天国か地獄


 15

 志摩との通話を終えて暫く、買い物袋をぶら下げた八木が戻ってくる。

「おい、飯」

 そうローテーブルの上、広げられたのは出来合いの弁当だった。それも一人分。

「あ……ありがとうございます」
「……」
「……」

 先輩は要らないんですか、と聞こうと思ったが相変わらずの八木の全身から滲む拒絶オーラに結果黙り込むしかないわけで。
 また何か言われる前に出されたものを食べてしまおう。
 そう、同封されていた箸に手を伸ばす。

「お前、何か触ったか?」

 そして、そのまま弁当を口にしようとした矢先、突然の八木の問い掛けに全身が緊張する。

「……俺は、ここから動いてないので」

 ドキドキと騒ぎ始める心臓を必死に抑えながら答えれば、八木は「ふーん」と呟く。
 どうやらただカマを掛けてみただけのようだ。
 相変わらず鋭い視線は痛かったが、八木はそれ以上何も言ってこない。
 それにしても、八木に見られながらの食事は味がしない。

「……あの、どうして招集掛けられたんですか?」

 続く沈黙の中、ここは俺も何か言った方がいいのだろうか。
 そう、あくまで何気ない感じを装いながら尋ねてみる。

「別に、テメェには関係ねえだろ」

 そしてばっさりと切り捨てられる。間違いなく俺たちのことだろうが、この調子では教えてくれなさそうだ。
 少しでもいいから、会長たちの様子がわからないだろうか。

「あの……」
「いいからさっさと食えよ」
「あ、は、はい」

 探りを入れてみようと試みるも、八木には隙がない。
 怒られ、俺は再び食事に戻ることにした。
 あまり食い付いて不審がられるわけにもいかない。
 やはり、どうにも俺は駆け引きというものに向いていないようだ。
 目の前の八木を気に掛けつつも、黙々と弁当を咀嚼していた時だった。

 突然、静まり返った室内に着信音が響く。俺の携帯はマナーモードにしている、ということは。
 向かい側、ソファーに座り込んでいた八木に目を向ければ、丁度八木は携帯を取り出しているところで。

「……あ?……ああ、それならあいつに伝えておいたはずだぞ。風紀は一切関与してないってな」

 立ち上がるなり、俺に背中を向ける八木。
 その会話の内容からして相手は風紀の人間だろうか、もしかしてこの前の志摩たちが逃げたことを言われているのだろうか。
 なんとかして電話の内容が分からないだろうかと、あくまで食事に集中するフリして耳を澄ませてみるものの。

「ゴチャゴチャうるせえな、知らねーよてめえらがしっかりしてねえからだろっつっとけ!」

 突然、荒々しくなる八木のその声に鼓膜が震える。
 ビックリして箸を落としそうになり、そんなこんなしているうちに通話も終わってしまったようだ。

「……っクソ、どいつもこいつも……」

 苛ついたように吐き捨てる八木。
 怒鳴り声驚いて硬直していると、不意にこちらを振り返った八木と目があった。

「あ?見てんじゃねーよ」
「ご、めんなさい」

 そう慌てて体を動かし、八木から視線を下げようとした時だった。

「っわ」

 丁度側にあったグラスに手が当たってしまい、卓上に水が溢れてしまう。

「わ、わわッ……」
「何やってんだお前」
「すみません!今すぐ拭き……」

 ます、と言い掛けた時、伸びてきた八木の手に手首を掴まれる。
 驚いて顔を上げれば、こちらを見下ろしていた八木とまともに視線がぶつかった。

「余計なことすんじゃねえ」

 それだけ吐き捨て、テーブルから離れた八木。
 余計なことをするなと言われ、そのまま動けなくなっているとすぐに布巾を手にした八木が戻ってきた。

「ありがとう、ございます……」
「これ以上無駄な仕事増やされたくねえんだよ」

「せっかく今日はサボるつもりだったのに」と、愚痴っぽく呟く八木は言いながらもテーブルの水を拭った。
 一連の八木の行動に、少しだけ驚いた。てっきり「てめえで拭け」と布巾を投げ付けられるかもしれないと思っていただけに。
 いや、ただ赤の他人である俺に部屋を弄くられたくないだけだという可能性もある。
 けれど。
 なんて、考えていた時だった。突然、室内にノック音が響く。
 誰か来た。誰が来ても不思議ではない状況だが、その事実は酷く俺を動揺させる。
 それは、八木も同じのようだった。

