……」

 すぐ背後から猫の声が聞こえる。間違いない、あの栫井が猫の声真似をしたのだ。
 猫に似てるとかそれ以前にまさかあの栫井が猫の声真似をするとは思いも依らなかった俺は更に絶句したが、その完成度は高かった。

『なんだ……猫か』
『おーい、どうしたー?』
『いや、何でもないっす!今戻ります!』

 そして、バタバタと倉庫を出ていく警備員。
 今度こそ、行ったようだ。再び周囲に静けさが戻ってくるのを確認した時、ようやく志摩は唇を離した。

「っ、ぷは……ッ!」
「てめぇ、どういうつもりだ……ッ!」

 栫井にまた怒られた、と思いきや今度の矛先は志摩に向いているようだ。

「どうって、齋藤がうっかり声出さないように塞いだだけだけど」
「余計バレそうになってただろうが!」
「それは俺のせいじゃないよ」

「ね、齋藤」とこちらを見詰めてくる志摩。
 なんだ、もしかして俺のせいだというのか。
 確かに俺が叩いたせいかもしれないけど、だからと言って俺のせいなのか?……俺のせいか。

「……っし、知らない……」
「よく言うよ、あんな目で見てきたくせにさぁ……」
「な……何、言って……」

 いや、本当に何言ってるんだ。
 あんな目ってどんな目だと気になったが、聞きたくないような気もしてきた。
 なんかいい感じに責任転嫁させられそうになっているが、元はと言えば志摩だ。志摩がキスしなければここまでヒヤヒヤすることもなかったはずだ。

「栫井の言う通りだよ、あの時栫井が猫の真似してくれなかったらバレてたかもしれないんだぞ……っ!」
「あんなので猫と思い込むお馬鹿さんなら簡単に撒けたよ」
「ひ、酷いよその言い方は。せっかく栫井が機転利かせて猫の真似したのに……っ」
「……おい、猫猫言うのやめろ……!」

 どうやら栫井としても不覚のことだったようで、かなり不愉快そうな栫井に慌てて俺は口を閉じる。
 けれど、志摩は。

「随分と、齋藤は栫井の肩を持つんだねぇ」

 どうやら栫井を味方する俺が気に入らなかったようだ。
 別にそんなつもりではなかっただけに、指摘されるとつい「え」と頭が真っ白になってしまう。

「っていうかお前もお前でいつまで齋藤のこと抱き締めてるつもりなの?」

 そして、栫井に目を向けた志摩はずびしとこちらを指差した。
 その言葉に自分の下腹部に目を向ければ、しっかりと抱き締めてくる栫井の腕が視界に入り、今更ながら栫井の膝の上に抱き抱えられてるという今の自分の状況を思い出した俺は硬直した。それは、栫井も同じで。

「……っ!退け!重いんだよ豚!」
「ぶ……ッ!……ご、ごめん……!」

 豚呼ばわりは些かショックだが、確かに栫井に負担が掛かってしまっているのは確かだ。
 一先ず栫井の上から退こうとすれば、代わりに伸びてきた志摩に手を取られる。

「齋藤は重くないよ、栫井が筋肉ない貧弱野郎なだけなんじゃないの?ほら、齋藤こっちにおいで。俺ならいつまでも齋藤を抱っこしてあげるから」
「い、いいよ、もう……」

 と言うか別に抱っこしてもらいたいわけでもないのだけれど。

「遠慮しなくていいから」
「いいってば、志摩、止めてよ……っ!」

 二人きりの時ならいざ知らず、今は栫井がいる。
 あまり人目を気にしない志摩は野放しにしておくと何を仕出かすかわからない。
 ぐいぐいと引っ張ってくる志摩の手を振り払えば、一瞬、志摩の周囲の空気が凍り付いた。

「……なんでそんなに嫌がるの?俺のことが嫌なの?栫井の方がいいわけ?」

「いちいち俺を巻き込むんじゃねえよ」と栫井が吠える。
 確かに栫井は関係ない。けれど、ここは志摩にハッキリ言わなければならない。
 俺は拳を固め、志摩に向き直る。そして、一呼吸。

「……志摩は嫌って言ってもするから、それなら、栫井のがいいよ」

 志摩のことが嫌いというわけではないのだけれど、こうも見境なくされると困る。
 そう伝えたつもりだったのだが、凍り付く志摩と目を見開く栫井にちゃんと伝わったかどうか不安にならずにはいられない。
 ああ、少し、言葉が悪かったみたいだ。

「ぁ、いや、今のはその、志摩が無理矢理するんだったらっていう話で、その、志摩のことが嫌いとかそういうわけじゃなくて……」

 しどろもどろフォローを入れようとすれば、すぐ背後から聞こえてきた大きな溜息にびくっと全身が緊張する。

「……うっぜえ、人を巻き込んでんじゃねえよ」

 栫井の言い分ももっともだ。

「っ、ご、ごめん……」

 そう、慌てて謝ろうとした矢先だった。
 不意に栫井がゆらりと立ち上がったかと思えば、伸びてきた手が肩に触れる。
 そのまま体を寄せられれば、掛かる体重に全身が硬直する。

「っ、わ、ちょ、栫井……」 
「……残念だったな、こいつはお前のことが嫌いだってよ」

 近い、とか重い、とかそんな俺のことは構わずに志摩に向き直る栫井。その口元には笑みが浮かんでいる。
 久し振りに笑った栫井を見た。
 なんて感動してる暇はない。というか栫井が笑う時は大抵ろくでもないときだけだということを思い出し、ますます戦慄する。

「なに?」
「……男に二言はないよな」

 今度は、俺だ。眼球だけを動かしこちらを見下ろす栫井になんだかとても嫌な予感がするもののつられて「え、ぁ……ぅ……うん」と頷いてしまったが最後。
 不意に頬に触れる栫井の手の平の冷たさにびっくりしていると、気が付けばすぐ目の前に栫井がいて。

「んんっ」

 あ、これは、デジャヴ。なんて、思ってる内に唇を重ねられる。
 心臓が口から出るかと思うくらいにはびっくりしたが、それでも、薄い膜越しに流れ込んでくる栫井の体温に頭が真っ白になって。

「っふ、ぅ、んん……ッ!」

 舌が、入ってくる。なんて思ってる側から挿入される舌先が咥内に触れる度、電流が走ったみたいに全身が震える。
 上顎から喉奥まで這うように侵入してくる舌にゾクゾクと寒気にも似た何かが走った。
 腰から力が抜けそうになるが、後頭部に回された栫井の指に髪を搦め捕られれば逃げることも出来なくて。

「ちょっと、何やってんだよ!おい!」

 絶句していた志摩が、慌てて栫井から俺を引き離す。
 引き抜かれる舌。けれど、咥内を掻き回す栫井の舌の感触が取れなくて。

「っ、は、ぅ、っ、かこ、い……ッ」
「なんだよ……まじで抵抗しねえんだ」
「し……してるよ!齋藤すごく抵抗してるから!」
「……っ」
「なんで無言なの?!」

 確かに男同士でキスなんて、と思うけど、それでも今、抵抗できたのなら俺は死ぬ気で栫井に抵抗していたのだろうか。
 それで栫井が気の済むのなら。そう思い始めている自分の本心は見てみぬフリをするには誤魔化しきれないくらい濃くなっている。

「……俺には、抵抗する資格ないから……っその、栫井がしたいんだったら……俺は……」

 俺は、と口の中で呟く。俺は、どうするつもりなのだろうか、それは自分でもわからないが、俺が言っていることは相当アレなことなのだろう。
 栫井の鋭い目が、突き刺さる。
 不要なお節介が栫井にウザがられると分かっているけれど、それでもちゃんと口で伝えておきたかった。
 けれど、勿論あいつがそれを黙って見過ごしてくれるはずがなくて。