「んだよ、誰だよ今度は」

 イラついたように短い髪を掻き毟る八木。
 そのまま扉へ向かおうとして、思い出したようにこちらを振り返る。

「念のため、お前はクローゼットにでも隠れておけ」

 そう、壁に取り付けられた収納扉を指さす。
 他人のクローゼットと言われれば抵抗もあったが、状況が状況だ。
「はい」と慌てて俺はクローゼットの中へ入り込む。
 あまり服がないそこは結構広くて、扉を閉めた矢先玄関の方で扉が開く音が聞こえてきた。俺は息を潜める。

『なんだ、どうかしたのか』
『委員長、あの、副会長が風紀室にいらしてまして……』

 委員長、という単語に驚く。八木が風紀委員長。
 粗暴な態度から全く結び付かないが、そう言えば阿賀松が風紀委員長をやっていたくらいだ。俺には理解出来ないこともあるということなのだろうが、副会長。

『副会長?元の方か?』

 栫井のことだろうか、と耳を扉に押し付けて見れば、『いえ』と風紀委員の声が聞こえた。
 ということは、

『五味が?あいつがなんの用だよ』
『それが、その、自分もよく……』

 五味が八木を訪ねている。
 その事実に、心臓が締め付けられる。
 もしかして、勘付かれているというのか。いや、でもまだ会長たちは八木と阿賀松の繋がりを知らないはずだ。

『分かった。……すぐに行く』
『は、はい!』

 二人の会話はすぐに終わる。
 暫くもしない内に扉が閉まる音が聞こえてくる。
 そして、八木の足音が近付いてきて、

「おい、もう出ていいぞ」

 クローゼットの扉が開かれる。
 先程まで暗かった密室内、差し込む室内の明かりが少しだけ眩しくて。
「はい」とだけ返し、慌てて俺はクローゼットから体を出した。
 そんなに時間は経ってないはずだが、酷く体が疲れている。なるべく汚さないように変な体勢を保っていたせいだろう。

「あの……どこか行くんですか?」
「聞いてたのかよ」
「す、すみません、聞こえてきたので……」

 八木はばつが悪そうに舌打ちをする。
 余計なこと言ってしまったかな、と思ったが、「そうだよ」と八木は素直に答えてくれた。

「呼ばれたら行くしかねえからな」

 八木の性格なら真っ向から逆らいそうだが、そうしないのは阿賀松に言われてるからなのか。
 その表情に不服そうな色が見え、つい俺は「あの」と口を開いた。
 気をつけて下さい。そう続けようとして、俺はその言葉を飲み込む。

「なんだよ」
「……いえ、なんでもないです」

 騙している相手に気を付けてなんて、専らおかしな話だ。
 あまり、入れ込まない方がいい。
 無意識の内に八木に入れ込みそうになっていた自分に喝を入れる。

「寝たくなったら勝手に寝といていいから。ベッドは使うなよ。ソファーなら貸してやる」
「ありがとうございます」

 それだけを言って、八木は部屋を出ていった。
 五味に会うために。
 五味は無事なのだろうか、わざわざ俺を逃してくれた五味のことが気になったが、今、俺に出来ることは限られてる。
 取り敢えず、今は体を休めよう。それくらいしか、俺には出来ないから。
 許可ももらったことだし、俺はソファーを借りて仮眠を取ることにした。

 ◆ ◆ ◆

 どれくらい時間が経ったのだろうか。
 浅い眠りの中、遠くで扉の開く音を聞いた。
 八木が戻ってきたのだろう。体を起こそうか迷ったが、俺が出迎えると八木が嫌がるかもしれない。
 なんて余計なことを考えていると。

「おい」

 微かに背もたれが軋むのを感じた。
 突然呼び掛けられ、驚きと動揺でつい起き上がるタイミングを逃してしまう。
 結果的にそのまま狸寝入りになってしまい、ますます居た堪れなくなる俺。

「……」

 早く、早く通り過ぎて行ってくれ。
 寝たふりをして無視しているとバレたらますます面目ない。
 一人、必死になって浅くなる呼吸を落ち着かせていると。
 どこからともなく伸びてきた八木の指先が髪に触れるのを感じた。
 瞬間、息が止まりそうになる。