「ちょっと待って齋藤、俺は?俺にはめっちゃ抵抗するくせにどういうこと?ねえ齋藤」
「え……いや、し、志摩とすると痛いから……まだちょっと、怖くて」

 どうしても志摩との良い思い出がないお陰で思い出す度に腰が痛むのだ。
 本人としても心当たりがあったのだろう、「ぐッ」と呻き、志摩は押し黙る。

「……下手くそか」

 そんな中、鼻で笑う栫井の一言に志摩の顔色が変わった。悪い意味で。

「お前さ、なんか誤解してるかもしれないけど別に俺は下手くそとかそういう技術的センスが劣ってるとかそういうわけじゃなくて痛がる齋藤が見たくて、ほら、痛がってその度にしがみついてくる齋藤を想像してみなよ。そりゃ痛がらせたくなるに決まってるじゃないか!」
「っ、ん、ぅ、んんッ」
「人が話してる時にキスしないでよ!」

 どうしてこんなことになっているのだろうか。
 今までの緊張のせいで危機感が馬鹿になってしまっているのか。
 そして、それは恐らく俺も同じなのだろうけれど。

「齋藤」

 名前を呼ばれたと思えば、顎を掴まれ半ば強制的に志摩の方を向かされる。
 そして、躊躇いもなく重ねられる唇のその感触に全身が強張った。

「っ、ぅ、ぶ」

 暖かい、とかそんなこと言ってる場合ではない。
 志摩とは今まで何度キスしたのかわからない、わからないがそれでも栫井の目の前で、だとかそんな事を考えてしまえば慣れるどころか余計パニックを起こしてしまいそうで。

「っ、ぅ、ふ……んん……ッ」

 絡み付いてくる舌に根本から全体を擦り上げられれば口いっぱいに流れ込んでくる志摩の体温に息が詰まりそうになって、咄嗟に俺は志摩の肩を掴み、唇を離す。

「っ、し、ま……ッ」
「んー、ほら齋藤、舌出して」
「っ、何、言って……」

 本当に、何を言ってるんだ。
「ほら、早く早く」と笑顔で急かしてくる志摩に、収まりかけていた心拍数は既に危ないことになっていて。
 滲み出る汗、触れる手の感触。そんな目で見られては、逆らえるはずがなくて。

「……っぅ、んん」

 ゆっくりと口を開き、舌を突き出す。
 恐らく、志摩から見た俺は相当な間抜け面になっているだろう。
 けれど、嬉しそうに志摩は微笑んだ。
 そして、

「ぅ……ッ」

 尖った舌先に軽くキスをされた。
 その感触に驚き、身を竦めた矢先、薄く開いた唇に舌先をパクリと咥えられる。
 瞬間、

「ぁ、ふ、あ、ぁあ……ッ!」

 舌ごと吸い上げられたその瞬間、電流のようなものが背筋に走る。
 強制的に開かされた唇から漏れる声を堪えることも出来ず、口から溢れる間抜けな声に居た堪れなさと恥ずかしさでなんだかもうなんか、もう。やばい。

「……キスくらいでどんだけはしゃいでんだよ」

 軽度の酸欠で頭の中ぐちゃぐちゃになっている中、聞こえてきた呆れ気味な栫井の声にカッと顔が熱くなる。
 それも、束の間。背後、伸びてきた手が胸元に触れ、思わず舌を引っ込めてしまう。

「っ、ちょ、あの、待って、栫井……ッ」
「……なに」
「な、なに、じゃなくて、な、なんで、俺」
「……あんたが誘ったんだろ」
「そ、それは……っものの例え的な、その」

 だって、本当にまさかそんな。
 いや確かに俺の言葉が悪かったかもしれないけど、だけど、この流れはよろしくない。少なくとも、俺には。
 けれど、勿論栫井がそんなこと配慮してくれるはずもなく。「あっそ」とだけ吐き捨てる栫井はそのままシャツ越しに乳首を抓られ、全身が硬直した。

「っ、ぁ、や、栫井……ッ」
「ちょっと、止めてよ齋藤痛がってるじゃん」
「痛がってる?……馬鹿だろ、お前」

「これが痛がってるように見えんのかよ、節穴が」嘲笑混じり、指の腹で転がすように押し潰されれば布越しのもどかしい刺激に喉が震えた。

「や、っだ、栫井……ッ」
「いい加減にしろよお前、齋藤は俺が好きだって言ってんだろ」

 見兼ねた志摩が仲裁に入る。
 そんなこと言った記憶があまりないが、正直助かった。
 流されてしまいそうになっていた俺は志摩の仲裁に理性を取り戻しかけていた。
 志摩が好きかどうかはともかく、今は、そう、そんな場合ではないのだ。

「当の本人は俺のがいいって言ってるけど」
「そ……それは、齋藤はお人好しだからね、お前に同情して甘いだけだよ」
「……」

 同情、その単語に僅かに栫井の目が細められる。
 栫井への同情は否定はしない。けれど、そんな顔をされたらどうすればいいのか分からなくなる。
 栫井を少しでも励ますことが出来たなら。そう、思っていた。




「っ、あの……」

 考えれば考えるほど自分を見失いそうになる。
 だから、俺は栫井の手を掴み、握り締める。冷たい手。

「……ご、ごめん……こういう時、なんて言えばいいのか分からなくて……」
「……」
「俺は……いいよ。栫井がしたいっていうなら」

「えっ?!」と声を上げたのは志摩だった。
 自分でも相当あれなことを言ってると思う。
 呆れ果てる志摩の視線に顔が熱くなるが、栫井から目を逸らすことが出来なくて。

「……同情かよ」

 不快そうな色が滲んだその声音はどこまでも冷たくて。
 恐らく、そうだろう。俺は栫井に同情している。会長のために動いて、会長に勘当された栫井に。
 満身創痍の背中に。それでも会長を見捨てない栫井に。
 だから、自分が栫井のために役に立てるのならとも思う。けれど恐らくそれは純粋な善意だけではないだろう。それは自分でも気付いていた。

「齋藤、まだ傷だって完全に治ってるわけじゃないのに何を血迷ったこと言ってるの?溜まってるのなら俺が相手するよ」
「た……っ、ち、違うよ、したいとか、したくないとかじゃなくて、俺は……」

 栫井の視線が、痛い。
 味方がいない栫井に餌付けして、ただ側に縛り付けておきたいだけなのかもしれない。
 それでも、栫井に笑っていてほしい。そう思うのはきっと思い込みではないはずだ。

「俺は……っ」

 でも、そうだ。そう言うことを口にするのは普通に考えたらただの欲求不満に取られてしまうのか。
 そう思うと今更ながら自分の言動行動が恥ずかしくなって、顔から火を吹きそうになる。
 ろくに二人の顔が見れなくて、俯いた時、微かに志摩が笑い声を漏らした。
 なんで笑うのかと思い顔を上げれば、何か察したように笑う志摩がいて。

「なるほどね。分かったよ、齋藤。何を考えてるのか」
「えっ?」
「いきなり何言い出すのかとヒヤヒヤしちゃったけど、まあ、それなら仕方ないよね」
「え、や、あの……志摩?」

 先程まで不機嫌面かと思えば、いきなりニヤニヤと笑い出す志摩に嫌な予感を覚えずにはいられなかった。
 そして、

「って、ちょっ、志摩……っ!」

 思いっ切りたくし上げられる服。露出させられる胸元にギョッとし、慌てて服を脱がしてくる志摩の手を掴めば、目があった志摩はにっこりと笑う。

「大丈夫、色仕掛けだよね、俺も協力するから」

 そして、耳元、俺にだけ聞こえる声量で告げられたその言葉に頭の中が真っ白になった。
 色仕掛けって、最終的に確かにそんなことしてたかもしれないが、いや違う、そんな不純なものではなかったはずだと思うが言われてみればやってることには大差ない。けど、けれど。こんな露骨に。