「……っ」
「おい、まじで寝てんのかよ」

 あくまで小さな声で、問い掛けられ「はい」なんて応えられるわけがない。
 さっさと起きてしまえばよかったのに、なんで俺は無駄なことをしてしまったのだろうか。一人悶々と悩んでいると、八木の指が離れる。
 遠くなる足音。八木の気配が遠くなっていき、ほっと安堵していると再び戻ってくるその足音に再度全身は硬直する。
 そして次の瞬間、体に何かが覆い被せられる。

「……っ」

 それが薄手のタオルケットだと気付くのに然程時間は要いなかった。
 予期せぬ八木の行動に落ち着きかけていた鼓動は騒ぎ始める。
 優しい。ここ最近罵られたり掴み掛かられたりされていたばかりだからか、何気ない八木の行動に酷く揺さぶられそうになっている自分がいた。
 これはよくない。八木に入れ込みすぎてダメだ。俺はこれから八木を騙さなければならないのだ。
 タオルケットを掛けられた体がぽかぽかと暖かくなっていく中、そう何度も言い聞かせながら俺は再び眠りの中へと落ちていく。

 今度はぐっすりと寝られた、そんな気がした。
 錆び付いたように硬くなった節々を解しながら、ゆっくりと上半身を起こせばそこは眠る前と同じ八木のソファーの上で。
 当の八木の姿は見えない。さっき帰ってきたはずだよな、と壁に掛かった時計を見てみれば既に日は暮れていた。
 大分寝ていたようだ。なんて、思いながらソファーから降りた時だ。
 脱衣室の方から声が聞こえてくる。

『……すね、だけど……』

 八木の声だ。
 電話をしているのだろうか。
 音を立てないように気を付けながら、俺は脱衣室の扉の前まで移動する。
 そのまま扉に耳を押し付ければ、今度はハッキリと八木の声が聞き取ることができた。

『それなら、今夜どうですか?ええ、消灯過ぎたら制限されますし、そっちのがうごきやすいんすよ。なんなら俺、そっちに行きますから』

 いつもとは違う、敬語で話す八木。
 興奮しているのか、声が早口気味だ。
 あの八木が敬語で話すような相手といえば阿賀松しか思い当たらない。

『はい、ええ、詳しくは会ってから話します。一応気をつけてはいるんですけど何を細工してくるか分かりませんから』

 やはり、あの封筒のことなのだろうか。
 今夜、再び時計を確認する。夜と呼べる時間までそうない。

『それでは、失礼します』

 やばい、来る。
 せめて、と慌てて扉けら離れようとしたが丁度足元の棚に引っ掛かってしまう。

「わ……っ」

 躓き、傾く体を支えようと手元にあった棚を掴もうとすれば、そこに置かれていた小物を倒してしまう。
 室内にがしゃんと音が響くのと、背後の扉が開くのはほぼ同時だった。

「……何やってんだ、お前」

 間に合わなかった。
 背後から掛けられた突き刺さるような鋭いその声に、全身から血の気が引く。

「いえ、あの、先輩がいなかったので、その、探してて」

 全身から汗が吹き出す。
 喋れば喋るほど舌が絡まりそうになり、落ち着こうとすればするほど何も考えられなくなる。
 突き刺さるような八木の視線に、次第に語尾も弱まっていく。

「盗み聞きしてたのかよ」

 侮蔑の混ざったその目がひたすら辛くて、八木の顔を見ることすら儘ならなかった。

「違います、声は聞こえましたけど、何話してるかまではほんと……っ」

 言い掛けた矢先、胸ぐらを掴まれる。
 強い力で引っ張られ、気が付けば目の前に八木の顔があった。

「……」
「せ、んぱ……ッ」

 目を逸らすことすら出来なかった。締め付けられる襟首に、器官が狭くなり息苦しい。
 つい、胸ぐらを掴む八木のその手に触れたときだった。

「今度こんな真似してみろよ」

 鼻先同士がぶつかりそうになるほどの至近距離。
「ただじゃおかねえから」そう、低く、地を這うような声に全身の体温が一気に降下するのを感じた。
 警戒心を剥き出した八木に、酷く動揺する自分がいた。

「返事ぐらいしろ!」

 何も応えられずにいると、痺れを切らした八木は声を荒らげた。
 慌てて「はい」と応えれば、八木は突き飛ばすように俺を開放してくれたがその後、八木が俺に話し掛けてくれることはなかった。 

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