「ちょ、待って、志摩……」

 そんな手伝いいらない、と慌てて志摩の手を振り払おうとするけれど、に顔を埋めてくる志摩に剥き出しになった乳首を舐められれば全身に鳥肌が立つ。

「いい加減にしろよお前、齋藤は俺が好きだって言ってんだろ」

 見兼ねた志摩が仲裁に入る。そんなこと言った記憶があまりないが、正直助かった。
 流されてしまいそうになっていた俺は志摩の仲裁に理性を取り戻しかけていた。
 志摩が好きかどうかはともかく、今は、そう、そんな場合ではないのだ。

「当の本人は俺のがいいって言ってるけど」
「そ……それは、齋藤はお人好しだからね、お前に同情して甘いだけだよ」
「……」

 同情、その単語に僅かに栫井の目が細められる。
 栫井への同情は否定はしない。けれど、そんな顔をされたらどうすればいいのか分からなくなる。
 栫井を少しでも励ますことが出来たなら。そう、思っていた。

「し、ま……やめろってば……っ!」
「どうしたの?齋藤。やっぱり二人きりの方がいい?」
「っ、そういう意味じゃ……んぅ……っ」

 肌寒さで硬く凝ったそこを執拗に指の腹で揉み扱かれれば背筋が震え、声が漏れてしまう。
 志摩の視線が恥ずかしくて、顔を逸らせば栫井と目があって。
 何を考えているのか分からない無表情に、冷たい目に、急激に体温が上がっていく。

「ゃ、栫井、見な……いで……ッ」
「……」
「栫井……っ」

 志摩の手を掴み、せめてと手遊びを辞めさせようとした時だった。
 後頭部に伸びてきた栫井の手、髪先に絡められる指に何事かと目を見開いた時。

「かこ……んんッ」

 重ねられる唇。視界が栫井でいっぱいになって、混乱しそうになるがすぐに状況は飲み込めた。
 この展開は、よろしくないと。

「っふ、ぅ、んん……っ」

 唇はすぐに離された。離れる際、唇を舐められその濡れた感触にビクリと肩が震える。
 てっきり、引かれると思っていただけに栫井の行動は予想外で。
 首を動かし、栫井の横顔を視線で追う。不意に、視線がぶつかった。

「あんた、誰にでもこうなのかよ」
「え、いや……っおれ、俺は……っ」
「少なくとも、俺には素っ気ないけどね」
「そ、そういうつもりじゃ……ないけど……」

 呑気に話してる場合ではないと分かっているけど、二人に挟まれて緊張のあまりに現実味が薄れているのかもしれない。
 思い返してみれば今日一日で色々なことが起こった。
 だからだろう、二人とも疲労感で可笑しくなっているのかもしれない。そう定義付けてみるが、だからと言ってこの状況が変わるというわけではなくて。

「…………」

 突き刺さるような視線を感じ、振り返れば栫井と徐に視線がぶつかる。

「か……栫井?」

 なんとなく嫌な予感がし、身じろいだ時、下半身、主に腰に回された手に全身が凍り付く。

「ちょっ、待って栫井……」

 ウエストから滑り込んできた栫井の手に臀部を弄られ、その感触に全身から血の気が引いた。
 そろそろ大丈夫だろうと思っていたが、どうしても阿賀松の腕の感触を、腹の中を掻き回すような痛みを思い出し、手足から力が抜けそうになった。その時だ。

「だ、ダメ!」
「っ!」

 慌てて止めたのは、志摩だった。
 珍しく動揺を顕にした志摩に俺も栫井も驚く。

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